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11255-11261: フローニンゲンからの便り 2023年11月7日(火)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

11255. 今朝方の夢

11256. 新天地での生活を望む自分の魂/利他心に支えられた加速する学び

11257. 天才としての宇宙からの贈り物

11258. 力

11259. 宇宙の願いと思いやり

11260. シロシビン·マッシュルームの栽培キットを購入して

11261. 個別性から新たな全体性への死/究極的な真理に成ることを可能にするサイケデリクスによる超越体験


11255. 今朝方の夢


時刻は午前3時半を迎えた。昨夜も結局午後8時半過ぎには就寝していたので、午前3時に起床するまでの間十分な睡眠を取ることができた。昨日の段階でもある程度の時間なら読書はできたが、やはり本調子ではなかった。そこから一夜が明けて、今日の様子であればサイケデリクス研究に随分と打ち込めるかと思う。


ボストン旅行から帰ってきてからというもの、明瞭な夢を見ていない。今朝方の夢もぼんやりしたものだった。それでもいくつか覚えている断片があるので、それらについても取りこぼすことなく書き留めておこう。断片としての夢もまた自分の内面宇宙の1つ輝きであり、その輝きを記録しておくことが、いつかどこかで思わぬ光のつながりを生むのだから。


夢の中で私は中南米のどこかの大学にいた。雰囲気はまさしく中南米のそれであり、欧州や北米とは明らかに異なっていた。陽気のあるその大学で、私はサイケデリクスに関する講義をしていた。講義を行っていた部屋はとても開放的で、窓からは燦然と輝く太陽の光が降り注いでいた。時刻としては正午前の時間帯だった。その大学は国際色豊かなことを売りにしているが、自分の講義を履修していたのは中南米人ばかりだった。中には学生のみならず教授もちらほらいて、この地におけるサイケデリクスへの関心を窺わせた。中南米と聞くと、コカインの生産地のような印象を持ち、確かに依然としてこの地のコカインの生産量は多い。しかしそれは自国で消費するというよりも北米や世界の他の地域に輸出する形で他国で消費されているという現状がある。なので中南米の人たちは意外とコカインに触れているようでいて触れておらず、むしろ伝統的にメスカリンやシロシビンが含まれる植物やキノコ類を宗教儀式として摂取してきたという文化的土壌がある。そうした彼らが今、先端的な科学と出会い、サイケデリクスの意味や機能を捉え直している過渡期にいるようだと感じた。私の講義に対してその場にいた学生も教授たちも熱心に耳を傾けてくれ、どんどんと質問をしてくれたことにより、講義は多いに盛り上がり、この地での学術生活の充実さを実感していた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/11/7(火)03:40


11256. 新天地での生活を望む自分の魂/利他心に支えられた加速する学び


ーー私たちは霊的体験をする人間的生き物なのではない。私たちは人間的体験をする霊的生き物なのだーーピエール·テイヤール·ド·シャルダン


時刻は午前4時を迎えようとしている。依然として辺りは深い闇に包まれている。闇は自分にとっての親友のような無くてはならない存在になっているかのようだ。深い闇に長い時間包まれていることを通じて、自分の内側の光が色濃くなってくる。光の発見において闇は不可欠であり、オランダでのこの8年間の生活は、自らの光の発見に自己を導いていたかのようである。おそらくこの自己発見のフェーズも終わりに差し掛かっている。できれば来年からは新天地での生活を望む自分の魂がいる。魂の望みを叶えるべく、自分は今の自分にできる精一杯のことをして毎日を生きていく。


昨夜、自分が抱える問いや謎に答えるために学んでいるのではなく、将来自分が出会う誰か、あるいは出会わないかもしれないがどこかでつながっている誰かが抱える問いや謎に答えるために学んでいる自分がいるように思えた。これは、超越的な学習者としての自己が明瞭なものとして顕現し始めていることの現れのように思える。今こうしてサイケデリクスに対してこれほどまでに熱を上げて探究をしているのは、どう考えても自分のためだけではない。自分の好奇心や学習意欲を満たすということを超えた学びがここにある。学ぶことの楽しさと喜びを包摂しながらも、それを超えた利他的な何かを絶えず感じている自分がいる。今の自分にとって学習を最大限に推し進めてくれるのは自分の内側から湧き上がる楽しさや喜びの感情のみならず、他者や世界に貢献しようとする利他心のようなのだ。この点もまた8年前のオランダに来る前の自分とは随分と異なる。今の地点まで歩みを進める機会をふんだんに提供してくれたのがオランダ、そして欧州大陸であった。この地での学びや各種の旅行が自分の養分となり、自分は目一杯その養分を浴びて成長させてもらった。今度はこの地を離れ、新たな場所でここまで学んできたことを社会に還元し、同時にさらなる飛躍的な学びを得ていくフェーズに入ってきているのではないかと感じる。新天地の足音が着実に聞こえてくるようになった。闇の静寂さがその足音を増幅させてくれている。


旅の最中には朝起床してすぐにシャワーを浴びてさっぱりしていた。冬のこの時期においてはシャワーを浴びて体を温めることができるので、ボストン旅行から帰ってきてもこの習慣を踏襲している。これまでは髪の毛だけシャワーで濡らしていたが、全身に温かいシャワー当てることでの目覚めの効果があると思ったので、これを新たな習慣としていく。シャワーを浴びて2階の書斎に移動すると、そこからはすぐに日記を書き、その後に作曲実践をするようにした。これもまた旅の最中の習慣であった。普段は作曲実践をしてから日記を書いていたが、覚えている夢を早めに書いたほうがいいと判断したので、今後はこのような流れで朝の実践を組み立てたい。フローニンゲン:2023/11/7(火)04:07


11257. 天才としての宇宙からの贈り物


この世界に天才は存在しているのだろうか。そのような問いが先ほど立ち、それに対しては、人間としての天才はこの世には存在しないという自分なりの答えとしての回答が芽生えた。ではこの世界に存在する天才として何があるかと考えたときに、この宇宙そのものが天才なのだと気付いたのである。宇宙は、人間にとっては気の遠くなるような久遠から今にかけて、絶えず斬新なものを創造し続けているのだ。斬新さのみならず、生命のような非常に複雑なものも生み出している。そんな存在を天才と言わずしてなんと言えよう。そして宇宙を天才として見立てれば、これほどまでにちっぽけな人間に天才などいないことがわかるだろう。もちろん人間もまた天才としての宇宙から生み出されたものなので、フラクタル的に全ての人間に天才性が内包されているのである。各人に備わる固有の天才性を花開くこと。それが個性の開花であり、真の意味での個性化である。


冬の季節の朝は特にコーヒーが旨く感じられる。ボストン旅行中にひょんなことから、これまでずっと水しか入れてこなかった赤い魔法瓶にコーヒーを入れて持参したところ、その保温力が素晴らしく、今後は家でも魔法瓶にコーヒーを入れて、そこから少しずつカップにコーヒーを注いでいくことにした。なのでこれまで水専用であった赤い魔法瓶が役割を変え、コーヒー専用になった。それを受けて、ボストンでまた別の水専用のボトルを購入した。これまでの役割からガラリと新たな役割に変化すること。赤い魔法瓶の見事な役割変化を受けて、自分もまたこの世界に果たす役割に関して何か変化が生まれるかもしれないと思った。同じ役割を継続することも尊いが、突然新たな役割に目覚めて新たな人生が始まることもまた尊い。自分のこれまでの人生はどちらかというと後者の色合いが強い。そもそもサイケデリクスを全身全霊で研究しようと思ったのも役割の変化であり、サイケデリクスに関する研究と実践を通じて、ここから自分はまた役割を変えていくかもしれない。そんな変化していく自分が楽しみであり、それもまた天才としての宇宙が自分に与えてくれた贈り物なのだろう。フローニンゲン:2023/11/7(火)05:21


11258. 力


人は誰しも無力さと低能さから出発する。とりわけ学習·実践領域が変わるとそれを体感する。そもそも現代の教育における限定的な学習·実践領域に閉じ込められた形で生きることが苦しいのなら、そこにいる必要はないのである。世間では「逃げる」ことがどこか悪いように捉えている節があるが愚の骨頂である。その教育や世界が地獄のように感じられるのなら、そこから逃げればいいのである。


無力な人間には何も変えられない。世界を変えるには力が必要である。そんな当たり前のことに対する明瞭な意識を持ち始めたのは意外と最近のことかもしれない。極めて病理的な世界に無理に適応することは健全な証ではない。健全な姿は、極めて病理的な世界から一刻も早く逃げ出し、自らを真の意味で涵養してくれる中で学習と実践を継続させて力を蓄え、過去自分が逃げ出した病理的な世界を変えていくことである。自分が苦しんでいた世界は他の人も苦しんでいる可能性がある。逃げることが悪な場合とは、逃げておしまいの場合である。逃げた者は必ず自らを輝かせないといけない。そして必ず学びと実践を深め、力を付けなければいけない。それをしようとしないのは世界に対する責任放棄であるし、それこそ低能頓馬の証である。そうした人間はそもそも気骨さも気概もないので病理的な世界から逃げることさえできないだろうか。逃げるためには気骨さや気概が必要なのである。それらは自らの魂からスピリットからもたらされる。逃げるための気骨やさ気概が完全に萎えてしまう前に今の自分を苦しめている世界から一刻も早く逃げること。それをするべきである。そして自分と同じ苦しい思いをしている人たちを一刻も早く救うために、とにかく勉強と実践を重ねて圧倒的な力をつけることである。力のない人間には何もできない。少なくとも世界を変えることはできない。超越世界から投影されたこちらの世界においては力が必要なのである。なぜ超越世界は力がないと何も変えられず、力によって腐敗もするこんなにも残酷な世界を投影創造するのだろうか。巨大な進化の物語の中で、これは人類に突きつけられている積年の課題なのかもしれない。この課題を先延ばしにしてきたツケが今人類に重くのしかかっている。世界を深層的に癒し、変容させるための力をつけること。そのために自分は学び、実践をする。もうその点を隠すことはしないし、力を得ることに何の躊躇もしたくない。これまで自分は力の獲得から散々逃げてきたのだから。力を獲得することに向けた気骨さと気概さに漲る自分が夜明け前に佇んでいる。フローニンゲン:2023/11/7(火)06:32


11259. 宇宙の願いと思いやり


そもそもなぜこれほどまでに多様な意識状態があるのだろうかと考えた。この地球には季節という4つの状態がある。実際にはそれらの季節はグラデーションがかかっていて、意識状態も似たような性質を持っているが、いずれにせよ意識状態にはいくつかの区分がある。日常意識と括られるものにもグロス、サトル、コーザル、目撃者、非二元の5つの区分が少なくともあるし、非日常意識という特殊な意識状態もある。こちらの非日常意識にも同様に5つの区分が存在する。厳密には、日常意識も非日常意識もまだまだ細分化することができ、さらに豊かな意識状態の区分を設けることができる。いずれにせよ、それだけ人間は多様な意識状態を経験できる生き物なのだ。精神薬理学者のロナルド·シーゲルの“Intoxication”という書籍を読めば、人間だけではなく様々な動物たちがサイコアティブな物質を摂取することを通じて変性意識状態に入ることを好んでいることがわかるだろう。


このように動物としての人間が多様な意識状態を経験することの意味を考えてみた。コスモロジーとの関連で言えば、ひょっとしたら宇宙がそうさせているのかもしれない。そこには宇宙の願いのようなものと思いやりのようなものがあるように思えてくる。基本的に私たちは、ある特定の意識状態の際に知覚されるものはその状態に規定される。別の表現で言えば、意識状態が変われば知覚されるものも異なるのだ。端的には、宇宙はある特定の意識状態だけで捉えられるほど単純なものではないし、味気のないものではないのだ。むしろ宇宙は様々な意識状態を総動員する形で把握される彩り豊かな複雑な表情を持っているのだ。宇宙の願いはきっと、そんな彩り豊かな複雑な表情を人間に少しでも理解してほしいと思っているのではないだろうか。また、人間に多様な意識状態に参入できる性質を付与し、この世界にそのための多様な手段を授けたのは宇宙の思いやりの現れなのではないだろうか。そのように考えてみると、せっかく宇宙が提供してくれた手段の1つであるサイケデリクスを人間の低能な頭でこしらえた法規制で雁字搦めにするのは馬鹿げているし、その手段を剥奪することによって特殊な意識状態に参入する権利と力を奪ってしまうことも馬鹿げている。現代人と現代社会は、宇宙の願いと思いやりを無視し、それと反する行いをし続けているのである。今般のサイケデリクスムーブメントは、宇宙の願いと思いやりを汲み取ったものでなければならない。その試みに自分は貢献していくつもりだが、世界がどうであろうと、自分は宇宙の願いと思いに忠実になり、多様な意識状態を経験しながら宇宙の彩り豊かな表情を見続けていく。それは千変万化する命の連続的な創造プロセスであり、自分はそのプロセスと一つになってこれからも生きていく。フローニンゲン:2023/11/7(火)07:02


11260. シロシビン·マッシュルームの栽培キットを購入して


時刻は午前9時を迎えた。今朝方はうっすらと太陽の光が地上に差し込んでいて、優しさを感じる。ボストン滞在中のような晴れ渡る空ではないが、この時期のフローニンゲンでこうした柔らかな太陽の光を感じられる時間はとても尊い。


今朝方は午前3時に起床し、ここまでのところサイケデリクス研究は順調に進んでいる。読書が大変捗る中、少し休憩としてモーニングコーヒーをすすりながら、当初から予定していたように、ボストン旅行を終えたので、シロシビン·マッシュルームの栽培キットと今週末の日曜日に予定している第19回のシロシビン·セッションに向けて「ヴァルハラ」を購入した。栽培キットの方は、“Psilocybe Azurescens”という品種で、シロシビン·マッシュルームの中で、シロシビン含有量は購入できる他の品種と比べて一番多い。本来は近所の行きつけのスマートショップで購入するつもりだったが、オンラインで購入した方が割引きが効くので、今回はオンラインで購入した次第だ。今回購入した栽培キットは中くらいのサイズのもので、1200ccのものである。この栽培キットで3回ほど収穫ができ、合計で400gほどのシロシビン·マッシュルームが収穫できる。オンライン上での商品説明欄を読むと、何やら最初の収穫が最も多く収穫できるらしく、3回に分けて徐々に収穫量が減っていくとのことだ。平均すれば1回あたり130gほどの収穫量となり、生のマッシュルームでそれくらいの重さであれば、乾燥させると約1/10の重さになると考えれば良いので、13gほどの乾燥マッシュルームが得られる。これは、かつてテレンスマッケナが提唱した、「英雄の服用量=乾燥マッシュルーム5g」の概念を用いれば、2回強のセッションができる。もちろん実際に最初の収穫を迎えてみなければどれだけの生のマッシュルームが収穫できるのかわからないが、目安として乾燥させると1/10の重さになり、英雄の服用量は乾燥マッシュルーム5gであるということを念頭に置いておこう。ここにきて、早田航さんがプレゼントしてくれた計量器が重宝される。シロシビン·マッシュルームの栽培もカンナビス栽培の時と同じく、色々と調べて学びながら愛情を持って育てていこうと思う。フローニンゲン:2023/11/7(火)09:27


11261. 個別性から新たな全体性への死/究極的な真理に成ることを可能にする

サイケデリクスによる超越体験


時刻は午後3時半を迎えた。ボストン旅行から帰ってきて最初の中央市場への買い物を終えたて、つい先ほど自宅に戻ってきた。自宅を出発した瞬間こそ小雨が降っていたが、それはすぐに止み、今日は嬉しいことに晴れ間が広がって、穏やかな太陽の光を浴びながらの買い物となった。市場は普段通りの活況を見せており、そこに集う人たちの幸せそうな表情を眺めた。こうして生活拠点の中にある生活感溢れる場所に触れることによって、再びこの地での落ち着いた生活の基盤が構築されていくことを感じる。


今の自分を死ぬというのは、今の自分という個別性をさらに高次元の自分という全体性に開くことなのだ。このたびのボストン旅行は小さな死の体験をもたらしてくれ、そのおかげで自分はまた新たな段階の全体性として生き始めた。1つの個別性から新たな全体性への開放と解放。それが発達の要諦である。


これ以上に絶対的にない当たり前を確認させてくれるのがサイケデリクス体験なのだから、その体験を「神秘体験」と呼ぶのはどこかおかしいという点について考えていた。それが「超越体験」と呼ばれるのならまだわかるが、サイケデリクス体験を神秘体験と呼ぶのは控えたい。絶対的な真理に目覚め、それに触れるという点において、それはこの世界のそれ以上にない当たり前を覚知させるものなのだから。サイケデリクスを通じてもたらされる深い体験は、超越体験であり、それはそれ以上説明ができない絶対的な確からしさを触知させてくれるものなのだ。マーシャル礼拝堂のステンドグラスに掲げられていた文字、そしてハーバード大学の校章に掲げられている文字の“veritus(真理)”はまさにそのことを示しているように思えてくる。単に学問的に真理に到達するのではなく、学問ですら到達できない真理の世界を全存在を通じてそれに合一させてくれるもの。サイケデリクスによる超越体験とは、そのような究極的な真理を「知る」というよりも、究極的な真理に「成る」ことを可能にしてくれるものなのかもしれない。それはknowingなのではなく、beingさらにはbecomingなものなのだ。 フローニンゲン:2023/11/7(火)15:40

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