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10589-10592: フローニンゲンからの便り 2023年7月11日(月)



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タイトル一覧

10589. 情報発信に関する変化

10590. 今朝方の夢

10591. 山伏茸のマイクロ·ドーシングを試してみることに

10592. 副交感神経を優位にさせてくれる町で/木との交流/猫の世界


10589. 情報発信に関する変化


時刻は間も無く午前7時を迎える。今朝方はとても涼しく、今の気温は17度である。空にはうっすらとして雲がかかっていて、朝日がほのかに輝いている。うっすらとした雲がこのまま出てくれていれば、今日の気温はさほど上がらないのではないかと思う。一応気温は27度まで上がるようなので、今日もまた夏日と言えば夏日である。


小鳥たちが庭の方でチチチと鳴き声を上げている。キッチン側にはまた別の小鳥がいて、異なる鳴き声を上げている。ここからも各存在者は声を異にしていることがわかる。異なる声を持った存在が各自の固有の声を表明すること。世界はそのように成り立っている。自らもまた自分に固有の声を表明しながら今日という1日を過ごしていこう。


一昨日、あるメディアから声をかけていただき、音声を通じて成人発達理論について話す機会をいただいた。ここ数年間はメディアへの出演を含め、対外的に情報発信をすることを控えていたが、ここ最近は少しずつ積極的に自分の声を通じて情報発信をしていこうと思うようになった。成人発達理論について話すことにこれまであまり乗り気ではなかったのは、それ以外の分野を学びたいという思いが強かったからであり、過去に学んだことを話す時間を新たな勉強の時間に充てたかったというのも大きな理由としてある。成人発達理論で過去に話したことのあるテーマやトピックについて、仮に機会を与えてもらったのであれば改めて話そうと思うようになったのは、それは自分にとって八橋検校の古典的な箏曲『六段の調』のように、弾き込めば弾き込むだけ味が出てくるし、学びが得られると思ったからである。そのような考え方の変化が1つにある。


もう1つとして、学術的な探究を芸事として営み、その成果についても学問的な論文形式ではなく、広く多くの人に共有する方法を考えている最中に、それは書籍の形であったり、講演のような形であったり、色々な形式があり得るが、時代に合った形式として音声メディアを活用するというのは重要なことかと思った。今後も様々な手法を採用しながら広く社会に有益な知識や洞察を共有したいと思う。そのようなことを考えていた。フローニンゲン:2023/7/11(火)07:08


10590. 今朝方の夢


鳩がホーホーと鳴く鳴き声を聞きながら、今朝方の夢について振り返っている。今朝方は大きく分けると2つの夢を見ていたように思う。夢の中で私は、中年を迎えたあるアイドルの男性と見知らぬ女性とロッカーキーの話をしていた。私はどうやらそのアイドルの男性とは知り合いの関係のようで、3人で今から旅行に出かけることになっており、その前にも旅をしていたので、その時の荷物をロッカーに預ける必要があった。ロッカーがある場所は海外の国際空港の一角のようで、私は2つの小さなスーツケースをロッカーに預けることになった。2人とのやり取りはもうあまり覚えておらず、感覚としても中立的で、感情が揺さぶられたりすることはなかったように思う。どこか淡々と夢の景色が進行していった感じである。


もう1つ覚えているのは、海外の町の郊外で路上サッカーをしていた場面である。私は路上サッカーのプロ選手のようで、その業界での稼ぎはトップクラスだった。しかしトップではなく、世界の中で7番目の稼ぎを持つプレイヤーとのことだった。私は給料については気にせずに純粋に路上サッカーを楽しんでいた。自分のプレースタイルは泥臭くも着実に得点を重ねるというものであり、相手が疲れている時間帯になればなるだけ、相手のミスを見逃さず、そこを突いて体を張りながら泥臭く得点を重ねていくことが売りのようだった。似たようなプレースタイルの選手がいないことも追い風になっていて、どのようなチームでも重宝される存在だった。その日も試合があり、足場の良くないジャングルのような公園の中で試合をし、そこでも後半に2点ほど入れた。試合後、気がつけば郊外の高級住宅地にいて、そこの路上で練習し始めた。すると、小中高時代のある友人が姿を現し、彼が自分の練習風景を見たいと述べてきた。せっかくなので一緒に練習するのはどうかとこちらから持ちかけると、彼は小学校と高校ではサッカーをしていたので、嬉しそうな表情をして練習に付き合ってくれた。練習の中では、住宅地の壁に止まっている高級車にボールをぶつける練習もあり、彼はその光景を見て驚いていた。私としては全く普通の練習方法なのだが、高級車の様々な箇所にボールをぶつける練習は彼にとってはあまり常識的なものではないようだった。タイヤにぶつける時とボディにぶつける時、それからガラスにぶつける時とでは当然ボールをぶつける強さを調節しなければならず、それがキックの精度を高めるということを彼に伝えると、その点についてはなるほどと頷いていた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/7/11(火)07:27


10592. 副交感神経を優位にさせてくれる町で/木との交流/猫の世界


時刻は午後3時半を迎えた。今日は少し早めに散歩がてら町の中央市場に行ってきた。市場に向かう最中に浴びた日光と風はとても気持ち良かった。明日から気温が下がるのだが、今日は程よい夏日の気温で、ノーダープラントソン公園にはシートを敷いて横になって日光浴している人たちやだべっている人たちの姿を見かけて大変微笑ましかった。人々がゆっくりとリラックスしてそれぞれの時間を過ごしている様子を見るのはこちらも気分が良い。一方で、忙しなく生きている人たちを見ると、こちらも忙しない気持ちになってしまって、交感神経が刺激されてしまうのではないかと思う。忙しない都会で生きることのデメリットはそれである。ゆったりとした気分で生活している人たちが多い町で暮らしていると、自ずと副交感神経が優位な自己が形成されていくと体験を通じて思う。


ノーダープラントソン公園を横切る際に、その公園で一番大きな木のところに行って、しばらく手をかざしてその大木と交流をしていた。それはサトル次元での交流であり、端的には生命エネルギーの交換実践である。自分の年齢の何倍、いや何十倍以上かもしれないその立派な木と生命エネルギーの交換をしたというのはおこがましいかもしれない。ひょっとしたら一方的に生命エネルギーを分け与えてもらっていたような気がする。植物には偉大な生命の叡智が潜んでいて、植物は人類の先祖のような存在でもあるはずなので、今後も木々との交流をしていきたい。それで行くと、さらに途中にいつも通る教会の敷地内にも非常に立派な木があることに改めて気づいたので、その木とも交流を図っていきたいと思う。


最後に、道を歩く1匹の猫を見かけた時に、猫にとってはこの町が地球サイズぐらいに大きなものなのかもしれないと思った。猫の世界がどうなっているのかはわからないが、彼らの主観世界を想像してみたときに、そのようなことが言えるのではないかと思った。猫は自ら飛行機を発明したりしないし、それに乗って自由に地球上を行き来することはできない。そんな彼らにとってはフローニンゲンという町は地球規模ぐらいの大きさに感じられているのではないかと思う。そんなことを考えながら散歩を楽しんで買い物から帰ってきた。フローニンゲン:2023/7/11(火)15:39



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