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40. デカルト的認識論を超えて:既存の発達理論パラダイムの根幹にあるもの


発達理論の長い歴史において、これまでどうして多くの発達理論家は、心の動的な特性を認識することができなかったのでしょうか?実際には1980年代から、カート・フィッシャーやカーネギーメロン大学教授のロバート・シーグラーは、発達の可変性について研究を進めていましたが、それらの研究は当時の発達理論コミュニティが持つパラダイムの影に隠れてしまっていたのです。

当時の発達理論のパラダイムは、発達現象を実に静的な構造と捉えており、それらのパラダイムは、発達が持つ可変性や知識・スキル獲得プロセスに内包された秩序を明らかにすることはできませんでした。この影響は今もなお残っていますが、これまで様々な発達理論家が代替モデルを提唱してきました。

例えば、ピアジェが最終的に作り上げた理論は静的な構造モデルでしたが、実のところ、ピアジェは、発達が持つ可変性を正確に認識していたのです。つまり、ピアジェは、与えられたタスクが変われば、スキルレベルが変動するという現象を認識していました。

しかしながら、ピアジェは、スキルが持つ可変性を認識しながらも、そうした現象を説明するモデルを構築しませんでした。

ピアジェも含め、どうして多くの発達理論家は、静的な構造モデルに執着している、あるいは固執してしまったのでしょうか?その大きな理由は、西欧心理学の根底に流れるデカルト的な認識論にあります。デカルトが西欧哲学・心理学にもたらした功績は計り知れないですが、それと同時に、制約・限界点を生み出してしまったのも事実です。

特に、デカルト的な認識論では、人間の心というシステムを生物学的・文化的な他のシステムと切り離してしまっていました。すなわち、デカルト的なアプローチは、心と環境や文化との相互作用を完全に切り離してしまい、それらの相互作用を無視する形となりました。

結果として、デカルト的認識論は、心が内包する複雑性や動的な特性を蔑ろにすることになってしまったのです。 質問・コメント・記事の共有をご自由にしていただければ幸いです。

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