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11673-11680: サイケデリック学探究記 2023年12月23日(土)



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成人発達理論とインテグラル理論を基礎にして、様々な学問領域からサイケデリクスやその他のテーマについてお話しさせていただくチャンネル「インテグラル・サイケデリックラジオ」はこちらからご視聴いただけます。

タイトル一覧

11673. 今朝方の夢

11674. 宮崎駿監督の作品を古い順から視聴し直し始めて

11675. サイケデリクスが持つ「エコデリクス」としての可能性について

11676. 宮崎駿監督の“The Boy and the Heron (2013)『君たちはどう生きるか』”を映画館で鑑賞しに行くことにして

11677. 欧米生活13年目の始まりを前にしての展望

11678. 2023年最後のゼミナールのクラスから得させてもらった大切なこと

11679. クリスマスの雰囲気を味わいながら考える明日の第22回のシロシビン・セッション

11680. 解離性サイケデリクスのサルビア・ディヴィノラムの摂取に向けて


11673. 今朝方の夢


時刻は午前5時半を迎えた。今朝は起床した時から雨が降っていて、1階の寝室で目覚めた時には雨音が浴室の天窓にぶつかる音が聞こえていた。どうやら今日は一日中小雨が降るようで、気温は現在の4度から緩やかに上昇して、8度まで到達するそうだ。クリスマスを前日に控えた今日もまた静かではあるが、それでいて充実した日になるだろう。


今朝方の夢を落ち着いた心で眺め直している。今朝方は次のような夢を見ていた。


夢の中で私は、見慣れないリゾート地にいた。そこは海がとても綺麗で、小高い山がいくつかあるような場所だった。快晴の中、海岸沿いを気持ち良くサイクリングをして楽しんでいた。半島を一周して観光案内所のある開かれた場所に戻ってくる最中に、露店がたくさん並んでいる場所があった。そこを右側通行の形で自転車で走っていると、露店の人たちはアジア系の人が多いことに気づいた。というよりも、そこに白人や黒人はいなかったように思う。道ですれ違う人たちも黄色人種が多かった。


露店を自転車で通り抜けていく際に、店の人やそこで並べられている食べ物にぶつからないように注意した。彼らも気をつけて自転車を運転してほしいと視線で合図を送っていたし、またそのようなことを実際に呟いている人もいたので、尚更注意して自転車を走らせた。

露店を抜けると、再び開放的な空間が眼前に広がっていて、太陽の光で輝く海を見て感激した。海面を煌めかせる海の素晴らしさをしみじみ感じ、出発地点の観光案内所やバス停があるところに戻って来た。すると、その直前に小中学校時代のある友人(MS)からスマホにテキストメッセージが届いており、見ると自転車をロッカーに預けておいてほしいとのことだった。元々この自転車はレンタルショップでレンタルしたものではなく、彼らから借りていたのだとその時に思い出した。ロッカーにしまえるのか定かではなかったが、これは折り畳み自転車なので、ロッカーの大きさによっては入るかもしれないなと思って、大きなロッカーがあることを期待してロッカールームに向かった。


ロッカールームに到着すると、大小様々な大きさのロッカーがあり、自転車を折り畳めば十分に入りそうなロッカーがあったのでそれを使うことにした。そこでふと、「そう言えば彼からの指定で315のロッカーを使わないといけないんだった」と思い出し、その番号のロッカーに向かった。どういうわけかすでに私のポケットには315の鍵があり、その鍵でロッカーを開けると、下の316のロッカーもセットになっていて、下の方にはすでに誰かの預け物が入っていた。プライバシーのためにその預け物が何かを確認することはなかったが、それは何か危険な薬物かそれ以外の危険物なのではないかと思って少し心配になったのと同時に、それが何かを確認したいという好奇心も芽生えた。どちらの気持ちも抑えた上でそれを確認することなく、自転車だけ収納して彼にメッセージを返信した。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/12/23(土)05:53


11674. 宮崎駿監督の作品を古い順から視聴し直し始めて  


昨日からひょんな思いつきで、宮崎駿監督の作品を古い順にNetflixで視聴していくことにした。Netflixの映像作品はいつも英語で視聴しており、日本語でしか視聴できないものは視聴しないようにしているぐらいに日常を英語空間化させていて、幸いにも宮崎監督の作品は英語吹き替えになっているので、有り難く初期の作品から視聴し始めた。昨日はまず、“Nausicaä of the Valley of the Wind (1984)(『風の谷のナウシカ』)”を視聴し、“Castle in the Sky (1986)(『天空の城ラピュタ』)”の途中まで見た。振り返ってみると、両作を含めて宮崎監督の作品では女性が主人公になることが多く、これは宮崎監督の女性性に関する何かしらの投影なのだろうかと考えていた。現代社会に依然として残る女性性に関する社会的シャドーに対する宮崎監督の何かしらの深層的な思いも投影されていそうであると考えながら作品を見ていた。オランダの映画館でも上映されていたのかもしれないが、さすがにオランダ語で視聴するのは大変だったので、最新作“The Boy and the Heron (2023)『君たちはどう生きるか』”はまだ見れていないのが残念だが、この作品は知人の話によると随分とサイケデリックな雰囲気を発しているらしく、大変関心がある。近々必ず見ておきたい作品だ。


ナウシカの作品を見た時に、以前視聴していた時には気づかなかったことをいくつも気づかせてもらった。日々探究と実践を続けていき、自らが変化していけば、映像作品から汲み取れるものもより広く深くなることを改めて実感する体験だった。また映像作品から得られた学びが更なる学びと実践の養分になるというサイクルがあることに味を占めている自分がいるからこそ、毎日主にNetflixを通じて種々の映像作品を片っ端から視聴しているのだと思う。


ナウシカの作品もまたサイケデリックな世界観が窺える良作であった。今回は時代のシャドーや文明の限界に関して関心を持っていた時とはまた違う発見が得られたのだが、とりわけナウシカと自然との関わり方であったり、作中に登場する謎の生命体オームとの交流に関するものから得られた発見が大きかった。


ペンシルヴァニア大学のリチャード・ドイルが“Darwin’s pharmacy: Sex, plants, and the evolution of the noosphere”という書籍の中で提唱した、「エコデリクス(ecodelics)」という概念にあるように、とりわけ天然系のサイケデリクスに期待がかかるのは、その摂取を通じてエコロジカルアウェアネスが目覚めることである。残念ながら全ての人にそのような目覚めが起こるわけではなく、そうした批判をしている学者もいることは確かで、自分も彼らの批判には賛同するが、しかしサイケデリクスが持つ無限の可能性のうちの1つとして、エコロジカルアウェアネスの目覚めがあることは確かだろう。自分も徐々にそうした意識が目覚め、最終的にはカンナビスやシロシビン・マッシュルームを自分で栽培するようになり、生命を愛情持って育てる経験を通して、エコロジカルアウェアネスがより一層高まっているのを実感する。またセッションを通じて、自然を超えた宇宙との繋がりの観点から自然を捉え直すという意識も芽生えている。ナウシカには元々高度なエコロジカルアウェアネスが備わっており、オームとの交流を含め、随所にその片鱗が見られる。思わず笑みを浮かべてしまったのは、作品の中で胞子が飛び交う世界の中でナウシカが地下の実験室のような場所で自ら植物や菌類を育てていたことである。その姿はまさに今の自分と重なる。また、オームが身体から伸ばす触手を通じての交流は、菌類の菌糸体と私たちの脳神経ネットワークが物理次元ではなく情報次元で交流することが可能であることを思わせるものであった。いずれにせよ、こうした素晴らしい映像作品を視聴しないというのは、サイケデリクスを摂取しないというぐらいの学びや世界観への影響があるということを改めて思った。フローニンゲン:2023/12/23(土)06:47


11675. サイケデリクスが持つ「エコデリクス」としての可能性について      


今し方モーニングコーヒーを淹れながら、先ほど書き留めていたサイケデリクスの「エコデリクス」としての可能性について考えていた。サイケデリクスの元々の語源は、「マインド顕現(あるいはソウル顕現)」という意味がある。また別の言葉で言えば、マインド拡張ないしは意識拡張をもたらす働きをそれはしてくれる。ここでトランスパーソナル心理学およびLSDセラピーの大家であるグロフの指摘を思い出した。グロフが述べるように、サイケデリクスの摂取を通じて確かにマインドが拡張され、様々なものが顕現してくるのだが、そこで何が顕現されるのかという内容物については千差万別であり、セット・セッティング・服用量およびその人の特性や歴史によって多様なものとなる。ゆえにある人にとってはサイケデリクスがエコデリクスとしての働きをして、その人に大きなエコロジカルアウェアネスの目覚めを起こす場合もあれば、別の人にとってはサイケデリクスが一切そのような働きかけをしないということが起こるのだと思われる。しかしながら、自らの体験や、種々の体験レポート、および様々なサイケデリック学者の指摘に基づけば、サイケデリクスがエコロジカルアウェアネスを目覚めさせる可能性があることは確かであろう。古典的サイケデリクスのどれでもそれが起こり得る力と可能性があるのだが、これまでの文献調査と自らの体験に基づくと、その力と可能性は合成系のものよりも天然系のものにより内包されているかと思う。もちろん合成系のLSDを通じてエコロジカルアウェアネスに目覚める人がいるのも事実である。何を隠そう、ディープエコロジーの提唱者であるノルウェーのアルネ・ネスはまさにLSDの摂取によってエコロジカルアウェアネスを花開いた1人である。その他にもLSDを摂取してエコロジカルアウェアネスに目覚めた人を挙げればキリがない。かつてのカウンターカルチャーの時にそうした人が大量発生したことからも明らかである。アンドリュー・ガリモアーの「リアリティスイッチ」の発想を借りれば、DMTでは開示されるリアリティの次元が違うためか、DMTを通じては今のところエコロジカルアウェアネスの目覚めの体験についてそれほど話を聞かない。これがDMTが含まれるアヤワスカであるとまた話は別で、アヤワスカにはエコロジカルアウェアネスへの目覚めの可能性がある。合成系のDMTを通じてもエコロジカルアウェアネスの可能性があるのかどうか、それがどれくらいあって、他のサイケデリクスと比較してみてその可能性の度合いがいかほどかについて考察を深めたいと思う。また、サイケデリック哲学的には、そもそもどのようなメカニズムでサイケデリクスがエコロジカルアウェアネスの目覚めをもたらすのか、またなぜサイケデリクスがエコロジカルアウェアネスの目覚めをもたらすのかについても考えていきたい。この哲学的な問いに対しても、サイケデリック科学の知見を活用していこう。


最後に、おそらくセットの部分、すなわちサイケデリクスを摂取する目的や意図の部分でエコロジカルアウェアネスを高めることを掲げれば、エコロジカルアウェアネスを高める洞察や体験がより得られる可能性がある。エコロジカルアウェアネスを涵養し、それに基づくアクションをしていくためのワークショップの中にサイケデリクスを取り入れてそのように活用することも可能であろう。いずれにせよ、そうした明確なセットをした上で、さらには体験を通じて得られた洞察を深堀りし、地に足をつけた実践につなげていくための見取り図の提供と対話の実践が何よりも重要になるだろう。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/12/23(土)07:27


11676. 宮崎駿監督の“The Boy and the Heron (2013)『君たちはどう生きるか』”を

映画館で鑑賞しに行くことにして 


つい先ほど、モーニングコーヒーをすすりながら、フローニンゲンの近所の映画館で“The Boy and the Heron (2023)『君たちはどう生きるか』”が上映されていないかと調べてみたところ、なんとちょうど来週の水曜日から上映が開始されるとのことで驚いた。そして大きな喜びの感情が湧き上がってきた。残念ながら字幕がオランダ語だったのだが、オーディオが日本語だったので字幕のオランダ語を心配する必要ないということに気付いて思わず自分に対して笑ってしまった。端的には、日本語でオーディオが流れているのだから、日本語を母国語にする自分は字幕に頼る必要などないと改めて気付いて笑ってしまったのである。

公開日の上映時間が18:20-20:44となっていて、上映終了時間がいつも寝る直前の瞑想を始める時間なのが最大の懸念事項である。とにかく自分は何があっても自分で確立した習慣と生活リズムを貫徹したいという思いがあるので、上映時間だけがネックである。そう思って他の曜日を調べてみると、公開日は12/27と表示されているが、どうやらクリスマス前日の今日からもう公開されているようで、今日であれば10:20-12:44の上映時間があることに気付いた。今日は今年最後のゼミナールの第60回のクラスがあるので鑑賞しに行くのは難しいが、クリスマスの明日、そして来週の火曜日には17:00-19:19の上映時間の枠があり、その時間帯は確かに夕食時間とかぶるが、そのようなことを述べている限りは鑑賞できないので、夜に早く寝る方を優先させ、夕食を上映前に摂取するような形で来週の火曜日にこの作品を見に行こうと思う。


フローニンゲンでの暮らしはもう8年になるが、映画好きの自分にしては珍しく、オランダで映画館に行って映画を見るということは一度もなく、その代わりに日本に一時帰国した際に日本の映画館で色々な作品を見るという生活を送っていた。オランダでの初めての映画館鑑賞が宮崎駿監督の“The Boy and the Heron (2013)『君たちはどう生きるか』”という作品であることもまた何かの導きとご縁がそこにあるのかもしれない。そして仮に来年の夏からアメリカでの生活を再び始めることになれば、この作品を映画館で見るのがオランダで最後の映画館での映画鑑賞になるかもしれない。そう思うと感慨深いものがある。

「思い立ったら吉日」という言葉があるように、12/26(火)のチケットを早速購入した。無事にセンターの後ろの方の席を確保することができた。オランダでの映画鑑賞が最初で最後になるかもしれない今回の鑑賞を大いに楽しんできたいと思う。映画鑑賞もまたサイケデリクスの摂取と同様の素晴らしい非日常体験をもたらしてくれることを忘れたくはない。フローニンゲン:2023/12/23(土)08:04


11677. 欧米生活13年目の始まりを前にしての展望


時刻は午前8時を迎えた。ここ最近は書斎での研究中のBGMとしてクラシック音楽を流していて、今はもっぱらバッハとモーツァルトの協奏曲をかけている。今日はモーツァルトの協奏曲をかけている日なのだが、今、1羽の小鳥が元気一杯に鳴き声を上げていて、その鳴き声とモーツァルトの協奏曲が新たな協奏曲を奏でているかのようでとても美しい。そしてそこから無限大の活動エネルギーを得ている自分が今ここにいるのを実感する。どれだけ外側の世界の闇が深かろうが、寒さが厳しかろうが関係ないのである。自分の内側は常に情熱で燃え盛っているのだから。情熱を取り巻く形で穏やかな心が存在していて、それが自分の情熱という太陽の光を優しい温もりに変換してくれている。


昨夜ふと、先日の「インテグラル・サイケデリックラジオ」の放送の中で、来年仮にアメリカに行くことになったら、アメリカで欧米生活12年目が始まると述べたが、それは正確ではないと思った。正確には、今年がすでに欧米での12年目の生活であり、仮に来年の夏からアメリカでの生活が始まったら欧米での13年目の生活となる。まさに今年が節目の年だったのであり、来年が12年周期で考えれば新たな年になるのである。2023年と2024年はひょっとしたら、自分の人生の中での最大のターニングポイントと述べてもいい年になるかもしれない。サイケデリック研究とその実践への目覚めが起こったことが2023年の最大の出来事で、これは本当に自分の人生において大きなことだった。それによって自分の人生が大きなうねりを伴って大きく動き出し、これまでの肩書きを捨て去る決意を通じての新たな自己の誕生をもたらしてくれていた。もし幸運にもハーバード神学大学院(HDS)とご縁があれば、2024年からはまた新天地での生活が始まり、そこで自分はこれまでにはない次元での学びを得ることになるだろう。少なくともこの12年間の欧米での探究・実践生活の総決算がそこでなされ、新たな探究・実践次元に突入していくであろうという展望が開かれている。気がつけば欧米で干支を1周し、新たな干支の始まりをどこで迎えるのかとても楽しみである。今年1年は本当に素晴らしい年であり、来年はその充実さがさらに増すであろう。このように自分の人生は、年を経ていくごとに充実感と幸福感が増すものになっていくであろうという絶対的確信がある。フローニンゲン:2023/12/23(土)08:26


11678. 2023年最後のゼミナールのクラスから得させてもらった大切なこと   


時刻は午後1時を迎えた。先ほど仮眠を取り終えて今に至る。今はすっかり雨が止み、静かな午後の世界が目の前に広がっている。後ほど、書籍の受け取りと買い物を兼ねて近所のショッピングモールに散歩がてら出かけてこようと思う。


今日は午前中から昼前の時間にかけて、2023年の最後のゼミナールのクラスがあった。気がつけばゼミナールも60回のクラスを積み重ねてきたのだと思うと随分と感慨深いものがある。ここ最近は少人数でのクラスが続いていて、今日もまた非常に少人数ながら、だからこその濃い対話が実現された。今日は年末最後のクラスということもあって、全員で今年の振り返りを行った。進め方としては、それぞれが今年一年を振り返ってみてどのような年だったかをシェアした後に、聞き手側が色々と質問を投げかけ、シェアをしてくれた人の振り返りの内容をさらに深めていくということを行った。それに加えて、来たる2024年の年末にどのような自分として迎えたいかという来年の展望に関する話をして大いに盛り上がった。自分もまた今年の振り返りをさせていただいた。今朝方の日記でも書き留めていたように、今年は自分の人生全体で見ても間違いなくターニングポイントとなる大きな年だったと思う。自分の中で地殻変動が起きたかのような体感があり、自らの研究と実践の方向性が光の如く鮮明に立ち現れるような年だった。そこから来年の展望についても今この瞬間に知覚しているものを語らせてもらったのだが、それは自分のマインドが知覚しているものではなく、ソウルが知覚しているものだったように思う。この点と関係して、受講生のある方から「しっくり感」という言葉を出していただいたことに本当に感謝している。これまでの自分の人生を全て振り返ってみた時に、しっくり感がある時にはことごとく万事全てがまるで何かの導きがあるかのようにうまくいき、逆にしっくり感がない場合にはことごとくうまくいかないという経験をしてきた。それで言えば、今年降ってきた探究と実践の方向性はそれ以上にないほどにしっくり来ているし、来年の身の振り方にについてもこれ以上ないほどにしっくり来ている。しっくり感という身体に根を張る体幹を伴った納得感は、アハ体験のような笑いを自分に引き起こし、それ以上にしっくり来る道や選択肢はないということを確信させてくれる働きをする。しっくり感は道を導く働きがきっとあるのだろう。それは人生の新しい扉を開き、人生をさらに充実したものに輝かせてくれ、自分の持っている可能性を大きく花開かせてくれる力があるのだと思う。ひょっとしたら空海は、このことを「身口意(しんくい)」と読んでいたのかもしれない。


年末最後の今日のクラスは、何かとても素晴らしい気づきを得させてもらったように思う。来年もまた今年に引き続き、ゼミナールを細々とだが着実に継続させていく。とにかく継続は力なりであり、継続もまたしっくり感と同様に人生を切り開いていく非常に重要な要素かと思う。フローニンゲン:2023/12/23(土)13:29


11679. クリスマスの雰囲気を味わいながら考える明日の第22回の

シロシビン・セッション     


つい先ほど書籍の受け取りと買い物を兼ねて近所のショッピングモールに行ってきた。クリスマス前日ということもあってもうクリスマスモード一色で、ショッピングモールにいる人たちの表情はいつも以上に柔らかで、深く寛いでいる感じがあった。フローニンゲンの街全体、そしてキリスト教が体現された欧州全域でこうした祝祭ムードが満ちているのだろうと想像された。受け取った書籍は2冊で、そのうちの1冊は今後のシロシビン・セッションの現象学的体験を紐解く上でも核になるであろう。まさにその書籍は「仏教の現象学」を扱っていて、西洋哲学の範疇における現象学にはない観点を提供してくれるだろう。仏教は自分にとっても文化的に親近感のある宗教であるから、仏教の現象学は今後の自分のシロシビン・セッション、さらには他のサイケデリクスにおけるサイケデリック・セッションの体験を紐解く際の道先案内人になるであろう。


そのようなことを述べながらも、明日に予定している第22回のシロシビン・セッションでは、敬虔なキリスト教プロテスタント信者であったバッハの協奏曲をかけようと思っている。明日はとにかくクリスマスなので、今自分が物理的に身を置いているオランダというキリスト教に影響を受けた環境要因を考慮し――実際のところ、オランダは欧州の中でも最も無宗教者が多く、人口の70%が無神論者である――、キリスト教を彷彿させるバッハの曲をかけることにした。


今日の午前中に、シロシビン・マッシュルームの栽培3周目の3度目に収穫した少量のマッシュルームをオーブンで乾燥させた。3周目に収穫した全てを足し合わせると、完全乾燥状態で5gを超えるので、「英雄の服用量」を満たす形となる。現在すでに完全乾燥させたマッシュルームがアルミホイルに包まれた状態で3つの瓶に入っており、今回の収穫と合わせると、あと4回分のセッションに利用できる分量が手元にある形となる。現在2週間に1度のシロシビン・セッションを自らに課しており、明日のクリスマスの日に第22回のセッションを行い、残り3回分は1月の2回と2月の最初のセッションまで活用できる計算になる。4周目の収穫が可能かどうかはわからないし、どれだけの分量が収穫できるかは定かではないので、また様子を見て次の栽培キットを購入しようと思う。もし今回の収穫で最後であったとしても、すでに完全保存させたものを使い切ることを優先させたいので、2月の最初のセッションを行う際ぐらいに栽培キットを新しく購入するのがちょうどいいだろうか。


今日のゼミナールでは解離性サイケデリクスについて取り上げ、その中の1つとして出てきたサルビア・ディヴィノラムはオランダのスマートショップで合法的に販売されており、いまだかつて解離性のサイケデリクスは摂取したことがないので、来年のどこかのタイミングで一度サルビア・ディヴィノラムを摂取してみようと思う。フローニンゲン:2023/12/23(土)15:21


11680. 解離性サイケデリクスのサルビア・ディヴィノラムの摂取に向けて


今日のゼミナールの第60回のクラスでは解離性サイケデリクスを扱ったこともあり、その中のサルビア・ディヴィノラムについて改めて調査をしていた。サルビア・ディヴィノラムはオランダのスマートショップで合法的に販売されており、これまでスマートショップに立ち寄った際によく見かけていた。乾燥させた葉の状態で売られているものもあれば、自分で栽培するための種の形でも売られていることを知っていた。そもそもサルビアは900種類ぐらい存在しているらしく、サルビア・ディヴィノラムはその内の1つである。もう一種類ヤクヨウサルビア(Salvia Officinalis)というものもあるのだが、こちらもスマートショップで販売されているが、効果・効能が異なる。前者はサイケデリクスというよりも食用・薬用のハーブとして、あるいはスパイスとして使われたりする。他の食用・薬用ハーブと変わらず、ソーセージに混ぜたり、スープに混ぜたりする形で、慢性的な痛みや炎症の緩和、そして消化器系や呼吸器系の問題の緩和などに使われたりする。


一方のサルビア・ディヴィノラムは、別名「占者のためのサルビア」と呼ばれていて、服用量に応じて様々な効果をもたらすのだが、高服用量では他の内的ビジョンを知覚させるようなサイケデリクスにはない働きをする。最もわかりやすいのは幽体離脱的な体験が生じるというものであり、意識が自分の身体と切り離されたり、リアリティと切り離されたりする知覚体験が生じる。そうした特性ゆえに解離性サイケデリクスと呼ばれる。また、解離性サイケデリクスの多くが麻酔作用を持っているのと同じく、サルビア・ディヴィノラムも極限においては解離性の性質を超えて、麻酔状態になる。経験豊富なサイコノートと言えども、大抵はそこまでは望んでおらず、解離性の状態を望む形で服用量や摂取方法を選定することになる。自分はまだサルビア・ディヴィノラムを摂取したことはないのだが、シロシビン・トリュフで最も効力の強い「ヴァルハラ」という製品名のものを数年前に摂取した際に、シロシビンにおいても解離性的な体験があって驚いたのを覚えている。


シロシビンは主にセロトニン5-HT-2A受容体に働きかけるが、サルビア・ディヴィノラムに含まれるサルビノリンAという物質は、カッパオピオイド受容体に働きかけるという違いがある。カッパオピオイド受容体は主に知覚の制御を担っており、ここに強く働きかけるゆえに他のサイケデリクスにはない知覚変容を起こすと考えられている。また、サルビノリンAは、カッパオピオイド受容体に働きかけ、ドーパミンレベルを下げるという特徴がある。これはコカインやメタンフェタミン(覚醒剤)のようにドーパミンレベルを上げるのとは異なる特徴である。さらには、アヘンやモルヒネと異なるのは、それらはカッパではなく、ミューオピオイド受容体に働きかけるという点である。同じピオイド受容体でも、サルビア・ディヴィノラムとアヘンやモルヒネとの間にはそのような違いがあるのである。


サルビア・ディヴィノラムは元々、例えばマリア・サビーナで有名なメキシコのマサテコ族などが宗教儀式で使っていて、スピリチャルクエストとして活用してきたという歴史がある。欧米社会がサルビア・ディヴィノラムを正式に知るようになったのは、マリア・サビーナのもとでシロシビン・マッシュルームの調査をしていたゴードン・ワッソンがシロシビン・マッシュルームだけではなく、サルビア・ディヴィノラムを米国に持ち帰って研究したことに由来する。こうした歴史を踏まえて、オランダにいる間に、来年の初旬のどこかでサルビア・ディヴィノラムの乾燥された葉をオンラインのスマートショップから購入し、サルビア茶を作って一度試してみようと思う。こうした直接体験がないと、他のサイケデリクスとの比較が知的理解の次元で留まってしまい、それだと理解が浅くなってしまうので、来年の初旬のどこかでタイミングを見て摂取してみようと思う。他の古典的サイケデリクスにはない体験がもたらされ、自己認識とリアリティ認識に関して新たな現象学的体験と洞察が得られるのではなないかと期待する。フローニンゲン:2023/12/23(土)16:22

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