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10915-10922: フローニンゲンからの便り 2023年9月17日(日)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

10915. 今朝方の夢

10916. アートする宇宙/ADHDに対するジョハンの観点

10917. 自己超越欲求について/サイケデリクスの代替手段

10918. 依存・中毒症状とアントラージュ効果について

10919. 進化とサイケデリクス/瞑想とサイケデリクスの掛け合わせ効果

10920. 小さな幸せに満ちた何気ない日曜日

10921. 特定の文化的パラダイムや種々の神話世界の中で生きる人たち/サイケデリクスに関する嗜好性の備忘録

10922. デイヴィッド·ルイスの可能世界論とサイケデリクス


10915. 今朝方の夢


時刻は午前6時半を迎えようとしている。まだ夜明けを迎えておらず、辺りは暗い。気温は14度とのことで、それほど低いわけではないが、もう冬の格好をして朝の時間を過ごしている。どうやら今日は正午過ぎに少し雨が降るようだ。来週は日本からの来客があるので、自宅の庭の雑草を刈ったり、家の扉の横の木の絡まった枝などを切っておきたい。天気の様子を見て、午後の時間帯にそれを行えればと思う。天気予報を見る限りだと、明日はずっと雨になりそうなので、今日のどこかの時間帯か火曜日の午後の晴れている時にそれを行うのが良さそうだ。


今朝方は不思議とさほど印象に残る夢を見ていなかった。断片的に見ていた夢としては、「ペンチャント」という謎の言葉が出てきたのを覚えている。日本語ではあまり馴染みのない言葉だが、英語の“penchant”という言葉であれば、それは「強い好み」あるいは「偏好」という意味があって馴染み深い。夢の中の自分は何かに対して強い好みを示しているようだった。いやおそらく自分の研究テーマも実践も何もかも、それら全ては自分の強い好みで形成されているものなのだろう。そうした内省を促す場面があった。その他には、外国の見慣れない街の中で謎解きに従事している場面もあった。それを解決する方法は意外とすぐに思いつき、近くにいた友人にも解決方法をシェアし、2人で早々と謎解きをして、カフェで寛ぐことにした。そのような場面もあった。


それ以外に覚えているのは、銭湯のような大浴場でシャワーを浴びている場面である。身体をまずは綺麗にし、その後に大浴場の浴槽に浸ろうと思っていたところ、突然大浴場の扉が開き、見るとそこには母がいて、何か緊急の事態が起こったようで、シャワーを浴びてすぐに大浴場を離れなければならなかった。母の様子だとかなり急ぎの出来事のようだったので、慌ててシャワーを浴び終えて着替えて大浴場を出たところ、意外と大したことのない出来事だったようで拍子抜けした。しかし、そこにいた父も母も無事で良かったと深く安堵した。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/9/17(日)06:37


10916. アートする宇宙/ADHDに対するジョハンの観点


空がダークブルーに変わり始めた、夜明けがいよいよやって来た。夜が明けるのが間も無くという時間帯を迎え、自分の人生もまたここから新たな光の時代に入っていくような予感がしている。HDSの出願を終えて、その結果が出るまで時間がかかるが、晴れてHDSに進学することができたなら、新たな光の時代の幕開けだろう。それはオタワ大学に進学しても同様かもしれない。今の自分は広く深くサイケデリクスについて研究できる環境を求めている。その願いに合致した場所との邂逅があり、実際にそこで生活を始めたら、きっとまた自分は新たに内側の生命を輝かせるだろう。


宇宙はアートでできている。宇宙は常にアートをしていて、アート作品としての生命の輝きを見てもらいたがっている。そのような宇宙観が芽生えてくる。宇宙はなぜ誕生したのかという問いに対するコスモロジカルな自分なりの回答はそのようになるだろうか。宇宙はアートをすることを宿命づけられており、宇宙そのものはアートなのである。宇宙は自らが作ったアートとしての様々な存在の輝きを自分でも見たがっているし、それを多くの存在にも見てもらいたがっているのだ。


JFK大学時代の親友のジョハンのインタビュー動画を今日も視聴している。彼は幼少時代に注意欠陥·多動性障害(ADHD)と診断され、辛い青年期を過ごしていた。幸いにもアメリカではギフテッド教育が発展しているので、ジョハンもそうした教育を受けている時だけでは自分の存在が認められていると感じ、自らの能力を遺憾なく発揮できたと述べていた。ADHDというのはある意味人間が生み出した、あるいは社会が生み出した単なるラベルに過ぎず、それが生まれた背景として、1日8時間学校で椅子に座っておとなしく勉強したり、1日8時間会社で椅子に座っておとなしく仕事をすることが当たり前な社会では、そうした当たり前なことがができない人を病人扱いするようにしたのだろう。


ジョハンの話の中で興味深かったのは、狩猟時代において、ADHDのような人が部族の維持·繁栄にどれだけ有益な存在だったかという点である。衝動的であることや多動であることが、狩りを行うことに適したり、他の部族から自分の部族を勇敢に守ることにもつながっていたのではないだろうか。ジョハンが述べるように、ひょっとしたらそうした集団の生存の目的のために、遺伝子レベルでADHDが一定数生まれるようになっているということもあり得るのではないかと思う。もちろんADHDには度合いがあるし、その度合いによっては、食品添加物や環境汚染物質などの物質的な影響もあるだろし、社会の文化や仕組みの歪みがそうした症状を悪化させてしまうことも考えられる。いずれにせよ、ジョハンの話は単にサイケデリクス研究の観点から面白いだけではなく、他のテーマに関しても鋭い洞察を提供してくれる。ここからサイケデリクス研究に精進していけば、いつか再び親友のジョハンとどこかで話をする機会があるかもしれない。フローニンゲン:2023/9/17(日)06:50


10917. 自己超越欲求について/サイケデリクスの代替手段


かつてアブラハム·マズローは、自身の欲求段階モデルの最上位に自己超越欲求を据えた。しかしながら、自己を超越したいと望む欲求は、段階モデルの上位にいなくても絶えず私たちの内側に存在しているものだと思う。私たちには上昇を望む愛としてのエロスが発達段階にかかわらず絶えず内在しているのだ。もちろんマズローが述べるところの自己超越欲求というのは、単に今の自分を超えていきたいという類の欲求とは質的に異なり、自我の境界線を溶解させ、世界そのものと1つになることを望む類の非二元に対する指向性を帯びているがゆえに上位に位置されるものなのだろう。だが、私たちにはそうした高度な自己超越欲求ではなかったとしても、絶えず今の自分を超え出ていきたいという欲求があることを確認し、それを認めていくことが健全な発達につながっていくのではないかと思う。親友のジョハンが述べていた面白い話としては、マズローは実は欲求の段階モデルを提示することを躊躇っていて、その背後にはビジネスパーソンからのけしかけがあったという点である。すなわちマズローは、あのようなピラミッドモデルを考えていたわけではなく、ビジネスパーソンにとって都合が良く、理解もしやすいモデルを望んだことから、仕方なく生まれたものだという話が印象的だった。マズロー自身は人間性心理学の創設者ということで、あのようなピラミッドモデルに還元できるほどに人間の欲求は単純ではないと本来は見抜いていたのである。


昨日のゼミナールの中で、サイケデリクスを通じた大きな治癒·変容体験には価値があるが、それを支える手段として、あるいは代替手段としてはどのようなものがあるかを考えた。まずわかりやすいのはおそらくサイケデリクス体験から生まれたであろうサイコスピリチャルテクノロジーとしての瞑想や座禅が挙げられる。その他に重要なものとしては、性行為が挙げられるだろうか。もちろん性行為という行動についても、どのような発達段階でそれを営むかが重要であり、サイケデリクスに類似する体験をもたらしてくれる性行為の条件としては、少なくとも愛に満ちたものでなければならないだろう。どちらかのエゴがあるような行為ではなく、お互いのエゴを手放した形での性行為は特に女性にサイケデリクス体験に類似したものをもたらす。男性は身体的な特性から、性行為を通じてサイケデリクスの超越体験と同じようなものを経験することは難しいが、不可能ではないだろう。一方女性は身体的にサイケデリクス体験と類似するような経験を性交渉を通じて得られる点が興味深い。よく聞くように、女性は性体験中に白い光を知覚し、自分がどこか別の超越的な世界に入っているような感覚を得ることができる。繰り返しになるが、そうした体験を得るためには男女の双方が、パートナー同士が性に対する深い認識を持ち、愛に満ち溢れた行為をする場合に限る点を念頭に置いておく必要があるだろう。おそらく女性は出産に伴う痛みの代償として、性行為から法悦体験を得られるようなギフトが創造主から贈られたのではないかと思う。


こうした代替手段以外には、ホロトロピックブレスワークのような呼吸法もある。また、サイケデリクス体験についての語りを聞くことも、微量な擬似体験をもたらしうるのではないかと思う。語りの力は馬鹿にできず、自分がそれを体験したことがなくても、体験した人の話を聞くことで、完全にその体験について理解できなくても、なんとなくイメージが湧いたり、感覚として理解できるようなこともある。サイケデリクス体験の話を聞いているだけで、微量ではあるがその体験と同様のことが聞き手の意識内·脳内で起こっているのではないかという仮説がある。私たちの意識と脳が同調するという性質を持っているがゆえに、体験についての語りを聞くだけでもシンクロが生じするのではないかと思う。フローニンゲン:2023/9/17(日)07:27


10918. 依存・中毒症状とアントラージュ効果について


薬物への依存は深刻な社会問題になっている。とりわけアメリカでは、ケシに由来する鎮痛剤としてのオピオイドが深刻な中毒症状をもたらし、壊滅的な状態になっている町があることをドキュメンタリーを通じて以前知った。主要なサイケデリクスはハードドラッグやオピオイドなどとは異なって、その身体的な中毒症状はほとんどないものが多いが、中毒のメカニズムについてはより深く理解したいと思う。アルコールやタバコなども中毒度合いが高いものであり、とりわけタバコに含まれるニコチンはアルコール以上であり、コカイン以上でもある。ニコチンと同等の依存度合いがあるものとしてモルヒネが挙げられるが、それと同等だということには改めて驚かされる。ハードドラッグの中で最も依存性があるものはヘロインであり、薬物依存は単にその物質の依存度だけによってもたらされるのではなく、摂取する人間を取り巻く環境要因も大きな影響を与えるであろう。酒仲間がたくさんいるコミュニティーに所属していればアルコール依存になりやすく、タバコを吸っている人が周りにたくさんいる環境であればあるほどに依存が高まっていくというのはすぐに思いつくことである。よくハードドラッグは、一度手を出すと抜け出されなくなるというが、厳密にはどのような社会環境に置かれている人間がそれをどのような環境で摂取するのかによって、その文言は真実にもなり得るし、真実ではなくなる場合もあるだろう。自分の人生を振り返ってみて、コカインよりも依存が高いニコチン入りのタバコを過去に1度だけ吸ったことがあるが、その一度の体験でタバコに依存したかというとそんなことは全くなかった。こうしたことからも、中毒に関する問題は、その物質の依存性に注目するだけではなく、ここでも4象限的に包括的に捉えていく必要があることが窺える。


そのようなことを考えていた後に、とりわけ自然物のサイケデリクスのアントラージュ効果について考えていた。例えば、シロシビン·マッシュルームを自然に生息しているような状態で摂取するのと、シロシビンだけを研究室で抽出してタブレットにしたものを摂取するのとでは、体験としてどのような違いがあるだろうか。基本的に、現在セラピー目的でシロシビンを提供する際には後者の形態が一般的のようだ。ゴードン·ワッソンにシロシビン·マッシュルームを紹介したことで知られるメキシコのマサテコ族のマリア·サビーナはかつて、ワッソンが持ってきた合成されたシロシビンを摂取した際に、シロシビン·マッシュルームと全く同じ体験だったと証言したことが印象的である。これだけを見ると、アントラージュ効果が存在せず、自然物としてのシロシビン·マッシュルームと研究室で作られたシロシビンのタブレットが同じ体験をもたらしたと判断できそうだが、事態はそれほど単純なものではないと思われる。実際に脳内や体内でどのような現象が起こっていたのかをつぶさに調べてみると、両者には何らかの差があるかもしれない。また、1度の体験だけを持って両者が引き起こす意識体験が同じだと結論付けることもできないだろう。個人的には、一見すると身体でも脳内でも意識内でも両者はほぼ同じような働きをしているように思えながらも、やはり両者は別の存在であるがゆえに、私たちに対する働きかけも何かしら違いがあるのではないかという仮説がある。アントラージュ効果は大変興味深い現象なので、それについても引き続き調査をしていこうと思う。フローニンゲン:2023/9/17(日)08:02


10919. 進化とサイケデリクス/瞑想とサイケデリクスの掛け合わせ効果


進化とは何だろうか。進化とは、既存の習慣·習性を打ち破り、新たな習慣·習性を獲得していくプロセスなのではないだろうか。生物はそのように進化してきたし、人間の意識もまたそのようなプロセスとして進化の歩みを進めてきたのではないかと思う。それでは、進化とサイケデリクスの関係についてはどうだろうか?そもそも自然物としてのサイケデリクスは、生命の進化の中で生まれたものである。サイケデリクスそのものが進化の産物だったのである。そうしたサイケデリクスは、他の生命たちの進化を促してきた歴史がある。動物や昆虫たちが、サイコアクティブな物質に魅了されてそれを摂取することはすでによく知られている。サイケデリクスとしてのマッシュルームやカンナビスなどは、他の生命体を魅了しながら、彼らの進化に寄与してきたのである。そのようなことを考えていると、そうした自然物由来のサイケデリクスは、やはり人間の進化を促す大きな力を持っているし、その力を有効活用させてもらうことが重要なのではないかと思う。サイケデリクスは巨大なフォースであり、その使い方を誤るとそれは諸刃の剣であるがゆえに様々な問題を引き起こす。結局のところ、問題はサイケデリクスの側にはなく、人間の側にあるのである。問題の所在は人間と社会の中にあるのだ。そうした認識を持ち、それでは人間と社会の側にあるどのような問題を解決していく必要があるのかを考えていくことが求められる。それに向けて今自分も研究と実践を続けている。


瞑想の実践は、サイケデリクス体験の準備として優れた実践であるし、サイケデリクス体験を定着する上でも非常に重要な役割を担う。興味深いこととして、瞑想実践とサイケデリクスの摂取の掛け合わせによる効果(synergetic effects)の研究も進んでいて、それについては今後も研究結果を追っていきたいと思う。今のところ出ている結果としては、瞑想とサイケデリクスがお互いに良い効果を与え合って相互作用をしているということだ。自分もサイケデリクスを摂取する際には、必ず瞑想を行いながらにしていることを思った時に、やはり両者の掛け合わせ効果というものが実際に存在しているのだろう。フローニンゲン:2023/9/17(日)08:41


10920. 小さな幸せに満ちた何気ない日曜日


時刻は午後2時半を迎えた。幸いにも早朝の天気予報が外れ、今は雨が降っておらず、穏やかな日曜日の午後の世界が目の前に広がっている。数羽の小鳥たちが清澄な鳴き声を辺りに響かせていて、世界を癒している。


今日は午前中から正午にかけて聖人発達コラボラジオの収録があった。気が付けば、もう第26回を迎えていたことに驚く。まだラジオを始めて2ヶ月ほどしか経っていないのだが、こうやって小さな積み重ねをしていけば、徐々に大きな構築物になっていくことを実感する。今後も引き続き緩やかに、それでいて着実にラジオの回を重ねていき、その過程の中で最大限の学びを絶えず得ていこうと思う。


つい先ほど、庭の掃除を終えた。予定より早く庭を綺麗にすることができ、今はヨギティーを淹れて寛いでいる。そのヨギティーのティーバッグには、「幸福の扉は自己共感にある」という意味の言葉が書かれている。


来週には日本から知人が1人フローニンゲンにやって来て、その2週間後、そのまた2週間後にもそれぞれ1人ずつ日本から知人が来られる。来客を自宅に迎えるにあたって、庭の雑草を刈り、家の扉の木の蔓を刈っておこうと思った。庭の草刈りは、昨夜に降っていた雨のおかげで雑草がぬきやすくなっていて、想像していたよりも早く庭の掃除が終わった。ここからは2時間ほどサイケデリクス研究に向けて読書を行い、5時を過ぎたら近所のコピー屋に行って書籍を受け取ってこようと思う。結局今日も、急遽サイケデリクスのイボガインについて理解を深めておこうと思ったので、さらに2冊ほどイボガインについての学術書を購入しておこうと思った。


それと草刈りの前には、前職時代にお世話になっていた上司と数年ぶりにオンラインで話をした。ちょうどその方は仕事上の転機があり、生活拠点もマレーシアに移されようとしておられるタイミングで、自分も今現在大きな変化のうねりの中にいるため、上司と久しぶりに話をさせていただけたことは有り難かった。何気ない日曜日の中に、絶えず小さな幸福が所狭しと満ち溢れていることに感謝の念がもたらされる。フローニンゲン:2023/9/17(日)14:55


10921. 特定の文化的パラダイムや種々の神話世界の中で生きる人たち/

サイケデリクスに関する嗜好性の備忘録


結局人はある文化的パラダイムの中に生きていて、種々の神話を信奉する形で日々を生きている。ゆえに、自らが組み込まれたパラダイムや無意識的に信奉している神話と合致しないデータや事実を拒絶したり、完全に素通りしてしまうことになる。それこそ、サイケデリクスの依存度·中毒度合いがどれほどアルコールやタバコよりも低いと言っても、それがセラピー的指標の観点でどれだけ安全だと述べても、アルコールやタバコに関するパラダイムや神話世界の中に組み込まれている人には容易にそのメッセージは届かないのである。そうした状況をどのように打開していくか、その工夫と施策についてはこれからより一層頭を働かせていかなければならないだろう。


種々のサイケデリクスがある中で、必然的に自分の嗜好性というものが明らかになってくる。それは個人的な思想や学習成果と紐づいたものなのだが、その中で自分が摂取の必要性を感じないものについて少しずつ明らかになってきている。幸いにも自分の心の状態は健全で、絶えず落ち着いた状態であるがゆえに、心を沈めるような形で左右するようなサイケデリクスに頼る必要は今のところない。何か心身の危機的な状況に陥った場合には話は別だが、今のところはそうした作用をもたらすものについては関心がほとんどない。研究上、それについての知識を入れていくだけで、それを体験しようとは思っていない。一方、自分が助けを借りようとしているサイケデリクスは、やはり内的ビジョンを知覚させてくれるものや、哲学的·実存的·霊的洞察をもたらしてくれるもの、さらには非二元の状態に誘ってくれるものである。そうしたものは今後も折を見て継続的に摂取していくことになるだろう。先ほどからの読書を通じてそのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/9/17(日)15:29


10922. デイヴィッド·ルイスの可能世界論とサイケデリクス


今日は午前中に成人発達コラボラジオの収録があり、午後からは前職時代の上司と話をし、庭の手入れなどをしていが、サイケデリクス研究も順調に進んでいる。先ほどからは、サイケデリクス研究の一環として、心の哲学の学術書を読み始めた。その中で、デイヴィッド·ルイスの可能世界に関する話が書かれていて、そう言えば彼の書籍からは随分と刺激を得ていたことを思い出した。可能世界に関する存在論についての理解を深めることは、サイケデリクスが開示するかのう世界の存在論を理解することに直接的な役に立つ。そうした思いから、ルイスの可能世界論に関する書籍を再読してみようと思う。そして、このように心の哲学の学説はサイケデリクス学の中でもとりわけ、サイケデリクス哲学の探究を大いに深めてくれる。そうした有益性ゆえに、今後も旺盛に心の哲学に関する学術書に目を通していこうと思う。


身体的リアリティはおそらく2つに大別され、それは身体が属する物理的リアリティと、身体の中の生物学的リアリティの2つに区分することができるのではないかと思う。一方の心の次元におけるリアリティ、ないしは意識上のリアリティというものは無限個の個数を持ちうる。ところが基本的に私たちは、身体に縛られる形で生きており、その影響を受けて心も1つのリアリティに閉じ込められる形で生きることになる。内的ビジョンを知覚させ、非二元の意識状態に誘う類のサイケデリクスは、身体的リアリティに心が閉じ込められることを抑制し、意識を解放せることによって、意識は無限のリアリティにアクセスすることが可能になる。この時に、過去の心的トラウマを含めた無意識の層のリアリティにアクセスしてくのか、あるいは自らの無限の可能性が内包されているトランスパーソナル的なリアリティにアクセスするのかは、セット、セッティング、服用量といった要因によって決定されていくだろう。フローニンゲン:2023/9/17(日)16:06

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