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11266-11271: フローニンゲンからの便り 2023年11月9日(木)



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タイトル一覧

11266. 今朝方の夢

11267. ライティングサンプルの加筆修正

11268. 存在の光としての言葉/サイケデリクス哲学者とサイケデリクス神学者としての自己

11269. 絶え間なく創造を繰り返す宇宙との一体化の試金石

11270. ここ最近の仮眠中の意識状態

11271. ヨナコンプレックスを乗り越えて/ウィルバーへの原点回帰


11266. 今朝方の夢


時刻は午前9時を迎えようとしている。昨日も早く就寝したのだが、深夜に一度目覚め、そこからなかなか眠ることができず、気がつけば再び夢の世界にいたのだが、起床はゆったりとしたものだった。どうやらまだ時差ボケが解消していないようだ。本来今日はジムでトレーニングをする日だが、体調がまだ万全ではないように思えるので、今日もジムは休み、来週の月曜日からトレーニングを復活させたい。


今朝方はいくつか断片的な夢を見ていた。まず覚えているのは、かつてオランダに住んでいた友人から英語でメールを受けたものである。彼女は日本人なのだが、どういうわけかお互いに英語でメールのやり取りをしていた。どうやら今月にオランダに遊びに来るらしく、そのタイミングで会えないかというものだった。先日にやり取りをしていたときにはスケジュールが合ったのだが、直前での連絡になったので今回は都合が悪く、断りのメールをした。自分としても今は1人の時間を過ごしたく、自分の内側にスペースを作りたいので人に会うことは避けたいと思っていた。私が以前のメールでシロシビン·セッションを一緒にどうかと持ちかけていて、それに対して何の返答もその時のメールにはなかったが、直近の彼女のメールの中に、「アヤワスカのような物質?に関心がある」と英語で書かれていた。前回のメールで速やかにスケジュールを確保していれば彼女と会うことができただろうし、一緒にシロシビン·セッションを行えたであろうが、今はとにかく人に会うことを避け、自分1人の時間を過ごしたいと思ったので彼女には断りのメールを打つことにした。


その他に覚えているのは、騎馬戦が行われている戦場を見ていた夢である。そこでは馬から人を落とし合うことが激しく行われていて、人が次々と死んでいた。私はその戦場にいたのではなく、その場所を目撃している存在だった。人が次々と死んでいく様子を見ているのは心が痛んだが、その惨状の一部始終を見届けることも自分の役割かと思い、その場の光景を何一つ見逃さないように凝視していた。


それ以外には、やたらとうねった山道をバイクで走っている場面があった。見知らぬ同年代ぐらいの若い男性が1人私の後ろを走っていて、あるところで私を抜いて前に出た。どうやら私たちは知り合いの関係らしく、お互いに抜きつ抜かれつをしながらそのタイミングで相手に話しかけてきた。うねった山道をしばらく走っていると、自分たちが宿泊している家が見えてきた。私は忘れ物があったのでそれを取りにいったん帰ると彼に伝えたところ、彼は家の前で止まり、自分を待ってくれていた。忘れ物が何だったのかは定かではないが、それほど重要なものではなく、これからの旅の友としての書籍か何かだったように思う。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/11/9(木)09:05


11267. ライティングサンプルの加筆修正


朝空にはうっすらとした雲がかかっているが、所々青空が見える。ボストンに滞在中に確認していたフローニンゲンの天気は雨続きとのことだったが、実際にフローニンゲンに戻ってみると、一日中ずっと雨が降っているわけではなく、所々で晴れ間が見える。完全なる快晴にも恵みを感じるが、このように絶えず天気が良いわけではなく、むしろうっすらとした雲が空を覆っていたり、雨雲が空を覆っていたりする時間が多いほど、晴れ間が顔を覗かせた時の恵みを感じる。フローニンゲンで過ごすことの良さは、そうした時折やってくる貴重な恵みを深く実感できることにあるのかもしれない。


昨日はHDSに提出する予定のライティングサンプルの加筆修正を行なっていた。字数制限として1000字から1500字の指定があり、昨夜の段階で1000字に到達するまでに加筆修正を行なった。就寝に向かっている際にアイデアが1つ閃き、それを後ほど加筆しておこう。何を閃いたかというと、サイケデリクスを通じた超越体験の研究に関してジョンズ·ホプキンス大学のシロシビン研究に触れておらず、それについても言及しておこうと思ったのである。先行研究としてジョンズ·ホプキンス大学の一連のシロシビン研究は無視できず、定量的な研究ではなく、定性的な研究に大きな貢献を果たした。その貢献に言及しながらも、それでは彼らの研究に何が欠けていて、自分はどのようにその欠けている部分に貢献できるのかを言及しておこう。端的には、ジョンズ·ホプキンス大学が行なったシロシビンによって引き起こされる超越体験の定性調査は質問表に基づくもので、その質問表はその個人が具体的にどのような体験をしたのかを明らかにするものではなない。自分が行いたいのはその個人がどのような具体的な経験をしたのかに焦点を当てるものなので、その点については必ず言及しておこう。医学部で実施された彼らの研究に宗教的な解釈を求めるのは酷だが、自分は個別具体的な体験に対して宗教の枠組みで、とりわけ神道と仏教における意識の理論の枠組みを用いて体験を解釈していく点を強調する。それは自分なりのユニークな関心及び貢献である。その他に追加で書き留めておきたいのは、こうした個別具体的な体験に焦点を当てることで、今後サイケデリック·ルネサンスがさらに加熱し、多くの人たちがサイケデリクスを日常的に摂取するようになった時の地図を提供することにつながるという実践的価値がある点も加筆しておきたい。それでは今から正午まではサイケデリクス研究の読書に取り掛かり、午後から上記の加筆修正を行なっていく。フローニンゲン:2023/11/9(木)09:39


11268. 存在の光としての言葉/

サイケデリクス哲学者とサイケデリクス神学者としての自己


ほのかに朝日が地上に降り注いでいる。ボストンでは力強い朝日を浴びる日が何度もあったが、こうして優しい朝日を浴びることもまた一興であると感じる。フローニンゲンの冬においては、滅多に快晴の朝を迎えることはないので、こうしたほのかな朝日は日常のものになっていたが、ボストンとの対比でその素晴らしさが浮かび上がってきた形になる。環境を変えることはこうした対比を色々な観点でもたらしてくれ、それは天候1つ取ってもそうであるし、文化や自分の心のありようなど、実に様々な観点から対比を通じて特徴が浮かび上がってくる。こうしたところに環境を変えて生活してみることの良さがある。今聞こえて来る小鳥たちの清澄な鳴き声は、この場所の本当に貴重な贈り物である。彼らの鳴き声にどれだけ癒されてきたことか。そしてその癒しを励みにどれだけ一歩一歩前進してきたことか。


書きながら思考を整理し、書きながら自らを癒し、自らを変容させていくことが常態化されて随分と時が経った。その結果として今の自分がいる。自分はこれからも書き続けるだろう。それは自らのためでもあるし、書くことを通じてこの社会に何らかの形で貢献していくためでもある。自分の内側の光から生まれた光としての言葉。自分の言葉が外に出る前の世界が仮に混沌とした闇の世界であれば、自分の言葉は闇を照らす光になる。言葉は光だったのだ。言葉は存在の光なのである。光としての自己は光としての言葉を紡ぎ出しながら、さらにその光を大きくさせることを通じてこの世界の闇を照らす。自分に課せられた役割の1つはそれであり、これまで長きにわたってそれを実行してきた。今後もこの役割を担い続け、いつの日か真に社会をより良きものにする光をこの世界に届けたいと思う。


新しい言葉を生み出すことが昔から好きだったし、得意にしていた自分がいることに昨夜改めて気づいた。哲学はある意味新しい言葉の創造と共に世界を新たに捉え直し、世界を新たに作っていく試みでもあるから、哲学の分野に本格的に身を置こうとしているのは自分の内在特性に合致することなのかもしれない。サイケデリクス哲学者としての研究に従事するだけではなく、今後はそこに宗教学が加わり、神道と仏教の思想をもとにしたサイケデリクス神学の探究をしていく。 「サイケデリクス哲学者」と「サイケデリクス神学者」としての自己という新たな側面を身に纏いながらの探究活動にこれから長きにわたって従事していくだろう。これは別に狙って行なっているわけではないが、サイケデリック·ルネサンスの時代において、サイケデリクス科学者はかなりの数存在する。しかし、サイケデリクス哲学者となれば世界ではまだ数人しかいないし、サイケデリクス神学者となればほぼ皆無な状況である。自分がそうした存在として固有の役割を託されたことにもきっと意味があるのだろう。その意味を紐解くこともまたサイケデリクス哲学者とサイケデリクス神学者としての自分が果たすべき事柄である。フローニンゲン:2023/11/9(木)10:11


11269. 絶え間なく創造を繰り返す宇宙との一体化の試金石


当初の予定とは異なり、午前中にライティングサンプルの加筆修正を行なった。午前中の読書を開始してすぐに何か閃きがやってきて、その洞察をそのままライティングサンプルに反映したかったのだ。早田航さんとのシロシビン·セッション以降、そしてボストン旅行から継続して、啓示的な閃きがいくつも降って来る。この状態の恩恵に預かりながら文章を書くことが得策だと思われたので、その閃きが消えてしまわないうちに文章の加筆修正を施していった。すると先ほど無事にそれがひと段落し、字数制限の1000字から1500字のちょうど中間ぐらいの分量である1244字に今のところ落ち着いた。もちろんこれは最終版ではなく、まだまだドラフト段階なので、ここから原稿を寝かせることを通じて、今後さらに推敲に推敲を重ねたい。ここで執筆したアイデアはHDSでの実際の研究になり得るのであるし、仮にその通りの研究をしなかったとしても、ここで書いた研究アイデアが将来の研究のより良いアイデアを導いていくのである。そうしたことからもとにかく書くということが大事なのだ。宇宙は絶えず新たなものを創造しており、自分もまたそのプロセスと一ミリも離れずに寄り添っていれば、新たな考えが絶えず出て来ることは自然であるし、それを常に言葉にしていくことは自然なのだ。自分が本当にこの絶え間なく創造を繰り返す宇宙と完全に一致しているかの試金石として、絶えず書くということが挙げられるように思う。絶えず文章を書けるということは、絶え間ない創造プロセスそのものとして己が生きている証のように思えるのだ。自分にはその他にも作曲や絵画の創作という手段があるが、それもまた同じ理屈である。それらの創作活動もまた絶え間なく創造を繰り返す宇宙と完全に合一して生きていることを確認させてくれる。それらの実践も大切にしながらも、自分の中では文章を書くということが最重要に重要な手段なのだと思う。そのようなことを思いながら無事にライティングサンプルの加筆修正を終えて一息ついている。フローニンゲン:2023/11/9(木)11:45


11270. ここ最近の仮眠中の意識状態


ボストン滞在期間中から仮眠中の意識状態に変化が見られる。とりわけ旅行から帰って来てからの仮眠中の意識状態は深いコーザル状態に誘われる頻度が高い。そこでは夢を見ない深い眠りの状態となる。そこからハッとしてグロスの意識に戻って来ると、大抵20分の仮眠の終わりに差し掛かっている。コーザルの状態に入る前後で洞察やビジョンのようなものが得られる。それらの大半は言葉の形にするのは難しいが、間違いなくそれらが自分の研究を後押しする創造的な種になっている。


HDSの「世界宗教研究センター」で、来年の2月の中旬にサイケデリクスに関する学会が開催される。現地でそれに参加することはできないが、HDSの公式Youtubeチャンネルでおそらく学会の各種の動画がアップされるであろうから、それらをチェックしたい。イーロン·マスク氏の寄付を受けて、HDSを中心にハーバード大学でのサイケデリクスに関する学会開催の頻度は増すであろう。仮に来年にHDSに進学することができたら、こうした学会に一参加者としてではなく、発表者として参加したいと思う。最後に自分が学会で発表したのは2018年のアムステルダムで行われた国際ジャン·ピアジェ学会であった。それから数年が経ち、再び学会参加とそこでの発表に意欲的な自分がいる。


午前中には幸いにも、HDSに提出予定のライティングサンプルの加筆修正を終えた。その際に新たに引用したジョンズ·ホプキンス大学の一連の論文はやはり秀逸であり、今からそれをじっくり読み返したい。そして、日頃付けているリサーチノートの方にライティングサンプルで参照した文献を参照文献リストにも反映しておく。毎日とても小さな積み重ねではあるが、着実にサイケデリクス研究が前に進んでいることを嬉しく思う。フローニンゲン:2023/11/9(木)13:32


11271. ヨナコンプレックスを乗り越えて/ウィルバーへの原点回帰


ヨナはかつて自らの聖なる使命から逃避した。マズローはそれを「ヨナコンプレックス」と名付け、フロムは「逃避メカニズム」と指摘した。今、自分はヨナコンプレックスを克服し、自らの天命を力強くまっとうしようとしている。そんな自己が絶え間ない今ここの瞬間に佇んでいる。


ボストン滞在中から感じているのだが、内側の深くにいる感覚がずっとある。そして、明瞭なのだが全体をぼんやりと把握するような意識状態が続いている。全体をぼんやりと一気に把握する認識の力。それは全てを目撃しているような目撃者の意識状態に近い。生起する全てに何ら囚われることなく全てを眺めている感じ。その感覚を伴う意識状態がボストン滞在中から今にかけてずっと続いている。


今日はふと、ケン·ウィルバーへの原点回帰が起こった。その予兆はすでにあったが、改めてウィルバーの一連の書籍を再度読み返そうと思い、本棚や積まれた書籍の山からウィルバーの書籍を数冊ほど引っ張ってきた。いずれもサイケデリクス研究の一環として読み返したい書籍である。ゼミナールでも “The Religion of Tomorrow”という大著を扱おうかと考えている。この書籍を1人で読み進めるのは難しいであろうから、ゼミの場で受講生の皆さんと一緒に取り組むと学びが多そうである。


ウィルバーの提唱した理論モデルを活用して、とりわけサイケデリクス体験を状態·段階モデルで整理すること、そして各発達段階の病理を整理すること。それらに主眼を当てながら、ウィルバーのモデルはある意味大枠を提示してくれるのにうってつけで、逆に言えば細部はまだまだ詰めなければならない。見取り図を精緻にしていく研究を他の研究者の仕事を参照しながら日々少しずつ進めていく。自分が再び学術論文を執筆することになった際には、ウィルバーの理論モデルを活用することもあるかもしれない。むしろウィルバーという巨人の肩に乗せてもらう形で自らの仕事を進めていくことが賢明なように思える。特にサイケデリクスと発達理論を架橋させる仕事をする際にはウィルバー の仕事は避けて通れない。このようにして自分はサイケデリクスを通じて、ウィルバーのインテグラル理論や発達理論といった自らの出自にあたるような原点に還っていく。そんな現象が今の自分に起こっている。フローニンゲン:2023/11/9(木)17:00

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