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タイトル一覧
11509. サイケデリクスがDNAに対して与える影響から
11510. シロシビン·マッシュルームと言葉
11511. 今朝方の夢
11512. サイケデリクス体験を下支えする文化の醸成の重要性
11513. シロシビンがもたらすデフォルトモードネットワークとセイリエンスネットワークの溶解効果より
11514. シロシビン・セッションがもたらす2種類の深層的知識
11515. サイケデリクスとの深層的な邂逅を通じた回顧
11516. 予感
11509. サイケデリクスがDNAに対して与える影響から
時刻は午前3時を目前にしている。今朝方は午前2時半過ぎに起床した。昨日はジムでよく体を動かし、良い汗をかいたこともあり、午後9時には早々と就寝し、質の高い睡眠を確保することができて、今朝の目覚めもすこぶる良かった。午後9時台に就寝してしまうことは利点しかないように思えて来る。睡眠時間が長くなってしまうのは身体の疲労を回復させるためであり、疲労感がピークに達するよりもずっと手前で就寝すると、睡眠に充てる時間はさほど必要ではなく、結果として早起きができ、そこから非常に有意義な時間を一日過ごすことができる。自分にとっては朝の時間はとても貴重であり、そこから夕食までの時間が自分にとっての仕事の時間となる。自分の仕事は今はもっぱらサイケデリック研究とその実践である。その活動に朝から夕食前の晩まで思いっきり打ち込める状況を自ら作ることができている。こうした状況が作れるようになったのも、きっかけとしてボストン旅行があったからである。あの旅のおかげで生活リズムがさらに良いものとなったのだ。これまでもずっと午後10時前には就寝していたが、その生活リズムが完全なものだったのではなく、今このようにしてさらに生活リズムが進化したのである。生活リズムまで進化させることができるのだから、本当に万物は進化で縁取られていて、宇宙は本当に絶えず進化していると言えるのではないかと思う。
昨日、テレンス·マッケナと弟のデニス·マッケナの書籍を読んでいると、サイケデリクスがDNAに対して与える影響についての仮説的考察が書かれていてとても興味深かった。そこから現在どのような研究が実際に行われているのか調べたところ、数は少ないが古典的サイケデリクスのLSDやシロシビンがDNAの表現に影響を与える研究成果が出ていることを知った。それはかつてのLSDがDNAを破壊するというような迷信とは異なり、むしろLSDもシロシビンもDNAの変化に肯定的な影響を与えるかのような性質があるようだった。もちろんこのトピックについての研究はまだまだ少なく、具体的にどのような肯定的な変化なのかはまだよく理解することができなかったので、さらなる研究を待ちたい。確かに自分の実体験をもとにすると、細胞の核にある染色体を構成するDNAの表現形式にサイケデリクスが何かしらの影響を与えるというのは確かであろう。サイケデリック体験中には細胞が躍り出すような活性感を感じることがあるので、何かしらの影響がそこにあるであろうことは体験からも推測される。やはり後はそれが具体的にどのようなものなのかを知りたいと思う。サイケデリックの摂取によってDNAが変異し、人間をやめ、トランスヒューマンやポストヒューマンになることも厭わない自分にとっては、今のところどのような影響であっても引き続き実験的にサイケデリクスを定期的に摂取していくが、これから自分がどのような人間になっていくのか、あるいは人間という生物種をどのように超えていくのかはみ出していくのかを考察するに際しては、最新のDNA研究が待たれるところだ。起床直後にそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/12/5(火)03:11
11510. シロシビン·マッシュルームと言葉
午前3時を迎え、闇の深さを味わっている。今の気温は0度であり、今はまだ朝早いので、ここから気温はまだ下がり、マイナス1度まで下がってから気温にほぼ変化がない形で午後3時まで過ごすことになりそうだ。午後3時を迎えてようやく気温は1度になり、そこからすぐさままた0度に戻って夜を迎えるというような1日なるようだ。フローニンゲンでの親友は人間であればメルヴィン、それ以外の親友は深い闇と凍える寒さである。こうした社会自然環境が己を鍛える。オランダでの8年間はそのような環境の中で克己心だけを頼りに生きてきた。その結果、自分の人生はますます好転していき、充実感と幸福感に包まれた日々の中で自らの使命·天命を全うする生き方が体現されていった。今日もまたそのような1日になるだろう。
先ほど、テレンス·マッケナとデニス·マッケナの書籍について言及したが、昨日は彼らの書籍を3冊ほど再読していた。DNA以外の話としては、サイケデリクスが言語に対して与える影響についても興味深く読んでいた。前回のシロシビン·セッションを終えて5日目を迎えたが、依然として言葉が流れるように出て来る感覚が残っている。シロシビン·マッシュルームの摂取を通じて、デフォルトモードネットワークが解体されること以外にも、言語野に対しても何かしらの良い影響があるように思える。それについても研究成果を待ちたいと思う。デフォルトモードネットワークの解体を通じて自我が溶解することによって、自我を通じて言葉を発しなくて良い感覚があることも言葉の淀みなさに一役買っているかもしれない。自我がわざわざ言葉に対してジャッジすることなく、まさに没入的な創造性の発揮と似ていて、あるいは自動書記的な形での即興的な言葉の創出に似ているような現象が起きているように思う。マッケナ兄弟が提唱するシロシビン·マッシュルームの摂取がホモ·エレクタスをホモ·サピエンスに進化させたという仮説は大胆だが面白く、またシロシビン·マッシュルームによる内的ビジョンが言語の創造の元になったという仮説も興味深い。今こうして言葉が淀みなく流れ出て来る現象を体感していると、あながちマッケナ兄弟の仮説も間違ってはいないのではないかと思う。当然因果関係をそこに見出すのは難しいが、シロシビン·マッシュルームがホモ·サピエンスへの進化や言語の誕生に与えた相関関係はきっとあるであろう。
今日のサイケデリック探究としては、昨日受け取ったDMTに関する書籍を読み進める。DMT研究の泰斗リック·ストラースマンが執筆した名著をまだ読んでいなかったので、それを注文し、昨日玩具屋で無事に受け取り、今日の読書はそれに取り掛かるところから始める。それを受けて、クリス·リズビーのサイケデリック哲学に関する書籍を再読し、ベニー·シャノンのアヤワスカに対する分厚い研究書の再読をする。それら2冊はいずれもオックスフォード大学出版から出版されていて、非常に硬質な学術書である。今からの再読フェーズにおいては、こうした硬質な学術書を初読の時よりも丁寧に読むことを心掛けたい。それら3冊を読んでもまだまだ時間があるだろうから、サイケデリクスと仏教を絡めた3冊の書籍と、改めて神道の時間感覚や霊的思想を探究するために神道に関する英文書籍を何冊か目を通したいと思う。フローニンゲン:2023/12/5(火)03:28
11511. 今朝方の夢
朝の呼吸法とアニマルフローの実践を終え、それは日々の探究活動のための心身の涵養に非常に役に立っていることを改めて実感する。とりわけ今日はジムで鍛えた翌日なので、アクティブレストとして午後にもまたアニマルフローの実践をしたいと思う。今朝方の夢をまだ振り返っていなかったので、それについて振り返り、シロシビン·セッションのインテグレーションとして、さらには次回に向けての内面浄化実践としての曼荼羅的デジタル絵画と曼荼羅的音楽の創作をする。それが終わってから読書に取り掛かるといういつもの流れを踏襲する。
夢の中で私は、見慣れない空間の中にいて夢を目撃する者として存在していた。その空間には父がいて、そこで父の意外な側面を見ることになった。あるいは、自分の知らない側面に気づかされたと言ったほうが正確だろうか。何やら父は母や私に何も言うことなく、自らの貯金を発展途上国にいる病気の子供や学校行けない子供たちの支援に当てているようだった。金額としてはさほど多くはないかもしれないが、月々ある程度のお金を外国のそうした子供たちに当てているというのはこれまで知らなかったことなので驚いた。父は偽善ぶる様子も全くなく、淡々と毎月所定の口座からお金を海外に送金していて、海外の恵まれない子供たちの支援を行っていた。父のその様子を見ながら、こうした在り方こそが偽善性のない清々しい他者貢献の姿なのだと思った。そこで夢の場面が変わった。
次に見ていたのは、実際に通っていた中学校の教室にいた場面である。それは中学校3年生の時に使っていた教室だった。教室の前の方の席に2人の友人(RS & HY)がいて、2人が何かヒソヒソ話をしていた。その話に私も加わると、実はこの3人の誰かの父には隠し子がいるらしいとのことだった。一体3人のうち誰の父に隠し子がいるのかは不明であったが、どういうわけかお互いの戸籍謄本と政府から届けられた1通の封筒をそれぞれが持っていた。各自の戸籍謄本には隠し子の情報は記載されていなかったが、どうやら政府から送られてきた封筒の中にはその情報があるようだった。なので私たちはドキドキしながらそれぞれが別の場所で封筒を開けることにした。いざ封筒を開けてみると、そこには日本語ではなく、謎の古代文字で書かれた書類があり、3人ともその古代文字を解析することはできず、いったん保留にした。授業が終わったら、古代文字に詳しい人のところに行ってそれぞれの書類を分析してもらおうと話し合ったところで場面が変わった。
もう1つ覚えているのは、実際に通っていた小学校の教室にいた場面である。厳密には、高学年が使う建物の階段を数人の男女の友人たちと話しながら上り、小学校6年生の時に使っていた教室に向かっていた。教室に向かうまでの間、それぞれがこれから留学することになっていて、お互いの留学先について話し合っていた。私はイギリスのオックスフォード大学の1年間の修士課程に進学することになっていて、それに対してある友人(HO)がそのプログラムは宗教·神学関係ではピカイチだと述べてくれた。私は修士課程を終えたらそのままオックスフォードに残って博士課程まで進学するつもりであると伝えた。そこからは友人たちがどこの国に行こうとしているのかの話を聞き、気づけば教室に到着していた。教室には頭が禿げ上がった年配の男性の先生がいて、先生は優しそうな笑みを浮かべて私たちを迎え入れてくれた。どうやらこれから海外留学に伴うオリエンテーションが教室でなされるようだった。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/12/5(火)04:09
11512. サイケデリクス体験を下支えする文化の醸成の重要性
サイケデリクスは現在のように規制で雁字搦めにするのではなく、サイケデリクスに関するリテラシーと文化を高めながら、万民に開かれたものにする必要があるかと思う。教育や結婚など、この社会には権利が保証され、万民に開かれているものが多々ある。しかしながら、万民に開かれていることとそれを無秩序·無配慮に活用することは同じではない。例えば教育の機会や結婚の機会は全ての人に開かれているが、生まれたての赤ちゃんに教育を施す人はいるだろうか。また生まれたての赤ちゃんに結婚させる人はいるだろうか。逆に赤ちゃんは教育や結婚の機会が保障されているからと言ってその機会を活用するだろうか。それらの問いへの答えは言わずもがなだろう。そうなって来ると、万民に開かれているという権利の保障と権利の行使の間にはいくつか考えなければならないことがあるように思う。やはり最も重要なことの1つは機会の利用に際するレディネスであり、レディネスは言い換えればその人の成熟度であり、成熟度とは意識の発達段階という意味合いもあるが、同時にサイケデリクスに関して知識としていかに習熟しているかというリテラシーの問題に関わる。またサイケデリクスを利用することに関する文化的な枠組みがどれだけあるのかも重要で、それは文化の成熟度に関する事柄である。文化的に未成熟な場合、サイケデリクスの利用者は後ろめたい気持ちや罪悪感を抱いてしまい、それが結果的に本来サイケデリクスが内包している治癒や変容の効果を引き出すことなく抑圧してしまうことに繋がる。また摂取者にとっては辛い体験がもたらされる可能性も増してしまうだろう。これまでのサイケデリック体験から思うに、セット·セッティング·服用量という3変数のうちのセッティングというのは何もサイケデリクスを摂取するその環境だけのことを指しているのではなく、文化的環境のことを指しているのである。当然ながら自分は日本では一度もサイケデリクスを摂取したことはない。それは法律で禁止されているからでもあり、文化的にも未成熟であり、またそもそもそのような機会に遭遇しなかったことが挙げられる。自分がサイケデリクスを摂取したのは、その文化的な土壌が育まれているアメリカとオランダだけであり、そうしたサイケデリクスを取り巻く文化としての器が理想的なセッティングを生んでいたと言える。今後仮に日本でも規制が変わり、サイケデリクスが摂取できるようになったとしても、そしてセラピールームや諸々の環境設定がどれだけ整っていたとしても、サイケデリクスを取り巻く文化的環境が未熟なままでは、それらの表面的な環境は容易に底抜けする。そしてそれは摂取者にとって望むような治癒や変容の効果、さらには学びをもたらさない可能性がある。そうしたことを考慮すると、サイケデリクス体験を下支えし、表層的な環境設定を抱擁する文化の醸成がどれだけ重要かが見えて来る。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/12/5(火)05:06
11513. シロシビンがもたらすデフォルトモードネットワークとセイリエンスネットワークの溶解効果より
早朝の読書は捗り、それは自分の思索に刺激をもたらしてくれている。今、クリス·リズビーのサイケデリック哲学の書籍を読み返しているのだが、とりわけシロシビンがもたらすデフォルトモードネットワークの溶解効果だけではなく、セイリエンスネットワークの溶解効果についても着目していた。前者はナラティブセルフを司るもので、後者はミニマルセルフを司るものである。ナラティブセルフとは、過去の記憶をベースにした言葉によって構築される自己であり、後者は言葉をベースにしない自己感覚、とりわけ身体感覚情報に基づく自己である。これまで自分は、シロシビンがもたらすデフォルトモードネットワークの溶解効果を通じたナラティブセルフの脱構築には着目していたが、セイリエンスネットワークの溶解効果についてはあまり考慮していなかったように思う。どちらもシロシビンが脳の特定部位への働きかけをすることによって生じる現象なのだが、前者はどちらかというとよりマインドの領域に関わっており、後者はボディの領域に関わっている。端的にはシロシビンは、ボディとマインドにおけるこれまでの自己感覚を一旦棚上げするのである。ここでベルグソン·ハクスリー理論とウィルバーの存在の入れ子の考え方を用いるとやはり興味深いことが見えて来る。
シロシビンは存在の入れ子におけるボディとマインドの双方においてこれまでの自己感覚を宙吊りにし、それによってマインドの上位にあるソウルやスピリットの領域における知覚現象が開示されて来るのではないかと思ったのである。まさにベルグソン·ハクスリー理論、すなわち減量バルブ理論がここで生きて来る。ボディとマインドをこれまでの形で機能させるのではなく、両者の機能を緩めることを通じて、より高次元の領域の知覚現象に私たちを開く効果がシロシビンにはあるようだ。古くはハーバード神学大学院のウォルター·パンケが行ったシロシビンがもたらす神秘体験の実験、そしてそれを引き継いで現在も研究をしているジョンズ·ホプキンス大学のシロシビンによる神秘体験の研究結果の背後にあるメカニズムは、神経科学の先端的な研究成果からそのように説明されうるのではないかと思う。シロシビンがどうやってソウルやスピリットの次元における知覚体験という名の神秘体験を引き起こすかというと、ボディとマインドにおける自己感覚を一度宙吊りにし、ナラティブセルフとミニマルセルフの溶解を促し、自己をより高次元の領域に誘うということが今のところの発見事項からもたらされる妥当な説明かと思う。それを通じてなぜ鬱が回復したり、終末期の患者が実存的苦悩から回復したりするかというと、それらは本来ボディやマインドの次元でなんとかなるような問題ではなく、問題を生み出している根幹はソウルにあり、シロシビンがソウルの次元にまで働きかけていく力を持っているからだろう。「ソウル」というのは別に宗教的な用語でもなんでもなく、哲学の実在論で言えば、実在の領域であり、科学で言えば、マインドの種々の機能を働かせているより高次元のメカニズムや構造といえる。私たち人間は多階層的な存在であり、シロシビンは低階層の機能を緩める形で高次元の階層にアクセスすることを可能にさせ、それを通じて各種深層的な治癒や変容を促すのだろう。リズビーの書籍を読みながらそのようなことを考えていた。 フローニンゲン:2023/12/5(火)06:21
11514. シロシビン・セッションがもたらす2種類の深層的知識
時刻は午前6時半を迎えようとしている。起床したのは午前2時半だったので、起床から4時間ほど経っている。早朝からの読書は実に有意義な形で進んでいて、モーニングコーヒーを片手に色々と思考が巡る。たった今、サイケデリクスを通じた2種類の知識形態への貢献を考えていた。今のところ自分はシロシビン·マッシュルームを核に据えて実践をしているので、自分のシロシビン·マッシュルームの摂取体験をもとに、サイケデリクスをシロシビンと限定して考えてみたい。
まず認識論の分野における「事実的知識(factual knowledge)」と「手続き的知識(procedural knowledge)」の双方にシロシビンは働きかける。前者に関して言えば、シロシビンの摂取体験中に無意識に眠っている過去の体験や記憶についてハッと思い出されることがある。無意識に格納されている無限の記憶情報はある種事実的知識とみなすことができ、普段はそれらにアクセスすることが難しく、通常意識の場合にはとりわけ無意識の深い部分にある自己に伴う事実的知識を思い出すことは難しい。当然ながら強いトラウマ記憶のようなものも存在するであろうから取り扱いと向き合い方には細心の注意がいるが、治癒と発達に根幹には「思い出すこと」があるので、眠っている事実的知識を想起させるシロシビンの働きには注目する。過去の事実的知識は私たちを縛ると同時に、それとの向き合い方によっては可能性を開くのである。自分を縛っていたこれまでの記憶を思い出すという体験は、自分の中の真実に気づいたというような感覚としてシロシビンの体験中によく現れる。それは深層的な事実的知識の獲得を通じて生じていたのだったと気付かされた次第だ。
一方の手続き的知識に対してもシロシビンは大きな役割を果たす。手続き的な知識とは端的には、何かを実行·実践するためのハウツー的な知識のことを指す。なんとシロシビンの摂取体験はこうした手続き的な知識の獲得にも役に立っていたと気付かされたことは大いに目を開かされることだった。一言で述べれば、得られた事実的知識をもとに、自分がこれからどう生きればいいのかの道が開かれるような感覚がシロシビンによってもたらされることが往々にしてあり、それは手続き的な知識の獲得と言えるだろう。例えば先日のセッションで言えば、「自分は宇宙であったし、宇宙である」というのはある意味、深層的な真実の発見であり、それは事実的知識の獲得である。しかしそれをもとにして、「これから自分は宇宙としての自分という宇宙として生きる」と誓いを立てたことは手続き的な知識の獲得を示しているように思える。自己やリアリティに伴う真理の発見から、その発見された真理をもとに自分はこの世界でどのように生きていくのかの洞察を得られるということ、すなわち深層的な事実知識から深層的な手続き的知識へという知識獲得プロセスがそこに見出されるのである。いずれの知識も「叡智」と呼べるようなもので、シロシビンの摂取体験はそうした2種類の叡智を授けてくれるものだったのである。この気づきは今の自分にとって大変意味のあるものであり、同時に今回は哲学の分野である認識論のレンズでシロシビン体験を振り返ってこのような重要な気づきが得られたことを思うと、ますます哲学のレンズを通してサイケデリック体験を紐解いていこうと思ったし、神学のレンズを通せばまたさらに重大な事柄が続々と開示されるだろうと思った次第だ。フローニンゲン:2023/12/5(火)06:48
11515. サイケデリクスとの深層的な邂逅を通じた回顧
午前8時を目前にして、ようやく辺りがちょっとずつ明るくなり始めた。夜が完全に明けるまでまだ時間がかかるだろうが、これから世界はまた動き始める。自分の世界はすでに動き出していて、その動きは止むことを知らない。絶えず自律的な運動が内側に生じている。自分はその運動律に従って日々を十全に生きている。
先ほど思わず笑ってしまったのは、成人発達理論と出会ったことも、インテグラル理論と出会ったことも、そしてそれらの理論と長年付き合ってきたことが、まさかサイケデリック研究と実践のためだったということである。自分の中で突如としてそのような意味解釈が生まれ、それは少し前にも芽生えていたものではあったが、完全にその意味解釈に納得する自分がいた。その納得感は正しいと励さんばかりに1羽の小鳥が大きな声で鳴き始めた。
成人発達理論を通じてはこのリアリティの万物全てに質的差異という階層性があることを教えられた。インテグラル理論を通じてこのリアリティの万物全てに対する多様で豊かな物の見方を教えてもらった。それら双方の教えがなければ、やはり自分はサイケデリクスをまともに扱うことなど出来なかったのである。それらの理論とであって干支が一周する12年目の夏に突如としてサイケリック研究と実践に目覚めたのには深層的なわけがあったのである。12年間の探究と実践が無くしてはサイケデリック研究と実践に目覚めることはなかっただろう。きっとそのまま素通りする形で人生が過ぎていたはずである。しかし、成人発達理論とインテグラル理論に対する理解が熟成され、それまでに積み重ねてきた種々の学問的探究と実践が臨界点に達した時に、まるでビッグバンの発生かのようにして突如目の前に現れたのがサイケデリクスだった。確かにサイケデリクスには意識のビッグバンを引き起こすような効果も内在しているため、その比喩は妥当かと思う。しかしそれ以上に重要なのは、自分の実存性·霊性を含めた自己の全側面を通じてサイケデリクスの研究と実践に従事していこうという強烈な覚悟が芽生えたことだった。
サイケデリクスは以前から知っていた。しかしそれについては深層的には知らなかった。サイケデリクスは以前から出会っていた。しかしそれと深層的には出会っていなかった。今、サイケデリクスとの深層的な邂逅と合一を果たしている自分がここにいる。夜明け前に輝く部屋の明かりのように、自己の存在もまた夜明け前に輝いている。フローニンゲン:2023/12/5(火)08:02
11516. 予感
時刻は午後3時を迎えた。今朝は確か午前2時半過ぎに起床していたのではないかと記憶が曖昧になってしまうぐらい起床から時が経ち、ここまでのところこれ以上ないほどに充実した時間を過ごしている。そんな充実した時間を過ごす中で、粉雪が絶えずパラパラと舞っていた。家の前の庭は一面雪景色で、オーナーのフレディさんとペイトラさんが雪景色の中に佇む自分の家を写真撮影しに来たぐらいであった。
今日は早朝からの読書だけではなく、今後密な協働をしていくであろう本当に素晴らしい方とのオンラインミーティングを当初の予定の1時間ではなく2時間ほど行っていた。時間感覚がサイケデリック的であり、話が盛り上がっていると気づけば2時間が経っていた形である。その方はマーケティングを専門としていて、それでいてサイケデリクス、ブレインテクノロジー、エネルギーワークに関心をお持ちであり、それらの関心はまさに自分の関心とも合致する。本質的にその方と同じようなビジョンと思想を共有していることが何よりも嬉しいことであり、ここからの本格的な協働の予感を感じる。サイケデリクス、ブレインテクノロジー、エネルギーワークを絡めた情報発信を通じて世の中の役に立つことができればそれ以上に嬉しいことはないので、サイケデリクスの研究に並行して引き続きテクノロジー哲学について学びを深めていき、エネルギワークについての関連書籍もまたどこかのタイミングで集中的に読み返しておきたいと思う。サイケデリクス、ブレインテクノロジー、エネルギーワークを三位一体として探究していくので意識付けをしておこう。
ここからは本当に誰とどのような協働をしていくかが重要になる。学術機関に戻ってそこでの仕事にも全力を出したい自分としては、学術機関では出来ない仕事を共にする協働者がどのような方なのかは非常に重要であり、とにかくビジョンと思想、そして何よりもその人の人柄と在り方が大事になる。今日お話をさせていただいた方は全てを満たしていて、その方との協働が実現して欲しいと願ってやまない。その協働の実現に向けて、今自分がやるべきことは一に勉強、二に勉強である。しこたま勉強し続けることが協働の実現、そして社会貢献の実現につながるのだ。
ここからきっと自分の人生はまた良い方向に動き出していく。白銀世界の雪景色を眺めながらそんな予感を感じる。フローニンゲン:2023/12/5(火)15:20
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