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11279-11285: フローニンゲンからの便り 2023年11月11日(土)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

11279. 今朝方の夢

11280. サイケデリクスを通じた「自我の死」について

11281. 学習する存在/自己組織化を通じた自己超越/形態形成場

11282. オンラインゼミナールの第54回のクラスの振り返り:サイケデリクス教育の重要性

11283. 第19回のシロシビン・セッションに向けた今の心境

11284. サイケデリクス体験の羅針盤としての霊的な詩

11285. 天空に架かる見事な虹とサイケデリクス体験の言語化について


11279. 今朝方の夢



時刻は午前7時半を迎えた。今、空がようやくダークブルーに変わり、夜明けを迎えようとしている。静かな朝の世界に暖房の音が響き渡っている。昨日からシロシビン·マッシュルームの栽培を始め、室温を20度以上に保つ必要があったので、暖房が自動で入る温度を20度から20.5度に変えた。これでスクスクとマッシュルームが育ってほしい。

今朝方はいくつか断片的な夢を見ていた。まず覚えているのは、行方不明になったある日本人女性を探す場面である。インターネットを駆使して女性の目撃情報を集めていき、日本全国を旅する形で彼女を探していた。道中、いまだかつて足を運んだことのない風光明媚な場所を訪れることができたのは副産物であり、その瞬間は非常に充実していた。しかし自分の役割は彼女を探すことだったので、観光名所に目を奪われすぎないようにして引き続き捜索に当たった。そのような夢があった。

次に覚えているのは、ある大きな旅館の中にたくさんの部屋があって、そのうちの1つが自分と友人たちの共同部屋だった場面である。私たちの共同部屋には服が山のように積み重なっていて、足の踏み場はほとんどなかった。改めてその服の山を見た時、なぜ購入したのかわからないようなもう着ない服がたくさんあったので、近々一括して処分をしてこの部屋を綺麗にしようと思った。するとそこで、小中学校時代のある親友(HS)と小中高時代の女性友達(NI)と偶然会い、3人で立ち話をした。実際のところ、2人とは入れ替わり立ち替わり話をしたようにも思える。いずれにせよ、2人とは共同部屋の様子について笑いながら話していた。そこから私は他の部屋がどのような様子になっているのか気になったので、他の部屋を見にいくことにした。すると旅館の中は本当に広く、部屋が無数にあったので迷子になってしまいそうだったが、それもまた1つの楽しみとして散策を楽しんだ。

最後に覚えているのは、小中高時代の親友(SI)が東大に晴れて合格し、新入生になって新生活を始めた場面だった。彼が東大に合格したのは驚きのニュースだったが、私は彼を祝うために東大のキャンパスに行った。するとそこで彼と会ったのだが、彼はあまり嬉しそうではなかった。どうやら田舎から東京に出てきて、東京で一人暮らしをすることに不安を抱えているようだった。聞くところによると埼玉の学生マンションに住むことにしたらしく、そこから東大のある最寄り駅まで1本で行けるとのことで非常に便利な場所を選んだなと思った。私は彼を励ましながら、一人暮らしもすぐに慣れるだろうし、東大でも友達がきっとできると激励の言葉を送った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/11/11(土)07:55


11280. サイケデリクスを通じた「自我の死」について



今日はどうやら朝の時間帯だけ雨が降るようで、昼前から天気が回復し、午後からは随分と晴れ間が広がるようだ。天気予報を見る限りだとこの時間帯にも雨が降っていてもおかしくないが、今は雨は降っていない。うっすらとした雲が空を覆っているだけである。

サイケデリクスを通じて「自我の死」を体験するとよく言われるが、そもそも自我についての理解がサイケデリックコミュニティーにおいて薄いように思える。その根元には、コミュニティー内で発達心理学に関する知識が共有されていないことが問題としてあるように思える。自我の死を体験する場合、どの段階の自我が死んだのかという点もまた重要になる。それによって臨床アプローチを含めた実践的な介入の方法が変わるからである。そうなってくると、自我についての知識が欠落したまま自我の死についての現象が語られることは危険ですらあるように思えてくる。自我の発達理論をサイケデリクスに関するディスコースに導入することの重要性に気づき、自分自身がこれまで長らく発達理論を学んできた意味に立ち返る時、それを行うのは自分の役割なのだと思う。ここ最近は、サイケデリクスの学術研究と実践に関して実に様々な自分がなすべき役割に気付かされる。あまりの量に圧倒されそうになるが、そうした役割が自らに付与されていることを有り難く思い、役割のまっとうに向けてこれからも引き続き精進をしていきたい。

今日は午前中に第54回のゼミナールがある。今日から3週間に掛けて様々なサイケデリクスのドキュメンタリー動画を視聴していく。それが終わったら再び書籍を扱っていくことになる。今後もある1冊の書籍を扱った後には少なくとも1週間ぐらいはインターバルの期間としてドキュメンタリー作品や映画などを取り上げてもいいかもしれない。ゼミナール後、夕方にはボストン滞在中の日記をもう一度読み返して、午後5時前ぐらいからサイケデリクス研究に関する音声ファイルを作成していきたいと思う。旅の中で随分と閃いた今後の研究アイデアやサイケデリクスに関する考察があったので、旅の振り返りを兼ねてもう一度日記を読み返し、それに基づいて音声ファイルを作成していこうと思う。フローニンゲン:2023/11/11(土)08:22


11281. 学習する存在/自己組織化を通じた自己超越/形態形成場


雨がシトシトと天から降り注ぎ始めた。それを受けて、小鳥たちが鳴き声で応答している。天から降り注ぐ雨にせよ、小鳥たちの鳴き声にせよ、それらはいずれも超越世界からの贈り物のように思えてくる。

学習する存在。自分にとって学ぶことは趣味でも仕事でもなく、存在することそのものである。学習は存在の一部とみなすことができるか、あるいは学習は存在の全てと合致するものだと言えるかもしれない。いずれにせよ、自分にとって学ぶというのは趣味でも仕事でもなく、義務でも楽しみでもなく、存在することそのものなのである。だからこうして毎日継続して学習しているのである。そのような気づきがやってきた。

自己超越というのは自己組織化から生じる。サイケデリクスによってもたらされるデフォルト·モード·ネットワークの解体は、脳の神経回路における新たな自己組織化をもたらす。そして意識領域において言えば、脳の自己組織化と相まってそこでもまた自己組織化が起こる。個人の内面と外面の双方において新たな自己組織化をもたらすのがサイケデリクスの1つの貢献であり、それが私たちに自己超越をもたらすというメカニズムがありそうだ。

発達が起こる場所。イギリスの発達生物学者のコンラッド·ワディントンは「形態形成場」という用語でそれを示した。発達は内外要因によって引き起こされる現象であり、発達の存在論を考えてみると、各人には独自の目には見えない発達場というものがある。その形は多様であり、発達の道もまた多様である。サイケデリクスは脳と意識の双方に強く働きかけ、おそらく形態形成場を変化させる力があると思われる。この仮説を証明する手段もまた考えていこう。フローニンゲン大学時代に行っていた数式モデルを活用したシミレーションでそれは十分に証明可能なように思えてくる。頭の中で仮説が立ち、その証明方法も見えてきたところで、自分はまた次なる新しい仮説の創出に向かって動き出している。毎日この調子である。これもまたサイケデリクスを摂取するという実践を通じての自らの形態形成場の変化による現象なのかもしれない。フローニンゲン:2023/11/11(土)09:31


11282. オンラインゼミナールの第54回のクラスの振り返り:

サイケデリクス教育の重要性



シトシトとした雨が引き続き地上に降り注いでいる。早朝の予報では午後から晴れ間が広がるはずだったが、今改めて天気予報を確認すると、今日は小雨がずっと降り、夜には激しい雨が降るかもしれないとのことだ。幸いにも明日のシロシビン·セッションの際には天気が良いようなので、太陽エネルギーを感じながらセッションに臨もう。

正午前に終了した今日のゼミナールの内容を振り返っている。今日は少人数でゼミナールのクラスを開催した。その分意見交換が深まり、非常に濃密な時間を過ごしていた。改めて今日のクラスの内容を振り返りながら思うのは、サイケデリクスに関する教育の重要性である。もっと言ってしまえば、意識の変容と治癒に関する子供から大人までの教育の重要性について考えていた。少なくともサイケデリクス についてはその正しい知識を広範囲に身につけることと、その活用の在り方までもを涵養していくような教育が求められるだろう。サイケデリクスを万能薬とみなさず、その潜在能力を十分に発揮するための活用の仕方の道筋を示すような教育がこれから世界的に求められてくるに違いない。教育は体験の見取り図となり、羅針盤となるのだ。それらのものがなければ、人はサイケデリクスの使用に迷い、下手をすると人生を壊しかねない。そうした注意点があるのがサイケデリクスであり、それは光の側面の反対方向の力がもたらす諸刃の剣としての性質の現れである。強力な良薬にも毒薬にもなり得るサイケデリクスをどのようにしたら良薬としてうまく社会の中で活用されるようになるのか。その大きな一翼を担うのが教育であることは間違いない。子供の教育と成人教育の両方のコンテクストでサイケデリクスをどのように扱っていくのかについて引き続き考えを深めていく。少なくとも今ゼミで行っていることは、成人におけるサイケデリクス教育のようなものであり、今後も引き続きゼミの中でサイケデリクスを扱っていくことを通じてそのカリキュラムがより洗練されたものになるだろう。さらには、実際に学術機関でサイケデリクスについて学びを深める過程の中で、成人に必要なサイケデリクス教育はどのようなもので、どのようなコンテンツをいかに提供していくのかを考えることをしていきたい。

次回のクラスではMDMAとカンナビスについて扱う。次回のクラスに向けて、もう一度MDMAに関する学術書を何冊か読み返しておこうと思う。同様のことをカンナビスでも行おう。その際には書籍の数を増やすのではなく、生粋の学術書に絞って再読をしていこうと思う。次回のクラスもまた少人数になるかもしれないが、今日は改めて少人数のクラスの良さを実感したので、次回の対話もまた期待したい。フローニンゲン:2023/11/11(土)12:57


11283. 第19回のシロシビン・セッションに向けた今の心境



程よい緊張感がある。シロシビンのセルフセッションを明日に控え、そのようなことを思った。これまでの18回のシロシビン·セッションをもとに、明日もまた環境変数を見直し、色々と実験してみようと思う。まず大きなところで言えば、これまではシロシビンを濾す形でシロシビンティーを作っていたがそれをやめ、一物全体の発想で、シロシビン·トリュフを細かず刻んだものを、ココアパウダーを白湯で溶かしたものに浸しながら全て食べる形で摂取しようと思った。それにより、シロシビン·トリュフに含まれるシロシビン以外の数種類のサイコアクティブな物質をうまく摂取することができるであろう。それによってセッションの深みがこれまで以上になることが期待される。それ以外の環境変数で言えば、もうフローニンゲンは随分と冷えてきたので、2階でセッションを行うのではなく、シロシビンを摂取したら速やかに1階の寝室に降りていき、ベッドに横になる形でセッションを行っていこうと思う。その際にBoseのスピーカーで音楽をかけることを忘れないようにし、その音楽はクラシック音楽の中でもヴァイオリン協奏曲をメインにしようと思う。そしてアイマスクをつけて光を遮断する形で内側の世界に入っていくようにする。寝室は暖かく、またベッドの中で布団にくるまることによってセッション中に寒さを感じることはないだろう。明日はそうした万全の環境設定の中で、午前11時ごろから調理を始めてセッションを行いたい。

心理的な準備としては、全てを明け渡すというスタンスでいることはいつもと変わらずに、開示されたものを全て受け入れるという姿勢を持っておきたい。明日のセッションに向けての意図としては、来年からのアメリカでの生活の実現可能性とその展望について何か洞察を得られれば幸いである。その他には、過去から現在にかけての人間関係上の問題について何か洞察や治癒が得られればと思う。さらには今日のゼミナールで話題に挙がった、スタニスラフ·グロフでいうところの出生前のトラウマについて何かビジョンや発見が得られれば幸いである。明日までまだ時間があるので、明日のセッションを通じて何を得たいのかをより明らかにしておきたいと思う。そうすれば、期待を超えたことがセッションの中でより起こりやすくなるだろう。フローニンゲン:2023/11/11(土)14:06


11284. サイケデリクス体験の羅針盤としての霊的な詩



先ほど、隣人のサハルから2冊の書籍を受け取った。それらはともにイギリスのアマゾンに注文していたケンブリッジ大学出版から出版された学術書だった。1冊は中毒に関する神経科学の書籍、もう1冊はドラッグ戦争を合法化されている政治と社会構造に関する書籍である。後ほど早速初読に取り掛かりたい。

“Poetic inquiry: Craft, method and practice (2nd ed.)”という書籍を改めて読む中で、詩もまた学術的な研究対象になりうるし、研究上の立派なデータになることを思った。とりわけサイケでリクスによって引き起こされる高次元の意識状態での体験は、それが高次元になればなるだけ言語で表現するのは難しくなる。ここで述べているのはあくまでも自然言語の通常の使用に関するものであり、詩的言語であれば十分にその体験を語ることができる。実際に、過去の偉大な神秘主義詩人たちは彼らの体験を雄弁に詩を通じて語っている。今ハッとさせられたのは、今から数年前に何かに取り憑かれたかのように世界の神秘主義詩人たちの作品を購入し、彼らの詩集をパラパラと眺めていた自分がいたことである。それは今の自分のサイケデリクス研究を導くものだったのだ。さらには、今後サイケデリクスにおける左上象限の研究を進めるにあたって、偉大な神秘主義詩人たちの詩集から厳選して作品を選び、高度な意識状態の説明資料としたい。あるいは彼らの作品をデータにして、色々な枠組みから解釈を施すことを通じて意味を汲み取っていくことができる。とりわけ高度な意識状態の概念的な説明は掴みどころがないように感じられる人も多いのではないかと思うので、詩を通じてその意識状態の感覚を幾分成人も掴むことは有益性を含んでいるように思える。今後彼らの詩集を読み返すときには、大学の講義の中で引用できるようにアンテナを張っておき、とりわけ優れた作品で取り上げる可能性の高いものについては研究ノートの方に書き留めておこうと思う。霊的な詩はサイケデリクス研究にとっての宝であり、人類にとっての宝でもある。霊的な詩は、私たちのサイケデリクス体験を豊かにしてくれる羅針盤としての役割を担ってくれるであろうから、傑出した詩を体系的に整理しておきたい。フローニンゲン:2023/11/11(土)14:41


11285. 天空に架かる見事な虹とサイケデリクス体験の言語化について



贈り物としての書籍。著者からの贈り物としての言葉と叡智が込められた書籍をまた新たに1冊受け取ってきた。買い物がてら書籍の受け取りのために玩具屋にまず向かって自宅を出発した時に、外で自転車を止めて空に向かってスマホで写真撮影をしている男性の姿が目に飛び込んできた。その男性がスマホを向ける方を見ると、そこに見事な虹が架かっていた。確かにフローニンゲンの秋と冬には雨が降る日が多いのだが、フローニンゲン上空に晴れ間が広がる瞬間によく虹を見かけることがある。そうした楽しみがこの地のこの季節にはあることを思い出させてくれる瞬間だった。

そこからさらに歩みを進めていくと、ノーダープラントソン公園でも上空の虹をスマホで撮影している人をちらほら見かけた。とても圧巻だったのは、公園を抜けていく道から見えた虹の美しさである。久しぶりにあんなに濃い色をした虹を見たと言えるほどに鮮明かつ大きな虹を見たのである。そこでふと、サイケデリクス体験を言葉にすることと虹を言葉にすることの関係性を考えた。虹は確かに科学的な言葉でその生成メカニズムから色のスペクトラムについて説明することができる。もちろんそうした言葉を用いることやそうした説明が重要な側面があることは確かに認めるが、虹を知覚するという体験はもはや言葉になどしなくていいのである。自分の主観世界の中でそれをただただ味わえばいいのである。その時に言葉を当てるというのは非常に野暮な行為である。どんなに深く相手を愛していたとしても、その愛を言葉で語り尽くすことはできず、また愛は語ってしまった瞬間に興醒めをしてしまう可能性があるのと同じで、真に美しい体験や真に深い主観体験はもはや言葉で語る必要はなく、全存在をかけてその体験に合一する形で味わえばいいのではないだろうか。きっとこのことはサイケデリクス体験にも当てはまる。確かにサイケデリクスセッションの前後で色々な言語化を体験者に促すことになるが、本当に深い体験は体験のままそれを全存在をかけて体験し尽くすことが最優先されるべきであって、それを語ることを最優先にしてはならない。言葉は客体化の産物であり、体験に言葉を当てるというのは体験から離れるということを意味するため、あくまでも言葉による客体化は体験が全て終わった後にゆっくり行えばいいのである。くれぐれも体験中には言葉を当てる形で体験から離れないようにすることが重要である。常に体験と共にあること。それを実現するためには言葉による分離作用を活性化させないようにすることが重要で、言葉を当てることを極力控え、体験に全てを委ねることが重要になる。明日のシロシビンセッションで1つ目標を掲げるのであれば、体験中は体験に没入し、体験の最中には言葉を当てないようにすることを掲げたい。そんなことを考えさせてくれる虹が天空に架かっていた。フローニンゲン:2023/11/11(土)16:31

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