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10856-10861: フローニンゲンからの便り 2023年9月9日(土)



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タイトル一覧

10856. 今朝方の夢

10857. HDSのサイケデリクス読書クラブを見つけて

10858. アルネ·ネスとサイケデリクス/エコロジカル・マインドとサイケデリクス

10859. サイコノート/スピリチャル·バイパス/サイケデリクスの物質化

10860. シヴァ神の加護を受けながら

10861. オンラインゼミナールの第46回のクラスの振り返り


10856. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えようとしている。辺りはまだ真っ暗で、空もまた暗い。ここから夜明けを迎えるわけだが、今日もまた気温が上がる。しかしこの2日間ほどではなく、今日は最高気温は30度には達しないようだ。この2日間は30度に到達し、31度や32度に達していたので、それと比べると少し気温が落ち着いている。今日を含めてあと3日ほど気温が高い日が続き、そこからグッと気温が下がっていく。他の地域の気温を見ると、普段は涼しいイギリスも気温が上がっているようだった。熱波がイギリスやオランダの方に流れていたのだと思われる。


今朝方の夢をいつものように振り返っている。今朝方の夢は幾分断片的だったが、覚えているものは覚えているので、それらを書き留めておきたい。


夢の中で私は、サイケデリクスに関する勉強会を開催していた。参加していたのは外国人ばかりで、そこに日本人は1人もいなかった。私は大学院に所属して、サイケデリクス研究に励んでいた。そんな中、きっと自分のようにサイケデリクス研究をしたいと思っている学生は他にもいるだろうと思って勉強会を開催したところ、思わぬ反響を呼ぶ形で多くの学生に参加してもらうことになった。彼らに話を聞くと、サイケデリクスというのは社会的なタブーになっているし、学問的に扱うこともまだメジャーではないので、語り合う場がなかったところ、こうした場があることを喜んでいるようだった。それを聞けて私も大変嬉しく、今後も継続して勉強会を開催していこうと思った。やはり勉強仲間がいるというのはいいものだと思ったところで場面が変わった。


その他に覚えているのは、ゼミナールの幹事だった女性の友人と、前職時代の尊敬する上司がどうやらこっそり付き合っていたらしく、それを聞いて本当に驚いた場面があった。2人の関係は長く続かなかったらしいが、彼女と偶然に会った時にそのような話を聞いて驚いたのを覚えている。そこから、見知らぬ2人の日本人男性が運転する赤いスポーツカーが波止場に突っ込んでいき、海の中に落ちてしまう場面があったのを覚えている。どうやらよそ見運転をしていたらしく、気づいた時には自分たちは車の外に飛び出していて、車は海の中に落ちてしまったそうだ。幸いにも車は波止場の手前の方に落ちていたので、助けを求めればすぐに運び上げることができそうだった。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/9/9(土)06:06


10857. HDSのサイケデリクス読書クラブを見つけて


朝のこの時間帯は静寂さに包まれており、そして風も冷たく気持ちがいい。今週は暑さが戻る週であったが、思い出してみるとそれよりも前の週は、これくらいの朝の時間は寒くてしょうがなかったのを覚えている。明後日の月曜日を最後にして、そこからは気温が再び下がっていく。木曜日からはもう20度前後の気温になるようなので、そこから秋が本格的に始まったと捉えていいだろう。


昨日、HDSに提出する2つの文章を完成させることができたので、今日からは再び読書に励みたい。サイケデリクス研究に全身全霊で打ち込めることの喜びを噛みしめながら探究を進めていきたい。


HDSに提出する志望動機書を作成している最中に、改めてHDSについて色々と調べていたところ、なんとHDSの学生が主導となって、サイケデリクスに関する読書クラブがあることを知って驚いた。普段は学術書や論文を読んでいきながら、時にフィールドトリップなども開催しているようで、とても興味深いクラブだと思った。せっかくなので、今度キャンパスビジットをする際には、読書クラブの様子を見るために、普段の読書会に参加できないかを主催者に尋ねてみようと思った。課題図書があればそれについても尋ねておきたい。サイケデリクスに関する主要な学術書は全て購入しているので、追加で購入する必要はないだろうが、一応課題図書について確認し、その書籍を持っていなければそれを購入してキャンパスビジットに持参しよう。こうした読書クラブがあるというのは本当に嬉しいことである。そう言えば、今朝方の夢ではサイケデリクスに関する勉強会を主催していた自分がいたことを思い出す。このような読書クラブがなかったとしても、自分はきっと自らそうした場を作っていただろうと思う。それくらいにサイケデリクス研究には熱が入っているし、他者と共に学ぶ重要性を知っている自分がいる。


今、サイケデリクスに関する知識が毎日少しずつ点として、線として形成されつつあるのを実感する。そしてそこから少しずつ面が形成され、小さな立体を生み出していることにも気づく。こうした日々の小さな知識ネットワークの構築の歩みは、まるで菌糸の拡張の姿を彷彿させる。菌糸の歩み。それを意識して、日々着実な研究を進めていこう。その積み重ねがいつか形となり、社会の役に立つ日が来るはずである。フローニンゲン:2023/9/9(土)06:14


10858. アルネ·ネスとサイケデリクス/エコロジカル・マインドとサイケデリクス


時刻は間も無く午前7時を迎える。今、空は明るくなり、鮮やかな朝焼けが見える。小鳥たちもとても嬉しそうに鳴き声をあげている。キッチン側の木と庭側の木の双方で小鳥たちが鳴き声を上げているので、自分は彼らの鳴き声にサンドイッチされるような形でこの場にいる。両側から聞こえてくる彼らの鳴き声は本当に美しく、心が洗われるかのようである。


先日、LSD関係の書籍を読んでいると、ディープエコロジーを提唱したノルウェーの哲学者アルネ·ネスもまたLSDを摂取していたことを知って驚いた。同時に、ネスがLSDを摂取してディープエコロジーを提唱したことには妙な納得感があった。人間中心的ではなく、生命そのものの固有の価値を大切にするというディープエコロジーの根幹思想は、きっとネスのサイケデリクス体験からもたらされたのだろう。もちろんその他の体験や学習からもたらされた可能性はあるが、大きな触媒要因としては彼のLSDの摂取があったのではないかと思う。


どのような環境で何をどれだけ摂取するかによるが、サイケデリクス体験がエコロジー思想を開くというのはあり得ることである。とりわけアヤワスカやペヨーテやサンペドロ、さらにはシロシビン·マッシュルームなどの自然物を摂取した際にもたらされる知覚変容は、エコロジカルなマインドの目覚めを促すことがあってもおかしくはない。自分もひょっとしたら、ネスのような形でエコロジカル·マインドに目覚めた人間かもしれない。意識を変容させる物質が含まれた自然物を摂取したときの知覚変容体験で得られるビジョンや感覚は、エコロジカルな目覚めを促すことにも貢献しうるのではないかと思う。この点についても仮説を洗練させ、何か研究をしてみたい。


いずれにせよ、地球環境保護を訴えるときに、頭だけ、言葉だけでそれを主張していても効果はないのである。ネスのような何らかの自然に対する直接体験を通じて目覚める必要があり、自然とつながっていること、地球とつながっているということ、宇宙とつながっているという直接体験が、頭でも言葉でもなく、エコロジカルな在り方の全存在的な目覚めにつながりうるのではないだろうか。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/9/9(土)07:01


10859. サイコノート/スピリチャル·バイパス/サイケデリクスの物質化


サイケデリクスを活用して内面探究をする者のことを「サイコノート(psychonaut)」と呼ぶのだが、この言葉はなかなかに興味深い。宇宙を探究する者のことを「宇宙飛行士(astronaut)」と呼ぶが、それと言葉の作りは同じである。そうなって来ると、「サイコノート」というカタカナ言葉では何か紙のノートを想起しかねないので別の訳語が必要そうだ。例えば、「内面飛行士」あるいは、“psyche“という言葉が心やマインドを表すので、「心理飛行士」や「マインド飛行士」などはどうだろうかと考えていた。もともと語尾の“-naut“というのは、 “nautical(航海の)”という言葉から来ているので、「心理航海者」や「マインド航海者」なども訳語として当てることができそうである。いずれにせよ、“psychonaut”という言葉は、心の旅人、内面世界の旅人であることに変わりはなく、そのような意味を含ませた言葉をいつかきちんと当てたいと思う。


そこから、サイケデリクスの使用に関する倫理や道徳などの規範性について考えていた。その中で、サイケデリクスの活用者が避けなければいけないのは、通称「スピリチャル·バイパス」と呼ばれる現象がひとつ挙げられるかと思った。これは、自らのシャドーと向き合うことをせず、スピリチャルな用語を用いて内面の核心的な問題と向き合うことを避ける現象のことを指すが、とりわけサイケデリクスの使用に際してはその服用量によるが、スピリチュアルな体験をすることになるので注意が必要かと思った。だからこそ、体験後の統合セッションが必要なのである。体験者が自身のコアな問題と向き合えるような支援をしていくこと。それはサイケデリクスセラピーにおいては極めて大事な在り方である。


スピリチャル·バイバスに付随して、チベット仏教者のチョギャム·トゥルンパが提唱した「霊性の物質化」にも注意しなければならない。トゥルンパが指摘するように、自我には霊性を含め、全てを自らのために活用する傾向があるので、サイケデリクス体験をそうした利己的な形で自我の肥やしにすることは避けるべきことなのではないかと思う。少なくとも、スピリチャルな体験を得るためだけにサイケデリクスを活用するというサイケデリクスの物質化(psychedelic materialism)には気をつけなければならない。今後市民がより容易にサイケデリクスにアクセスできるようになってきた時には、サイケデリクスの物質化やスピリチャル·バイパスなど、様々に気をつけないといけないことがあることに気づく。フローニンゲン:2023/9/9(土)07:36


10860. シヴァ神の加護を受けながら


時刻は午前9時を迎えた。あと1時間ほどしたら、第46回のゼミナールのクラスが始まる。早朝からサイケデリクスに関する文献を読み進めていて、今ちょうどサイケデリクスと仏教に関する書籍を読んでいる。仏教のもともとの起源でもあるヒンドゥー教では、聖典リグヴェーダの中にサイコアクティブな飲み物であるソーマの記述があり、そこから仏教のとりわけ密教においてサイケデリクスが活用されてきたという歴史がある。文章を読み進めていると、ヒンドゥー教の破壊と創造を司る神であるシヴァ神が、実はシロシビン·マッシュルームの化身でもあったという記述に行き着いた。そのときに、2015年に1年間ほど日本に滞在していたときに、お世話になっていたセラピストの方から、「加藤さんにはシヴァ神が守護霊としてついてくれている」というフィードバックを受けたのを思い出した。ここにシロシビン·マッシュルームと自身の思わぬ繋がりを見出した。どうやら自分が今現在サイケデリクス研究に熱を入れているのは、自分の背後で見守ってくれているシヴァ神の力によるものなのかもしれないと思った。きっとシヴァ神の導きがあったのだろう。


そのようなことを考えながら、サイケデリクスは種類が多いのでおそらく専門を絞って研究を進めた方が良さそうだと思った。もちろん全てのサイケデリクスについての基礎知識を獲得していくが、研究対象としてはシロシビン 、カンナビス、DMTが良いだろうか。DMTを例外として、シロシビンとカンナビスは自然物である。しかしDMTも植物起源、あるいは生物起源であることを考えると、やはり自分は生命とのつながりを感じられやすい物質を好むようだ。そのような傾向性が見えて来る。それではゼミナールのクラスが始まるまでの時間を引き続き読書に充てていきたいと思う。フローニンゲン:2023/9/9(土)09:09


10861. オンラインゼミナールの第46回のクラスの振り返り


時刻は午後2時を迎えた。今日は午前中から正午にかけてゼミナールのクラスがあった。ちょうど今日で言霊学について扱うのは最後で、振り返ってみるとこのトピックからも大きな学びがもたらされた。言霊学そのものからももちろんだが、それ以上にゼミナールの受講生の皆様と言霊学から派生した話題から学ばされることが多くあった。


少しばかり今日のクラスの内容を振り返ってみたい。私たちは言葉の海の中を生き、言葉として、そして言葉を超えて生きているのだと思う。ここでは言語哲学者の井筒俊彦先生が述べるように、「コトバ」と表記した方が正確かもしれない。いずれにせよ、今この瞬間に自分から生まれて来る言葉もまた生命なのであり、絶えずこの瞬間に根ざした形で形取られるものなのである。言葉の海、ないしは言葉の宇宙の中で私たちに降って来る言葉には必然性があるという話も印象に残っている。きっとここで生み出されている数々の言葉とその順番には必然性があるのだろう。


そこからはある受講生の若い方がフィジーに行って腕にタトゥーを入れてきたという話で盛り上がった。日本は元々と縄文·弥生時代からタトゥーを入れる文化があったことが後ほど調べてみてわかり、現代における反社会勢力の象徴のような意味は昔にはなかったのだとわかった。そうした意味が付与されたのは、罪人に刺青を入れるところに機嫌があるのかもしれない。いずれにせよ、タトゥーが文化的なタブーのように扱われている背景には、政治的な要因が強くあることがわかる。それと同様に、前回と今回でもジェンダーを含めた性について話題に挙がり、性意識というのもまた社会·文化的に調教·構築されたものであることがわかる。およそ人間のマインドのほぼ全ての事柄が、置かれた文化圏や社会的な仕組みによってこしらえられていることに改めて気づかされる。次回から扱うサイケデリクスに対する意識というのもまた社会的な産物であり、慣習的なものの見方を超えて、それをより客観的に眺めていかなければならないという気持ちに改めてなる。


最後に、前回のゼミナールに続き、アニマルフローの話題が今回も出た。自分の身体の調子が最近すこぶる良いのは、マッシュルームのサプリメントのおかげだけではなく、実際にアニマルフローを取り入れた運動を毎日行っているからでもあるだろう。大地とつながり、そして意識が天に届くように身体が整っていく治癒的感覚があるのがアニマルフローの現代的価値の1つかと思う。これからもアニマルフローを通じて原初の自己とつながり、太古の生命及び地球とつながるような意識でアニマルフローの実践を行ってみたいと思う。フローニンゲン:2023/9/9(土)14:15

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