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10293-10298: フローニンゲンからの便り 2023年5月5日(金)



No.4720 形而上学的光_Metaphysical Light


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本日の3曲


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タイトル一覧

10293. 遍満する美と倫理の探究に向けて/今朝方の夢

10294. 時代によって紐解かれる問い/今朝方の夢の続き

10295. 応用発達美学・応用発達倫理学/今朝方の夢の断片

10296. 今朝方の夢の横溢

10297. GRE対策の注意点/宝石に魅了されていた幼少期の自分より

10298. 美学と倫理学への飢餓感を醸成させながら/学園ものの夢の続き


10293. 遍満する美と倫理の探究に向けて/今朝方の夢


時刻はゆっくりと午前7時に近づいている。今朝方は起床した時に雨が降る音が聞こえて来た。その音に耳を傾けていると、小鳥の鳴き声とはまた違った趣があることに気づき、しばし雨音に耳を傾けていた。雨音の風情を感じることもまた自分の美学が体現された生き方のように思える。自らの美学は、日々の所作や言動、1つ1つの意思決定に沁み渡っているものである。「沁みる」という言葉は、三水に「心」と書くことに目が止まる。心が水のように流れていき、そして広がっていく様が想像できないだろうか。自分の美学というのもまた心の世界にその拠り所があるものであるから、それが日常の行為として水のように隅々に広がっていくのは納得できる。そしてそれは倫理に関しても同様かと思う。倫理というのは究極的には美と同じような性質を持っているのではないかと思う。当然ながら様々な相違点はあれど、究極的に共通するのは、それらが共に心を出発点にして、そこから世界に行為を通じて遍満していく点である。箏の演奏で、その一音を弾くのも自分の内側にある美がそうさせたのであるし、その音を引くべしという無意識の指令は倫理の現れでもある。私たちはどうやら、目には見えない美的·倫理的法則に従って生きているようだ。ありとあらゆる領域に遍満している美と倫理をこれからつぶさに観察していき、ゆっくりと紐解いていこう。芸術にせよ、武術にせよ、そこには美と倫理の双方が絶えずある。また、自分が関心を寄せているテクノロジーや公共政策の中にも実は美と倫理が内在しているのである。そして、自分の専門領域である発達にもまた美と倫理が様々な形で内包されている。まずは自分の関心事項の中にある美や倫理に気付いていこう。気付くことから始めていくことが何より大切だ。


そのようなことを考えていると、今朝方の夢について思い出した。夢の中で私は、父と不思議な屋台にいてご飯を食べていた。その屋台は広い公園の中にあって、父は行きつけの店のようだったが、自分は今回始めてその店に行く形となった。父は屋台の店主と仲良く話をしており、そこから注文をした。注文は全て父に任せたところ、出て来たのはトマトとオートミールを特製のスープで混ぜたものだった。それは見た目はとても味気ない感じだったが、一口食べてみると、とても美味で箸が止まらない形になった。全て綺麗に平らげた後で、父が屋台の隣にあった奥行きのある大きなガラス張りの冷蔵庫を眺め、それを開けて何かを取り出そうとした。しかし、如何せん奥行きがあるので父は冷蔵庫の中に体をすっぽり入れてもそれに手が届くことはなかった。どうやら父は、特製の濃厚牛乳の瓶を取ろうとしているようだった。屋台の店主がその冷蔵庫を管理していたので、店主にお願いして、その牛乳を取ってもらうことにした。何やら大抵の牛乳は、ある成分が3%しかないとのことだったが、その牛乳の濃度は71%と非常に高く、値段は張るが、それをお土産に買って帰ることにした。家に到着すると、母が請求書の整理をしていた。水道光熱費だけではなく、何やら色々と請求書が届いていて、歳を重ねると色々なところから支払いの催促が来て大変だなと思った。そこで、改めて不必要なサービスの契約をしていないかどうかを吟味してみてはどうかと母に提案してみようと思ったが、余計なお節介かと思ったのでやめた。すると母が、今度高校に進学するにあたって、知人にどこの塾に自分が通うのかを尋ねられたらしく、それで思い出したように2つの塾に申し込みをしておいたと私に告げた。私はどちらの塾からも特待生として迎え入れられていて、あとは自分の好みや意思に基づいて選ぶことができた。そもそも塾に行かないという選択もできた。なにせ自分はもう大学を飛び級で卒業していたので、改めて高校に通う際にわざわざ塾に行く必要などなかったのである。後ほど2つの塾のそれぞれに訪れて話を聞いてみてから判断すると母に告げた。フローニンゲン:2023/5/5(金)07:10


10294. 時代によって紐解かれる問い/今朝方の夢の続き


今日はオランダの解放記念日だ。それを祝うかのように、今1羽の小鳥が小さな鳴き声を上げた。今日は小雨が朝から降っているので小鳥たちの鳴き声は聞こえないかと思っていたが、雨脚が弱くなって来ると、小鳥たちが鳴き声を上げてくれ始めた。


先ほど、時代が開示してくれる問いについて考えていた。そもそもそのことについて考える前に、古典と新書の意義について考えていたのである。古典だけでも、新書だけでもなく、それらの双方を調和的に読んでいくことを自分が心掛けているのは、それらにはどちらも時代が開示する問いという性質があるからだと思ったのである。文学作品もそうだと思うが、自分がまず念頭に置いていたのは自らの仕事でもある学術研究の文脈の中で、古典的な学術書には、それらが執筆された時の時代がもたらす問いというものがある。これは新書においても同様で、時代が考えさせてくれる問いと考えさせてくれない、あるいは考えることが難しい問いというものがあることに気づいた。自分はいつも学術書を読む時に、その著者がどのような問いと向き合い、どのような思考プロセスでその問いと格闘しているのかを見るのを好む。その著者がどのような答えをその問いに対して提出したのかももちろん見るが、それ以上に重要なのは、著者が向き合った問いの種類と性質であり、その問いと向き合う著者固有の思考プロセスである。古典だけ読んでいても研究にならないし、新書だけ読んでいても味気ない。自分の研究を前に進めてくれるのは、古典と新書の双方を読むことを通じて生み出された渦なのだと思う。古典にも新書にも普遍的な問いはあるだろうが、問いの切り出され方はやはり時代精神に大きな影響を受ける。そのようなことを考えながら、ここからまた古典と新書の双方を通じて学術研究を旺盛に進めていこうと思った次第である。


解放を告げる小鳥の鳴き声。その1音に1つの解放があることに気づくだろうか。小鳥の1つの鳴き声を聞くと、自らの魂はまた1つ浄化を得る。それを積み重ねていくことは、魂の世話の1つになるだろう。その先に、美と倫理が体現した魂の出現を期待する。


今朝方の夢を改めて振り返ってみると、そう言えば、母に言われて気づいた塾に話を聞きに行ってみたところ、自分は相当に期待されているようで、最初から学年を超えて最上級のクラスに入れてもらえることになっていた。特待生だったので、授業料も免除になっていたことはとても有り難い。しかしそもそも自分はもう大学を飛び級で卒業していたので、改めて高校に通って塾に行く意味などあるのかと考えていた。すると、塾のチューターの女性から自分の英語力について尋ねられた。その塾の公式の英語の最上級クラスはTOEFLで80点以上とのことだったが、自分はそれよりも上の点数であることを告げると、そのチューターは驚いていた。確かに帰国子女でもない高校生がTOEFLで80点を超えることができたらとても立派である。するとそのチューターはひっそりと、実は裏講座でTOEFL100点ぐらいの人が受けるものがあると教えてくれたが、自分はもはや1人で英語の学術論文や学術書を読む中で英語を磨いていくことができる段階にあったので、素直に自分のTOEFLのスコアは113点だと告げると、そのチューターは驚いて目を大きくし、目が落ちそうになっていた。私はその塾ではもう英語は免除だなと思ったが、そのチューターはどういうわけか、塾に在籍する小学生ぐらいの小さな女の子がイラストを担当した英語の絵本を渡してくれた。パラパラと中身を見ると、なかなか面白そうで、学術的な文献を読む息抜きにちょうどいいと思った。一応その絵本は、単語集とリーダーを兼ねているようだったが、自分にとってはその役割よりも、心に養分を与えてくれるような存在だと思ったので、有り難くその絵本を受け取ることにした。フローニンゲン:2023/5/5(金)07:30


10295. 応用発達美学・応用発達倫理学/今朝方の夢の断片


どうやら今日は午後に強い雨が降るようなので、午後に散歩がてら市場に行くことはやめにして、天気の良い明日に市場に行こうと思う。


昨日、美学と倫理学の観点で発達を捉え直してみたいという強い思いがやって来た。発達について美学を適用することは応用美学的な試みであり、発達について倫理学を適用することは応用倫理学的な試みである。これまで発達について長らく研究して来て、先般の書籍では発達に伴う社会的な疲労現象を扱ったが、今度は美しく、そして良く(善く)発達するとは何かについて正面から考えてみたい。また、トランスヒューマニズムとの関連性で言えば、テクノロジーを美しく活用するというのはどういうことであり、テクノロジーを良く(善く)活用するというのはどういうことなのかについても徹底的に考えたい。それらの問いに真剣に向き合うためにこの夏は英語空間に広がっている最先端の倫理学と美学の研究につぶさに触れていく。調査をし、関心を持った全ての書籍を購入して、この夏の期間にそれらを旺盛に読み進めていこう。


芸術にしかない価値とは何かを美学の観点から考えるのと同様に、発達にしかない価値とは何かを美学から考えてみたい。そしてその問いは倫理学的にも適用してみたいと思う。発達することでしか得られない価値とは何であり、そもそも発達の価値とは何かを考えてみたいのである。きっとそれをしないから歪な発達が実現されてしまい、発達疲労という名の社会病理が蔓延するのだ。個人と社会が発達に関して患っている病理を治癒する試みとして、これからは発達に焦点を当てた美学と倫理学の研究にとことん打ち込みたい。


今朝方の夢の記憶がさざ波のように寄せては返す。その過程の中で、また新たな夢の断片が思い出されていく。そういえば夢の中で、見慣れない町を低空飛行で飛んでいる時に、ある店からマリファナの独特な香りが漂って来たのを覚えている。正直なところ、私はあまりその香りが好きではなく、その店の前で飛ぶ速度を早めて、そこを素早く通り過ぎた。すると、目に入って来たのは大きな本屋だった。そこは昔からある古き良き本屋なのだが、最近内装が新しくなったので、とても綺麗で清潔感があった。特に何かを購入する予定はなかったが、本屋に入ってみた。本屋の天井は高かったので、引き続き低空飛行で本屋の中を飛んで移動していると、客も店員も私のことに気づいていたが特に驚く様子もなかったので、私は引き続き彼らの頭よりも少し上ぐらいを飛ぶ低空飛行の状態で移動していた。2階の方に行ってみようと思って階段を飛びながら上がっていくと、木製の階段の両脇には、何か宗教的な小さな絵画がたくさん飾られていて華やかだった。いずれの作品もキリスト教に関係するものであることが絵のモチーフからすぐに分かった。左右をキョロキョロしながらそれらの作品を眺めて飛んでいると、2階に到着した。2階では何やらこれからワークショップが2箇所で開催されるらしく、手前側では著者を招いた朗読会が行われるらしく、奥の方ではある書籍の対話会が行われるようだった。手前は椅子が前後に並べられ、奥の方では椅子が円形に並べられていた。それらの場所の上を飛んでいると、朗読会の方に小学校時代の女性友達がいることに気づいた。彼女は中学からは違う学校に通うことになり、彼女の顔を見たのは小学校以来だったのでとても懐かしく、彼女に声を掛けようかと思ったが、私はそのまま飛行の慣性に従って2階を移動していた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/5/5(金)07:42


10296. 今朝方の夢の横溢


今朝は雨音で目覚めたのだが、今はすっかり朝日が地上に降り注いでいて、解放記念日を天も祝福してくれているかのようだ。小雨によってどこかに隠れていた小鳥たちも木々にやって来て、今、朝の音楽を奏でている。


発達を起点にした美学と倫理学への関心の高まりと共に、今後ゼミナールの中で「アカデミック英語シリーズ」と題して英語の文献に挑戦していくに関して、美学や倫理学の良質な論文を見つけて来て、それを共有して読解していく試みをしてみたい。まずは自分の読解方法を紹介しながら、その論文の要所要所を解説していくようなイメージで取り組んでみるのはどうかと考えている。GRE後、良い論文を探して来て早速試してみよう。


今朝方は随分と夢を見ていたようで、それでいて記憶も鮮明だ。まだ覚えていることがあるのでそれらについても書き出しておこう。


夢の中で私は、学術都市で生活をしていた。すでに私は大学を飛び級で卒業していたが、この春から共学の名門私立の中高一貫校に通うことになっていた。その学校は進学実績は凄まじいのだが、とにかく自由で、基本的に学校に来ている生徒が少ないぐらいであった。生徒たちはそれぞれの極めたいことをとことん毎日極めていく生活を送っているようだった。生徒たちにとってみればそれは遊びの一環で、毎日6年間遊んで暮らすことを通じて、結果として名門大学に進学していくのが通例のようだった。


登校の初日、私は空を飛んで学校に向かった。実はその前に、寮内である面白いことがあった。私は寮暮らしをしていて、なぜ寮暮らしを選んだかというと、同世代の人たちの考えや生活スタイルを知り、彼らと仲良くなるためだった。それまでの私は海外の大学に飛び級で進学していたので、同世代の日本人の友達があまりおらず、今回高校に改めて通うことになったのは、幾分社会適応するためでもあった。自分の個性を殺さない形で、社会の風に触れることをしてみたかったので、自ら高校進学を選び、その学校に通うことにしたのである。寮では、私と同じく大学を飛び級で卒業した面白い生徒がいた。彼はぷよぷよのゲームの達人でもあって、科学研究で並外れた実績を残しだけではなく、ぷよぷよの世界ランキングでも上位に入っている。そんな彼が熱心にゲームをしている姿を見かけたので、入寮日に声を掛けてみた。彼と私は境遇も似ていたので、意気投合し、彼の薄暗い部屋でそこから会話を楽しんだ。彼と話をしながら、そう言えば海外の大学を卒業する前に日本の大学に通っていた時の友人でぷよぷよが好きな友達がいたなと思い出していると、なんと彼が目の前に現れ、今から外でサッカーのPKをして遊ぼうと持ちかけて来た。すでに学校に行く時間だったが、学校に行くかどうかも自由に決められるので、学校に行くよりも彼とPKをして遊ぼうと思った。ところがそのPKはやり方がかなり危険だった。ボールの代わりにガラスを使うことになっていて、ガラス窓を蹴って破り、そのガラスをゴールに飛ばすというかなり危ないルールになっていた。しかも靴を履いてはならず、素足でガラス窓を蹴らなければならなかった。足にガラスが刺さらないようにするためには、武術的な身体操作でガラスを蹴り抜かなければならず、同時にそれをゴールに決めるためのサッカーの技術も必要だった。物は試しと言うことでいざやってみようとすると、ゴール前に立った友人を見て、ゴールを決められるようなスペースがあまりないと思って、さてどうしたものかと考えた。どこにどのような角度でどれだけのスピードでガラスを飛ばすかをイメージして、いざガラス窓を蹴ろうとしたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2023/5/5(金)08:36


10297. GRE対策の注意点/宝石に魅了されていた幼少期の自分より


時がゆっくりと流れていく。天気予報とは異なって、早朝に降っていた雨は止み、雨雲はどこかに消えて快晴の空が広がっている。それはオランダの解放記念日を祝っているかのようである。この空の様子であれば、午後には買い物に出かけることができるかもしれない。ひょっとしたら市場は閉まっているかもしれないので、市場に行くのは明日にし、近所のスーパーには午後に足を運んでもいいかもしれないと思う。


午前中にGREのverbal対策を終えた。ここまでのところ、楽しく対策を進めることができているが、GRE対策を過度に行って頭をパンクさせることや、単語を無闇矢鱈に詰め込み過ぎて思考力を低下させるようなことは避けなければならないと改めて思った。GREの対策においては、それとは全く逆に、常に思考力を活性化させるような学習をしていき、単に暗記で詰め込むような暴挙をしないようにしたいと思う。それをしてしまうと、脳に悪影響であるし、本番を迎える頃には脳疲労で実際の試験の場で良いパフォーマンスを発揮できなくなるだろう。この点は本番を迎える直前になればなるだけ重要性を増すだろう。どうしても本番が近づいてくると、対策に多くの時間を割いてしまいがちで、ついつい詰め込むようなアプローチをしがちであるが、むしろ本番に近づけば近づくだけ、少ない時間で感覚を研ぎ澄ませていくことや感覚を調整していくことに時間を充てたいと思う。ここから本番を迎えるまでの期間において、絶えずそれを強く意識した形で学習を進めていこうと思う。


ここ最近は美学と倫理学への関心が富に高まって来ている。その中で、そもそも美学への関心の原点の1つとして、幼少期のある記憶が蘇って来た。小学校に上がる前から上がってしばらくの間、自分は宝石の広告を眺めるのがとても好きだったのを思い出したのである。宝石に夢中になっている自分がいて、自分でも広告を集めるだけではなく、母方の祖母にお願いをして、宝石の広告を保管しておいてもらうようにして、毎年夏に祖母の家に行った際にそれを見せてもらうことがとても楽しみだった。自分が暮らしていた山口県よりも、東京は宝石に関する広告が多かったように思う。宝石そのものは自然美であり、それを加工して仕立てが人工美の双方に惹かれる幼少期の自分を思い出しながら、その時の自分が今の自分に伝えてくれていることは何なのかと問うている。そこにはきっと美学に魅了されている今の自分を紐解く大切な鍵があるはずだ。その鍵を見つけ、さらなる秘密の扉を開けたいと思う。そうすれば、まだ見ぬ無限の可能性に満ちた新たな世界に入っていけるだろう。フローニンゲン:2023/5/5(金)11:34


10298. 美学と倫理学への飢餓感を醸成させながら/学園ものの夢の続き


もう間も無く雨が降って来そうな気配がある。小鳥たちは相変わらず健気に鳴き声を上げてくれているが、空の様子を見ると、分厚い雲が出て来た。ひょっとしたら雷が伴う雨になるかもしれない。それを見越して、先ほどジョギングがてら近所のスーパーに行って来た。その行きと帰りの中で、混沌性が増し、混迷を深める現代社会の中で、新たな秩序を創り上げていくための美学と倫理学の研究を続けていくことへの決意表明のようなものを行なっている自分がいた。そうした美学と倫理学のあり方は極めて実践的かつ意義深いもののように思えてくる。結局美学も倫理学も、それらは決して机上の空論や日常性を離れたものなのではなく、生き死にに関わってくるものであるし、生きるための羅針盤として働くものであることが見えてくる。今は、新たな美学と倫理学を包摂した新たな価値学を探究するために、学術書を旺盛に読み進めていきたい気持ちで一杯だが、目先はGREの対策を進めていく必要がある。もうしばらくはGREの対策から学術的な知識を吸い上げていき、アカデミックな世界でやっていくための胆力を養っていこうと思う。その過程の中で醸成される美学と倫理学への強烈な飢餓感を、GRE後に爆発させて、興味を持った学術書を手当たり次第に購入して全部一気飲みにするかの如く読み進めていこうと思う。


この時間帯になってふと、今朝方の夢の続きを思い出した。大学を飛び級して入った高校での学園ものの夢にはまだ続きがある。その学校の作りはとても興味深く、最先端の進学校なのだが、建物の作りはどこか寺子屋的というか、修道院的な雰囲気があった。大きな教室はなく、先生が各自個室を持っていて、そこはまるで大学の研究室のようにそれぞれの先生の個性が出ていて興味深かった。私は今学期古文の授業を履修しようと思っていて、その授業を担当してくれる先生の個室を探した。個室に近づいてくると、ある個室から笑い声が聞こえて来たのでその部屋に入ってみると、そこには10人ぐらいの女子生徒と白い髭を生やした老年の男性の先生がいて、日本の古典文学について楽しく授業がなされていた。教室には10人ぐらいの女子生徒がいたが、そこでのやり取りは、オックスフォード大学やケンブリッジ大学で中世に取り入れられたチューター制度のようであり、そうした密度の濃い教育システムがここの生徒を大きく育んでいくのだと思った。私もその授業に参加したかったが、見てわかるようにそのクラスは女子限定のようであり、一応先生に尋ねたが、案の定、自分の参加は認められなかった。部屋を出て、その隣の部屋に入ると、そこに古文の先生がいた。先生は比較的若い女性で、髪型はおかっぱ頭であった。目がくりくりとしていて可愛らしく、口調もハキハキしていて、最初に少し言葉を交わした瞬間に、見かけの可愛らしさとは裏腹に相当頭が切れる先生だと思った。先生は私のことを大いに歓迎してくださり、受講者リストを見ると3人ほどの履修生がいるようだが、授業に真面目に参加したのは私だけのようだった。そもそも最初の授業から随分と遅刻して参加してしまったことを謝ると、先生は全く気にしなくていいと述べ、むしろ私がやって来たことに感謝してくれているようだった。私の方から今回古文の授業を履修しようと思った背景を伝えると、先生は私の静かな熱意をすぐに汲み取ってくれ、生徒が1人なので相当に密度の濃いマンツーマン授業をしてくれることになった。先生自身が古文の専門家であり、学者でもあったので、そこは高校だったが、大学院レベルの授業まで行なってくれることになり、私はとても喜んだ。最初に私の古文の現在の知識を把握するために、口頭質問を受け、まずはそれに答えていった。授業の最後に、せっかくなので学期が終わる頃には実力試しに、古文に関する上級国家試験を受けてみることを進めてくれた。そんな試験があることを自分は知らなかったが、なんでも興味を持ったことは極めていこうとするのが自分の性質なので、喜んでその試験を受けることにした。フローニンゲン:2023/5/5(金)15:07


本日の自由詩(free verse)

No.2932, A Sacred Option

We always have a certain sacred option.

All we can do is choose it.

Groningen; 08:20, 5/5/2023


No.2933, A Divine Rest

My soul enjoys a divine rest at this moment.

It is bestowed by the entire universe.

I deeply appreciate the sacred prerogative.

Groningen; 12:55, 5/5/2023


No.2934, A Beatific Invitation

A beatific invitation has come to my hands.

I grasped it firmly.

It enabled my soul to enter a seraphic dimension.

Groningen; 13:18, 5/5/2023

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