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11145-11149: フローニンゲンからの便り 2023年10月22日(日)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

11145. 来週末のボストン旅行への思い

11146. 今朝方の夢

11147. 「セイクリッド·メディスン(聖なる薬)」という呼称の可能性

11148. ジークンドーの稽古(145):誕生日翌日のジークンドーのプライベートレッスンを終えて

11149. 流れと非二元の自己/ジークンドーの稽古(146):無即有・有即無の世界を覗き見て


11145. 来週末のボストン旅行への思い


時刻は間も無く午前5時半を迎えようとしている。今朝方も気温が下がっており、自動で暖房が入っている。目の前は真っ暗な闇の世界で、闇の闇さに飲まれてしまいそうだが、仮にそうだとしても自分の内側には常に大きな巨大な光がある。むしろ自分という存在が光に包まれ、光そのものなのだから方向を見失いようがない。光に導かれ、光を届ける存在としての自己がここにある。


どうやら今日は午前中は雨が降るようだが、幸いにも昼前から雨は止み、午後からは晴れ間が顔を覗くようである。今日はジークンドーのプライベートレッスンがある日なので、道場までの行き帰りには雨が降ってない方が有り難かったのでとても助かる。プライベートレッスンの前にはラジオの収録があり、ラジオの収録を終えたらすぐに自宅を出発できるように、ラジオの収録の前に着替えを済ませ、持参する水筒に水を入れておくなどの荷造りをしておこうと思う。


来週の今日はもうボストンに向けて出発している。その日も早めに起床する予定で、フローニンゲン中央駅を午前7時過ぎに出発する列車に乗ってスキポール空港に向かおうと思う。フライトの時間の搭乗時間は午前11時半だが、30分前ぐらいから搭乗口に入る必要があり、それを考慮して少なくとも1時間は空港のラウンジで寛げるような形で空港に到着したいと思う。今から5年前にもボストンに訪れたのだが、その時の記憶を辿ると、欧州国内に旅行に出かけるのとは違う手続き口を経てラウンジに行く必要があったかと思う。そのあたりも事前に確認をしておきたい。いよいよ5年ぶりのボストン滞在となるが、今回のボストン旅行もまた充実したものになるに違いない。今回は、ハーバード大学神学大学院(HDS)を訪れ、そこの研究センターにも足を運んで、サイケデリクスの研究に従事している研究者数人と直接会って話をしてくる。自分の研究アイデアを伝え、その研究センターで自分の研究ができるのかを確認してきたい。またHDSの学生とも話をしてくる予定で、キャンパスライフの様子を尋ねたり、コースワークと並行してどのようにサイケデリクス研究を進めているのかを尋ねたいと思う。何よりもキャンパスの雰囲気がどのようなものなのかを味わい、自分が今年HDSに出願し、仮に来年からHDSで研究生活を始めたときの様子を想像しながら滞在中の時間を満喫したいと思う。滞在期間中に得られることは全て得るような心持ちで、絶えず積極的な心を持ち、それでいていつもと変わる静謐平穏な自己であり続けようと思う。フローニンゲン:2023/10/22(日)05:33


11146. 今朝方の夢


依然として真っ暗闇が目の前に広がっている。時刻は午前6時を迎え、引き続き暖房が自動で音を立てて動いている。ここから本格的に朝の読書に取り掛かりたいと思う。この時間帯までにすでに朝の日課である呼吸法とアニマルフローを終えて身体が活動に向けて整い、創作活動に関してもいつものようにカリンバの即興演奏作曲を通じて5曲作り、デジタル絵画を2枚ほど書いた。今から夢日記を執筆すれば、毎日朝の読書に取り掛かる前の全てのルーティンを終えることになる。ルーティン。それはコスミックハビットにつながるものである。自分の習慣は宇宙の習慣になるということ。そのようなことをそう言えば昨夜の入浴時に考えていた。自分が毎日行う習慣的行為は、必ずや宇宙の習慣的行為となって宇宙全体に影響を与える。自分個人の習慣を如何様なものにするかが宇宙への寄与につながるという意識。そうした意識が自己を貫いている。


今朝方は1つ印象的な夢を見ていた。夢の中で私は、大学に入学したてのようで、今からクラス対抗のボート大会に選手として出場することになっていた。チームでボートを漕ぐのではなく、1人用のボートに乗って他のクラスから選出された学生たちと競うことが求められていた。他に良い学生がいたと思うが、どういうわけか自分がクラスから選手として選出された。選出されたからには全力でボートを漕ごうと思って準備運動をしていると、ボートに乗らずに川を泳いでもいいとのことだった。ボート大会が開催される場所は東京の隅田川で、そこは母方の祖母との思い出もある川なので、ボートではなく泳いで競技会に参加しようと思った。しかし、隅田川はあまり綺麗な川ではなさそうに思えたので、試合開始前に急遽係員の男性に告げて、自分もやはりボートに乗って競技会に出場すると述べた。競技開始前ギリギリで自分のボートを用意してもらうことになり、いざボートに乗ってスタートの合図を待った。そこでふと冷静になり、そもそもボートはどのように漕ぐのだろうと思った。そのようなことを思っている矢先にスタートの合図のピストルが鳴り、試合が始まった。私の右のレーンには、小中高時代の友人(AF)がいて、私は彼よりも1隻分ぐらい先行してボートを漕いでいた。どうやら私が首位を走っているようで、この調子で行けば首位でゴールできるかもしれないと思ったが、その友人が後半から一気に馬力を上げて、ぐんぐんと差を詰め、結果的に彼に抜かれてしまった。彼に抜かれても2位でゴールできると思ったところ、左から途轍もない速度で水しぶきを上げながら追い上げてくるボートがあった。みると人とは思えない獣のような生き物がボートを猛烈に漕いでおり、その半人半獣のような存在にも抜かれ、結局その生き物が友人もゴール前で抜いて1位となった。結局私は7人中の3位でゴールした。結果としては上々のように思えたが、ボートの漕ぎ方が最初から分かっていれば、少なくとも2位になれたのではないかと少し悔やんだが、クラスメートたちは3位になったことを喜び、私を称えてくれたので、悔しさもすぐに吹き飛び、むしろクラスメートを喜ばせることができたことを嬉しく思った。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/10/22(日)06:24


11147. 「セイクリッド·メディスン(聖なる薬)」という呼称の可能性


時刻は午前8時に近づいており、今ようやく空が明るくなってきた。いよいよ来週末の日曜日に欧州はサマータイムを終える。ちょうどその日にボストン旅行があり、朝の起床時間には注意しよう。これまで午前5時に起床していた場合にはそれが午前6時になるということを押さえておこう。


先ほど洗濯物を干しながら、「サイケデリクス」という名前に変わる言葉がないかを探していた。1つの候補として「セイクリッド·メディスン(聖なる薬)」という呼び方があるなとふと思った。それは確かにサイケデリクスよりも肯定的な印象を与えることに寄与しそうだが、学術機関ではすでにサイケデリクスという名称で研究が進んでおり、すでにそれに付帯する社会的スティグマは学術機関においては払拭されつつあるので、あえてセイクリッド·メディスンという呼称を使う必要はないのかもしれない。だが、一般人はまだまだサイケデリクスという言葉に対して悪い印象を持っている人たちが多いのは事実であり、とりわけ年長者になればなるほどその母数は増える。そうしたことを鑑みて、一般人に向けてはセイクリッド·メディスンという呼称を活用することも時と場合に応じて検討しよう。全てのサイケデリクス が聖なる薬としての力を持っているかというとそうではなく、とりわけ魂や霊性を顕現させる内的ビジョンを知覚させる類のサイケデリクスが聖なる薬と呼ばれるにふさわしいだろうか。今のところその定義に沿えば、シロシビン、メスカリン、LSD、DMTが聖なる薬と呼ばれるに相応しく、MDMAやケタミンはその定義からはこぼれる。MDMAやケタミンはまた違った働きをするのである。


今日はラジオの収録があり、ゲストの方を呼ぶ予定になっているので、仮にそこでサイケデリクスの話ができれば、そこでこの話題を取り上げてみたいと思う。どのような名付けをするかは、それが普及していく際の大きな鍵となるので、名付けの大切さについて対話をしながら、サイクリッド·メディスンかそれに代わる何か別の良い名前がないかを対話を通じて考えていきたいと思う。フローニンゲン:2023/10/22(日)07:56


11148. ジークンドーの稽古(145):誕生日翌日のジークンドーの

プライベートレッスンを終えて


誕生日から一夜明けた今日もまた輝くような充実感に満ちた1日だった。日々が光の顕現として過ぎていく。光としての日々は充実感と至福さで満ち溢れている。今日もまたそのような1日であり、それがとりわけ際立つ1日だった。


時刻は午後5時半を迎えようとしていて、そろそろ夕食の準備をしようかと思う。夕方の世界を祝福するかのような夕日がフローニンゲンの上空に浮かんでいる。


振り返ってみると、今日は午前中こそ小雨が降っていたが、昼頃からはすっかり天気が良くなり、先ほどのジークンドーのプライベートレッスンの行き帰りは本当に気持ち良かった。寒さのおかげもあって、行きに道場にジョギングに向かっていても汗は滲むことなく、それでいて良いウォーミングアップになったかと思う。道場の駐車場が見えてくると、駐車場にロビンさんが立っていた。実は道場の移転をすることになっていて、今日は以前道場があった場所と同じなのだが建物のフロアが違うということでロビンさんが自分を待ってくれていて、部屋まで案内してくれたのである。今日のトレーニング場は仮の場所で、今度のセッションでは正式な道場に再びなるようだ。今日のレッスンが行われたのは、広いセラピールームのような場所で、ピアノや本棚が置かれているような特殊な環境だった。そうした環境を楽しむ心の余裕を持って今日のレッスンが始まった。


今日はまず最初に接触法の復習からレッスンが始まった。何番の接触法でもいいので、ロビンさんがとっさに繰り出す左右のパンチに対して接触法を行うことが求められた。ランダムの接触法をしらばく行った後、1番から8番までを丁寧に辿っていった。その中で、5番目の接触法についてより精密な動きになるようなフィードバックを受け、それが大変ためになった。5番目の接触方では、まず自分が相手の攻撃に対して右手のタンザオを行う。そしてすかさず左手で相手の肘を押さえ、右手のストレートパンチを繰り出す。自分は左手で相手の肘を押さえた後の右のストレートパンチの際に、自分の左手を下に下げてしまう傾向があり、その追加動作を挟んで右のストレートパンチを放つので遅いという指摘を受けた。ポイントは、左手はそのままにして、右手のタンサオの構えからダイレクトに右のストレートパンチを繰り出すことがポイントになる。ジークンドーではとにかく無駄な動きをせず、最短距離で相手に攻撃を届けることが原則であることを改めて思い出してくれるフィードバックだった。


そこからも稽古は続いていったのだが、稽古を終えて帰っている最中に、こうしてジークンドーという武術を通じて体を触れ合わせることもまた自分のボディ·マインド·ソウル·スピリットの確かな成長につながっているという確証的実感があった。武術の良さはボディの次元でしっかりフィジカルコンタクトがあることであり、それを通じて上位の存在の入れ子が鍛えられていく。その効能を強く実感するプライベートレッスンだった。フローニンゲン:2023/10/22(日)17:31


11149. 流れと非二元の自己/ジークンドーの稽古(146):

無即有・有即無の世界を覗き見て


穏やかな時の流れ。そしてこれ以上にないほどの充実感ではち切れそうな時の流れ。それが自分の内側を満たしていて、自分はその流れとして生きているというありありとした実感。そうした流れと非二元の自己。そんな自己がここにいる。


振り返れば今週もまたとても充実していた。ハッと気づかされたが、あの怒涛のようなシロシビン·セッションは今週の月曜日のことだったのだ。先週末まではまだロッテルダムにいて、今週はこうしてフローニンゲンで過ごしていたのだが、来週末からはボストンに自分はいる。こうした自己を見て喜びに満ち溢れている自己がいる。自己も人生も双方が旅人であるということ。この旅人性を噛みしめながら、自分は自分の旅をして、その過程で他者の旅を支援し、自分の旅を通じて見えた旅の景色をまた惜しみなく共有する。自分の人生はそのようにしてこれからも進んでいくという絶対的な確信と絶対的な安心感、そして絶対的な満足感。満足というのはこういうこと言うのだろう。全てがもうそれ以上に満たされ得ないほどに今の自分は幸せである。


そうしたことを思いながら、今日のジークンドーのプライベートレッスンについてまた振り返りをしている自分がいた。今日は接触法以外にも、ランク4でさらに追加で要求される項目について稽古をした。その中でも印象的だったのが、こちらの攻撃を相手にブロックされた後の即座のカウンターの技である。型としては3種類習ったが、それぞれの型に無限のバリエーションがあって、3つの型の奥に広がる無限の世界をロビンさんに示してもらったのは最大の収穫であった。ジークンドーの原理はシンプルなのだが、シンプルゆえにその奥には無限の可能性がある。それこそ無即有ないしは有即無の世界を覗いた感覚を得た。それら3つの型についてはここでは細かく書かないが、明日からの自主稽古では繰り返しそれらを練習していきたい。とりわけ腰の回転力を使う動作が兎にも角にもコツなのである。本当にそれは腰の骨を活用する意味でも「コツ」なのだ。最後に稽古をしたのは、以前にも習ったフックパンチのフェイントからの連続技である。ここでもフックフェイントが単なるフェイントではなく、本当にそれがフックパンチであるかのようなリアリティを持たせることが重要であり、その後に続く連続技でもまた腕から動くのではなく、腰骨から動き、腰の回転力を使ってフックパンチ以降の技を繰り出すことの大切さを学んだ。明日は幸いにもジムでのトレーニングがあるので、ジムの鏡のある部屋で今日習ったことを繰り返し練習したいと思う。今夜もまた充実感と幸福感に満ちた形でぐっすりと就寝できそうである。フローニンゲン:2023/10/22(日)19:34

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