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11346-11352: フローニンゲンからの便り 2023年11月18日(土)



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タイトル一覧

11346. 今朝方の夢

11347. 今朝方の夢の続き

11348. ニーチェとサイケデリクス

11349. 倫理学とサイケデリクス

11350. コスミックジョーク及び宇宙遊戯として生きること/シロシビンが性格に与える研究調査/現象学と科学哲学

11351. 第55回のゼミナールのクラスを振り返って

11352. 「私たち空間」の保護と涵養に向けて/常に今この瞬間にあり続ける非二元


11346. 今朝方の夢


時刻は午前5時を迎えた。今の気温は3度と低く、辺りは真っ暗で何も見えないが、少し霧がかかっているらしい。今日は昼過ぎから雨が降るようで、明日は一日中小雨が降るそうだ。

天気についていつものように書き留めておくのと同じく、今朝方の夢についてもいつものように書き留めておきたい。夢の中で私は、見知らぬ大きな遊園地にいた。場所の雰囲気からしてそこは日本かと思う。実際に、遊園地の客の大半は日本人だった。遊園地のトイレで私は何かを口から吐き出そうとしていた。別に気持ち悪かったわけではないのだが、何かが身体の内側から外に出ようとしていたのである。遊園地のトイレはとても綺麗で、高級ホテルのそれを彷彿させるような内装だった。トイレの洗面台の前でしばらく前屈みになって口からしかるべきものを吐き出そうとしていると、口から緑色の粘土のようなものが出てきた。私は特に驚く様子もなくそれを吐き続けた。どうやら腸に溜まっていたこれまでの食べ物の残りかすと何か得体の知れないものが混ざって緑色のそれを生み出していたようだった。粘土状のそれをゆっくりと口から吐き出すと、随分とすっきりした。身体から邪魔ものが出ていったかのようで、身体はこれまでにないほどの軽さと快適さを得た。すると、トイレから前職時代の同じ大学を卒業した上司の男性が出てきて、目が合ったが挨拶もそこそこにその方はトイレの外に出ていってしまった。

自分もトイレの外に出ると、そこで小中高時代の友人(NS)と出会い、遊園地内のバス停の前の椅子にでも腰掛けて少し話をしようということになった。するとその友人と話をしようと思ったところでさらに小中学校時代の別の友人(RK)と出会い、自分はちょうど飲み物が欲しかったので、近くのコンビニに行くついでに、彼の要望も聞いて彼が欲しいものを買ってこようと思った。すると彼は、「フラクフルフラクルべ」が欲しいと述べた。私の脳裏には一瞬「?」が浮かんだ。そのような飲み物か食べ物は聞いたことがなかったのである。彼曰く、コンビニの店員さんに尋ねたらそれを出してくれるとのことだったのでコンビニに向かった。コンビニに向かう最中には私は何度か「フラクフルフラクルべ」と唱え、名前を忘れないようにした。

コンビニに到着して、自分は水でも購入しようと思って水売り場をうろうろしていると、若い気さくな店員の男性に声を掛けられたので、私はすかさず「友人にフラクフルフラクルべというものを頼まれたんですけど」と述べると、店員の男性は笑顔で「フラクフルフラクルべですね、こちらです」と述べた。店員の男性の後をついていくと、レジの向こう側に置かれている冷蔵庫から一本のペットボトルの水が取り出された。どうやらそれが「フラクフルフラクルべ」なるものらしかった。ペットボトルの飲み口はストロー型になっていてお洒落で、どうやらそれは普通のミネラルウォーターにはない成分が含まれているらしかった。それにはGABAなどが豊富に含まれているようだった。自分は普通のミネラルウォーターを購入しようとすると、小中学校時代の親友(YU)と出会い、彼もミネラルウォーターを購入しようとしていた。驚いたことに、ペットボトルではなく、グラスの貸し出しをしていて、そこにミネラルウォーターを注ぐ形になっていた。「日本も随分とエコになったな」と思ったところで、ここからエコビジネスを含め、日本の経済が数年かけて盛り返すかもしれないと思い、日本株に投資でもしようかなと彼と話していた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/11/18(土)05:30


11347. 今朝方の夢の続き


時刻は午前5時半を迎え、自動で暖房が入り始めた。今朝方起床して2階に上がってキッチンに置かれているシロシビン·マッシュルームの栽培キットを眺めたときに、地中からまだマッシュルームの頭は出ていなかった。毎朝、そして夜も気になって確認する自分がいる。栽培キットを開封して丸7日が過ぎた。説明書によると、10日から20日ほどで最初の頭が地中から出てくるそうなので、もう少し辛抱強く待ちたいと思う。これが待つことなのかもしれない。おそらくすでに地中では生命が誕生しているのだろうが、それがこの世界に目に見える形で現れるまでには時差があるようなのだ。すでに誕生しているものを待つこと。見えないところで誕生したものが世界に顕現するのを待つこと。その大切さを改めて学ばせてもらっているような気がする。

先ほど夢の振り返りをしたのだが、夢にはまだ続きがあったのでそれについても書き留めておきたい。舞台は引き続き遊園地である。遊園地で友人のために特殊なミネラルウォーターの「フラクフルフラクルべ」なるものを購入し、私は友人にそれを無事に渡した。彼はそれをとても喜んでいて、そのお代を渡してくれた。300mlほどのペットボトルなのだが500円ぐらいの値段がしていて、コンビニに置かれている飲み物としてはなかなか高級路線の品だと思った。時刻はちょうど昼時だったので、これから何か食べようということになった。すると、目の前にいた友人はもうどこかに消えていて、その代わりに小中高時代の2人の友人(TK & AF)が目の前にいた。彼らと近くの日本料理屋に行くことにした。それにしてもこの遊園地には日本料理屋あり、洋風の様々なレストランがありですごいなと思った。食べ物を食べる場所には困らなかったのである。

無事に日本料理屋に到着すると、かなりの混み具合であったが、3人席があったのでそこに案内された。すると2人の友人がここでは前菜だけを注文してテイクアウトし、メインの料理は別のところで食べ始めると言い出したのである。私はその料理屋じゃないと嫌だというわけではなかったが、少し面倒だなと思った。席を確保した後に、料理が並ぶ場所に行ってみると、調理をしていた中年の元気の良い女性に話し掛けられ、少し会話をした。周りで調理をしている人たちも雰囲気が明るく、この人たちが作る料理には愛情が含まれていてきっと美味しいはずだと思った。なので私は、2人には前菜だけテイクアウトしてもらい、私はその日本料理屋に残って1人で昼食を食べようと思った。実際に作られている料理を見ると、品数も豊富でどれも凄く美味しそうに見えた。自分はそこで残って昼食を食べることを店員の会計係の女性に伝えると、笑みを浮かべ、「ありがとうございます」とお礼を述べた。むしろ美味しい料理を食べさせてもらえるのでこちらがお礼を述べたいと思い、「こちらこそありがとうございます」と述べたところで夢から覚めた。フローニンゲン:2023/11/18(土)05:46


11348. ニーチェとサイケデリクス


昨日は日本思想の観点からサイケデリクス体験を紐解いていく方向性を見出した。とりわけサイケデリクスが引き起こす各種の内的体験や意識の高次元現象に対して日本思想の枠組みを適用していく。そのようなことを考えながら、サイケデリック哲学者のピーター·ショステッドのポッドキャストを聞いていたところ、そこで話されている話が面白く、色々と考察の刺激になっている。そもそもショステッドは汎心主義(panpsychism)の立場を取り、ニーチェ 、ベルグソン、ホワイトヘッドの思想にとりわけ影響を受けている。そんな彼が何気なく、「サイケデリクスとニーチェを合わせて摂取せよ」と述べていたことがとても印象的だった。それはサイケデリクスを摂取する前後でニーチェの書籍を読めという意味であり、ニーチェ自身がサイコアクティブな物質を実に様々試していたことからも、彼の思想を深く理解する意味でもサイケデリクスの摂取を推奨する考え方をショステッドは採用している。ニーチェ自身もまたサイコアクティブな物質を摂取することを通じて過去の偉大な哲学者たちの仕事を辿り、思索を深めていたのである。彼の先生にあたるショーペンハウアーもまたサイコアテクティブな物質を活用していたことでも知られている。こうしたことは哲学者だけに見られるものではなく、精神分析学の開祖であるフロイトはニコチン愛用者であったし、コカイン常用者でもあった。現代精神薬理学の観点からするとフロイトが摂取していたものは推奨できるものではないが、いずれにせよ人間や心、そしてリアリティを深く理解しようと試みた学者たちの多くがサイコアクティブな物質を活用していたという事実を忘れてはならない。

そのようなことを考えながら、ニーチェの超人思想はトランスヒューマニズムに多大な影響を与えているし、力に関するニーチェの考察は今の自分の関心事項と合致するため、どこかでニーチェの思想を体系的に学んでみたいと思う。仮に来年にアメリカで生活を始めることが決定したら、今のところ欧州での最後の旅行として計画しているスイスのアスコナの旅と合わせて、アスコナから近いシルス·マリアを訪れて、ニーチェ記念館に足を運びたいと思う。引き続きサイケデリクスを中心として様々な哲学者の思想に触れ、自分なりのサイケデリック哲学思想の構築に向けて日々研鑽していこう。フローニンゲン:2023/11/18(土)06:25


11349. 倫理学とサイケデリクス


時刻は間も無く午前7時を迎えるところだが、まだまだ闇は深く、辺りは真っ暗である。小鳥たちの鳴き声も一切聞こえてこず、ここ最近の朝の友は暖房の音だけである。その音だけが自分を取り巻く世界の中にある。いや、書斎の机を眺めれば、そこにはサイケデリック研究に必要な学術書が積み重ねられていて、彼らもまた自分の最愛の友である。

昨日は、日本思想とサイケデリクス関係の生粋の学術書で新たに出版されたものを合計で8冊ほど購入した。今のところは年内に購入する予定のある書籍はなく、新年明けたら以前からチェックしていた書籍が無事に刊行されたかを見て、それらの書籍を購入したい。ウィルバーの最新刊も楽しみであり、サイケデリクスの生粋の学術書の最新刊も楽しみである。これからは一般向けに書かれたサイケデリクスの書籍を購入することは控える。300冊ほどの関連書を読むことを通じて、もはや一般書で書かれている情報には満足できず、その道の第一線級の研究者が研究活動の末に発見した貴重な洞察や考察が記された専門家向けの学術書に絞って購入をする。

今朝は午前5時前に起床したのだが、昨日は午前3時半に起床していた。早めの就寝をいつも心がけていて、午前3時以降であれば目が覚めた瞬間から起床して朝の活動に励んでいこう。さすがに午前3時前に目覚めた場合には睡眠時間が短いように思えるので二度寝をすると思うが。午後9時半を目処に就寝をすれば、朝3時半に起床してもずっと集中力の高いまま午前中の研究に従事できることが昨日わかった。特に午前中の段階で仮眠が必要になることもなく、継続して集中力を維持して読書に取り掛かれることが判明したので、今後も午後9時半に就寝できれば、午前3時半に目が覚めたらその段階で起床して朝の活動に取り掛かろうと思う。

今朝方、哲学分野の中でも改めて倫理学に注目した。倫理学はずっと自分の中の関心分野としてあった。これまでは人間発達の観点で関心があったが、今はサイケデリクスの観点で関心がある。倫理学の中でもとりわけ応用倫理学の思考の枠組みや概念をサイケデリクスに適用していくことは非常に有益なのではないかと思う。特にサイケデリクスを活用したサイコセラピーについてや、今後成長支援型のコーチングにも活用されるかもしれず、その時にサイケデリクスの活用に伴う倫理は重要になる。またそもそもサイケデリクスを誰にどのようにアクセスさせるかについても応用倫理学の範疇のテーマであり、それを一部の人間だけに限って使用させるのか、それとも広く門戸を開くのかなどの現実的なテーマについて応用倫理学は思考の枠組みを提供してくれる。これと関連して、法規制の枠組みを考えていく際にも応用倫理学の知識や考え方は重要になる。これまではメタ倫理学を学び、倫理とは何かについてその本質を考えることが多かったが、ここからは応用倫理学の思考フレームを獲得することを意識して関連書を読み進めていこうと思う。 サイケデリック研究を通じて、一段と学術研究の幅が広がり、参照分野が拡大したことを実感する。フローニンゲン:2023/11/18(土)07:01


11350. コスミックジョーク及び宇宙遊戯として生きること/

シロシビンが性格に与える研究調査/現象学と科学哲学


コスミックジョークとして生きること、宇宙遊戯として生きること。宇宙は常に冗談を述べ、リラ(遊び)を楽しみながらその瞬間瞬間を振る舞っている。自分もまたそんな宇宙と存在を完全に一にさせ、冗談として遊戯として生きる。自分の存在は冗談なのであり、遊びなのである。

かつてジョンズ·ホプキンス大学のシロシビン研究で、神秘体験に関するものではなく、シロシビンが性格に与える影響についての研究があった。5つの性格領域に注目し、シロシビンの摂取前後でどのような変化を示すかを調査したものなのだが、仮説の通り、オープンさが増したという結果が出ていたことを思い出す。しかもそれは一時的なものではなく、1年後の継続調査でも引き続きオープンさが高いままだったそうだ。第19回のシロシビン·セッションからちょうど1週間が経ったが、確かに自分のオープンさは増しているように思える。さらには、この8年間の中でここまで19回ほどシロシビン·トリュフを定期的に摂取してきたことが、今の自分の存在のオープンさを涵養してくれたのだと感じる。ここからさらにシロシビン·セッションを継続させていくと、自らのオープンさはどのように変化するだろうか。それは宇宙と完全に一になるところまでオープンになるだろうか。少なくとも他者や世界に対してより開かれた自己が育まれてほしいと願う。

サイケデリック哲学を探究していくにあたって、いくつも重要な哲学分野があるが、少なくとも現象学、形而上学、倫理学、そして科学哲学が挙げられるかと思う。手持ちの書籍を見たときに、現象学と科学哲学の最新の知見が含まれた網羅的な学術書が欠けているように思えたので、昨日に書籍を注文して今朝方に年内はもう書籍を購入する予定はないと書き留めていたばかりだが、追加で書籍を購入しよう。特にオックスフォード大学出版かケンブリッジ大学出版からそれらの分野に関する書籍が出ていればそれを購入し、なければルートリッジ出版などにも目を向けて調べてみよう。現象学については言うまでもなく、サイケデリック体験を紐解く上で非常に有益な枠組みを提供してくれる。そもそもサイケデリック体験はウィルバーの8つのゾーンでいうところのゾーン1の現象であり、そこを主戦場にしているのが現象学なのだ。科学哲学への関心は、現在のサイケデリック·ルネサンスが幾分科学主義的な傾倒をしていることへの危惧と、ここからサイケデリック科学がより良く進歩していくための方向性を提示する仕事をしていきたいと思ったときに必須であるという考え方から生まれた。今から書籍の調査をしてみて、今夜にまた厳選した書籍を購入しよう。(追記)書斎の本棚を眺めると、現代現象学についてはすでに "The Oxford Handbook of Contemporary Phenomenology"というオックスフォード大学出版から出版された網羅的な書籍があったので購入する必要はなかった。フローニンゲン:2023/11/18(土)07:44


11351. 第55回のゼミナールのクラスを振り返って


ーー教育とはその人の内側の探究心に火を付けることであって、内側を情報で満たすことではないーーソクラテス


天気予報の通り、昼過ぎ頃からシトシトとした雨が降り始めた。気温も低く、雨の滴る冷たい世界を眺めている。

今日の午前中には第55回のゼミナールのクラスがあった。前回と同様に、今日のクラスもこじんまりとしていて、そのおかげで活発な対話がそこで実現された。クラスの中で取り上げられたミネルバ大学のように、自分のゼミナールのクラスのサイズも小さく、それゆえに密なやり取りがお互いにできることが嬉しい。今日のクラスでは、学びや実践に伴う在り方の話が前半の中心となり、受講生の話を聞く中で随分とハッとすることがあった。後半のクラスにおいては、対話とフィードバックの話、さらには学びや実践における環境の重要さについての話題となり、それらもまた今の自分にとっても非常に重要な内容だった。

来年仮にアメリカに行くことになれば、それは自分にとって大きな環境変化であり、幸いにも今自分が行こうとしている場所は刺激と変化の多様性で満ちている。そうした場での学びと実践に全身全霊で打ち込みたいという思いが日増しに強くなる。そこでの日々は今の日々を凌駕するぐらいの楽しさと喜びで溢れているだろう。その実現に向けて着実に毎日前進していくのみである。

55回目を迎えたゼミナールは、知識やノウハウを獲得する場でもありながら、それを超えてお互いの器をその場に提示する形でのOSの切磋琢磨が実現されていることにはたと気づかされた。まさにソクラテスが述べているように、そこには教育の本質が体現されているように思われたのだ。これは自分だけの力では実現されず、常に学ぶことに意欲的でオープンな受講生の方々のおかげだと思う。そこでは当然ながら知識の共有がなされるが、それを超えて、お互いの探究心に火を付けるような現象が見られる。探究心の炎をさらに大きなものにする場としてのゼミナールをこれからも細々と運営していく。

午前中に述べていたように、昨日の書籍の購入では足らず、追加で4冊ほど今夜に注文することにした。汎心主義に関する論文集、社会科学の哲学に関する論文集、科学哲学に関する論文集、そしてオックスフォード大学出版から出版されたばかりの“Psychedelic Experience: Revealing the Mind”という書籍を少なくとも購入する。ここから年末にかけてはこれまで読んできた書籍を一気に再読·精読していくフェーズとし、このフェーズを経て自分の知識体系は1つ、あるいは2つ上の次元に昇華されるであろう。フローニンゲン:2023/11/18(土)14:34


11352. 「私たち空間」の保護と涵養に向けて/常に今この瞬間にあり続ける非二元


「私たち空間」というのは、共有の価値や意味を司る空間であって、それは対話と共感を通じてでしかアクセスできないし、醸成ができないものである。現代においてはそもそもが共有される価値や意味の地盤沈下が生じてしまっているし、共感能力の低下と表面的な対話の技術がもてはやされる時代である。こうした時代に対してサイケデリクスが果たす役割が何かを考えている。おそらくはサイケデリクスそのものではなく、それを通じたプラスアルファの実践が必要なのであり、それを絶えず意識した取り組みをデザインし、社会実装させていきたいと思う。さもなくば早晩「私たち空間」が私たちの社会から消失しかねない。このフラットランド化された社会の中でサイケデリクスとそれに関連した実践が果たす役割については深く考えていかなければならない。

非二元というのは実は段階でも状態でもなく、常に今この瞬間にあるものなのだ。それはあることを超え、ないことを超えた形で絶えず「現在」し続けている。常にあり続けている非二元に参入する機会、及びそれに触れてそれと一致した形で生きる時間が増えてきているように思う。覚醒の意識状態において、ふとそのことに思いを馳せるとそれに触れられるような感覚だ。逆に言えば、それを意識しないと自分は非二元から切り離された状態にあるわけだが、覚醒意識がそもそも自我が生きる場であるからそれは無理のないことなのかもしれない。だがこうして意識を少しシフトさせるだけで自我がまるで一時的に消失し、非二元と一致した自己が現在することは大変興味深い。これもまたシロシビン·セッションの継続ゆえなのだろうか。それについても研究をしてみたい。

HDSの出願に関して、19あるうちの専攻の中から自分は「宗教と社会科学」という専攻を選んだ。それはサイケデリック研究を社会科学の観点から行いたいという思いと同時に、現在のサイケデリック研究において社会科学の分野からの貢献が弱いという問題意識が理由としてあった。自分がこれまで専門としてきた発達心理学や発達科学はまさに社会科学の領域である。特に成人発達理論の枠組みをサイケデリック研究に適用することは自分のこれからのキャリアにおける初期の研究テーマになるだろう。とりわけ、どの自我の発達段階でサイケデリクスを使用し、どの段階からサイケデリック体験を解釈しているのかの見取り図を提示するような研究には速やかに着手したい。今それに向けて着実に準備を進めている。フローニンゲン:2023/11/18(土)16:09

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