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164. 言葉で成長支援を行う者に求められる最低限の資質:「言語が持つ破壊・殺傷力」


自分を愛せぬ者は、自分以外の者を愛することなどできない」エーリッヒ・フロム

冒頭、ドイツの哲学者・社会心理学者であるエーリッヒ・フロムの言葉から、発達支援を行うコーチやセラピスト、あるいは、より広範に人材育成に携わる者に求められるある資質を連想しました。

言葉を用いて他者の心の成長・発達を支援するコーチやセラピストなどは、他者の心を打ち壊せるだけの言葉の破壊力を携えていなければ、他者の心の成長を促すことなど決してできないのではないか、ということです。

人間の心の成長は、死と再生のプロセスによく喩えられます。別の表現を用いると、それは「破壊と創造のプロセス」であると言えるでしょう。つまり、人間の心が成長する際には、「死」や「破壊」という現象を避けて通ることができないのです。

私たちの心が成長するプロセスには、必ずある段階の死が訪れ、私たちの自己は再構成されながら新たな段階を構築していきます。こうした発達の根本原理を考慮してみると、他者を言葉で葬り去る力と再生させる力という対極的な二つの力がともに大切なものであるということに気づくでしょう。

もし仮にコーチやセラピストの中に他者の心を破壊できるほどの言語力がなければ、どのようにして他者の心を再創造できるのでしょうか。破壊(destruction)と再構成(re-strucition)は表裏一体であり、何も破壊できぬ者に何も再構成することなど土台無理な話ではないでしょうか。

私たちの言葉というのは、本来的・本質的には呪術性に満ち溢れたものであり、途轍もない殺傷力を秘めたものなのです。しかし、現代社会で使用されている言葉は、そうした呪術性や殺傷力を限りなく削ぎ落とされ、骨抜きになっている気がしてなりません。その結果として、実に味気なく、弱々しい言葉が浮遊している状況に陥っているのではないでしょうか。

日本語の言語力がどんどん地盤沈下する現代社会の世相を反映してか、コーチングや人材育成の領域において、様々な理論や方法を用いれば、さも人間の成長・発達が促されるかのような蠱惑的な思想が流布しているように思います(「流布」というよりも、根深く根付いているといったほうが正確かもしれませんが)。

畢竟、コーチやセラピストのように言葉で人を支援する者には、言葉で相手の心を崩壊させるだけの、あるいは相手の心を殺せるだけの言語力が必要なのではないでしょうか。そうした力のない人間に言語を通じて人を成長させることなど微塵もできないように思われます。

ここでは、相手の心を破壊・殺傷できるだけの力を行使せよと言っているわけではありません。言葉を用いて他者の成長・発達を促す者には、最低限、そうした力を持っておくべきだと言っているのです。

侍は刀を抜く必要はないのです。しかし、侍は研ぎ澄まされた刀を持っておくべきなのです。

【追記】

追記として言及するまでもないと思うのですが、上記で述べている言語の破壊・殺傷力というのは、「罵倒」「暴言」などが表す言葉の暴力のことを指しているわけではありません。

言語の呪術性や言語が持つリアリティ構築作用などを用いて、他者の世界認識方法や意味構築装置を一変させてしまうような力のことを指しています。

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