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タイトル一覧
11483. 今朝方の夢
11484. 説明の原理
11485. 一夜明けて第20回のシロシビン・セッションを振り返って
11486. 神話とコンセンサスリアリティ/渦巻きのメタファーを通じた脳と意識の理解
11487. 問うことと余白/昨日のシロシビン体験の素描
11488. 第21回のシロシビン·セッションに向けて
11483. 今朝方の夢
第20回のシロシビン·セッションを終え、一夜が明けた。午前4時半を迎えようとしている現時点において夜明けはまだだが、自分の内側ではもう夜明けがやって来ている。昨夜は午前9時半に就寝し、今朝は午前4時前に起床した。就寝前まで昨日のセッションの振り返りをずっと行っていたが、入眠はすこぶる速やかで、ぐっすり眠ることができた。一夜明けの振り返りの前に、まずは今朝方の夢について振り返っておこう。セッション後最初に見た夢について思い出しながら、おそらく自分はもう何年も毎日夢の振り返りを行って来たことがサイケデリック·セッションに好影響を与えていると感じられる。セッションの大半が光の体験が多くなっているのは、おそらく夢の振り返りを通じたシャドーワークを積み重ねて来たからなのではないかと思う。夢はある意味サトルの世界のため、サトルで知覚される事柄を日々振り返っていると、サイケデリック·セッション中のおどろおどろしいイメージが減退し、それが出たとしても昨日のように静かにそれを受け止めることができるのだと思う。
今朝方は夢の中で、見慣れない大きな家にいた。その家は砂浜の上に建っていて、リゾートホテルのような作りをしていた。そこで私は小中学校時代の男女の友人たちと共同生活をしていた。1人の女性友達(HK)がなんだか寂しげな表情を浮かべていたので、「どうしたの?」と声をかけてみた。すると、彼女は近々この家から出ていかなければならなくなったそうだ。その理由としては彼女にやりたいことが見つかり、新たな挑戦に向けてとのことだった。それはとても肯定的な理由だと思ったが、やはり長くこの家で楽しく生活して来ただけに、友人たちと離れるのが辛いとのことだった。私はにこやかな笑みを絶えず浮かべながら、彼女を優しく慰め、そして励ました。すると彼女はすっかり元気になり、彼女も笑みを浮かべながら、「そのにやけた顔が嫌い」と笑いながら述べた。顔そのものではなく、にやけた顔を嫌いと言われ、思わずこちらも笑った。そう言えば、先ほども別の女性友達と話しているときに同じようなことを言われたなと思って、また笑いが出た。
彼女が元気になったところで大きな家の中を散策していた。途中で、バルコニーにある大きなプールに入って海を眺めながら寛ごうかと思ったが、ちょうど夏が終わり、秋に入って来た頃だったので寒いかと思ってやめた。2階に上がり、ベランダに出ると、そこで夕涼みしながら寝転がって本を読んでいる女性友達がいた。彼女は私に気づくと、その場所を私に譲ってくれた。しかしその周りには彼女ではない誰かが食べ捨てたみかんの皮が2つほど落ちていて、さらにはコンビニ弁当のゴミも落ちてあった。一体誰が捨てっぱなしにしたのやらと思いながら、私はそれらのゴミをゴミ袋に入れ始めた。ゴミをかき集めて1階に行こうとすると、ゴミ掃除をしている自分を褒めてくれる友人が数名いた。別に当たり前のことをしたまでだと思ったが、褒められるとやはり気分は良いもので、だったらもうちょっとゴミ拾いをするかなと思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/12/2(土)04:36
11484. 説明の原理
重要なことは全てを説明し切ることではないこと。そもそも説明の本質を考えると、全てを説明することなどできないのだ。万物の本質及び現象の本質とそれらに付帯する無限の性質を考えると、全てを説明することなど原理的に不可能なのだ。それはサイケデリック体験にも当てはまる。説明の原理とは、ある対象を説明する際には必ずそれでないものを引っ張って来て説明しないといけないということである。机について説明する際には、机の色や形という机の本質の外側から話をするかもしれないし、机に付帯する思い出について語り始めるかもしれないし、机の周りの環境や誰が作ったのかなどの話しから始めるかもしれない。しかしそれら全て目の前の机そのものを説明したことにはならないのである。だがそれはまた説明として成立しているのだ。説明とは事物そのものについて話すことではなく、事物の周りを説明しながら事物を浮かび上がらせる行為なのではないだろうか。だから哲学者のバーナード·カストラップも述べているように、“talk about”ではなく”talk around”なのだ。とりわけサイケデリック体験は“talk about”は難しく、"talk around”になるが、それはそこでの体験が超言語的だからである。昨日の体験で言えばそれは宇宙的でもあるのだ。宇宙について説明し切ることなどできるだろうか。無限に広く、絶えず生成を続ける宇宙について説明し切ることなどできるだろうか。それは言わずもがなである。ゆえに説明とは説明し切ることを目的にするのではなく、対象を浮かび上がらせて提示することなのではないかと思う。それなら説明は成り立つ。そしてそれらな何に対しても説明ができる。
時刻は午前5時を迎えた。今の気温はマイナス2度である。部屋の気温がいよいよ18.5度まで下がってしまったので、その温度では栽培中のシロシビン·マッシュルームの発育に良くないので、暖房の設定温度を引き上げた。21度に設定していても部屋の気温が下がりっぱなしだったので、23度に設定したところ、暖房のより稼働してくれることになった。暖房には申し訳ないが、頑張って働いてもらおうと思う。
フローニンゲンはめっきり冬らしくなったが、冬に入ったおかげでぐずついた雨の日が格段に減った。昨日は本当に素晴らしい天気であったし、今日もまた天気に恵まれるようだ。ここからの1週間は火曜日に雨と雪マークが付いているだけで、その他はずっと曇りのち晴れである。天気が良くなって来てくれたことを喜びながら、日々自分の取り組みを前に進めていこう。今日は午前中にゼミナールの第57回のクラスがあり、今日からまた書籍を取り上げてクラスを進めていく。今日から扱うのは様々なサイケデリクスを取り上げた網羅的な書籍である。この書籍を通じて、多様なサイケデリクスについて包括的な知識をつけていくことを狙いにしている。今日のクラスでもどのようなやり取りがなされるか非常に楽しみである。フローニンゲン:2023/12/2(土)05:12
11485. 一夜明けて第20回のシロシビン・セッションを振り返って
昨日はシロシビン·セッションを受けて随分と日記を書き留めていた。そもそも午前10時半から準備を始めたセッションの前に10個ほどの日記を既に書いていて、セッションの振り返りについては11個の日記を執筆していた。合計で21個の日記を書いていたことになる。日記は本来1日1つ執筆するものなのかもしれないが、それでいくと21日間を昨日1日だけで生きたような感じである。少なくとも毎日複数個の日記を書いている自分は、常に毎日複数日を生きているのかもしれない。人生が宇宙の速度で加速し、宇宙の進行とピタリと完全に一致しているかのようだ。人間社会が想定する1日の時間感覚で自分は生きていない。自らの宇宙におけるカイロス時間でこれからも生きていく。
昨日のセッションを始める前にそう言えば、スタニスラフ·グロフの書籍のタイトルにあるように、「脳を超えて」いくことを意識していた。意識の生成機能ではなく、意識のフィルター機能としての脳を手放すことを昨日のセッション開始前にアンカリングしてみたところ、それは結果的に功を奏したようである。セッションを始めてすぐの段階から知覚されたサトルの世界における種々の内的ビジョンに囚われることなく通過していくと、そこからピーク体験に入るにつれて脳の機能がシフトし、デフォルトモードネットワークの解体を通じた脳の溶解現象が起こり、それが身体を宇宙に溶け込ませ、意識を宇宙に溶け込ませていった。とりわけ昨日は「英雄の服用量」と言われる乾燥させたマッシュルーム5グラムの2倍の10グラムを摂取したこともあり、知覚体験は過去19回のシロシビン·セッションにおいて最も深いものになった。2週間後のセッションにおいても英雄の服用量を上回る摂取量を試してみよと思う。シロシビンに対する耐性は2週間ほど続くと言われていて、ちょうど2週間後にセッションをしてみたときに、体験の深まり度合いに応じて、自分の中でどれだけシロシビンに対して耐性が構築されていたのかが分かるだろう。
その他に昨日のセッションを通じて振り返っておくべきことはあるだろうか。脳の機能の観点で言えば、ひょっとしたらIQ1000というのもあり得るかもしれないという直感があったことを覚えている。あるいは測定不能な知能指数の領域が垣間見れた瞬間があり、IQという限定的な知性領域ではなく、遍く知性領域で測定不能なほどに高度な知性を人間は潜在的に発揮することが可能であるということを自分の脳と意識を通じて体感していた。それ以外には、セッション中の言語を日本語から英語に変える瞬間があり、そこでまた英語脳の拡張発達がもたらされ、英語空間で構築されている全ての情報が自分の脳に流れ込んでくるようなインストール感があった。それを受けて、ではこの世界に存在する全ての叡智を脳に流し込んでみようとイメージすると、宇宙的情報がわっと自分の脳内に流れ込んでくる感覚があった。その感覚を受けて、今後の自分の英語脳の発達と英語力がさらにどのように深まっていくか、さらには叡智を授かった感覚がこれからの学びと実践にどのようにつながり、この宇宙に対してどのように発揮され、宇宙にどうやって貢献していくのかを観察したい。フローニンゲン:2023/12/2(土)05:41
11486. 神話とコンセンサスリアリティ/渦巻きのメタファーを通じた脳と意識の理解
今日のゼミナールの開始まであと2時間半となった。ここまでのところ、早朝の読書は順調に捗っている。日々の地道な読書は、シロシビン体験の咀嚼のためと、サイケデリック研究のためにある。読書というのもまたシロシビン·セッションと同じで直接体験をもたらしてくれる。書籍空間の中で開示されるリアリティに直接触れるという直接体験を読書は積ませてくれるのだ。そうした直接体験とサイケデリック体験はどこかでつながっている。
バーナード·カストラップの書籍で未読なものは残り2冊となり、今日は既に2冊初読を終えたので、残りの2冊は明日の楽しみに取っておこう。ここからは先日届けられたアレクサンダー·シュルジンの書籍をまず読み、MIT出版から出版されたサイケデリクスに関する論文集を読み進める。午後からは神話に関する書籍を再読していこうと思う。それは図鑑であり、図鑑を眺めながら、日本の神話の特性や構造に着目し、それが日本の現在のコンセンサスリアリティの形成にどのようにつながっているのかを把握するように試みてみる。カストラップが指摘するように、宗教的神話はリアルなのである。実証研究的にリアルなのとは違う形でリアルなのだ。神話は究極的なリアルの世界を指し示す形で存在しているが、それを解釈する私たち側が過ちを犯し、神話が指し示す究極的な真実とは異なる擬似真実を汲み取ってしまったり、究極的真実を歪め、希薄化させて都合の良い真実を形成してしまう。そうした形での紛い物の真実の集合体がコンセンサスリアリティである。それはある種幻想の塊であり、私たちの多くは言語的に構築された幻覚の世界の中を生きているということをありありと把握している人は少ない。言語的幻覚の世界の中で生きている人がサイケデリクスを幻覚剤と評して批判するのだから滑稽極まりない。コンセンサスリアリティからの脱却とそれそのもの変容において神話の理解は不可欠である。
脳と意識に関するカストラップの数々の秀逸なメタファーは、最先端の科学的発見からもたらされていることがわかり、自分もこれから脳や意識に関する最先端の科学論文を読む中で、絶えず脳と意識の関係性に関する新しいメタファーや意識そのものに関する新たなメタファーを創造していきたいと思う。メタファーは新しいゲシュタルトを作り、新しいパラダイムを作り、新たなリアリティを作る。また既存のそれらを脱構築する働きもしてくれる。コンセンサスリアリティの変容において、新たなメタファーの提示は決定的な役割を担う。
カストラップは水面の渦巻きを脳に見立て、水そのものを意識と見立てるメタファーを提示している。水の流れは意識の流れであり、意識の流れの中に窪みのように立ち現れる渦巻として脳があり、渦巻の下に広がるのは私たちの無意識である。そして水全体は究極的な意識であり、オルダス·ハクスリーの言葉で言えば、“mind-at-large”である。それは個別のマインドを超えて、分け隔てのない広大無辺な1つの意識である。私たちのマインドがシンクロするというのは、この巨大な究極意識という水の中で、渦巻同士が波紋を広げて互いに影響を与え合う現象を指す。メタファーはそれそのものを全て語ることはないが、それを十全に語ってくれる。フローニンゲン:2023/12/2(土)07:41
11487. 問うことと余白/昨日のシロシビン体験の素描
問うことは余白を作ること。問うことは意識空間内に余白を作り、そこに新たな知識が流れ込んであり、そこから新たなアイデアが生まれてくる。問うことは答えることではない。答える必要は全くなく、絶えず問い続ければいいのだ。さすれば、いつか最初の問いへの答えは、問いによって生まれた空間からもたらされているであろう。絶えず問うこと。絶えず問われ続ける存在であること。それを徹底させたい。
一面の雪景色。車庫の屋根だけではなく、地面にも雪がうっすらと積もっていて、それらの雪は当分溶けそうにない。ここからもマイナスの気温が続き、0度を越す時間帯は少ないからである。闇の時間が長く、辺りは黒一色の時間帯が多いが、そこから夜が明けてくると、今度は一転して真っ白な世界が広がる。もちろんレンガ作りの家の赤さや木の枝の茶色の感じなどが目の前に存在しているが、白と黒のコンテクストはどの時期よりも今が一番強い。サイケデリックの体験世界もまた両極には白と黒の世界があり、その間に無限のグラデーションを持った極彩色豊かな世界がある。昨日は創造宇宙の中にずっといて、そこでは色鮮やかというよりも白とも黒ともつかない色なき形象が無造作に蠢いていたように思う。おそらくあれは万物の根源としてのアーキタイプなのかもしれない。であればそれらを知覚していたのはコーザル意識の状態だと推論できる。その状態を通過してさらに意識が深まると、もはや無形の世界に入り、そこから形なき洞察や直観が淀みなく自分の意識空間内に流入し始めた。自分という存在は、そうした淀みなく流れてくる宇宙的情報を受け止める器だった。その通り道だったし、そのパイプであった。そこから今度は、自己そのものが宇宙に溶け込んでいき、自分の意識は宇宙意識と合一し、自己意識は消失して宇宙意識そのものとなった。その時間がしばらく続いた後に再び前の意識状態に戻り、そこでの意識状態を長く過ごしていたというのが昨日の体験の素描になると改めて思った。今日もまた時間をかけて昨日の体験についてあれこれと考えを巡らせていこう。フローニンゲン:2023/12/2(土)09:21
11488. 第21回のシロシビン·セッションに向けて
時刻は間も無く午後4時を迎えようとしている。少しずつ辺りが暗くなり始め、再び冷たい闇夜がやって来る。
昨日の第20回のシロシビン·セッションを終えて、次回の第21回はまた同じ分量のシロシビン·マッシュルームを摂取しようと思う。次回のセッションは今から2週間空けての実施となり、それを通じて自分のシロシビンへの耐性の度合いを確認することができるだろう。それに加えて、冷蔵庫で空き瓶に入れた乾燥マッシュルームがどれだけうまくシロシビンとシロシンが維持された形で保存されたのかを確認するもできる。また次回の摂取の仕方としては、カカオではなく味噌と和えてみようと思う。まずは今回のようにできるだけ細かくマッシュルームを包丁で刻んで、小カップに八丁味噌をお湯で溶かし、そこにマッシュルームを入れる。それはシロシビン·マッシュルームと味噌のシンプルな味噌汁である。単に味だけを確認するのではなく、味噌と一緒に摂取してもシロシビンとシロシンの効果が維持されるのかの確認も行いたい。
今日はこれから本日のゼミナールを再度振り返って音声ファイルを作成したいと思う。その時に、今日の午前中までに探究していた事柄についても何かシェアできたらと思う。サイケデリクスについての探究を行う「サイケデリック·クエスト」とでも表現できるような探究の旅に加わってくる人たちが身近に少しずつ増えていることを嬉しく思う。日本にも潜在的にはサイケデリクスに関心を持っている人は結構いるのだが、やはりそれが社会的なスティグマによってタブーとなっているゆえに誰かと語る場がないのだと思われる。少なくとも自分のゼミはそうした社会的なタブーについて安心に語れる場であり続けたいし、タブーの解消に向けた学びと実践をする場でもあり続けたい。昨日にシロシビン·セッションがあったことを踏まえて、音声ファイルの作成後は少しゆっくりして、夕食の準備を始めて今夜もまた早めに就寝したいと思う。 フローニンゲン:2023/12/2(土)16:06
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