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11337-11345: フローニンゲンからの便り 2023年11月17日(金)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

11337. 今朝方の夢

11338. “Psychedelic Japanese Philosophy”と“Psychedelic Japanese Mysticism”の閃き

11339. オンラインアプリケーションの必要情報の入力に向けて

11340. 西田幾多郎、鈴木大拙、井筒俊彦とサイケデリック哲学

11341. 東西の思想とサイケデリクスの密接な繋がり

11342. トランスヒューマニズム研究とサイケデリック研究の出会いに驚いて

11343. 自らの存在に宿るカミの知覚/リアリティ中心的な自己実現を果たした人

11344. サイケデリック体験から考えさせられる意識とリアリティについて

11345. ハーバード神学大学院のオンラインアプリケーションの入力を終えて/シロシビン·マッシュルームへの愛


11337. 今朝方の夢


時刻は午前3時半を過ぎたところである。今日はいつもより少し早く起床した。実際にはここ数日間は午前3時半前に1度目を覚ましていたのだが、そこから2度寝をすることが多かった。しかし最初に目覚めた時にスッキリとした目覚めの感じがあったので、今日はそのまま起床することにしてみた。

今の気温は2度と低い。スマホ上の気温では外気はマイナス1度を指している。ウェブ上での天気予報とスマホ上での天気予報のどちらが正しい気温を指しているのか不明だが、それくらいの寒さだ。午前10時まで基本的には気温はほぼこの調子のようだ。

今朝方はいくつかの断片的な夢を見ていた。まず覚えているのは、父と一緒に近くの山までドライブに出掛けたことである。父の運転する車に乗って、山間の川を架ける橋からの景色を眺めに行った。無事に目的地に到着する頃に、父が助手席に座る私の前の荷物入れを指差して、そこに飲み物があると述べた。開けてみると、缶コーヒーが2本入っていて、各自それを持って橋からの眺めを楽しむことにした。そんな場面があった。

次に覚えているのは、実際に通っていた中学校の教室で数学の小テストを受けていた場面である。いつもは速やかに小テストの問題を解き終えるのだが、その日の問題は別にてこずっていたわけではないが提出が遅れた。遅くなって教壇に持っていくと、そこに先生の手帳が開かれていて、メモ用紙がわりの紙切れが乱雑に手帳に収められていた。それを見て苦笑いし、「先生の手帳はなかなかに···」と述べたところで突然先生が、「人の手帳を見ないでよね」と慌てて述べた。別に私は手帳を見る気もなかったので、「見てませんよ」と伝えた。小テストを提出して自分の席に戻ると、小中高時代の親友(SI)が近くにいたドイツ人の生徒2人と英語で何か話していた。彼は自分のことを「スマートな生徒」と述べていたのに思わず笑ってしまい、私は2人のドイツ人の生徒にひっそりと、「彼はスマートでもなんでもなく、実は英語は全く話せないので試してみて」と笑いながら述べた。するとドイツ人の2人の生徒はニヤリと笑みを浮かべ、ドイツ語で打ち合わせらしきものをした後に親友の彼に声を掛けた。そこからの展開が楽しみだったが、前後に座っていた女子が私を経由して何かを渡してきた。見ると、ノートの紙切れで、2人は秘密のやり取りをしているようだった。私は中身を見たい思いに駆られながらも、それをすると2人は怒るであろうと思ったので、中身を見ることなく前後の2人のやり取りを取り持った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/11/17(金)03:57


11338. “Psychedelic Japanese Philosophy”と“Psychedelic Japanese Mysticism”の閃き


時刻は午前4時を迎えたところである。辺りはまだまだ闇一色で、同時に気温も低い。暖房の頑張りには感謝である。シロシビン·マッシュルームの栽培キットを開けて7日目を迎えたが、まだマッシュルームの頭は見えない。説明書きには10日から20日ほどで頭が見えてくるとのことで、結構幅があるのだなと思うのと同時に、頭が出るまでに意外と時間がかかることにも気づく。ただし、頭が出てからの発育は相当に早いようなのでそれを覚悟しておこう。頭が出てきた喜びに浸るのも束の間であり、おそらくすぐに収穫の時期がやってきて、いったんマッシュルームを乾燥させる日がすぐにやってくるだろうか。それに向けた準備をしておきたい。

昨日、今後のサイケデリクスの研究を哲学的に進めるに際しては、“Psychedelic Japanese Philosophy”と称するような形で研究をまず進めていく方向性を昨夜閃いた。先日に鈴木大拙や西田幾多郎の英文書籍を購入している際に、“Japanese Philosophy”とタイトルに付された分厚い学術書を見つけており、その購入を迷ったが、今の自分の関心の範囲を超える思想家がたくさん列挙されていたのと、思想的に自分が関心があるのはやはり心や意識に関するものなので、それ以外の思想がたくさん掲載されたその書籍を購入するのは踏みとどまった。しかしもう一度“Japanese Philosophy”に関する書籍を吟味してみて、何か面白そうなものがあれば1冊は手元に置いておいても良いように思える。日本の思想とサイケデリクス哲学を絡めて研究を進めていくことは自分にできるユニークな貢献の1つかとお思う。

それと同じような発想で、“Psychedelic Japanese Mysticism”という言葉も昨夜閃いていた。こちらはサイケデリック神学に関するもので、日本の神秘主義、とりわけ神道思想にある神秘主義的な考え方を用いてサイケデリック体験を紐解いていく方向性を見出している自分がいた。神道の神秘主義思想の代表的な人物として川面凡児を挙げることができ、彼の思想を体系立てて深く学んでいきたい。とりわけ彼の魂の発達論は他の宗教にはないユニークな説明を展開しているため注目に値するし、それを諸外国に共有することにも意味はあるだろう。そこでふと思ったのが、自分のここからの学術研究の在り方がこれまでの輸入型から輸出型へ移行し始めているということだった。もちろん現状、サイケデリック研究の全ての文献が英語のものなので、英語で学んだことを日本に紹介する自分はこれからも行い続けるだろうが、実際に研究する立場においては、日本の思想や神道の思想を活用し、日本にあるものをある種輸出する形で世界に伝えようとしている自分がいることに気づいたのである。これは自分の中では大きな変化であり、その実現に向けて、とりわけ心の哲学に関する日本思想を深く学んでいき、サイケデリクス体験に紐づく神秘主義思想に関する神道思想を深く学んでいくところから着手したい。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/11/17(金)04:11


11339. オンラインアプリケーションの必要情報の入力に向けて


昨日の充実したジムでのトレーニングを終えて一夜が明けた。昨日のトレーニングではなく、月曜日のパーソナルトレーニングの日に行った腹筋のメニューがなかなかハードなものであり、その時に生じた筋破壊現象がまだ継続している。先ほど行った朝の日課としての呼吸法とアニマルフローの実践の中に、昨夜言及したように広背筋を鍛えるトレーニングを組み入れた。それはヨガでいうところのバッタのポーズで、そのポーズを30秒ぐらい静止することを2セット行った。朝は別に筋力を鍛えることを意識しておらず、むしろ身体を目覚めさせることと身体の主要な筋肉に刺激を加えることを目的としている。その意味で言えば、広背筋を刺激するそのポーズはなかなか良いと思う。今自分が好む動きのフローが構築されていて、その中にうまくそのポーズを組み込むことができた。今後も他のポーズを加えたり、身体の要求に応じて動きの出し入れを行なっていきたいと思う。当面は今のフローを毎朝楽しみながら行う。

さて本日は、ハーバード神学大学院(HDS)の出願に向けて、オンライン上でのアプリケーション情報の入力を完成させてしまおうと思う。すでにIELTSとGREの試験結果は郵送しており、アドミッションからそれらの試験結果を無事に受け取ったという連絡を受けている。また、現在HDSのポールにレビューをしてもらっている志望動機書(SOP)も納得のいくものが書けた感じがある。SOPに付随して提出するライティングサンプルも、自らのサイケデリック研究の思いを伝えるために、過去に出版した査読付き論文ではなく、HDSで行いたいサイケデリック研究の案を一から書き上げた。そのドラフトについてもすでにポールに一度見てもらっていて、彼からのフィードバックを受けて全面的に書き直しをし、再びドラフトを作成した。そのドラフトについても現状納得のいく内容になっている。2回目のドラフトについてはもうポールに見てもらうことを考えていないので、自分でレビューをし、わかりにくい表現があるところは改め、より精密にアカデミックライティングを体現した文章に仕立て上げていきたいと思う。オンライン上でのアプリケーションの必要情報を入力していく作業は今日の午後に時間を取って行うつもりだ。朝の時間はやはり集中力高く、読書にうってつけのため、朝の時間はサイケデリック研究の読書に充てていく。今朝方は早く起床したこともあり、午前中の読書だけで十分な探究が行えるはずである。午後を迎え、オンラインアプリケーションの必要項目を全て記入したら、ゼミの受講生の中には何人か海外大学院への留学を志しておられる方がいるので、その方たちのためにもオンラインアプリケーションがどのようなものをかを見てもらう意味でも動画を作成したいと思う。もちろん大学によってアプリケーションに必要な情報の提出方法は違うだろうが、枠組みが大きく変わることはないと思われるので、その動画を作って共有したい。フローニンゲン:2023/11/17(金)04:58


11340. 西田幾多郎、鈴木大拙、井筒俊彦とサイケデリック哲学


昨夜降りかかってきた閃きから未だ離れられない自分がいる。それは「日本思想」に注目する形でサイケデリック哲学を探究していくというものである。実はサイケデリック哲学というのは扱うものが多岐にわたり、それはサイケデリック体験に関する主観領域のテーマ、例えば心の哲学や現象学や形而上学を扱うだけではなく、サイケデリック科学そのものを方向付けていくディスコースを構築していくような役割について言及することや、サイケデリクスを取り巻く文化現象について論じること、さらには規制の枠組みの思想的骨格を構築していくことなどに及ぶ。サイケデリクスに関する全てのことについての思想に考察をしていき、それをサイケデリクスの有意義な形での社会実装につなげていきたいという強い思いがあるので、サイケデリクスに関することであれば全て取り上げる形で哲学の仕事に従事したい。哲学の仕事の具体的な形としては論文を執筆するだけではなく、サイケデリックの科学研究をさらにより良いものにしていくための実践や、文化を作り上げていく実践、そして規制改革に従事するという実践がある。とりわけ後者3つの実践は大切にしたいものなのだが、学者の本分ともいうべき論文執筆に関して言えば、心の哲学、現象学、形而上学、さらには倫理学などを自分は主テーマにして扱っていくのではないかと思う。その時に日本思想を媒介させたいという思いが昨夜芽生えてきたのである。

日本思想を媒介させるにあたっては、先日書籍の一括購入の際にであった日本思想の学術書を見ると、サイケデリクスとつなげることが難しそうな思想家や思想内容が多く記載されていた印象がある。また、先日ボストンを訪れた際に立ち寄ったSeven Starsという書店でも日本思想に関する学術書が置かれていて、それを読んだ時に、日本を代表する思想家は古代まで遡ればかなりの数存在し、それらの思想家全てと思想内容全てを追いかけるのは難しそうだと思った。そこで改めて、今机の上に置いている思想家に注目しようと思ったのである。ある3人の日本を代表する思想家の英文書籍が机の上に置かれている。その3人とは、西田幾多郎、鈴木大拙、井筒俊彦である。井筒先生に関しては、スーフィズムと道教に関する書籍、禅仏教に関する書籍、そして言語と魔術に関する書籍などがサイケデリック研究に活かせると思ったし、西田先生の絶対無の考え方などは、サイケデリック体験におけるコーザル状態の極み、あるいは非二元の極みの際に体感される現象であることから相性がいい。大拙先生の書籍に関しても、サイケデリック体験を紐解く上では格好の書籍だと思ったのだ。なので一応改めて日本思想の網羅的な英文書籍の中身を再度確認してみるが、今のところは上述の3人の思想家に絞り、彼らの思想を深く理解していくことから始めたい。そして今朝方書き留めていたように、サイケデリック神秘主義を浸透の観点から研究する際には川面凡児の思想を深く理解しておく必要があるので、4人の思想家と向き合うことだけで当面は十分のような気がしている。こうして徐々に自分のサイケデリック哲学の研究の方向性が定まってきていることが本当に嬉しい。方向性が定まりだすと探究はさらに加速し、そこからまた新たな展開を見せることが今から楽しみである。フローニンゲン:2023/11/17(金)05:17


11341. 東西の思想とサイケデリクスの密接な繋がり


日本思想の中にあったのだという感覚。サイケデリック体験を紐解く鍵と羅針盤が日本思想の中にあったのだという確信を得られた朝を迎えた。

昨夜に閃いたことを元に文献調査をしてみたところ、オックスフォード大学出版とハワイ大学出版から出版されている分厚い日本思想の解説書が自らのサイケデリック体験を日本思想という欧米のサイケデリック哲学者にはない独自の観点で紐解く道を発見することができたという大きな喜びに浸っている。京都学派の思想には前々から関心があり、その思想はサイケデリクスが開示する意識の様々な次元の説明、とりわけ最も高次元の意識体験を説明する上で重要な思想的枠組みだと思っていた。京都学派の思想を含め、その他にもサイケデリック体験を西洋思想にはない形で紐解くきっかけと観点を与えてくれる日本思想の奥深さに触れることができて感無量である。そこには無限の水脈があることを発見し、大きな知的興奮と喜びに包まれている。実は上述の2冊の書籍はボストンのSeven Starsという書店で出会いがあったものである。オックスフォード大学出版から出版されている書籍は900ページを超え、ハワイ大学出版から出版されている書籍は1300ページを超えるものだったため、すでに13冊ほどサイケデリクス関係の書籍を現地で購入していたこともあってオランダに持って帰ることが難しいと思われたのである。改めて先ほどその2冊の分厚い論文集の目次を検索してみたところ、「これだ!」という感覚があり、それらの書籍の購入を近々行うことにした。2冊の書籍と合わせて、カリフォルニア大学出版から出版されている西谷啓治の書籍も購入することにした。これらの書籍は次回のシロシビン·セッションの体験を振り返る際にすぐさま活用したいので、今日の夕方に早速注文してしまおうと思う。

日本思想とサイケデリックの繋がりが見えたところで、ソクラテス、プラトン、アリストレスなど、ギリシアを代表する哲学者たちが「エレウシスの秘儀」に参加し、サイケデリクスを摂取していたと言われることについて考えていた。アルフレッド·ノース·ホワイトヘッドはかつて、「西洋哲学はプラトンの思想の脚注である」と述べていたように、西洋哲学を理解するにはプラトンの思想を理解する必要があるのだが、それはすなわちプラトンが摂取したサイケデリクスを理解し、サイケデリック体験を理解する必要があることを示しているように思える。プラトンの思想から出発した西洋の形而上学思想や心の哲学を理解する際にもサイケデリクスそのものとサイケデリック体験の理解は不可欠であろう。とりわけサイケデリクスはマインドの隠された性質や力を開示するゆえに心の哲学の探究とは切っても切り離せない。上述の古代の哲学者だけではなく、近現代の偉大な哲学者の多くがサイケデリクスを摂取して哲学的思索を深めていた点を忘れてはならず、サイケデリクスの摂取を通じた哲学実践と、その体験を元にした意識とは何か、リアリティとは何かの探究にこれからより一層邁進したい。 AI時代を迎え、人工知能の本質について理解することもこれからより一層求められてくるであろう。そのためにはまず知性とは何かに立ち返り、それはすなわち意識とは何かという根本的な問いに立ち返ることを意味しているように思える。そうした根本的な問いと向き合うための思索的道具としてサイケデリクスというものを自分は位置付けている。過去の偉大な哲学者がそうしていたのと同じように。

西洋思想の根幹にサイケデリクスがあるだけではなく、東洋思想の根幹にもサイケデリクスがあることも様々な学術書が示している通りだ。東洋思想の根幹にあるヒンドゥー教、イスラム教、仏教、道教の背後にはサイケデリクスを活用した実践が伝統儀式としてあったのである。今はそれはもう表立ってなされていないが、過去の文献調査や考古学的な調査からサイコアクティブな物質を使って超越的な体験に入っていたことがそれらの宗教に見られたのである。そうした文献調査や考古学的な調査を見てみると、洋の東西を問わず、東洋思想と西洋思想を理解する上でサイケデリクスそのものへの理解とその体験理解が不可欠であることが見えてくる。だから自分はサイケデリクスの研究をし、だから東西の思想を研究しているのだろう。それらは双方密接に関係し合っていて、両者の理解はお互いの理解を深めるのだ。フローニンゲン:2023/11/17(金)06:16


11342. トランスヒューマニズム研究とサイケデリック研究の出会いに驚いて


昨年、今自分がサイケデリクスに対して抱いている熱量と同じぐらいの熱量でテクノロジー哲学とトランスヒューマニズムおよびポストヒューマニズム(さらにはメタヒューマニズム)の思想について探究していた。昨年もそれらに関して300冊近い学術書を購入してそれらを読み漁ることを行っていた。今、その探究の意味が改めてわかったのである。それらは全てサイケデリック研究と思わぬ形で繋がっていたのである。

そもそもトランスヒューマニズムの思想は、オルダス·ハクスリーの兄のジュリアン·ハクスリーが述べるように、科学とテクノロジーの力を活用して人間から人間に内在する限界を超克させ、人間を解放させる形で新たな人類に進化させることを希求するものだった。ジュリアン·ハクスリーの時代においてはまさに人間の肉体に関する種々の限界、とりわけ肉体的な死の超克が掲げられていた。現代におけるトランスヒューマニズムの思想にもその考え方は脈々と受け継がれていて、不老不死の研究が盛んにトランスヒューマニズム研究者のコミュニティーの中で行われている。しかし、彼らが目指すのはあくまでも人間が抱える種々の限界のうちの肉体に関するものであり、心に関する限界にはあまり注目が集まっていない。仏教の教えにあるように、人間の苦の大半は私たちの心が生み出すのである。私たちの限界の本質には心の限界があるのだ。それを考えてみたときに、まさにサイケデリクスとトランスヒューマニズムの思想がつながったのである。これからトランスヒューマニズムがさらに社会に浸透し、今の人間を超えて新たな人類に向かっていく形で社会をより良きものにしていくのであれば、心の問題を解決しなければならない。言い換えれば、心に付帯する種々の限界を乗り越えていかなければならないのだ。その際に科学とテクノロジーの力を活用することは重要なのだが、とりわけサイケデリック科学とサイケデリクスというサイコスピリチャルテクノロジーを活用することが重要だと思うのだ。

現状はサイケデリクスを何の思索も内省もなしに惰性で活用していても、大して心の発達、すなわち意識の発達はもたらされない。 当然ながらサイケデリクスの使用で大きな気づきを得ることは誰しもあるだろうが、その気づきを最大化させ、得られる学びを最大化させる意味でも、サイケデリック哲学·科学·神学の研究の進展とその知見を広く社会に共有することが重要になる。サイケデリクスは単に意識の可能性、人間の可能性を探求する道具として存在しているだけではなく、人間の心の本質的な限界を乗り越える道具としても活用できるのであり、むしろその活用の可能性に注目し、それをさらに推し進めていくような研究と実践が求められるように思う。

そのようなことを考えながら、昨年突如降ってきたテクノロジー哲学とトランスヒューマニズムおよびポストヒューマニズムへの関心の爆発的な高まりの現象が、今こうしてサイケデリック研究と実践に結実したことに驚きを隠せない。すでにトランスヒューマニズムの書籍を1冊翻訳し終えたが、その原稿はいったんお蔵入りにしているが、やはりその書籍はタイミングを見て出版する必要があるだろう。テクノロジー哲学とトランスヒューマニズムおよびポストヒューマニズムの探究を細々と行いながら、サイケデリック研究に打ち込んでいくことを静かに誓う。フローニンゲン:2023/11/17(金)06:42


11343. 自らの存在に宿るカミの知覚/リアリティ中心的な自己実現を果たした人


—客観すれば光、主観すれば霊魂、主客合観すればカミなり—川面凡児


時刻は午前10時を迎えた。今日は朝から快晴に恵まれ、気温は低い状態のままだがとても清々しい。小鳥たちの鳴き声もその清々しさに美しさを加えてくれていて、朝の世界で時間を過ごすことの充実さを感じている。今朝方は午前3時半に起床したこともあり、ここまでのところの探究活動はかなり捗っている。ここまでの時間に随分と読書をし、今からまたバガヴァッド·ギーターとサイケデリクスを絡めた書籍の再読をしていこうと思う。

シロシビン·セッションの際にはよく、神道家の川面凡児が述べているように、白い光を知覚する体験が起こる。なるほどそれは客観的に眺めて光なのであり、それを主観すればそれは自らの霊魂だったのだ。さらには、主客合観してみると、それは自らの存在に宿るカミだったのである。カミは私たちの外側にいるのではなく、内側に絶えず宿っているものなのだ。それを知覚させてくれるシロシビンはまさに、“entheogen(自分の内側の神に気付かせてくれる)”としての役割を果たす存在なのだ。

ネイティブアメリカンの格言に「本当に強い人とは、ただひとりでカミと共にいれる人である」というものがある。これもまた深い洞察をもたらしてくれる。シロシビン·セッションの体験中に自らの内側に宿るカミを認識した時、それは最初のうちは私たちを圧倒するものとして知覚され、恐怖を感じてしまうかもしれない。それは自然な反応かもしれないが、実際にはそれに対して恐怖を感じる必要はなく、内側のカミに寛げばいいのである。それが自己との深層的な繋がりなのだ。

そのようなことを考えながら、アブラハム·マズローがかつて、「自己実現を果たした人というのは、リアリティ中心的である」という言葉を残していたことを思い出した。それが意味することは、自己実現を果たした人は幻想と不誠実さをリアルと誠実さから切り離せるということである。これはある種の目覚めであり、それは往々にしてサイケデリック体験でもたらされるものである。さらにそこから、アーンスト·フリードリック·シューマカー(シューマッハー)の考えを思い出した。彼は主著“Small is Beautiful”の中で、私たちの世代が果たすべきことは形而上学的再構築であると述べていた。このタスクの難易度は高いが、それもまたサイケデリクス活用によって実現できるであろう。それは楽観的な見方かもしれないが、これからサイケデリック研究とその社会実装が進んできた時には、逆言えばシューマッハーが指摘するところの形而上学的再構築を社会全体として行っていかなければならない。あるいはそれと並行させる形でサイケデリック研究と社会実装をしていかなければならないと言えるかもしれない。そのようなことを考えながら午前中の時がゆっくりと流れていく。フローニンゲン:2023/11/17(金)10:25


11344. サイケデリック体験から考えさせられる意識とリアリティについて


時刻は午後12時半を迎えた。午前中の探究活動がすこぶる捗ったこともあり、また昨日は筋力トレーニングをしていたこともあり、今日の昼食はいつも以上に美味しく感じられた。昼食を摂り終えた後にふと、サイケデリック哲学の各種の命題についてぼんやりとあれこれ考えていた。

まず重要なこととしては、複雑性科学の観点を用いた意識の生成理論ではない形でベルグソンが意識を捉えていたことについて考えていた。前者において言えば、脳の神経が相互に影響し合い、そこから創発現象(emergent phenomenon)として意識が立ち現れるという考え方である。つまりこの考え方は、脳から意識が生まれるとする見方である。これまでの自分はこの考え方に賛同していたが、ベルグソンは全く違う考え方を採用している。ベルグソンは、そもそも脳と意識は別々に存在していて、脳が意識を生むのではなく、脳はあくまでも意識を受信する受信機のような存在だと考えていたのである。自身のサイケデリック体験を振り返れば振り返るだけ、現代の科学が考えるような意識の生成理論よりもベルグソンの脳と意識の関係に関する理論の方が妥当性があるように思えてくる。少し慎重になって考えてみる。サイケデリクスの摂取によって、確かに脳が全脳的に活性化され、それを通じて種々の意識状態が立ち現れる。しかしそれはあくまで意識の状態であり、意識そのものではない。意識そのものは絶えずどこかに存在し続けているというのは、就寝中の深い眠りの際にも意識がどこかに存在しているだろうと考えるのが自然なことと似ている。意識の存在場所がどこかなのかは難しく、そもそも意識は時空間に縛られない形で存在しているとも考えられる。サイケデリックの摂取を通じて純粋意識を知覚すると、時空間を超える体験をすることからも意識の本質は時空間に縛られないものであることが見えてくる。そうなってくるとやはり、意識は絶えず時空間を超えたどこかに存在していて、脳はそれを受信する受信機として機能していると考えるのがふさわしいように思える。それでは創発理論は何を指しているのかというと、あれはあくまで意識状態を説明する理論なのではないかと思うのである。意識そのものを脳が生み出すのではなく、あくまでも脳は受信機として働いていて、脳の神経細胞ネットワークの結び付きと活性度合いによって、受信する意識状態を決定する、ないしは多様な意識状態を創発的に生成していると考えるのが自然のように思える。ウィルバーが述べるように、そもそも意識は無数のスペクトラム階層を持っていて、脳は神経細胞ネットワークの働きによってどの意識の階層にアクセスするかを決定する働きを担っているにすぎないのかもしれない。

その他には、リアリティを事物と捉えるのではなくプロセスと考えるホワイトヘッドのプロセス哲学についても考えていた。リアリティを構成するのは事物ではなく、プロセスなのであり、リアリティそのものが絶えず生成を繰り返すプロセスであるというのもまたサイケデリック体験を通じて腑に落ちる説明である。上述のように、意識とは何かを考える上でも、そしてリアリティとは何かを考え上でも、やはりサイケデリック体験は決定的な役割を果たし、サイケデリクスはそうしたまだ解のない哲学的な問題について深く考察させてくれる「哲学者(賢者)の石(philosopher’s stone)」なのだと改めて思う。フローニンゲン:2023/11/17(金)12:53


11345. ハーバード神学大学院のオンラインアプリケーションの入力を終えて/

シロシビン·マッシュルームへの愛



時刻は午後3時を迎えた。この日記を書き終えたら、気分転換がてら近所のスーパーにジョギングがてら立ち寄って、キッチンペーパーなど必要なものを買ってこようと思う。今日は幸いにも青空が広がっているので、ジョギングがてらの買い物は気持ちが良いだろう。

つい先ほど、ハーバード神学大学院のオンラインアプリケーションの必要な情報を全て入力した。残すところは完成した志望動機書とライティングサンプル、そして最終版のレジュメをPDFにしたものを添付するだけである。ここまで来ると出願もいよいよだという感じで気が引き締まる思いだ。とりわけ志望動機書とライティングサンプルが最も重要な提出書類の2つなので、最後まで精魂込めて詰めていきたいと思う。レジュメについてはもう完成しているが、提出前にもう一度見直して誤字脱字がないかの確認をしたいし、追加情報があれば記載したいと思っている。

オンラインアプリケーションの入力を終えて外の景色を眺めると、自然に癒される自分がいることに気づく。生き物を育てることを通じて大切なことを学ばせてもらえるのと同じく、シロシビン·マッシュルームを育てることは大変に教育的である。それを通じてマッシュルームについての理解が深まるだけではなく、それへの愛着を通じて生命への感謝の念が育まれる。隣人のマークが立派なカンナビスを育てて隣人や友人たちに配っているのと同じく、シロシビン·マッシュルームでも個人目的であれば周りの人たちに配ることができる。また世界の様々な地域でマッシュルーム狩りを仲間たちと楽しむように、自然の恵みに感謝しながら同じ時間を過ごして共同実践できるのがマッシュルームの良さだ。そもそも菌類は繁殖力が凄まじく、他のサイコアクティブな物質の原料のいくつかが乱獲の危機にあるような心配をする必要はない。菌類は取っても取ってもどこかから生えてくる。そもそも取る行為を通じて放出される胞子の数の方が最初から多いのである。自然と触れ合いながら、同時に共同体意識を育める実践機会を提供してくれる最有力な存在としてシロシビン·マッシュルームがあることを実感する。まずは今育てている“Psilocybe Azurescens”を立派に育て上げ、無事に収穫まで行いたい。そして実際にまずは試してみて、乾燥させれば相当に保存が効くが、自分で消費し切れない量を収穫できたら親友のメルヴィンに共有することも考えたい。せっかく栽培キットには色々な品種があるので、様々な品種を育ててみたいという気持ちがふつふつと湧いてくる。それまるでマッシュルームがふつふつと地面から生えてくるかのようである。いずれにせよ、地球環境への優しさ、共同体実践、教育効果の観点から、やはり自分は合成されたシロシビンではなく、シロシビン·マッシュルームを愛しているのだと改めて確認した次第だ。 フローニンゲン:2023/11/17(金)15:20

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