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11054-11059: フローニンゲンからの便り 2023年10月8日(日)



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タイトル一覧

11054. 今朝方の夢

11055. 万能薬ではないサイケデリクス

11056. サイケデリクス に関する新書のアイデア/アイヌのシャーマンとサイケデリクス

11057. 今後のサイケデリクス探究の方向性/今後のシロシビン·セッションに向けて

11058. 死に向けた準備の実践としてのサイケデリクス /通常意識と非日常意識

11059. 満ちる幸福感/散歩中の驚き/医学的な助言の注意点


11054. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。今朝は昨日よりも少し寒さを感じるが、後ほど朝の呼吸法とアニマルフローを行えば全身が温かくなるだろう。それを受けて今日もまた本格的にサイケデリクス研究に従事していく。


今朝方はいくつかの断片的な夢を見ていた。まず覚えているのは、こじんまりとした部屋で1人で勉強に集中していた場面である。その時の自分の集中力は凄まじく、自分の外側の環境についての意識は消失し、意識は内側だけを向いていた。なので勉強内容の世界そのものにどっぷりと浸かることができ、学んだ内容がすぐに頭に入り、全て自分の身になっている実感があった。学習上におけるゾーンの状態と言っても良い状態を体験していた。


その次に見ていたのは、小中学校時代の親友(HS)と高校時代のクラスメートの友人(TN)ともう1人の別の友人を合わせて4人で野球を行っていたことである。野球をするには不十分な人数だったが、バッターを1人立て、あとはピッチャーと守備に回るという形で楽しく野球をしていた。野球を終えた後には少し4人で雑談をした。そこで私はハッとして、そう言えば自分が高校のアーチェリー部に今日から入部したことを思い出したのである。初日の練習をサボるわけにはいかなかったので、先に失礼する形で彼らと別れた。そこから私は空を飛んで学校に向かうことにした。その道中はどういうわけかワンダーランドに迷い込んだかのように、様々な景色が広がっていた。とりわけ平原と沼地の上を飛んでいる時の自分は高揚していて、世界にはこのような自然があるのだと感動していた。しかし感動も束の間、平原には獰猛な野生動物がわんさかいて、あまり低く飛んでいると彼らに襲われてしまう心配があった。チーターのような動物が、私が手に持っていた枝とその先に巻き付いた糸に興味を示し、それを何かの餌だと思ったのか、糸の先に戯れ合うような場面もあったが、何とか獰猛な動物に襲われることなく平原を抜けた。するとようやく学校が見えて来て、テニスコートの裏から敷地内に入った。ちょうどテニス部の練習が終わったところのようで、テニス部の3人の友人が今からラーメン屋に行って飯でも食べようということを話していた。彼らの横を低空飛行でスライディングするように飛んで行った私を見て、彼らは一瞬驚いていたが、それが私だとわかると特段驚いてはいなかった。彼らは私をラーメン屋に誘ってくれたが、これからアーチェリー部の練習があることを伝えると、また面白い部に入ったもんだなと彼らに言われた。自分もなぜアーチェリー部に高3から入ったのかわからないが、今から行う新しいことに期待で胸が膨らんでいた。フローニンゲン:2023/10/8(日)06:31


11055. 万能薬ではないサイケデリクス


ここにある確かな静けさ。その静けさに佇む自己。自己は静寂さと手を取り合って楽しげな気分の中で今というこの瞬間を味わっている。世界そのものを味わっている感じ。至福さと充実感が滲み出すその感覚と一体化している自分が今ここにいる。


先ほど、サイケデリクスはしかるべき人が摂取してその効能を享受するものなのであって、万民に勧められるものではないことを改めて思った。すでに重度の精神疾患を患っている場合には注意が必要であるし、心臓や血管に何か問題がある人もまた細心の注意を要する。もちろんそうした人たちもサイケデリクスの種類によっては、そして服用量によってはその効果の恩恵に預かることができるが、いずれにせよそうした人たちは注意深くサイケデリクスを摂取する必要がある。その時には専門家への相談が不可欠となる。サイケデリクスは確かに脳を含めた身体全体へも働きかけていくが、それが最も効果を発揮するのは、マインド·ソウル·スピリットの次元だろう。ゆえに極端な例で言えば、指を切ってしまってその止血のためにサイケデリクスを摂取するというのはかなり馬鹿げていて、止血にふさわしい手段は他にいくらでもある。一方で、サイケデリクスが効果をもたらす身体症状というのは、まさに現代医学では原因不明かつ治療法がわからないようなボディとマインドさらにはそれ以上の次元とのつながりによって生み出されている症状である。そうした症状にはサイケデリクスは効果を発揮し、霊性学的な素養や知性がない人には嫌がられるであろうソウルやスピリットという言葉を使わないで説明すれば、少なくとも心が癒されることによって、心の問題と紐づいている身体症状が改善されることは大いにある。この点については現在色々と研究が進んでいるが、さらなる研究が待たれる領域でもある。現在世界の名門大学が行っている研究はどちらかというとマインドの問題に焦点を当てていて、それこそ世界中で蔓延する現代病とも言える鬱病や、死期が迫った人の死への不安の改善·解消など、心の問題の治癒に対するサイケデリクス研究が隆盛している。


そのようなことを考えながら、サイケデリクスはしかるべき人には勧められるが、万民に等しく勧められないという点で言えば、この世界に何か万民に摂取を勧められるものがあるのだろうかと考えていた。すると水はどうだろうかと考えた。一般的に水は私たちが生きていくためには不可欠なものだと言われているが、食事はおろか、水さえも摂取せず、呼吸だけで生きていけるブレサリアンの人たちがいることを思うと、水も万民に勧められるものではなく、そうなってくると万民に勧められるのは呼吸だけということになるだろうか。ここで呼吸を重視するヨガの叡智を思う。呼吸は大きな治癒薬となり、どのような呼吸を日々行っているかが、存在の入れ子の全ての健康を決定していくことを思うと、呼吸をまた見つめ直してみようという気持ちになる。フローニンゲン:2023/10/8(日)07:05


11056. サイケデリクス に関する新書のアイデア/アイヌのシャーマンとサイケデリクス


時刻は午前7時半を迎えた。ようやく随分と明るくなって来た印象である。日が出てくるのが随分と遅くなり、今月末のサマータイムの終了が待たれる。


先ほどモーニングをコーヒーを淹れている時にふと、サイケデリクスに関する新書を書くなら、それぞれのサイケデリクスに関する科学的な発見事項や歴史について触れるだけではなく、それぞれのサイケデリクスに対する自分の体験談を加えていくと興味深く読んでもらえるのではないかというアイデアが芽生えた。サイケデリクスに括られるものは結構な種類に及ぶので全てのものを試したことはないのだが、幸いにもそれでもかなりの種類のものをこの12年間の欧米生活の中で試す機会があったので、その体験を書籍の中に盛り込んでいきたいと思う。読者に語りかけるような人称表現を用いれば、その新書は1人称·2人称·3人称の全ての語りを含めることができる。そうした新書の執筆に向けて、今はとにかくサイケデリクス研究に明け暮れることが重要である。


昨日、世界のカンナビスの医療利用に関する歴史を取り扱っている学術書を読む中で、アイヌのシャーマンが様々なサイコアクティブな植物(例:マンネンロウ)を使って儀式を執り行っていたことを裏付ける文章とようやく出会えたことを嬉しく思った。やはり日本にも古くからサイケデリクスを少なくともシャーマニズムにおいて活用していた歴史があるのである。アイヌのシャーマンに対する関心は募るばかりで、できれば英語の学術書で読みたいが、なければ日本語の文献を当たりたいと思う。アイヌの研究は日本の方が進んでいることは間違いないが、アイヌの研究の中でもサイケデリクスの活用となると日本社会でのタブーゆえに研究はほとんどされてないように思えるし、サイケデリクスの研究においては欧米の方が圧倒的に進んでいることもあって、むしろ英語でそのような書籍や論文に出会えるかもしれない。今のところ目ぼしい書籍は見つからないが、該当する論文なら英語空間にあるように思えるのでそれについてまた調査してみよう。それでは今日もここから本格的にサイケデリクス研究を始めていく。フローニンゲン:2023/10/8(日)07:43


11057. 今後のサイケデリクス探究の方向性/今後のシロシビン·セッションに向けて


現在、手持ちの300冊を超すサイケデリクス関係の学術書のうち、ようやく200冊を少し超えるぐらいの書籍の初読を終えた。引き続きまずは全ての書籍の初読を完成させたい。そこからは、とりわけケンブリッジ大学出版、オックスフォード大学出版、ルートリッジ出版、MIT出版などの生粋の硬質な学術書を出版している出版社から出版されたサイケデリクスに関する学術書を丁寧に読み返していく。その中でも特に、まずは右象限の科学的な発見事項やメカニズムについてはしっかりとした知識を深く網羅的に獲得していきたいと思う。右側象限の知識が脆弱の場合、話の内容に説得力がなく、信憑性が下がってしまう。とりわけサイケデリクスについて扱う際には右側象限の科学的なエビデンスが議論の下地として大切な役割を果たすので、剛健な知識基盤を獲得していこうと思う。


学術書だけではなく、ここからさらに読んでいくべき対象は学術論文である。確かにサイケデリクスに関する学術書はすでに数百冊ぐらい英語空間に存在しているが、学術論文となるとその10倍かそれ以上になる。今朝方もサイケデリクスと脳の可塑性に関する興味深い論文を4本ほど見つけたので、それについては後ほど日本語解説を加えてゼミの方で共有したいと思う。このように、手持ちの書籍の初読が終わったら、右側象限の探究をまず深めていき、それが落ち着いたら自分の主たる関心である右上象限の探究をまた旺盛に進めていこうと思う。


先ほど、今後のシロシビン·セッションの日には、いつものように朝食を食べないだけではなく、昼食も抜く形で、午前11時半ぐらいか正午前にシロシビンを摂取するようにし、振り返りの後、その日は早めに夕食を摂るようにしようと考えていた。ここからは20日に1回、3週間に1回ほどのペースでシロシビン·セッションを自らに対して行っていく。その時にはどのような音楽をかけるのが望ましいのかをその日の目的と照らし合わせて吟味していく。しばらくクラシック音楽の交響曲やピアノ曲でセッションをすることがなかったので、1人で行うセッションの際にはそうした音楽を優先してかけていこうと思う。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/10/8(日)09:21


11058. 死に向けた準備の実践としてのサイケデリクス /通常意識と非日常意識


時刻は午前11時半を迎えた。早朝からの読書はすこぶる捗り、先ほど本日8冊目の書籍の初読を終えた。読書をしながらふと、当面は20日に1回ほどシロシビン·セッションを自分に施そうと思っていたが、自分の魂がそれ以上の頻度でセッションを求めているように思えた。ひょっとしたらしばらくは14日に耐性が消える頻度でセッションを行ってみて、そこから頻度を落としていくのが望ましいかもしれないと思った。そうすれば月2回ほど自分に対してセッションが行え、十分な学びをそこから得られるだろう。実際にどのくらいの頻度にするかは自分の魂とこれから要相談してみようと思うが、とにかく魂の要求事項には沿いたいと思う。


サイケデリクス体験は自我の死と再生を促し、生と死の意味を見つめる機会を提供してくれることを考えると、それは死の準備に関する最良な実践たり得るのではないかと思う。各種宗教的な伝統の教えの中には、「死ぬ前に死ね(身体的な死の以前に自我の死を通過せよ)」というメッセージがある。このメッセージに基づいて、サイケデリクスを通じて身体的な死を体験する前に何度も自我の死を経験し、自我の付着物を落としていき、自己を磨き、魂を磨く形で死に向かっていくことができる。この観点もまた自分にシロシビン·セッションを後押ししてくれている。


通常意識とは、自分が自分を感じているその感覚を司る。一方の非日常意識は、自分が自分ではない自分を感じたり、世界そのものを感じさせる。サイケデリクスを摂取して非日常的な意識状態に入ることを通じて治癒や変容が起こるというのはまさに、自分が今の自分のその感覚や思考の枠組みの外に私たちを出してくれるからなのだろう。私たちには絶えず今の自己を超えた側面が内在している。しかし、それは通常の意識状態では気づき難い。脱自的な状態を通じてそうした超越的な自己に気づかせてくれるのがサイケデリクスが誘発する非日常的な意識状態なのだ。このように毎日少しずつサイケデリクスの持つ新たな側面や価値が見えてくることを嬉しく思う。まさにそれは自分自身が日々新たな存在として少しずつ成長し、新たな側面を開示しているのと同じである。自らが学び、成長を続けていけば、サイケデリクスもまたその無限の可能性を開示してくれる。そのようなことを実感する。フローニンゲン:2023/10/8(日)11:37


11059. 満ちる幸福感/散歩中の驚き/医学的な助言の注意点


幸福感に満ち満ちている自分が今ここにいる。先ほどジョギングと散歩を兼ねて近所のスーパーに行ったのだが、その時に身体の奥から滲み出るような幸福感に包まれている自分がいた。ほぼ常に自分の心は落ち着いていて、幸福感を絶えず感じている自分がいるものの、いつもよりもその幸福感が増しているように感じられた。それも日々のサイケデリクス研究に没頭している楽しさのおかげかもしれないし、先日の第17回目のシロシビン·セッションのおかげかもしれない。


散歩の最中に驚いたことが2つあった。1つはこれまで何気なく見落としていたこととして、この世界にいかに植物が多いかということである。道端には様々な種類の草花が生えていて、公園にはそれこそ無数の種類の草花が生えていることに気付かされたのである。今日の散歩の最中は、視線が人に向かうよりも圧倒的に植物の方に向いていた。もう1つ驚いたのは、ノーダープラントソン公園にひょっとしたらシロシビンが含まれているかもしれないマッシュルームを見つけたことである。その姿から推測したに過ぎないため確証はないし、マッシュルームの判別は素人には非常に難しいため確かなことは言えないが、何冊かの図鑑を見ることを通じて記憶に残っていたシロシビン·マッシュルームに姿が似ていたので嬉しくなってしまった。仮にそれがシロシビンが含まれていなかったとしても、こうして様々なキノコが身近にあることを知れて嬉しく思った次第だ。ちなみに今日もまた自宅のドアの外にヒトヨタケが2本生えていて、1本は完全に黒いインクのようなものを垂らしてその命を終えていた。植物と菌類の関心と愛は尽きない。ぜひHDSに行ったら、サイケデリクスに関する読書会だけではなく、植物と菌類の意識に関する読書会にも参加したいと思う。


自宅に帰ってきてベニテングタケに関するインタビュー動画を視聴していると、アメリカにおいては医学的助言を一般人が他人にすることは厳しく禁じられているとのことだった。自分もこれからサイケデリクスに関する医学的な効果に言及する際には、それが医学的な助言にならないように気をつける必要がある。医学的助言は専門家である医者が行うことであり、そもそも全ての人に等しく効果をもたらすような万能薬はこの世界には存在せず、その人の病歴や身体特性などの診断を経て初めて適切な医学的助言ができることを肝に銘じておく。そのような学びがあった。フローニンゲン:2023/10/8(日)15:54

 
 
 

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