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タイトル一覧
11009. 愛と学びのためのシロシビン摂取
11010. サイケデリック・セッションと音楽
11011. 昨日のシロシビン·セッションがもたらした改名の決意
11012. シンプルに考えることの大切さ
11013. 今朝方の夢の続き
11014. シロシビンの化身である破壊と創造の神のシヴァ神の導き
11015. シロシビン・セッション翌日の充実した筋力トレーニング
11009. 愛と学びのためのシロシビン摂取
時刻は午前6時半を迎えた。シロシビン·セッションを終えて一夜が明けた。昨日は非常に深い体験を伴うセッションができ、来客の方に満足いただけたことと共に嬉しさの感情が今もまだ自分の内側に残っている。絶えず光を自分と世界に対して照らすこと。そして光として生きること。その思いをまた新たにし、昨日のシロシビン·セッションを通じた死と再生のプロセスの後の新たな自己として今日のこの瞬間の自分がいる。
2週間後にも再び日本からの来客があり、その方もシロシビン·セッションをしたいということなので、それに向けてまた準備をしていこうと思う。シロシビンはLSDやメスカリンと同じく、摂取した日から耐性ができ、今日からおよそ10日から14日かけて耐性が緩やかに消えていく。ちょうどその方が来られるのが14日後であり、耐性が元に戻っているであろうから、再び深いセッションを行えるのではないかと思う。
昨日改めて思ったが、確かにシロシビンを含めたサイケデリクスは治癒と変容目的で活用できるのだが、自分にとってはもはや治癒や変容に縛られることなく、純粋な学びとしてそれを定期的に摂取しているように思う。これまでの内面探求を通じて、自分の心はもう随分と癒されているし、大きな変容を望む自分はほとんどいない。当然ながらシャドーワークには終わりはないし、変容のプロセスにも終わりはないのだが、治癒や変容のためにサイケデリクスを摂取しているかと問われると、やはりそうではなく、純粋に自己や世界、意識や脳及びこの宇宙について知りたいという学習欲求の方が遥かに強い。それを考えたとき、親友のジョハンが書籍の中で、「宇宙は愛することと学ぶことを目的にしている」と述べていたことを思い出す。なるほど、今の自分はサイケデリクスを学ぶことのために摂取しているが、それが愛するためという目的に変わるとき、自分はまた新たな存在としてそこにいるように思う。今後は頭の片隅に、自己や他者、そして世界そのものを愛するためにサイケデリクスを摂取するという考え方を持っておきたいと思う。
昨日の体験を終えて、やはり自分はLSDやDMTのような合成系のサイケデリクスよりも、シロシビンのような天然系のものを好むのだと思った。天然系のものとして他にもメスカリンやアヤワスカもあるが、それらは吐き気を伴うこともあって、やはり自分と最も相性が良く、それでいて愛情と敬意を持って接することができるのはシロシビンなのだと思う。もちろん幅広くサイケデリクスの研究をしていくが、その中でもシロシビンは最も力を入れて研究したい対象である。愛すること、そして学ぶことのためにこれからも折を見てシロシビンを摂取していこうと思う。フローニンゲン:2023/10/1(月)06:40
11010. サイケデリック・セッションと音楽
さて、今日からまたサイケデリクス研究を旺盛に進めていこうと思う。シロシビン·セッションがある日は学術書や論文を読む量は確かに減るが、それでも昨日は4本ほどの論文を読むことができていたし、何よりも午後からゆっくりと時間を取って自己と世界と向き合えることがシロシビン·セッションの良さである。ある種の接心のような、ある種のリトリートのような形で、今後も3週間か4週間に1回のペースで時間を取って、自らの学びのためにシロシビンを摂取することを検討したい。
2週間後に来られる来客の方とのセッションに向けて、セッション中の音楽の選定を再考し始めた。昨日はチベット仏教の曲をかけたが、それはかなりダークサイドの探求を後押しするものだったらしく、それはそれで成功なのだが、自分もまた別の曲で体験をしてみたいので、次回は聖なるコーラスかクラシック音楽の交響曲シリーズにしようかと思っている。とりあえずその2つのジャンルのプレイリストをSpotifyから見つけてきて、どちらも良さそうなものを見つけた。交響曲については全て知っている曲なので雰囲気がわかる。一方でコーラスについては一通り事前に聞いておく必要があると思うので、今日から入浴や瞑想実践の際に聞いていきたいと思う。実際にその方が来られたら、最終的には聖なるコーラスかクラシック音楽の交響曲のどちらがいいかを選んでもらおう。コーラスの場合には人間の声に乗ってビジョンが変化し、体験が深まっていく良さがある。一方のクラシック音楽の交響曲は、多様な楽器が奏でる音楽宇宙に没入し、そこで体験を深められる良さがある。また偉大な作曲家の音楽抽象空間はそれこそ宇宙の深淵を覗かせてくれることもあるので、かつて交響曲でシロシビンを摂取したときには随分と深い体験をし、他には代えがたい種々の洞察を得たことがある。さて、2週間後にはどちらの音楽をかけることになるだろうか。いずれの場合であっても、選択されなかったプレイリストは自分1人で行うシロシビン·セッションの際に活用したいと思う。
シロシビン·セッションだけではなく、基本的にサイケデリクスを用いたセラピーや伝統的な宗教儀式においては、必ず音楽を活用する。しかし音楽を活用しなくても、その環境が静かで自然に近ければ、環境音を通じても深い体験と洞察が得られる。先日THCセッションをしたときには音楽をかけなかったのだが、そのおかげか自分の思考空間の奥深いところに入っていくことができ、様々なトピックに対して随分と深い洞察を得ることができていた。基本的に音楽なしは玄人向けなので、来客があるときは音楽を伴ったセッションを提供し、自分1人でセッションを行うときには音楽を用いないことも今後折を見て採用したいと思う。フローニンゲン:2023/10/1(月)06:53
11011. 昨日のシロシビン·セッションがもたらした改名の決意
昨日の第17回のシロシビン·セッションから得られた洞察と宿題としてのお題についてまだ色々と考えを巡らせている。次回の2週間後の第18回目のセッションに向けて、得られた洞察とお題について考えを巡らせていくことを継続させたい。体験内容以上に、自分にとってはhealingやtransforming以上にlearningを大切にするということが最大の学びだったのかもしれない。やはりここでも「学び」という言葉が自然と出てきた。治癒と変容の上位概念として学びがあるとは思っても見なかったことである。なるほど、確かに癒されることも変容することも学びの一種であるし、それは学びの一貫なのだ。今自分は、「シロシビンの学び舎」あるいは「サイケデリクスの学び舎」にいるのかもしれない。これまで自分は10年ほど「発達理論の学び舎」というウェブサイトを運営してきたが、その名前を変えるタイミングに来ているのかもしれない。名前を変えることによる自己の学びの加速。肩書きを変え、名前を変更することによって、そして環境を変えることによって自分はこれまで大きく成長を遂げてきた。そうしたことを考えたとき、ウェブサイトの名前という非常に小さいものかもしれないが、その名前を今こそ変えるときなのではないかと思った。早速この日記を書き終えたら名称を変更しよう。「インテグラル」という言葉をつけたいと思う自分がいて、「インテグラルサイケデリクス学の学び舎」と名乗るのが良いだろうか。今のところそれが一番しっくり来るように思うので、この10年間の自分に区切りをつける意味でも、そしてこの10年間の全ての学びを統合する意味でも、「インテグラルサイケデリクス学の学び舎」と改名しよう。新たな名前を持つウェブサイトを運営し始めたとき、きっと自分はまた変化していくだろう。そしてその変化の波が今後より一層大きくなり、それは自分だけの変化にとどまらず、他者や社会の変化を生み出すことにきっと繋がってくれるのではないかと思う。
昨日のセッションは、そのような変化の触媒になるような機会であったことはもはや明確である。今朝方の夢に関して言えば、夢の中でもシロシビン·セッションを行なっている自分がいた。無意識の層においても自分はこの実践を行えるようになったのである。それは4象限的な学習を継続したからこそ、そして自分の中でも踏ん切りがついて、何か堰を切ったかのようにサイケデリクス学の探究を始めたことが夢の世界の中でもサイケデリクスを摂取するという実践に誘ったのではないかと思う。そこでは数人の人に対してセッションを提供し、振り返りのシェアリングをファシリテーションしている自分がいた。サイケデリクスについて非常に頑ななマインドセットを持っていた人も自分のところにやって来てセッションを受け、振り返りの中でその方たちは大きな変貌を遂げたようだった。その後突然、自分に思わず大爆笑してしまうような大きな自己洞察がやって来た。自分はその洞察の中に留まり、その洞察を噛み締めていると夢の場面が変わった。フローニンゲン:2023/10/1(月)07:49
11012. シンプルに考えることの大切さ
つい今し方モーニングコーヒーを淹れた。今、フレンチプレスの中でコーヒーがさらに旨味を出してくれている。ふと顔を見上げると、辺りがもうすっかり明るくなっていた。時刻は午前8時を迎えたので、明るくなるのも無理はない。
昨日見た庭先のヒトヨタケは美しかった。それは幻想的な美しさを持っていた。命が1日しかもたないということもまたその儚さゆえに美しさを放っていたように思う。
小鳥たちの鳴き声が小さく聞こえてくる。今朝方はいつもより少し彼らの声が小さい。だがその分静かに心の襞に入って来る印象だ。今日は午後にジムに行く予定で、ジムの改修工事も終わったので、新しく生まれ変わったジムでのトレーニングが楽しみである。今日は新しく生まれ変わったジムに行く最初の日なのだが、自分自身もまた昨日のシロシビン·セッションを通じて生まれ変わったこととの偶然を感じざるを得ない。今日からのジムでのトレーニングもまた新たな章の幕開けのように感じる。パーソナルトレーナーのエリーザは先日まで父と一緒にスペインのビルバオに旅行に行っていたので、旅行の土産話を聞けるのも今日のトレーニングの楽しみである。
先ほどコーヒーを淹れようとしたときに1つ事件があった。それは、コーヒー豆が全く挽けない状態になっていたのである。昨日のシロシビン·セッションの準備に際して、シロシビン·トリュフをコーヒーミルに入れて挽こうとしたがうまくいかず、そのときにトリュフの破片が引っかかってしまっていたようだった。中を覗いてみると、トリュフの破片なく、むしろこれまでのコーヒー豆の破片が蓄積していたようで、それが豆を挽けなくさせてしまったのだと気づいた。なので一度全てを水洗いし、流水で流しながら空びきをして、コーヒー豆の破片を全て出していった。本来は乾燥してから使うべきだと思うが、モーニングコーヒーを飲みたかったので、洗い立てのコーヒーミルを使ってみたところ、無事に再び豆が挽けるようになっていたのでホッとした。今、そのようにして無事に淹れたコーヒーを味わっている。全体を洗ったコーヒーミルは現在乾燥させており、明日からまたいつものようにコーヒーミルを使えるだろう。数年前にも豆が挽けなくなるような現象があって、そのときには購入先のコーヒー豆専門店に持って行っていたのだが、当時は原因が分からず、今の新しいものを購入した。だが、コーヒーミルはそうそう壊れるようなものではなく、当時の原因は単に豆を挽く箇所にコーヒー豆の破片が蓄積していたことが原因なのだと思う。このように問題の原因は意外とシンプルなところにあり、それでいてそれに気づけないというのは往々にして起こることなのだろう。11日前のシロシビン·セッションの時に体験が何も起こらなかった理由も至ってシンプルだったことを思い出すと、何か問題と直面したら、その問題の原因をシンプルに考えてみようと思う。自分はどうも問題を複雑化して捉えるような傾向があるので、それで問題解決策が見出せなかったら、いや最初から物事をまずはシンプルに考えるところから出発したいと思う。そのような学びを得る機会となった。フローニンゲン:2023/10/1(月)08:29
11013. 今朝方の夢の続き
新たな認識世界。新たな認識レンズを携えて今というこの瞬間の自己と世界を眺めている自分がいる。これをもたらしてくれたのは昨日のシロシビン·セッションに他ならない。シロシビンという物質そのものへの感謝と敬意の念が自然と溢れて来る。
今朝方の夢について先ほど1つ振り返っていたが、それよりもさらに興味深い夢を見ていたのでそれについても振り返っておきたい。
夢の中で私は、アメリカのどこかの大都市にいた。私はどうやらシロシビン·ドリンクを飲んでから観光に出掛けたらしく、観光中に知覚変容体験が始まり、少し意識が朦朧としていた。そんな中、駅に到着すると、販売機でチケットを買う手つきがおぼつかなかったところを、後ろから日本人女性がやって来て、チケットの購入を手伝ってくれた。そのときにその女性がふと、「何か飲みましたね?」と尋ねて来た。そこで私は、「はい、ある飲み物を少々」と述べた。すると女性は続けて、「このあたりではアヤワスカやメスカリンの飲み物を求めての観光客が多いんですよ。色々と注意して飲んだ方がいいですよ」と述べた。私は黙って頷いて、自分が飲んだのはアヤワスカやメスカリンではなくシロシビンだったのだが、それについてわざわざ説明するのも面倒だと思ったし、それらは全て同種の知覚変容作用をもたらすものなので、細かな説明をするのはやめた。
そこからプラットホームに向かおうとすると、道ゆく人たちが私の方を一瞥してニヤニヤしていた。どうやら私の瞳孔は大きく開き、それは大半のサイケデリクスがもたらす身体作用でもあるので、道ゆく人たちはそれに気づいているようだった。確かに人に見られている感覚はあまり気持ちの良いものではなかったが、他者の視線はさほど気にならず、自分の心は堂々としていた。自分はサイケデリクスの研究者であるし、今いる州はシロシビンについては少なくともレクリエーション目的でも合法化されているので、何ら問題ないと思った。その思いを持っていざ列車に乗り込んだところで夢の場面が変わった。
その他にも、かつての協働者の方とその息子さんと一緒に美術館巡りをしている場面があった。その美術館もアメリカにあって、アメリカでも最大級のもので有名だった。だが問題は、その美術館の内外ですりが多発していることだった。私たち日本人は特にすりの鴨のようで、列車を降りた段階からすりのグループに目をつけられていたようだった。美術館の外では何も起こらなかったが、美術館の中で、協働者の方の小学生の息子さんがポケットから財布を抜き出されそうになったが、それを私はなんとか止めた。そこからは悠長に美術作品を鑑賞することができず、絶えずすりを意識しなければならなかった。すると不思議ともうすりはやって来ず、一安心したところで美術館から外に出た。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/10/1(月)08:43
11014. シロシビンの化身である破壊と創造の神のシヴァ神の導き
サイケデリクス研究への目覚め以降、種々の偶然と導きに驚かされてばかりである。今、仏教の起源とサイケデリクスの繋がりに関する学術書を読み進めていると、そこに記述されている何気ない文章に目が釘付けとなった。仏教の大元にあるヒンドゥー教におけるシヴァ神は破壊と創造を司る神として有名だが、その色がなぜ青なのかに関する記述があったのである。実はヒンドゥー教の絵画や密教の絵画には、密かに神々がキノコの傘を持っている姿が描写されている。その事実と重ね合わせて、シヴァ神は実はシロシビン·マッシュルームの権化であると分析されていたのである。その分析過程は割愛するが、菌学者のポール·スタメッツが発見したように、多くのシロシビン·マッシュルームは傷が付いたりすると青く変色する。確かにシロシビンのあの青く変色した色は、シヴァ神の色と瓜二つだと思ったのである。それでは何に偶然性を感じたかというと、2014年に一時帰国していた際に、スピリチャルな領域も扱えるセラピストの方にエネルギーワークをしてもらっていたときに、「加藤さんにはシヴァ神が守護神についていて、この現代社会の治癒と変容に向けて慈愛に満ちた鉄槌を振りかざすことを宿命付けられている」と述べてもらったことを思い出したいのである。自分が今こうしてサイケデリクス研究をしているのも、そしてサイケデリクスの中でも最もシロシビン·マッシュルームを愛して研究しているのも、自分の守護神についているシヴァ神の導きだったのだと完全に腑に落ちたのである。この気づきは、稲妻のように自分の存在を打った。ここから自分はもちろん様々なサイケデリクスを扱って研究していくが、自分の研究の魂はシロシビン·マッシュルームにあるということをここに明記しておきたい。自分には絶えずシロシビンの化身である破壊と創造の神のシヴァ神が守護神として見守り、力を与えてくれているということ。これ以上にない絶対的安心感と絶対的確信を元にここからの研究と実践にさらに大きく乗り出していこう。
それともう1つ、 オランダではまず1976年にアヘン法の見直しがあり、そこでカンナビスと他のドラッグとの線引きが明確になされ、ヘロインやアンフェタミンの中毒問題を抱えていたオランダ政府は、その解決策として、1985年に大麻規制に関する非犯罪化を実施した。まさにその年に自分は生まれた。大麻の申し子、カンナビスの申し子、ないしはサイケデリクスの申し子としてこの世に生を授かり、生誕から30年後にオランダにやって来ることになったのも何か運命的なものを感じざるを得ない。そのような種々の運命的偶然に導かれ、今の自分はサイケデリクス研究に邁進している。フローニンゲン:2023/10/1(月)11:44
11015. シロシビン・セッション翌日の充実した筋力トレーニング
時刻は午後5時を迎えた。先ほどジムと買い物から帰って来て、シャワーを浴びてさっぱりしたところである。端的には、シロシビン·セッションの翌日のジムでのトレーニングは格別であった。身体のキレも心肺機能についても問題なく、普段通りのトレーニングを行えた。先日、1P-LSDのセッションの翌日もジムに行って体を鍛えたのだが、いつもよりも少し身体を動かすことが難しかったように思う。昨日のシロシビン·セッションを終えて、今日のジムでの身体の動きのキレを見る限り、同じセロトニン系かつトリプタミン系のサイケデリクスである両者において、翌日の身体への影響の無さはどうやらシロシビンに軍配が上がるらしい。少なくとも自分に関してはそうで、その差異はひょっとしたら中毒性のランキングによる評価数字と対応関係にあるのかもしれない。ヘロイン、コカイン、アルコールという順番に依存度が降りて来て、それよりもずっと下にカンナビスが来てLSDが来る。そして一番下に来るのがシロシビンであり、この依存度の順番とそもそもの知覚変容の体験時間の長さが翌日の身体に持ち越す影響の差を生んでいるように思う。昨日はとりわけピーク体験を早く迎え、体験時間も長くはなかったことが幸いして、今日のトレーニングの支障のなさにつながっていたのだろう。ここからは、シロシビン·セッションを通じて活性化されたニューロンを受けて、翌日に身体トレーニングをすると脳や身体にどのような影響があるのかに関する科学調査を待ちたい。それはアスリートのトレーニングサポートに資する研究である。脳が活性化され、神経可塑性が増大した翌日の筋力トレーニングの効果はいかほどだろうか。自分は自らを観察対象としてその効果を観察していく。
今日はジムのリノベーション後初めてのトレーニングで、どのようにリノベーションされたのかとても楽しみだった。結論から述べると、ジムの空間が広々とした感じになり、新しい器具やマシーンがいくつも導入され、ジムが生まれ変わったかのように感じた。パーソナルトレーナーのエリーザは、ビルバオの旅を満喫したらしく、少し雑談をした後に今日の本格的なトレーニングに入った。今日はとにかく新しく導入されたマシーンを積極的に活用していくメニューが組まれ、筋肉に良い刺激が入っていることを強く実感し、とても充実したトレーニングだった。パーソナルトレーニングを終えてからは、もう少し心肺機能を鍛えたいと思ったので、ダンスルームに行ってジークンドーのシャドースパーリングをしたり、反復横跳びをしたり、全力に近いシャトルランを何度か繰り返し、10月に入ったにもかかわらず良い汗を流すことができた。昨日のシロシビン·セッションにおいては存在の入れ子の全てが活性化され、今日はボディを特に活性化させることができ、とても幸せな日々が続いている。そのことに感謝したい。フローニンゲン:2023/10/1(月)17:18
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