11609-11618: フローニンゲンからの便り 2023年12月15日(金)
- yoheikatowwp
- 2023年12月18日
- 読了時間: 28分

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タイトル一覧
11609. 今朝方の夢
11610. タンパク質の補給を意識して/シロシビン・マッシュルームを愛する理由
11611. 今朝方の夢の続き
11612. 平面ではない立体的な豊かなサイケデリックマップの制作に向けて
11613. ハーバード神学大学院の出願の完了に向けて
11614. これまでの海外留学の実現に関する思い出
11615. 絶え間ない創造を繰り返す宇宙と一になるための日記の執筆/宇宙映画を「在り知る」こと
11616. 1つの夢を見ている私たち/普遍的感覚クオリアの共有
11617. 集合的な記憶の探究とコスミックメモリーの探究に向けて
11618. ハーバード神学大学院への出願を無事に終えて
11609. 今朝方の夢
時刻は午前5時半を迎えた。昨日は2時間ほどの筋力トレーニングをしていたこともあり、今朝方の睡眠はいつもより長くなった。十分な睡眠を取れたことで、今日もまた活力が漲っていて、朝からの活動は大いに捗るだろう。
今朝方は少し長い夢を見ていた。同時にいつもと違って最後の方は夢であることが自覚されているという明晰夢のような状態で、夢の内容が自分を焦らせるようなものだったこともあり、早く夢から覚めてほしいと思っていた。
夢の中で私は、大学のOB・OG会に参加しようとしていた。会は大学近くの立派な建物で行われることになっていて、自分が在学中の頃にはその建物はなく、新設されたそれは本当に立派な建物で驚いた。ホテルのような宿泊施設も上層階にあり、結婚式場もあり、さらには大学の講義で使える大教室や小教室などが備えられていた。もちろんレストランなどもいくつかの階にまたがって存在していて、その建物で全てが完結しているように思えた。私は最初小教室にいて、そこである有名な同年代の投資家の方と話をしていた。その方は最近でこそ少しメディアに露出し始めているが、かつては匿名の敏腕トレーダーとして知られていて、こうやって実際に会って話をしてみると、投資以外の話でも意気投合したことを嬉しく思った。その方との出会いも偶然の産物で、その方は別に大学のOBではないが、その方の友人がOBとのことだったので、一緒に会に参加することになったらしかった。
その方との話がひと段落してふと近くを見ると、近くに小中高時代の友人(AF)と大学時代のゼミの友人(HH)が楽しげに話をしている姿を見て驚いた。彼らは面識があるはずがないと思っていたからである。しかし、どう見ても友人関係のように楽しく話をしている彼らの姿が気になり、彼らが何を話しているのか近寄って話に入らせてもらおうと思った。近寄ってきた私の姿にすぐに2人は気づき、笑顔で挨拶をしてくれた。何やら2人はポケモンの話をしていたらしかった。最近はスマホでもプレーできるようになったらしく、お互いのスマホの画面を見せ合って、自分が大切に育ててきたポケモンの話で盛り上がっていたとのことだった。2人からは最近のポケモンがどれだけ面白いのかについて色々と話を聞いた。自分もちょっとやってみようかなと内心思ったら、ゼミのその友人がLINEのアドレスを交換して、彼のポケモン研究会のグループに招待してくれることになった。一瞬それを有り難く思ったが、よくよく考えてみて、自分がポケモンをする時間はあまりなさそうだぞと思った。しかし彼の申し出を断るのも悪いような気がしたので、一応グループに招待してもらうことにした。2人との話を終えた後、建物の中を歩きながら、やはりLINEのグループからは早々と脱退しようと思った。いや、グループからだけでではなく、他人から自分のスマホにメッセージが届くのがとても煩わしいので、LINE自体からもアンイストールして、自分の静かな生活を再び取り戻したいと思った。とにかく自分は自らの静けな内面生活を最優先して生きる人間なのだと思ったところで場面が変わった。フローニンゲン:2023/12/15(金)06:02
11610. タンパク質の補給を意識して/シロシビン・マッシュルームを愛する理由
先ほど今朝方の夢についてざっと大まかな振り返りをした。昨日は十分な筋力トレーニングを行なったので、朝の身体はタンパク質を欲しているようだった。ゆえに今し方ソイプロテインとカカオパウダーに蜂蜜を加えたドリンクを作った。最近はこのドリンクを小麦若葉とヘンプパウダーを混ぜたドリンクを飲んだ後に朝のタンパク質とエネルギーの補給として飲んでいる。かつても朝の時間帯にタンパク質としてプロテインを飲むことがあり、そう言えばその時は筋肉の付きが良かったことを思い出し、ここ最近も再びその習慣を始めてみたところ、筋肉の付き方に肯定的な変化が見られ始めた。固形物の朝食を食べない自分としては、上述のようなドリンクでタンパク質を朝に補給することが大事なように思える。とりわけ筋力トレーニングをした翌日と翌々日ぐらいまでは依然として活発的に筋回復が行われていて、その期間はこまめなタンパク質の補給が大切となる。とりわけ起床直後のタンパク質の補給は、寝ている間の筋回復で活用したタンパク質を補う上でも重要かと思う。タンパク質は筋肉を含め、身体の細胞を新しく作っていく際に必須の要素なので、摂り過ぎにはもちろん注意しながらも、筋力トレーニングをする人間として必要な量は必ず摂取したいと思う。
昨日、自分がなぜ数あるサイケデリクスの中でもシロシビン・マッシュルームを愛しているのかを改めて考えていた。菌類に該当するそれは、やはり長大な歴史を持つことに魅力を感じる。地球誕生の瞬間から何かしらの微生物が存在していたと仮定すれば、その微生物から次に菌類が生まれてきたことを思うと、それは相当に長い歴史を持つ。シロシビン・マッシュルームは地球の進化と共に歩みを進めていったと述べても過言ではないだろう。また、そもそも地球は複数の惑星が爆発した残骸としての星屑で構成されていて、その星屑に付着していた微生物のDNAを直接に受け継いだのが菌類だということを思うと、微生物はそもそも地球外生命体とも言えるだろうし、菌類もまた地球外生命体の何かしら要素や力を持っているのではないかとさえ思う。地球の歴史と寄り添ってきたという事実と、地球外の力を内包しているのではないかという点がシロシビン・マッシュルームの魅力である。さらには、そもそも菌類は絶えず死と寄り添っていて、死の力を感じさせてくれることも大きな魅力の1つである。生に多大な力があるだけではなく、この世界に生が存在するために必要な死には世に匹敵するような力がある。菌類は、植物の葉っぱや土が腐敗したものに寄生したり、中には昆虫や動物の死骸に寄生して育つ種類もある。菌類の発育過程には常に死があるのである。メスカリンが含まれるペヨーテやサンペドロ、DMTが含まれるアヤワスカなどの植物起源のサイケデリクと共通して、シロシビン・マッシュルームは土と繋がっていることから、大地の力を内包していることも魅力の1つである。そのように考えてみると、シロシビン・マッシュルームには地球外の力と地球の力といった2つの偉大な力を持っていて、それが自分の体験を超越的なものにしたり、地球との繋がりを感じさせるものにしたりするのだと推測された。奇しくも、自分が現在自宅に飾っている絵画作品のうち、コラージュ画の大家であるニッサン・インゲル先生に作っていただいた作品には地球と宇宙が描かれている。シロシビン・マッシュルームにはまだまだ魅力的な点がたくさんあるのだが、とりわけそれが宇宙と地球との繋がりを深く感じさせてくれ、宇宙的体験や地球的体験、そして宇宙的力や地球的力を与えてくれる点が最大の魅力かと思う。他のサイケデリクスではなく、そして実験室で作られた合成系のシロシビンでもなく、実物のシロシビン・マッシュルームを自分が愛するのはそうした理由によるところが大きい。フローニンゲン:2023/12/15(金)06:31
11611. 今朝方の夢の続き
先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがあるのでそれについても振り返っておきたい。断片的なもので言えば、小中学校時代のある友人(TK)に進路相談を受けながらも、同時に彼にこちらからも学習上の何かしらの相談をしていた場面があった。最近自分の周りに留学を志す人が増えてきていて、彼もまたその1人だった。彼の留学相談を受けた後、彼が作ってきてくれた資料をもとに、自分の学習相談をさせてもらった場面があったのを覚えている。正直な感覚として、留学に関するこちらからの彼への助言と、彼からのこちらへの助言がどれだけお互いにとって役に立ったのかは不明だった。
それ以外に覚えているのは、大学のOB・OG会に関する続きの夢である。私は会が行われる前日に会が開催される立派な建物の上層階のホテルの部屋に宿泊していた。1人で宿泊するには広すぎるようなスイーツルームのような広さを持っている部屋に贅沢ながら宿泊させてもらっていた。ホテルの宿泊費用は自分が負担したのではなく、今回は大学から依頼されて会の中で講演を行うことになっていたので、宿泊費用は大学が負担してくれていた。だから1人では決して宿泊しないであろうそのような豪勢な部屋に宿泊していたのである。
会が開催される当日を迎え、荷造りをして出発しようとしていると、自分の荷物が広い部屋に散乱した状態になっていて、これは早く準備をしないとまずいなと思った。すると部屋のベルが鳴り、出るとそこに迎えの人がいた。その方は大学の関係者らしく、教務課で働いているとのことだった。その方が迎えに来てくれたのはいいが、まだ荷造りが終わっておらず、しかしその方曰く今すぐに出発しなければ間に合わないとのことだったので、荷造りをほったらかしにし、チェックアウトもせずに会場に向かうことにした。会場も同じ建物の中なので間に合わないはずはないと思ったが、それは自分の勘違いのようで、会場はバス移動で向かう別の場所になるようだった。荷造りとチェックアウトのことが気がかりだったので、その点についてその方に尋ねると、全てこちらでやっておくとのことだったため、迷惑を承知でそれをお願いした。
エレベーターを降りて1階に到着した時、講演の際に必要になるパソコンを部屋に忘れてきたことに気づき、慌てて部屋に戻ろうと思った。たくさんのエレベーターが並ぶエレベーターホールでまだかまだかとエレベーターを待っていると、1台エレベーターがやって来たのでそれに乗った。そして自分の部屋に戻ると、そこはもうもぬけの殻になっていて、自分のパソコンはそこになかった。これは困ったぞと思った。もちろん誰かが盗んだわけではなく、ホテルの関係者の方が荷物を引き取ってくれたのだと思ったが、パソコンがないと講演が成り立たないように思えたのでそれを探すことにした。1階の受付に行けばパソコンがどこにあるかわかるかもしれないと思ったので、再び1階に向かうことにした。1階に到着してエレベーターを降りると、そこに5人掛けぐらいの長いソファがあって、その右端に自分のリュックサックがあることに気づいた。そこにパソコンを入れていたので助かったと思った。しかしパソコンの中を確認すると、パソコンが抜き取られていることに気づき、ショックを受けた。これは困ったなと思って途方に暮れていたところ、少し遠くにも同じようなソファがあることに気づき、そこに自分のパソコンらしきものがあるのが見えたので駆け寄っていくと、自分のパソコンだったので深く安堵した。パソコンを無事に見つけたところでバスに乗り込もうと思ったら、もうバスはとっくの昔に出発していたので、さてどうしたものかと思った。仕方ないので歩いて会場に向かうことにした。
道中、大学が新しく設置した立派な天然芝のサッカーコートの横を通った。ちょうど他の大学との試合が行われていて、随分と観客がいて盛り上がっていた。サッカー好きの自分としては、母校が目の前で試合をしているので試合を見たい気持ちで山々だったが、講演会場に一刻も早く到着しなければならないと思ったので、泣く泣く観戦を諦めて、会場に一刻も早く向かうことにした。大学の大通りの脇には新緑の木々たちが輝いていて、彼らは会場に向かう焦る自分の気持ちを宥めてくれた。十分に心が和んだところで、そこからはジョギングをして会場に向かおうと思った。フローニンゲン:2023/12/15(金)06:56
11612. 平面ではない立体的な豊かなサイケデリックマップの制作に向けて
時刻は午前7時を迎えた。つい今し方モーニングコーヒーを淹れ終え、たった今その一口目を味わった。いつもこの一口目がとても美味い。もちろんそこからもコーヒーを美味しく飲むわけだが、最初の一口の美味さには格別なものがある。それは始まりの輝きと表現することも可能だろうか。始まりも終わりもないこの宇宙の中にあって、あえて始まりを見出すことを通じてその輝きを堪能すること。そのような生き方をこれからも継続させていきたいものである。
サイケデリック研究において、とりわけサイケデリック科学研究では定量的なアプローチのみならず定性的なアプローチを採用して研究を進めていく場合に、そこで選択されるアプローチが単なる質問表だと非常につまらないと改めて思う。また、質問表に回答する中で被験者が体験を表面的に振り返ることはできても本質的な振り返りの場とならず、治癒や変容という実践的な観点からも心許ない。人間は意味を通じて癒され、成長していく生き物であることを思うと、サイケデリック体験が開示してくれた意味を紐解いたり、深堀りするような機会を提供するデータ収集アプローチが最も望ましいのではないかと思えてくる。もちろん研究の目的に応じて単なる質問表を採用してもいいのだが、被検査の治癒や成長まで見据えた場合には、データ収集の方法については研究者たちは見直す必要があるように思える。特にサイケデリクスが引き起こす神秘体験に関する質問表の数々は、お世辞にも優れているとは言えない。1960年代にハーバード神学大学院のウォルター・パンケが活用していた質問表からアップデートがなされ、また複数の質問表が生まれたとは言え、それらはどれも神秘体験に対する被験者各人の意味にまで触れていくことをせず、単純に神秘体験の項目ごとに数字で評価していくだけである。端的にはそれはフラットランド的な研究アプローチだと言えるだろう。そうした質を無視して量だけに注目した研究手法によって開示されるものは平面的なものなのである。言い換えれば、意味の深みがなく、意味の次元が欠落しているのである。自分はサイケデリック研究に従事する者として、フラットランド的なアプローチによって出来上がってくる研究論文にも当然ながら目を通すが、自分がこれから本格的に行っていくサイケデリック研究は常に意味の次元を見据えたものでなければならないと思う。自分はサイケデリック体験に関して平面的な地図を制作したいのではなく、立体的な豊かな地図を作りたいのである。そうした思いを具現化させるためには、既存の主流の研究手法ではないアプローチを見つけていく必要がある。幸いにもそれについてはすでにいくものアイデアがある。07:23
11613. ハーバード神学大学院の出願の完了に向けて
いよいよである。今日はいよいよハーバード神学大学院(HDS)への出願を完了させる。当初の予定では今日の午前中に出願を完了させようと思っていたが、午前中は普段通りにサイケデリック研究のための読書をしたいと思う。それこそが自分にとっての日常であるし、平常心の現れかと思う。午前中は、オランダの哲学者バーナード・カストラップの書籍の再読を精読的に行っていく。
いよいよ今日の午後に仮眠を終えてからHDSへの出願を完了させようと思うのだが、オフィシャルな締め切りは2024年の1月4日である。それまでまだ十分な時間があるが、出願に向けた準備はもうこの夏ぐらいから本格的に始めていて、納得のいく提出書類がすでに完成している。今年の8月にサイケデリック研究とその実践への宇宙大の目覚めがあり、それを受けて一気に出願書類を作成し、そこから推敲に推敲を重ねて今日に至る。ここまで推敲を重ねてきた書類を提出すれば、あとはもう天に任せるしかなく、結果が望むものでなかったとしても、何の後悔もない。そう言い切れるほどの準備をしてきた。
記憶が正しければ、一昨年の段階ですでに欧米のどこかの国の神学大学院に進学して、宗教について深く学びたいと思っていた。実際に昨年は本腰を入れて神学大学院について随分と調べていて、今年の初旬にはもうHDSを第一希望にしていたように思う。だからこそIELTSとGREを前倒しで受験したのである。それらの試験を受けたときには、公共政策大学院への関心もあり、HDSにはGREは必要ないが、ハーバード・ケネディスクールにはそれが必要だったので受験した次第である。幸いにもとりわけライティングのスコアが過去最高のものだったので、オプショナルとしてGREをアピール材料の1つとして提出できる仕組みがHDSのアプリケーションにはあったので、GREのスコアも提出することにした。
春頃からHDSについて深く調べていく中で、2年間のMTSプログラムの中にある19個に及ぶ多岐にわたる専門領域の中で何を選ぶかが非常に悩ましいことだった。履修したいコースから逆算して、「比較宗教学」も比較神秘主義研究の観点からとても魅力的に思えたが、これまでの自分の学問的バックグラウンドを考え、そして原点回帰する意味も込めて「宗教と社会科学」を専門領域として選択することにした。もちろん入学後にも専門領域の変更やコース選択の融通は効くようだが、HDSが提供している数多くのコースの中でも、自分が履修したいと思うコースに一番該当するのがこの専門領域のものだった。この専門領域の中では、自分の学術研究上の原点とも言える発達心理学に立ち返り、とりわけ成人発達理論とサイケデリクスを絡めて査読付き論文をいくつか執筆したい。また、発達心理学以外にも哲学とサイケデリクスを絡めた査読付き論文の執筆にも非常に意欲的な自分がいる。
午後の仮眠後に行う出願の流れとしては、まず最終ドラフトとしてしばらく寝かせておいたライティングサンプルと志望動機書を少なくとも2回精読的に音読していき、誤字脱字などがないかを確認して、提出用のPDFにする。最終ドラフトが完成してからしばらく発酵期間を持たせていたので、また少し手直しが必要になるかもしれず、それは提出資料の最後のブラッシュアップとしてとても望ましい。出願を完了させようとする今日の今この瞬間の自分の考えや思いを明瞭に反映させた形での納得した文章を提出したい。表現としても明瞭で、それでいて熱意が文章からひしひしと伝わってくるような文章を提出できたら幸いであり、実際に文章の読み手であるアドミッションの方々にも文章を通じて自分の情熱がひしひしと伝わってくれれば幸いである。フローニンゲン:2023/12/15(金)07:42
11614. これまでの海外留学の実現に関する思い出
振り返ってみれば、自分はいつも大学進学や大学院進学で壁に突き当たる人生を送ってきたことを思うし、同時に苦難を乗り越えれば、幸いなことに必ず志望した大学に進学できたことを思い出す。日本で卒業した一橋大学も、高校2年生の時だったか、山口県から東京まで旅行してオープンキャンパスイベントに参加したことが懐かしい。ジョン・エフ・ケネディ大学に留学する前にも、会社の夏休みと有給を組み合わせてキャンパスビジットした。そしてフローニンゲン大学に関しては、合格通知をもらうまでに統計知識の不十分さから2回ほど不合格通知を受けていて、統計学と統計処理に強みのあるRというプログラミング言語を学びにイギリスのケンブリッジ大学に行き、そこで数日間の集中トレーニングプログラムに参加し、その修了証を持ってフローニンゲン大学に行き、それをアドミッションの人に直接手渡したことが懐かしい。フローニンゲン大学のオープンキャンパスに際しては、最初に入学することになる「創造性とタレントディベロップメント」のプログラム長を務めるルート・ハータイ教授と事前に連絡を取っていて、ハータイ教授の研究室で面談をさせてもらい、これまで2回不合格になったことを伝え、ケンブリッジ大学とその他にもジョンズ・ホプキンス大学が提供する2つの統計学のコースの修了証もあることを伝えたら、今から一緒にアドミッション行って必要書類を提出しようと述べてくれたのが懐かしい。普通プログラム長はそのようなことをしないのだが、自分が彼がトップを務めるそのプログラムに強く関心を持っていることを伝えると、研究内容の観点と会話から伝わる人柄を評価してくれたようで、仮に統計学の知識の部分がクリアしていたら、合格を保証してくれたのである。そのような記憶がありありと蘇ってきて、そう言えばジョン・エフ・ケネディ大学のオープンキャンパスの時も全く同じようなことが起きていたことを思い出した。当時自分が最も関心を寄せていた、ケン・ウィルバーのインテグラル理論に基づいて多様な心理学を学べる「統合心理学プロググラム」のプログラム長を務めていたヴァニース・ソリマー教授と事前に連絡を取り合っていて、オープンキャンパスの日とは別の日に研究室を訪問させてもらい、そこで面談をさせてもらった。本来、書類審査に通ったらオンラインでの面接が求められていたのだが、ソリマー教授とすでに面談で十分に話し合っていたことから、書類審査を無事に通過した後、幸いにも面接はパスされて晴れて合格通知を受け取り、自分にとって人生最初の海外留学の扉が本当に開かれた瞬間を感じ、大きな歓喜に包まれたのを今でも鮮明に覚えている。
今回のハーバード神学大学院(HDS)への出願も同じことが起こるだろうか。それが起きて欲しいと願う。もちろん人生においては何が起こるかわからないし、HDSの倍率は非常に高いので、確実に合格する保証など誰にとってもない。しかし、今回もまたキャンパスビジットを行い、ボストンで生活するイメージがありありと持てたし、HDSでのキャンパスライフに関するイメージも鮮明なものとして描けている。今回はプログラム長と話をする機会は持てなかったが、HDSの研究者やプログラムに在籍する学生から話を聞けたことはとても貴重だった。さらには、入学審査を担当するほぼ全ての人と話をすることができたのは、ひょっとしたら選考におけるアドバンテージになるかもしれない。特に、入学審査を行うアドミッションのディレクターを務めるオデヴィス・ソートーさんやアソシエイトディレクターを務めるマーガレット・オカダ・シェックさんとは立ち話を含め、1対1でその場で話をさせてもらえる機会があったし、オープンキャンパスイベントの最中も何度か2人とは気軽に話をさせてもらう機会に恵まれた。日本語は話せないが日系2世のマーガレットさんからは、HDSに出願する日本人はほとんどおらず、いても毎年1人ぐらいの出願なので是非自分に出願して欲しいと励ましの言葉を送ってもらえたのも印象に残っている。また、HDSの「世界の宗教研究センター」に所属するラッセル・パウエル博士や、同研究センターの後押しを受けた「サイケデリックリーディンググループ」のオーガナイザーを務めるポールとも話をする機会に恵まれ、2人とのやり取りからもHDSという学術機関が自分のサイケデリック研究を進めていく上で唯一無二の最良の場所であると感じさせてもらえたのは本当に有り難いことだった。こうした多くの人たちとの出会いに恵まれ、出会いに導かれ、そして多くの人たちの支えと励ましを通じてこれまでの自分の留学が実現してきたのだと思うと感慨深い気持ちになり、感謝の念しか生まれてこない。この一杯に溢れる感謝の気持ちを乗せて、綿密にレビューをした提出書類を満を辞して出願しようと思う。フローニンゲン:2023/12/15(金)08:01
11615. 絶え間ない創造を繰り返す宇宙と
一になるための日記の執筆/宇宙映画を「在り知る」こと
時刻は午前9時を迎え、今朝はほのかに晴れた朝空が広がっていて、それに癒されている。フローニンゲンはすっかり冬を迎えたが、冬を迎えたおかげで天気の良い日が増えていることは嬉しい。
つい今し方、本日2杯目のコーヒーを淹れた。ここのところは起床時間が早いので、午前中にはフレンチプレス2杯分のコーヒーをじっくり味わっている。それが朝の活動の原動力になっているとも言える。
ここまでのところ日記を綴る形で朝の静かな時間が進行していった。自分の日常について綴ることが、人生について綴ることが、哲学的な仕事の一環であるし、霊的実践の一環でもあることを思う。サイケデリクスに関係する日記を綴ることは、即サイケデリック研究とその実践に他ならないという明確な認識が芽生える。ゆえに自分は日々の日記の執筆をとにかく大切にしたい。読書よりも優先するべきことはとにかく自分の言葉で文章を綴ることであり、日記を執筆することなのだ。それ以上の学びと実践はないと思えるぐらいにそれは自分にとって大切なことである。絶えず構築されていくリアリティと足並みを揃える形で自分もまた構築運動に従事する。だがそこには何の強迫観念も切迫感もなく、寛ぎと喜びの感情だけがある。リアリティと一つになるための、この生成構築を絶えず続ける宇宙と一つになるための儀式的行為として日々の日記の執筆と創作活動がある。
昨日考えていた事柄がまた新たな表情を持った考えとして立ち現れた。昨日の日記の中で、私たち人間を含めて生きとし生けるもの全てが同じ1つのリアルタイムで変化する映画を見ていると述べていたように思う。一夜明けて改めてそれについて考えてみたところ、ひょっとしたら私たちは映画の鑑賞者というよりも、映画の中の登場人物なのかもしれないという気づきが芽生えた。非二元というのは見ている対象が同じという意味ではなく、それは存在している世界が同じということを意味しているのではないだろうか。おそらく同じ映画を鑑賞しているという認識は目撃者の意識状態での知覚体験から生まれるものに近く 、同じ映画の中にいるというBeingで結ばれた感覚こそが非二元の意識状態での知覚体験のそれに近しい世界描写なのかもしれない。
悟りの体験というのは、私たちの存在を通じて協働創作された宇宙映画を眺め知るというのではなく、それを「在り知る」という存在身体感覚が伴うものに思えて来る。この気づき、この感覚を大切にしていきたい。それを通じて徐々にこの感覚を育んでいくことが、きっとこれからの自分の成長を支えてくれるであろう。午後にハーバード神学大学院への出願を完了させるときにも、宇宙映画を眺め、宇宙映画を全ての存在者と共に協働創作しているのだという感覚を持ちたい。フローニンゲン:2023/12/15(金)09:13
11616. 1つの夢を見ている私たち/普遍的感覚クオリアの共有
本当に私たちの意識は1つで、無意識も1つであるならば、あるいは全ての人の意識も無意識も深層的には1つの世界としてつながっているのであれば、私たちは1つの巨大な同一のリアリティを知覚しているだけではなく、1つの夢を見ることも可能なのではないかと思う。というよりも、私たちは毎晩共通の夢を見ているのではないかと思う。ただし、リアリティと同じくその夢もまた、人によって見る角度と高度が違うのである。だから私たちは本来1つの同じ夢を見ているはずなのに、違う夢をそれぞれ見ていると錯覚してしまうのだ。意識も無意識も全ての人と同じものを共有しているのだが、それを見落とした形で多くの現代人は生きているのだろう。テレビドラマの『センス8』で登場する「ホモ・センソリアム」という人種は何も新たな人種ではなく、私たちは最初から彼らのような能力を持っていたのである。その能力とは1つの同じリアリティを見るというものであり、1つの同じ夢を見るというものである。それはひょっとしたら能力ではなく、内在的な本質と言えるものかもしれない。
そこから、夢以外にも共有しているものとして、ひょっとしたら感覚的クオリアも共有しているのではないかと思った。赤を赤たらしめているその感覚もまた普遍的に共有されているのではないかと思ったのである。当然文化ごとにクオリアが立ち現れる対象の種類は異なってくるが、全人類には共通のクオリアの記憶があるように思える。それは多分に普遍的な感覚記憶である。そして重要なことは、それは存在の入れ子の全てに浸透している記憶でありながら、各文化ごとの言語によって活性化される形で共有されるのではないかという点である。日本語とフランス語を例に取って考えてみると、同じ赤を表現する言葉であったとしても、赤のクオリアとして感じられるものは表面的には幾分の違いがあるかもしれないが、自らがもう片方の言語を学んでみると、それらが指し示す赤の感覚はやはり普遍的に深層的なものであることが体感されるだろう。自分はそれを英語という自らにとっての外国語を学ぶ過程の中で体験してきた。外国語を習得するというのは、クオリアの獲得と言えるかもしれない。具体物を指す言葉から抽象物を指し示す言葉まで、広くそれらの言葉が引き起こすクオリアの感覚を存在の入れ子全てを通して獲得していくことが言語獲得プロセスと言えるように思える。
あるクオリアを示す言葉が別の言語において存在していないことも多々あるが、それはその言語を操る人や文化にそのクオリアが欠けていることを意味するのではなく、深層的にはそのクオリアは必ず全人類に共有されている感覚であるし、いつからでもその感覚が目覚めるのだと思う。確かに言語の習得には臨界期があると言われるが、幾つになっても外国語を習得することが可能であるというのは、私たち人間には普遍的な感覚クオリアがあり、それをいつでも呼び覚まして発達させていくことができるからだと思う。フローニンゲン:2023/12/15(金)10:05
11617. 集合的な記憶の探究とコスミックメモリーの探究に向けて
ふと降りてきた直感として、ここから夜に見る夢は、どこかのタイミングで集合的な記憶や集合的な無意識を映し出すものにますますなっていくのではないかと思った。これまで長年に渡って書き留めた夢のほとんどは、自分の個人的な記憶に基づいていて、そうした記憶が格納された無意識のメッセージが形になったものだった。しかしよくよく過去の夢日記を思い出してみると、極々少数ではあるが、自分の個人的な記憶を超えて、集合的な記憶や無意識から生み出されたと思われる夢を見ていたことをはたと思い出したのである。そうした夢を見ていた自分を思い返すとき、ここから夢日記を通じたシャドーワークを継続させていけば、そうした集合記憶や集合的無意識が投影された夢をより頻度高く見ていくのではないかと直感的に思った。
無意識の世界は階層構造になっていて、まずは個人を司る無意識がある。その無意識層には様々な個人的体験の記憶が混沌として存在しており、それらの混沌を浄化していく試みとしてシャドーワークとしての夢日記の執筆がある。その浄化が進めば進むだけ、個人を司る無意識の下位構造として存在している集合的な無意識にアクセスできることが可能になっていき、そこに堆積している集合記憶を夢として知覚できるのではないかと思った次第だ。これはきっとかなり妥当性のある直感であり、この直感を大切にして、仮に今後集合的な記憶に紐づくであろう夢を見たら、とりわけ注意深く日記を書き留めておこうと思う。
そして忘れてはならないのが、サイケデリック実践はこれに連なる実践であるということだ。端的には、サイケデリクスの摂取を通じてもたらされる深い変性意識状態は通常の意識状態では決してアクセスできない記憶や情報にアクセスさせてくれ、とりわけ個人の無意識の深い場所にある記憶を思い出すことを通じて深い浄化を実現させたり、個人の無意識と集合無意識の間にある扉を開くことも可能にしてくれる力を持つ。その力を存分に活用させてもらうことを意識したシロシビン・セッションをこれからも積極的に行っていきたい。今後のシロシビン・セッションでは、自分個人の無意識ではなく、集合の無意識を探索する方向にますます向かっていくであろう。それが最終的には、人類の集合意識を超えて、宇宙の集合意識や宇宙の記憶としての、コスミックコンシャスネスやコスミックメモリーの探究にもつながっていくはずだ。フローニンゲン:2023/12/15(金)10:44
11618. ハーバード神学大学院への出願を無事に終えて
時刻は午後3時を迎えた。今、穏やかな空を眺めている。この時期は日没が早いので、もう1時間ほどしたら暗くなる。穏やかな青空が広がるこの時間帯に思う存分に空を眺めておきたい気分だ。
先ほど、無事にハーバード神学大学院(HDS)への出願を終えた。今年の初旬から本格的に準備していた集大成としての出願を終えて、今、上空に広がる青空を眺めているのと同じぐらいの晴々とした気持ちでいる。自分の情熱と思いの丈を全て込めた出願書類に一点の懸念も後悔もない形での出願となった。あとは運を天に任せるだけである。
ライティングサンプルと志望動機書の最終版を丁寧に何度か音読していると、そこで書かれている事柄が今の自分の情熱と真実を色濃く映していて、読みながら自分でも込み上げてくるものがあった。自分の実存的エネルギーと霊的エネルギーがこれ以上にないほどに詰まったそれらの文章は、自分の分身のようであった。あとはもうHDSのアドミッションの方々に自分という人間をどのように評価してもらうかにかかっている。
ここからの流れとしては、晴れて書類選考に通ったらオンライン面接がある。それは10分から15分ぐらいのものらしく、オンライン面接に声が掛かることは合格を保証するものではないらしいが、そこで声が掛からなければご縁がなかったと判断するべきだろう。アドミッションオフィスのウェブサイトによると、オンライン面接に声が掛かる時期としては早くて来年の1月末、遅くて3月の初旬とのことである。オンライン面接に呼ばれることを想定して、面接でどのようなことを聞かれても速やかに回答できるように準備をしておきたいし、こちらから面接担当者に質問をする機会もあるようだから、事前に質問を準備しておきたいと思う。この面接は志願者を落とすようなものではないらしく、人柄を確認する意味合いが強いとのことなので、緊張する必要はないとのことである。とは言え面接に向けてはしっかりと準備をしておきたい。面接までの期間は、ふとした時にまるで面接担当者と問答をしているようなシミレーションを頭の中で楽しみながら何回も行っておこうと思う。
出願の締め切り日を迎えたら、志願者には奨学金に関する必要情報が届くらしく、奨学金の必要の有無を問わず、出願者は全員それを提出する必要があるとのことだ。その資料を提出したら、あとはオンライン面接に声が掛かるのを待つだけであり、最終的な結果は来年の3月の中旬頃にわかるとのことである。ここからは天に祈るようにして吉報を待ちたい。フローニンゲン:2023/12/15(金)15:24
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