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11658-11665: フローニンゲンからの便り 2023年12月21日(木)



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タイトル一覧

11658. 今朝方の夢

11659. シロシビン・マッシュルームの3周目の収穫を終えて

11660. 神秘について/神楽を習うことを検討し始めて

11661. ハーバード神学大学院への出願を完了させて思うこと

11662. 経典ではなく物語に支えられた神道/神学の意義・価値・役割について考えを巡らせて

11663. シュタイナーの人智学思想とサイケデリクス/ユングの形而上学思想/来年初夏のスイス旅行への思い

11664. 仮眠中の現象/同心円的無限時間を生きて

11665. ハードな筋力トレーニングを終えて/身近に起こったアルコールによる死亡事故


11658. 今朝方の夢 

 

時刻は午前4時を迎えた。今、辺りは静けさに包まれているが、今日は午前中から雨が降り、強風も伴うようだ。日暮れ頃には雨は止むとのことだが、風が強いようなのでそれを念頭に置いて午後にジムに行こうと思う。さて今日はどのようなパーソナルトレーニングになるだろうか。これまでのメニューに対する自分の身体の反応度合いや新しいメニューに対する自分の身体の適応度合いを見るのが楽しみである。


今朝方は断片的に幾つかの夢を見ていた。まず覚えているのは、トルコの見慣れない街にいたことである。そこは詩人のルーミーにゆかりのある土地らしかったが、ルーミーの霊廟があるコンヤという町ではなかった。その見慣れない街を散策しているとカフェがあったのでそこに立ち寄ってみた。コーヒーを注文し、自分の席に座ると、隣に座っていたトルコ人男性と目が合い、そこから自然と会話が始まった。彼はトレーナーの仕事をしているらしく、自分も筋力トレーニングに日頃から取り組んでいるので、トレーニングの話で盛り上がった。話の最後に彼の方から私に対してお勧めのメニューを2、3紹介してくれた。ぜひ次回のトレーニングでそれらを早速試してみようと思ったところで、彼はもうその場から消えていた。


次に覚えている場面は、大学時代のゼミのメンバー数人と大学生協で話をしていた場面である。彼らとはまず、先ほどまで受けていた授業について話をした。お互いに履修している授業が異なっていたので、それぞれの話は新しく、興味深く聞くことができた。同じゼミに所属していても、お互いの関心は異なっていることが改めて理解できたし、関心の異なりから生まれる各人の探究はやはり唯一無二のもので、そこに輝きを見た気がした。しばらく話をしているとお腹が空いてきたので時刻を確認すると、ちょうど正午の時間を指していた。なので私たちは昼食を摂ることにし、食べ物を購入しに向かった。会計の際にレジの女性にクレジットカードを渡すと、そのクレッジカードがいつもとは違うより鮮明な輝きを放っていることに驚いた。レジの女性もそれに見惚れているようで、そのカードはとても魅力的な光を放っていた。何か不思議な現象と遭遇したなと思いながら再び自分の席に戻り、友人たちが帰ってくるまでしばらく席に座って、改めて自分のクレジットーカードを少し動かしながら眺めていた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/12/21(木)04:23


11659. シロシビン・マッシュルームの3周目の収穫を終えて     


昨日、シロシビン・マッシュルームの栽培キットでの収穫の3周目を無事に終えた。実際のところは栽培キットの土の上にはまだ少し頭を出しているマッシュルームがあるので、それらを収穫したらおそらく栽培は一旦終了となるだろうか。育て方や栽培キットの状態によっては4周目や5周目まで栽培できることもあるらしいので、どうなるかはまだわからないが、様子を見ている感じだととりあえず今回で栽培は落ち着きそうである。今生えているマッシュルームを数日後に全て収穫したら、一応4周目にも挑戦をしてみたいと思う。


一昨日の夜から昨日にかけて、50度のオーブンで15時間ほど乾燥させると、それによって完全乾燥が確実に実現でき、重さはフレッシュな状態と比べて1/10になることを改めて確認した。前回の乾燥の際にそれをすでに確認していたが、同じ温度で同じ時間乾燥させると、重さはそれくらい減少し、完全乾燥が実現されることを確認したことによって、今後の乾燥プロセスにおいてもその知識は役に立つだろう。オーブンが変わっても、温度設定と時間を同じにすれば、きっと同じ結果が得られるはずである。一昨日に収穫したものと昨日に収穫したものを合わせると、おそらく「英雄の服用量」ぐらいの重さにはなるのではないかと思う。やはり1周目の栽培時の収穫量が一番多かったので、その時に栽培して乾燥させたものを少し分配する形で、ほぼ均等に英雄の服用量を摂取するようにしたいと思う。今冷蔵庫にはすでに乾燥させたマッシュルームが3つほど別々の瓶で保存されている。今週の日曜日に予定しているセッションでは、先に収穫して保存したものから活用していく。完全乾燥させたおかげで、この間のセッションで用いたマッシュルームは鮮度が落ちておらず、十分な効力を発揮してくれることが確認できた。完全乾燥させたマッシュルームをまな板の上で細かく刻み、それをお茶碗に入れてそこに白湯を注ぐと、乾燥したマッシュルームが水分を吸収して再び元の姿に戻ってくる。今回も白湯に八丁味噌を溶かす形でいただこうと思う。今週末のセッションに向けての準備はもう整っている。あとは直前に、今回のセッションを通じてどのような学術的な研究トピックに関して洞察を得たいのかを確認することと、何か人生について得たいと思っている洞察などがあるかを最終確認したい。今週の日曜日のセッションも、きっとまた重要かつ新しい発見と大きな洞察をいくつも自分にもたらしてくれるだろう。フローニンゲン:2023/12/21(木)04:40


11660. 神秘について/神楽を習うことを検討し始めて


「神の秘密」と書いて「神秘」。神秘は常に私たちを取り巻いていている。何よりも、私たちの存在そのものが神秘の産物ではないだろうか。神秘というのは何か特別なものでもなく、非日常的なものでもない。サイケデリクスを摂取することを通じて得られる神秘体験に関する研究は、古くは1962年にハーバード神学大学院のウォルター・パンケが行ったシロシビンによる神秘体験の研究にまで遡ることができ、その研究は1990年代に入ってからジョンズ・ホプキンス大学に引き継がれ、ローランド・グリフィスたちの研究部隊が引き続き今もその研究を継続させている。こうした研究では神秘体験を日常体験と切り離して扱っているが、本来私たちの存在そのものも、そして日常の遍く存在も現象も神秘の産物であるという認識を持つことが地に足のついた霊的生活を行う上で重要なのではないだろうか。それは日常の自己を取り巻く神秘に麻痺することを意味するのではなく、むしろこの世界そのものが神秘によって作られているという畏怖の念を持ち、常に今この瞬間に神秘を見出し、神秘を感じながら生きることを可能にしてくれるのではないかと思う。そこには神秘に対する感謝の念が自然と生まれるはずである。川面凡児先生の神道神学の1つの要素で言えば、そうした在り方は「感謝神学」が体現されたものだと言えるかもしれない。少なくとも自分は日常の遍く神秘を感じ、それに感謝の念を持って生きていきたいと思う。


先日の第21回のシロシビン・セッションを通じて得られた神楽への目覚めを受けて、昨日神楽について調べていたところ、オンラインで神楽を習えそうな教室を見つけた。その教室のウェブサイトを確認すると、見栄えも大変良く、何よりも神楽にかける思いを含め、思想的な部分での多大な共感・共鳴があった。神楽を習うことは、ここからの神道研究にもきっと活きてくるはずだ。というよりも、神楽はまさに神道の真髄であって、神道を身体を通じて把握しようとする場合には、神楽を習うというのは大変理に適っているように思うのだ。神道の学術研究目的を超えて、純粋に自分は日常の遍く神秘とより深く繋がり、自分という神秘とより深く繋がることを目的にして神楽を習い始めようと思っているのだと思う。自分は天と地を繋ぐ媒介者であり、それを担う形の1つは確かに学術論文の執筆であるが、それに加えて神楽という舞はまさに天と地を繋げるための媒介的実践かと思う。宇宙と一体となり、カミと1つになるためにも、神楽を習うことを真剣に検討してみようと思う。新たな習い事はいつも大きな気づきを発見を自分にもたらしてくれていた。年末のこの時期は少し他にやるべきことがあるので、晴れて新年を迎えたら、上記のウェブサイトのお問い合わせ欄から問い合わせをしてみて、神楽を習うことを真剣に検討したいと思う。今後欧米社会で神道を紹介する際に、神楽を披露することができたら、それは相手の神道理解の促進にもなるのではないかと思う。フローニンゲン:2023/12/21(木)05:51


11661. ハーバード神学大学院への出願を完了させて思うこと      


あとは運を天に任せるのみ。天の導きに任せるのみという境地にいる。先週の金曜日にハーバード神学大学院(HDS)への出願を無事に完了させ、オンライン上でステータスを確認すると、全ての提出書類が何の問題もなく受理されたようなので、あとは運を天に任せるだけだ。出願の締め切りが終わる来月の末ぐらいから、書類審査に通過した出願者だけがオンライン面接に呼ばれる。そこで声をかけてもらえることができたら合格に大きく近づき、逆に声をかけてもらえなかったら今回はご縁がなかったということである。過去様々な大学院に出願をしてきたが、今回の出願は本当に思いの丈を全て込めて全ての出願書類を作成することができたと言える。何一つとして悔いのない出願ができたのは、ひょっとしたら今回が初めてかもしれない。過去にお世話になったジョン・エフ・ケネディ大学やフローニンゲン大学の出願の際にも、この世界でそれらの大学でしか学べないことがあったので、情熱を込めて出願書類を作成したのだが、今回のHDSへの出願にかける思いは、過去のそれらの大学院への出願を遥かに凌いでいるように思える。人は幾つになっても新しいことを学べ、新しい事柄に楽しみや喜びを見出すことができる。こうして過去の自分以上に情熱を持っている今の自分を見るにつけ、人は一生成長し続けていけることを実感するし、一生変化を続けながら情熱の炎を燃やして生きていけるのだということを実感する。


とにかく今回の出願に関しては全てを出し切った。結果がどうであれ、この全てを出し切ったという感覚を大切にしたい。全てを出し切ったからこそ、どのような結果であっても次に進めるのではないかと思う。重要なことはその時の自分の最善を尽くすことなのだ。今回の出願に際しては、書類の出願を完了させるボタンを押す際に一切の緊張はなく、精魂を込めて持てる全ての思いを表現した書類が作成できたという絶対的な安心感があったのを覚えている。もちろん望む結果が得られることに越したことはない。だが、今回の出願のプロセスから学んだことは本当に多く、それらこそ大切にしたい。結果はあくまで果実であり、果実を収穫するまでの栽培のプロセスで自分が何を考え、何を実践し、そのプロセスからどのような学びを得たのかを大切にしたい。この姿勢は、今後の自分の人生において何に対しても体現させていきたい在り方である。


今回のHDSへの出願は、エロス(上昇の愛)に基づくというよりも、アガペー(下降の愛)に基づくものだったように思う。それが過去のJFK大学やフローニンゲン大学への出願とは決定的に違う点である。今回も確かにHDSに自分が学びたいことの全てがあるという思いがあり、過去の2回の大学院出願も、それらの大学院にとにかく自分が今その瞬間に体系立てて学びたいことの全てがあるという思いを持っていたという点においては共通しており、今回もまた学習を切り口にした上昇の愛の姿が見える。だが今回はそれだけではなく、自分が学んだことを広く社会に共有し、社会に役立てていくという明確強靭な意志がある点が大きく異なる。これまでの2回の留学は、純粋に学ぶことを愛し、学びたいことを好きなだけ学べる楽しさと喜びに浸っているだけであったが、今回は自分が学んだことを社会に役立てていくという意志が自分の心の大部分を占めているのである。さらに重要なことは、HDSで学び終えてから社会に知見を共有していくのではなく、リアルタイムで日々の学びを社会に共有していくという意志があり、実際にそのためのアクションを行っていこうと考えていることだ。留学の学びを自分だけに閉じ込めないこと。そもそも留学が実現するというのは自分だけの力によるものではなく、自分を支えてくれている人たち全ての力があってこそであり、縁起の思想を採用すれば、会ったことも話したこともない人が自分の留学の実現に目には見えない形で貢献しているということが見えてくる。そうしたことが見えてくると、なお一層のことを自分の学びを自分のためだけではなく、他者のため、社会のため、宇宙のために共有していきたいという強い思いを持つのは自然なことではないだろうか。フローニンゲン:2023/12/21(木)06:22


11662. 経典ではなく物語に支えられた神道/

神学の意義・価値・役割について考えを巡らせて 


確かに神道を支える書物に『古事記』や『日本書紀』があるが、それらは経典ではない。神道のように経典を持たない宗教というのは非常に珍しい。基本的に世界の主要宗教には全て経典がある。経典によって支えられている他の宗教もまた偉大で素晴らしいが、『古事記』や『日本書紀』、とりわけ『古事記』という物語に支えられている神道の素晴らしさが浮かび上がってくる。神話で支えられた宗教。物語で支えられた宗教。もちろん経典を持たないゆえの危うさもあるだろうが、神話的物語に支えられている神道の奥深さを感じる。


カミを想定し、カミを思う神道にもまた神道神学がある。「神学」という言葉を聞くと、日本人は条件反射的にキリスト教神学だけを思い浮かべるかもしれないが、神学はそんなに狭いものではない。基本的に神を想定する全ての宗教に神学があると考えるべきなのではないかと思う。確かにキリスト教の神学は聖書学や組織神学など、多岐にわたる神学体系から構成されており、その体系は実に精緻である。一方の神道にはそもそも立脚する経典がないために神学体系を構築するのは難しいが、例えば神道家の川面凡児先生が創出した神道神学には目を見張るものがある。その射程と深度は素晴らしく、今、川連神道神学を全集を頼りに研究している。それは、「意識・宇宙・サイケデリクス」の三位一体研究に不可欠な研究である。


ここから神道神学に深く入っていき、神学研究を進めていくのに並行して、神学の意義や価値、役割は何かという問いは常に自分の内側に存在しているだろうし、それは一生付き纏うように思う。兎にも角にも自分の中で神学を大切にしたいのは、それが超越性を超越性のままに扱う唯一の学問だからだという思いがある。哲学も科学も突き詰めれば必ず超越的な何かに突き当たる。そうした超越的な何かを哲学用語や科学用語といった理性的言語で語るだけではなく、神学用語という超越的言語を通じて、超越に至る道を多様なものにしたいのだろう。それは自分に対してもそうであるし、他者に対してもそうである。その人にどのような道が響くのかは人それぞれ違う。超越的な次元・超越的な世界の扉をある1つの限定的な学問体系を通じて示すのではなく、人それぞれが自分に合った道でその扉を開けるようにしたいという思いから、神学の道を歩む決心をした自分がいる。厳密には、哲学・科学・神学の3つの道を、三位一体として1つの道として生きることを誓った自分がいるのである。

日常に神秘が溢れていること。全てが神秘の産物であること。それに感謝の念を持って心豊かに、魂豊かに、霊豊かに生きることを可能にし、それが当たり前だと思う社会を実現させていきたい。そのためには、超越的な世界に眼差しを向け、そうした世界の探究を行っている神学、とりわけ自分の出自から神道神学を深く探究したいという思いで一杯である。こうした思いに基づいた日々の探究が、それぞれの人が超越への道をその人固有の方法で歩む何かしらの役に立てたら幸いである。フローニンゲン:2023/12/21(木)06:59


11663. シュタイナーの人智学思想とサイケデリクス/ユングの形而上学思想/

来年初夏のスイス旅行への思い 


時刻は午前8時半を迎えようとしている。辺りはようやく明るくなってきて、外の世界の様子が少しずつ浮かび上がってきている。


今日はこれまでのところ、シュタイナーの人智学思想とサイケデリクスを紐付けた書籍の初読をし、ユングの形而上学思想に関する書籍を読み返した。前者に関して言えば、今後はシュタイナーの人智学と神道思想を架橋させ、両者からサイケデリック体験を紐解くという試みもしてみたい。後者の書籍を読みながら、ユングはナイーブな観念主義ではない意味を持つ形で、マインドと世界は1つであり、全ては意識であると述べている点に改めて関心を持った。確かにこのリアリティにはマインドと物質の双方があり、それを二元論的に捉えるのではなく、マインドと物質を生んでいる超越的な存在を想定する形での「超越的一元論」とでも言える形而上学思想をユングは持っていて、それは自分の形而上学思想にほぼ合致している。すなわち、呼び方は様々だが、「超越意識」「絶対意識」「コスミックコンシャスネス」のような形なき意識体が、人間を含めた生命の意識を形成し、この世界の物質を生み出しているという発想を自分は採用していおり、それはユングの形而上学思想とほとんど合致する。物質を生み出しているのは確かに意識なのだが、それはナイーブな観念主義のように、自分個人の意識が物質を生み出していると捉えるのではなく、その個人の意識も物質も1つの全体的な意識から生み出されているという考えを自分は採用している。この主張を支える論理と実証研究の成果をより明らかにしていこう。


来年の夏からひょっとしたらアメリカで生活をすることになるかもしれないことを考えると、欧州で迎える冬はひとまず今年で最後である。今そのような思いから冬を味わう形で毎日を過ごしている。ここ数年間は毎月1回か、2ヶ月に1回の頻度で旅行に出かけていた。ところがサイケデリック研究とその実践に目覚めてからはボストン旅行を除いては旅行にはめっきり行かなくなり、研究と実践に没頭することが何よりの楽しみとなっている。そんな中にあって、欧州最後の旅行は来年の初夏に予定しているスイスが最後になるかもしれない。思い起こせば、偶然にも8年前にオランダにやって来た時の最初の旅行もスイスが最初だったのではないかと思う。極めて運命的な偶然である。今後人智学と神道を絡めた研究にも従事するかもしれないので、シュタイナーが晩年に活動拠点としたドルナッハヘ行き、精神自由科学大学を見てこよう。また、ニーチェが避暑地として過ごしたシルスマリアにも足を運び、ニーチェ記念館にも訪れたい。チューリッヒにはユングがかつて住んでいた家があり、今はそこは記念館として存在しているので、そこにもぜひ足を運ぼう。そして何より、ユングや敬愛する井筒俊彦先生など、名だたる東西の神秘思想家・宗教学者・心理学者が集まって霊性について対話を重ねたエラノス会議が1933年から60年以上にもわたって開催されたアスコナにも足を運ぼう。ドルナッハ、シルスマリア、チューリッヒ、アスコナの4拠点に数日ずつ滞在するスイス旅行を行うことができたら、もう欧州での旅行に関して今のところは何も悔いはないと言えるだろう。フローニンゲン:2023/12/21(木)08:39


11664. 仮眠中の現象/同心円的無限時間を生きて


時刻は午後1時を迎えた。つい今し方仮眠から目覚めた。天気予報とは異なって雨はもう止んでいるが、天気予報通りなのは風が強いことである。ビュービューと音を立てた風が吹いていて、その音と共に2階にも隙間風が通り抜ける瞬間がある。あと1時間半ほどしたらジムに行こうと思っているが、その時には強風に気をつけたいと思う。


先ほどの仮眠の最中にはコーザル意識の状態が長く続き、完全に夢を見ない深い眠りの状態にあった。こうした短い仮眠の時間にも深い治癒を実現するコーザル状態に参入できることは嬉しいことであり、仮眠後からはまた活動に打ち込める。仮眠から目覚める直前には、ちょうどコーザルの状態の中で洞察のようなものを得ていた。サトル状態のようなビジョンが伴うものではなく、今その瞬間の自分をそっと見守る目撃者に近いような感覚を伴って、自己を客体化しているような洞察があった。それは言葉の形を超えていて、感覚として無の空間にそれが生起していた。


ここからジムに行くまでの時間を使って、午前中に引き続き川面凡児先生の書籍の続きを読み進めていこうと思う。神道研究における宝が詰まった川面先生の神道思想をこれから時間をかけてゆっくりと紐解いていく。その際にはとりわけ心の哲学と宇宙物理学の先端的な理論と絡めたり、自分のサイケデリック体験と絡めていくことを大切にする。それを通じて川面神道神学の理解が格段に深まるだろう。


川面先生が述べる、宇宙を含めて全ての存在に中心があり、そこから遠心力と求心力が生まれるという洞察から何を学ぶことができるだろうか。それをどのように日々の実践に活かすことができるだろうか。それこそ後ほどのジムでの筋力トレーニングにどのように応用させることができるだろうか。そんなことを考えている。この中心を持つという考え方は時間にも当てはめられないだろうか。仮に時間に形を与えるのであれば、直線ではなく円として捉えてみるのはどうだろうか。まさに円は中心を持ち、時間は何も円周上を回っているだけではなく、円の中にある無限の同心円状の円周の上を回っていると考えれば、複数の円環的な時間を私たちは生きていると捉えることができる。自らのカイロス時間をまろやかな円環的な形として捉えてみると、また自分の自己存在感も在り方も生き方も変わってくるかもしれない。自分を同心円的無限時間を生きている存在として認識してみることをこれから意識してみよう。フローニンゲン:2023/12/21(木)13:20


11665. ハードな筋力トレーニングを終えて/身近に起こったアルコールによる死亡事故


時刻は間も無く午後7時半を迎えようとしている。今、闇夜のフローニンゲンの街を駆け抜ける強風の音が聞こえてくる。今日は午後にジムに行ったのだが、風が本当に強かった。行きには少しばかり雨が降っていて、折り畳み傘を差すと傘がひっくり返ってしまうほどの風だった。また、帰り道には強い雨も降っていて、雨風の中でスーパーに立ち寄る形となった。幸いにもスーパーで買い物をしている間に強い雨が収まり、自宅に到着する前にはもうすっかり雨は上がっていたが、風は強いままであった。


今日もまたジムでしっかりと汗を流して来た。これで今週日曜日のシロシビン・セッションに向けて身体の状態はバッチリかと思う。今日はパーソナルトレーニングの日で、今日のトレーニングは前回以上にハードだった。ここ最近のエリーザのメニューはかなりチャレンジングなものが多い。月曜日にトレーニングをしている時にはどうしても1人でトレーニングをしているからか、自分で限界を決めてしまう形で追い込むことは難しいが、トレーナーが隣にいるとトレーナーからの励ましもあって、自分の限界を超えていける感覚がある。もちろん木曜日にこうしたハードなトレーニングがあるので、月曜日の自主トレーニングではそこまで追い込み過ぎる必要は無く、月曜日から木曜日までは中二日しかないので、木曜日に相当に追い込み、月曜日には程々に追い込んでいくというのが良い塩梅なのかもしれない。来週月曜日はクリスマスということでジムが休みなので、自宅で筋力トレーニングに励もうと思う。月曜日に雨が降っていなければ、筋力トレーニングの後に有酸素運動がてらランニングに出掛けるか、それに代替させる形で近所のスーパーにジョギングがてら買い物に出かけたいと思う。元旦も偶然にも月曜日に該当し、その日もジムは休みなので、元旦も自宅で筋力トレーニングに励もうと思う。


トレーニングの最中にエリーザが、今週にフローニンゲンで起こった事故について教えてくれた。何やら25歳の男性がアルコールの過剰摂取で運河に落ちて溺死してしまったそうだ。こうした事故は毎年必ずフローニンゲンであるらしく、運河の国オランダでは他の都市でも若者がアルコールの過剰摂取で運河に落ちて溺死してしまうことがよくあるらしい。特にこの時期は夜は本当に冷えるため、運河に落ちてしまうと凍死の可能性も生じてしまう。この悲しい事故を受けて、アルコールはやはりハードドラッグの一種だと思った。アルコールは実際のところ、ヘロイン以上に体へのダメージが大きく、中毒性もまたヘロイン以上であることで知られている。身近でこうした事故があったことを受けて、改めてハードドラッグ以上に危険なアルコールやニコチンが依然として社会に出回っていることのおかしさと恐怖を思う。サイケデリック研究とその実践を通じて、社会のこの問題の解決に向けて自分にできることをしていきたいと思わせる出来事だった。フローニンゲン:2023/12/21(木)19:40

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