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146. ニューヨーク在住時代の恩人「井筒俊彦」先生


現在、日本を代表する哲学思想者の一人、井筒俊彦先生の書物を読み返しています。大学時代に初めて井筒先生の「意識と本質」を手に取り、そこに書かれていることをほとんど理解できなかったながらも、思想の射程の広さと深さに衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えています。

当時の私は会計学や金融工学の学習に心血を注いでおり、なぜ当時の私が井筒先生の「意識と本質」を購入したのか定かではありません。もしかしたら、当時の私の無意識は数字のみで世界を記述しようとする客観世界に対する欺瞞で満ち溢れていたのかもしれません。

井筒先生の書物を改めて読み返すようになったのは、アメリカの思想家ケン・ウィルバーの意識論に出会った頃でしょうか。ウィルバーの書籍を読みながら、そういえば同じような関心テーマを持って探求をしていた日本人学者がいたなと思い返し、井筒先生の書籍を再読していたのを覚えています。

もちろん、ウィルバーが成し遂げた、西洋心理学と東洋思想の意識段階モデルの再編纂という偉業は今尚色褪せることはありませんが、私から見ると、意識と言葉(言語)の繋がりに関する論考がそれほど充実しておらず、人間の意識に対する思惟を推し進めていく際にその点だけ物足りなさを感じていました。

それに対して、井筒先生はウィルバーほど精緻な意識段階モデルを提唱していませんが、逆に、意識と言葉の関係性に対する考察には息を飲まされます。私自身の原体験から、プラトン、アリストテレス、プロティナスの系譜を受け継ぐ「神秘哲学」に対する井筒先生の思索に感銘を受けたのは間違いないですが、それと同様に、あるいはそれ以上に、井筒先生が繰り広げる言語哲学には頭が下がります。

忘れもしないのは、私がニューヨークで働いていた頃、改めて言葉と意識との関係性を考えざるを得ない状況に追い込まれた時、井筒俊彦先生の「意識の本質」の存在を思いだし、絶望的なまでにこの書籍を再度読み込みたいと思うようになりました。

しかし、サンフランシスコから引越しをする際に、あろうことか「意識の本質」を日本の実家に送ってしまっていたのです。どうしても「意識の本質」を読み返したいという衝動は収まらず、マンハッタンにあるブックオフに行った際に、この書籍が2冊本棚に置かれているのを目にした時の安堵感は相当なものでした。

米国に移住して以来、言語を超越した知覚世界が確かにありありと存在しているという体験を幾度もするようになり、言語を超越したリアリティを作り上げる、もしくは覚知する人間の意識のメカニズムに強い関心を持っていました。

さらに、認知的発達心理学者として、研究上かつ仕事上、話し言葉や書き言葉から他者の言語構造を分析・測定するということに専心していたため、言語で構築されるリアリティを超越したリアリティに対して、ある種病的なまでの探究心を抱いていました(今でもですが)。

ニューヨーク在住時代は、言語が持つ「呪術的作用」に関心があり、 “Language and Magic(邦訳なし)”という書籍をマレーシアの書店から取り寄せて読み耽っていたのが懐かしいです。日本に一時帰国してみて、今再び井筒先生の書物を読み返す時期にあるとひしひしと感じています。

井筒先生はすでにお亡くなりになっていますが、私にとってニューヨーク在住時代の精神的な支えであり、精神的な恩人でもありました。人間の意識発達とその作用に関して、日本にウィルバーを凌ぐ碩学の巨人がいたことをここに明記しておきたいと思います。

【追記:井筒俊彦全集】

井筒俊彦先生が展開した言語哲学や意識論を含めて、彼の思索を時系列的かつ網羅的に辿るための指南書として「井筒俊彦全集(慶應義塾大学出版)」は大変優れた全集です。

全集に入る前に、井筒先生の言語哲学と意識論のエッセンスに触れたい方には「井筒俊彦:言語の根源と哲学の発生」を強くお勧めします。多様な哲学者や思想家が独自の視点から井筒哲学を解説しています。

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