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11535-11544: フローニンゲンからの便り 2023年12月8日(金)



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成人発達理論とインテグラル理論を基礎にして、様々な学問領域からサイケデリクスやその他のテーマについてお話しさせていただくチャンネル「インテグラル・サイケデリックラジオ」はこちらからご視聴いただけます。

タイトル一覧

11535. 明け方の奇妙な体験

11536. シロシビン・マッシュルームの成長を見て/今朝方の夢

11537.今朝方の夢の続き

11538. 「サトル集中力」:集中力の種々の次元

11539. サイケデリック・ルネサンスの隆盛の影で進行する事柄

11540. 「ナラティブビーイング」としての私たち/啓示と解放の道

11541. 物質的というよりも政治的なサイケデリクス

11542. テクノロジー哲学とサイケデリック哲学を架橋させる試みの道

11543. プラトンによる善の4区分から見るサイケデリクス

11544. 志望動機書の最終版の完成に向けて/宇宙の5番目の次元


11535. 明け方の奇妙な体験   


時刻は午前3時半を迎えようとしている。昨日はジムに行き、十分に体を動かしてきたが、昨夜も午後9時過ぎには就寝していたこともあって、ジムで鍛えた身体を回復させるための睡眠時間は別に長くなることなく午前3時ちょうどに起床した。就寝前の入浴でゆっくりと身体をほぐし、そこから良質な睡眠が取れたことが功を奏したのだろう。ここからも、トレーニング後の翌日であっても睡眠時間は変わらずに早起きできることがわかる。


昨夜入眠してすぐに突然、夢ではなくメッセージが1つ降ってきた。それはとても奇妙なものだった。「自分はそう言えば宇宙人と交信しているんだよな」という言葉がふと脳裏によぎったのである。その言葉が脳裏に浮かんだ時、宇宙人に一度連れ去られたことがあり、そこで何か超自然的な力を授かったことを思い出すという内容の体験だった。宇宙人に連れ去られたと表現したが、それは正しくなく、どうやら宇宙人に選ばれたようだった。どんな観点で自分が選ばれたのかはわからなかったが、いずれにせよ地球を救い、宇宙人がいる惑星を救うために自分が選ばれ、今の状態では地球を救うことも宇宙人の住んでいる惑星も救うことができないので特殊な能力を授けてもらったということに気づく瞬間があった。そこで一度目を覚ますと、入眠して間も無くの午後10時過ぎだった。そのような体験があった。この体験を受けて午前3時に起床し、シャワーを浴びて歯磨きをしている最中に、浴室には天窓があり、外にはまだ明けない夜空が広がっていて、夜空の向こうから宇宙人が自分を見ているような気配があった。それは少しゾッとするものだったが、宇宙人を怖がる必要はなく、彼らは自分に対して親切で、中身はわからないが何かしらの特殊な能力を授けてくれたのだからと自らに言い聞かせる自分がいた。今朝方は不思議な体験をしたものである。


この話からふと、人はきっと自らに降りかかった体験を理解することを通じて自分についてさらに深く知りたいという無限の欲求を持っているのだろうということを昨日に考えていたことを思い出した。今の自分はサイケデリクスとの出会いという体験とその摂取体験を無限に広く深く理解したいという思いで一杯である。それらの体験を紐解くために今、毎日学術研究に全身全霊で取り組んでいるのである。「全身全霊」という言葉は本当にぴったしであり、ボディ、マインド、ソウル、スピリットを総動員させて学びと向き合っている自分がいる。今日もまた全身全霊でサイケデリック研究を前に進めていく。その過程の中で、自分にやって来た体験を紐解いていき、自分自身という宇宙とそれを通じて開示される新たな宇宙についての理解を深めていきたい。フローニンゲン:2023/12/8(金)03:37


11536. シロシビン・マッシュルームの成長を見て/今朝方の夢


時刻は午前3時半を迎えたが、当然ながら辺りはまだ深い闇に包まれている。日の出は午前8時半過ぎなので、ここから5時間ほど静寂さと闇に包まれた世界の中でいつものように過ごしていく。これは普段通りなのだ。これが今の自分の日常なのである。日常を宇宙として生きること。それを前回のシロシビン・セッションという非日常体験が教えてくれた。


今朝方起きてすぐにキッチンで栽培しているシロシビン・マッシュルームの栽培キットを眺めたところ、随分と立派なマッシュルームが何本か生えていて、それらの収穫が近いことを思った。2周目の栽培はすこぶる順調で、想像以上に早くマッシュルームの頭が出てきたのを覚えている。ひょっとしたら明日にでも数本は収穫できるだろう。栽培キットの土の様子を見ると、その他にも何本か小さいマッシュルームも生えてきているので、それらについて明後日以降の収穫になるだろう。今回もまたオーブンを使って完全乾燥させ、今後のシロシビン・セッションに向けてしっかりと保存しておきたい。


今朝方はいくつかの夢を見ていた。まず覚えているのは、かつて仲の良かった8人の外国人の男女が数十年の時間を超えて再び集まり、パーティーのようなものを開催している場面である。会場は外国の町の郊外にある自然の中で、ロッジがあって、ロッジの外にある食事ができる場所で彼らは立ちながら楽しそうに話していた。すでに彼らは70歳近くになっていたのだが、1人だけ奇妙なほどに若いままの男性がいた。その男性はまだ30代ぐらいに見えたのである。もしかしたら幹細胞治療でもして若返りを図ったのだろうかと思った。不思議なことに、明らかに彼だけが若く見えるのに、他の7人はそのことについて一切触れていなかった。若く見えようが歳を取って老けようが関係なく、彼らは良き親友関係にあるのだろうと思った。そのような場面があった。


その他に覚えているのは、特定の場所に自分がいたというよりも、海外旅行のパンフレットだけが山間を走る鉄道の上に大きく浮かんでいる姿を見ているという場面だった。そのパンフレットには、一般的なパッケージの旅行ツアーでは見れないその国の真実を見ることを目的にしたツアーについて紹介されていて、自分の関心をそそった。しかし自分は旅行の際には一切ツアーを活用しないので、そのツアーに関心のある人にそれに参加してもらえればそれでいいと思った。そんな思いがやって来ると、突然自分は見慣れない部屋にいて、そこでこれから男女の集まりがあるとのことだったので、主催者から整髪スプレーを渡され、それを頭にかけた。整髪スプレーなどもう随分とかけなくなっていたのでそのかけ方を忘れていて、少し離れたところから自分よりも少し歳が上に見える丸い顔をした優しそうな男性がやってきて、整髪スプレーの正しいかけ方を教えてもらった。彼の言うように整髪スプレーをかけ、髪型が整ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2023/12/8(金)03:54


11537.今朝方の夢の続き


時刻は午前4時半を迎えた。依然として聞こえて来る音は部屋の暖房の音のみである。今の気温は0度と低いが、明日からは少し気温が高くなるのでそれが待ち遠しい。自分にとってそれが待ち遠しいと言うよりも、シロシビン・マッシュルームを育てる室温を保つために待ち遠しいのである。外気温が低いといくら暖房が入っていても部屋の温度が下がりがちで、シロシビン・マッシュルームに最適な温度を保つことが難しい日が数日あった。ここから1週間ほどは気温が少し上がるようなので、その期間にすくすくとマッシュルームが育ってくれるだろう。


今日も旺盛に読書を進めていこうと思うが、その前に今朝方の夢の続きについて振り返っておきたい。夢の中で私は、外国の海の沖合いにプカリと浮かんでいた。私の横には小中学校時代の親友(HS)がいて、彼と2人でビート板のような正方形の板の上に乗って海を漂っていた。沿岸が辛うじて見えるぐらいの沖合いに私たちはいて、どうやら同じく海を漂っていた人たちと逸れてしまったようだった。私は内心サメに襲われないかと心配に思っていて、早く沿岸の方に行きたいと思っていた。幸いにも沖合いの海面は落ち着いていたが、時折渦を巻いたような波が現れ、それに飲まれて水中に引き摺り込まれないように注意する必要があった。親友の彼が板をサーフィンボードのようにうまく活用すれば沿岸に帰れると述べたので、彼のアイデアに従ってそれを試してみることにした。すると2人はいきなりバランスを崩し、彼が海に落ちそうになってしまった。私はなんとか腹筋を使って耐えたが、彼は一度海に落ち、私の手を借りて再び板の上に戻ってきた。さてどうしたものかと思っていたら、沿岸部の山間の鉄道を走る列車が見えた。それを見て私は突然、「あっ、アムトラックだ!」と叫んだ。アムトラックは全米を走る旅客鉄道で、かつて自分も西海岸や東海岸で乗車したことがあり、懐かしく思った。すると彼が、「あの列車が走って行った方向が正しい方角だ」と述べた。一瞬私は本当にそうなのかと彼を疑ったが、確かにそうかもしれないと私の直感が伝え、彼の言うように列車が走っていった方向に板を動かしていくことにした。そう決意した瞬間に海の中を見ると、白い軽自動車が沈んでいた。何か事故でもあってここに沈んでいるのだろうかと思いながら板を動かしていくと、先ほどまでは濃くて深い海だった海の中の景色が見る見る変わり、水が透き通ってきて海の底が見えるようになってきた。すると突然、もはや海の上にいるという感覚が消え、どうやら自分たちが宙に浮かんでいるのだと気づいたのである。先ほどまでは海の上だったが、今度は高さ数メートルほどのとこから地上を眺めていることに気づき、いつの間にか沿岸部に辿り着いていたことを知って嬉しく思った。


すると目の前に丸太小屋がポツリと置かれていることに気づき、宙に浮いた状態で中に入ってみることにした。すると思った以上に中は広く、そして複雑に入れ組んでいた。まるで三次元の立体的な迷路の中にいるかのように思われ、その丸太小屋から脱出することが今度のミッションになった。親友の彼と私は小屋の壁際に辿り着き、そこに外に出られそうな窓があったので、そこから脱出することにした。窓の付近には小さな蜘蛛が巣を作っていて、蜘蛛には申し訳ないが巣を払い除けさせてもらい、その窓から外に出ていこうとした。そこで夢から覚めた。フローニンゲン:2023/12/8(金)04:46


11538. 「サトル集中力」:集中力の種々の次元


窓にはレースを張っていて、真っ暗で外の様子がわからないのだが、耳だけを頼りにすると、どうやら今雨が降っているらしい。今の気温からするとみぞれ混じりの雨のようだ。なので雨音がいつもと異なり、シトシトと滴る感じの音ではなく、屋根や地面にぶつかる少し強い音が聞こえて来る。


ジムのローイングマシンで有酸素運動を行っている際には目を閉じている時間が長いが、毎日行っているカリンバでの即興演奏作曲実践においても基本的にはずっと目を閉じている。目を閉じながらでもキーボードを打つことができるようになっていてからしばらく経つが、こうして目を閉じていると内側に意識を十分に向けることができる。これらの実践は、シロシビン・セッションを含めたサイケデリック・セッションの際に体験を深めていくことに関して大いに役に立っていると気付かされた。サイケデリック体験中には意識を内側で集中させる必要があり、目を開けて外の景色を眺めることは非常にもったいない。もちろん知覚変容を通じて外部環境を日常とは違った目で眺めることや、セッションを自然の中で行っているのであれば自然を普段とは違う目で眺めることには意味があるだろう。しかしサイケデリック・セッションの中核にはやはり内面宇宙の探求があると自分は考えているので、セッション中は目を閉じたままであり、ここ最近はアイマスクも活用している。それくらいに外部の視覚情報から遮断された中でセッションを行っている。その結果として内面宇宙の探求が促進されているという実感がある。


話を日頃の集中力向上の実践に戻すと、自分は集中力を高めるための特別な実践をしているわけではなく、他の実践の中でそれを行うようにしている。そもそもいかなる実践も本来は集中力を要求するものであるから、その点に注目して全ての実践を集中力高く行うだけではなく、集中力を高める訓練としても取り組んでいる。自分にとっては即興作曲実践は本当に良い訓練の場になっている。とりわけそれは言葉を介さず、自分の内面宇宙に素粒子のようにポコポコと自発的に浮かんでくる音を捉えることを要求し、それらを捕まえながらにして1つの曲に形作っていくことが要求される。意識を内側に向けて音を発見し、音を拾い集めていくこと。それには高度な集中力が求められ、それを通じて集中力が高まるという好循環が見られる。しかもこの集中力を名付けるのであれば「サトル集中力」と呼べるだろうか。内的な音はサトル世界の中に生まれて来るものなので、それを捉えるにはサトル次元での集中力が必要とされる。このように考えてみると、単に集中力と一括りにしているものにも実は質的差異があり、次元があることがわかる。今の自分はとりわけサトル次元以上の集中力を日頃の種々の実践を通じて鍛えているようである。そのような気づきが外のみぞれ混じりの雨のように降ってきた。フローニンゲン:2023/12/8(金)05:35


11539. サイケデリック・ルネサンスの隆盛の影で進行する事柄  


ハーバート・マークーゼも苦心したことであるが、サイケデリクスをどのように自己解放及び社会解放に活用していくことができるだろうかという問いと日々向き合っている。ベルギーのテクノロジー哲学者のマーク・クーケルバーグが指摘するように、現代社会において、自己改善は個人の、そして社会の病理となってしまった。それは社会の中で「せねばならぬ」という強制事項になってしまったのだ。人々は自己を改善しなければならない対象とみなし、社会もまたそれに向けて個人を駆り立てることを通じて、この社会規模での「自己改善強制運動」が続いている。こうした状況を鑑みて、サイケデリクスはどのような貢献ができるだろうか。自分自身の体験に紐付けるならば、それは個人を解放させる手段ないしはテクノロジーになり得る。その他の自己解放を実現しているように思える過去現在のサイコノートたちを眺めていると、彼らもまたサイケデリクスと良好な関係を築き、それを自己解放につなげている。しかし、社会を解放させるところまでには過去の歴史において至っていない。集合規模で多くの個人を解放し、社会をより健全な形にするという意味での社会解放にサイケデリクスはどのように寄与していくのだろうか。これはやり方を間違えると、かつてのサイケデリックムーブメントの時と同じく政治的に抑圧され、失敗に終わるだろう。今私たちが置かれている状況はそれよりも悪い。抑圧され、失敗に終わるのであればまだマシであり、現在自分が危惧しているのは、抑圧と失敗を通り抜けて、逆に人々をさらなる自己改善強制運動に駆り立てはしないかということである。これは十分に考えられるシナリオである。シリコンバレーでサイケデリクスのマイクロドーシング(微量摂取)がファッショナブルに行われており、そうした流行に盲目的に乗っかる形で自己改善運動に果てしなく従事してしまう人たちが今後ますます増大し、その結果として、それが自己改善運動を生み出す構造を強化し、そこに経路依存性を高める経路構造が強固に構築されてしまうのではないかと恐れている。むしろそのシナリオはすでに動き出している。私たちに存在する自己超越欲求が自己改善欲求にすり替わり、それに気づかない形で人々は様々な手段を通じて自己改善運動に躍起になっているのである。この状態に対する目覚めを促すための地図を提供すること。地図だけではなく、目覚めのためと目覚め後のガイダンスのようなものを示すこと。それが今後の自分のサイケデリック研究と実践において強く求められてるように思う。サイケデリック・ルネサンスの隆盛の影で、サイケデリクスが解放の手段になるのかさらなる抑圧と駆り立ての手段になるのかの分岐点に立っているのだということを肝に銘じておきたい。フローニンゲン:2023/12/8(金)05:53


11540. 「ナラティブビーイング」としての私たち/啓示と解放の道


――啓示的な体験は人間に普遍的なものである。そして、決して啓示と解放を分けてはならない――ポール・ティリック


私たちは語る存在としての「ナラティブビーイング」なのだから、己の語りを検証せずしてどうやって治癒が実現するだろうか。己を語らずしてどうやって成長が実現するだろうか。また私たちは、社会のナラティブにも多大な影響を受けている存在でもあり、社会のナラティブを検証することは自己の治癒と変容において非常に重要な役割を果たす。自己改善運動をオブラートに包んだり、華やかな言葉で包む形で推奨して来る社会のナラティブに自覚的になること。まずはそれを出発点にしていく必要があるだろう。


こうやって毎日自分が徒然なるままに日記を書いているのは、社会のナラティブに対する検証の意味と、自分を癒し、変容させていくための己のナラティブの創出にあったのだと気付かされる。人は自分の、そして社会のナラティブによって病的にもなるし、治癒や変容が実現されたりもする。今自分はどのようなナラティブの中にいるのか、それを客体化することはこれまで以上にないほどに重要になっている世の中のように思える。現在のようにインターネットやSNSが高度に発達する世の中においては、自己のナラティブとじっくり向き合うことが難しくなっており、絶えず自分ではない誰かのナラティブや社会が構築したナラティブに晒されることになる。その状態に置かれ続けていて病むのは無理もなく、むしろそれで病まないほうがおかしいぐらいだ。


日々やって来る種々の啓示。とりわけシロシビンを中心としたサイケデリックセッションを真剣に自らの実践に据えて以降、啓示が降って来る頻度が格段に増している。神学者のポール・ティリックが指摘するように、それらの啓示と解放を分離させてはならない。それらの啓示は絶えず自分自身の解放と社会の解放の実現につなげていかなければならない。

インド大乗仏教中観派の始祖であるかのナーガールジュナ(竜樹)がかつてサイケデリクスを含んだ飲み物のアムリータを作ることとそれを摂取することに多大な関心を寄せていたことを思い出す。ナーガールジュナもまたサイケデリクスを通じた啓示的洞察を人々の解放につなげていた偉人の1人かと思う。自分もまたナーガールジュナを含めた偉大な先人たちに連なる存在として啓示と解放の道を歩み続けたい。フローニンゲン:2023/12/8(金)06:25


11541. 物質的というよりも政治的なサイケデリクス    

 

今日もまたサイケデリクスとテクノロジーを架橋させる試みに従事している。学問分野としてはサイケデリック哲学とテクノロジー哲学を合わせて探究しているような形だ。先ほどまで読み進めていたのは、アメリカのテクノロジー哲学者アンドリュー・フィーンバーグの書籍である。フィーンバーグの博士論文の指導教官はハーバート・マークーゼであり、マークーゼの師匠はマーティン・ハイデガーである。この書籍を読みながら、ハイデガーと後期マークーゼがテクノロジーをテクニカルな存在ではなくポリティカルな存在であるとみなしていたことに改めて考えを巡らせていた。するとこれはテクノロジーに対してだけではなく、サイケデリクスにも当てはまることかと思ったのである。端的には、確かにサイケデリクスは物質なのだが、物質的であるという側面を超えて多分に政治的な存在なのである。サイケデリクスを単に物質として捉えていると、サイケデリクスを取り巻く深層的な社会の動きの本質を見逃す。サイケデリクスは政治的なものなのである。それは過去にサイケデリクスがもてはやされ、そして抑圧された歴史を見れば一目瞭然である。また現在のサイケデリック・ルネサンスにおけるサイケデリクスを取り巻く種々の動きや社会的なディスコースを丹念に追っていると、サイケデリクスは物質的存在というよりも多分に政治的存在であることが見えて来る。


ここからはテクノロジー哲学の関連書を読む際には、テクノロジーを絶えずサイケデリクスに置換して読解を進め、考察を深めていこうと思う。そうした観点においてテクノロジー哲学の学術書は自分にとって探究上欠かせないものになる。今年の夏にサイケデリクス関係の学術書を300冊以上購入したのと同じく、昨年の夏にはテクノロジー哲学の関連書をそれに匹敵するぐらい購入していた。その当時はサイケデリクスをテクノロジーに含めて捉えることはできなかったが、今こうしてサイケデリック研究に没頭し始めてみると、両者の関係性が見えて来るし、テクノロジー哲学がサイケデリック哲学に多大な洞察を与えることにも気づく。今後はサイケデリック哲学がテクノロジー哲学に良い影響を与えることを望む。いずれにせよ、緩やかだが着実にサイケデリクスとテクノロジーの間に架け橋を作っていく探究を進めていこう。フローニンゲン:2023/12/8(金)07:21


11542. テクノロジー哲学とサイケデリック哲学を架橋させる試みの道


テクノロジー哲学とサイケデリック哲学を架橋させる試みに従事する際に、とりわけ注目しているテクノロジー哲学者としてはバーナード・スティグラー、アンドリュー・フィーンバーグ、そしてスティグラーに師事していただいてユク・ホイを挙げることができる。その他にも重要なテクノロジー哲学者は無数に存在するのだが、スティグラーに関してはサイケデリクスがもたらす超越的体験の解釈に対して重要な仕事を多数残している。スティグラーのテクノロジー哲学は、とりわけ意識との関連で非常にユニークな概念を創出する形で構築されている。それはサイケデリック体験の解釈に必ず役に立つと確信している。フィーンバーグに関しては、マークーゼの思想の影響を受けて、とりわけサイケデリクスに伴う政治的な側面の探究に彼の思想が役に立つだろう。フィーンバーグは、テクノロジーは政治的なものであるという認識から、それを民主的な存在にする形で有効活用ができると考えている。サイケデリクスもまた独裁的であったり、暴力革命的な存在とさせず、民主的な存在にしていくことができるはずである。その道筋を考える際に、フィーンバーグの思想の枠組みは非常に有益であり、実際にフィーンバーグはテクノロジーを民主的なものにしていく方法をいくつも提示している。それらを参考にして、サイケデリクスを民主的な存在にしていく試みに従事したい。香港のテクノロジー哲学者ユク・ホイは上述のスティグラーを博士論文の指導教官に持っていた。ホイの思想のユニークなところは、兎にも角にもテクノロジーをコスモロジー(宇宙論)の観点から論じていくところだろう。先般のシロシビン・セッションの中で「宇宙」という言葉が様々な側面と次元で自分の内側に開かれていったこともあり、コスモロジーの観点でサイケデリクスを研究していくことは自分の中でライフワークにしたいぐらいの事柄である。


要約すると、それぞれのテクノロジー哲学者ごとにテクノロジーを眺める観点と対照領域を明らかにし、彼らの思想的枠組みを参考にしてサイケデリクスを眺め、そこから自分なりの独自な洞察を汲み取り、自らの考察を深めていく形でサイケデリック学の分野とサイケデリクスを取り巻く社会的な実践に貢献していければと思う。


そのようなことを考えていた後に、改めてスティグラーに影響を与えたギルバート・シモンドンのテクノロジー哲学も深く探究していこうと思った。実は自分の師匠でもある発達論者のオットー・ラスキー博士も晩年になってからシモンドンの思想に注目しており、意識の発達に関してシモンドンのテクノロジー思想は非常に重要な洞察をもたらす。そうしたことを考えると、改めてテクノロジー哲学に関する書籍を読み直すだけではなく、テクノロジー哲学に関する各種の動画・音声も視聴し直していこうと思った。フローニンゲン:2023/12/8(金)07:51


11543. プラトンによる善の4区分から見るサイケデリクス


時刻は午前8時を迎え、ようやく辺りが薄明るくなってきた。世界が完全に明るくなって来るまでもう少しだ。そんな中、温かいモーニングコーヒーを片手に書物を読み進めている。ここまでの読書はすこぶる捗っている。それは書物から何か新しい知識が得られるだけではなく、自分の関心事項であるサイケデリクスに関して新たな洞察が紐解かれるということが起こっているという意味でだ。また、これからの研究の方向性についても新しい展望が開かれていることも読書によってもたらされている。読書が捗るというのは自分にとってそういう意味を持っているのだ。


プラトンの慧眼。プラトンは善を4つに分類していた。それは順番に、喜び、有益性、美、正義である。なるほどこの4つの区分はそっくりそのままサイケデリクスについて適用できることであるし、個人がサイケデリクスを活用するに際しても、社会がサイケデリクスを活用していく際にも重要な分類かと思った。端的には、サイケデリクスはこれら4つを全て包括的にカバーしておく必要があり、どれか1つではなく、どれも欠けてはならないのではないかと思う。個人の次元として、サイケデリクスは第4の欲求である酩酊欲を満たすという喜びと、絶えず内在している自己超越欲求を満たす喜びを私たちにもたらしてくれる。さらには、サイケデリック体験で得られる知覚現象や感覚は、自らの美意識を育むことにもつながる。


ひるがえって社会に目を移すと、社会の次元としてはサイケデリクスを精神疾患の治癒や中毒症状からの脱却として活用するという有益性がある。個人としても治癒や変容の目的、さらには上述の欲求の充足や美意識の涵養においても多大なる有益性を持つ。そして社会においては、認知的自由(cognitive liberty)だけではなく「霊的自由(spiritual liberty)」を担保するべく、それが人々の解放のために活用されるべきであり、サイケデリクスの使用に関して正義を実現する必要があるだろう。正義の観点も個人の次元からも考える必要がある。このように、プラトンが善を4つに分類した図式は、サイケデリクスに関する個人と社会のあるべき姿の方向性を明確なものとしてくれることに気付かされた。この図式を絶えず意識し、それぞれの分類についてより考えを深めていき、具体的な実践策を提示していこうと思う。フローニンゲン:2023/12/8(金)08:27


11544. 志望動機書の最終版の完成に向けて/宇宙の5番目の次元


今日は早朝の3時に起床し、午前中には旺盛な読書に励み、午後もここまでのところ読書に没頭することができている。ここで少し休憩がてら、ハーバード神学大学院に提出する志望動機書の最終版を完成させようと思った。それは本来日曜日に予定していたが、今日の午後に完成させてしまおうと思った。なので今からそれに取り掛かりたい。それが終わったら、この数日間に読書で得られた知識とその過程で考えていたことをゼミの受講生に共有するべく、音声ファイルを作成していきたいと思う。それが終わったら一旦書籍から離れ、デスクトップに保存しているサイケデリクス関係の論文を一気に読み進めていこうと思う。学術機関に正式に所属し直すまでは引き続き書籍をベースに探究を進めていき、学術機関に晴れて再び所属するようになったら書籍を読むペースを抑え、逆に専門論文を手当たり次第に読んでいこうと思っている。そのフェーズを迎えるまでに、自分の関心のある分野についての論文を掲載しているジャーナルをリストアップしていこうと思う。それらのジャーナルにはいつか自分も論文を投稿するかもしれない。


午前中の読書の中で、物理学者のデイヴィッド・ボームは晩年、意味は物理宇宙の中で重要な役割を持ち、5番目の次元として意味を据えていたことを知った。やはり意味なのである。意味が宇宙を重層的にし、宇宙を宇宙たらしめているのである。意味は目には見えないものであり、そうした目には見えないものがこの宇宙の創出と維持に大きな役割を果たしているのだ。毎日自分が汲み取る意味は宇宙からの贈り物であり、自分が生み出す意味は宇宙への返礼の品となる。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/12/8(金)14:16

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