No.4715 朝光の花火(その1)_Fireworks of Morning Light (Part 1)
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本日の3曲
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タイトル一覧
10287. 発達のコンテクストにおける倫理学的な問い/今朝方の夢
10288. 添え指について/今朝方の夢の続き
10289. 順調に進むGRE対策/今朝方の夢の断片が示唆すること
10290. 日常と非日常
10291. 脳内回路への刺激と土台としての身体の涵養
10292. GREの数学セクションの対策について
10287. 発達のコンテクストにおける倫理学的な問い/今朝方の夢
時刻は午前6時半を迎えた。辺りはもうすっかり明るく、日の出の時間だけで言えば夏のようである。気温は相変わらず低く、今も自動で暖房が入っていて家の中を温めてくれているが、今日は日中に16度ほとの気温になるようだ。午後にジムに出かける時には寒さを感じることはないかと思われる。
昨日、発達に関するメタ倫理学的な問いとして、「良い(善い)発達とは何なのだろうか?」ということについて考えていた。発達支援者側の立場になると、「良い(善い)発達支援とは何なのだろうか?」という問いになるかと思う。倫理学を構成するもう1つの領域である規範倫理学の観点を考えると、発達に関する規範倫理学的な問いとして、「そもそも私たちは発達するべきなのだろうか?」や「発達支援において私たちは何に気をつけるべきなのだろうか?」といったものが考えられる。発達のコンテクストにおいて倫理学を適用している段階で応用倫理学的なので応用倫理学に関する問いは考えにくいかと思ったが、発達現象や発達支援における個別具体的なケースを考えれば、発達に関する応用倫理学的な問いを考えることは十分に可能であることに気づいた。目の前の人やクライアントの発達を支援する際の個別具体的に直面する問いは、いずれも応用倫理学的なものになるだろう。これまで自分が専門としてきた人間発達のコンテクストにおいて、倫理学と絡めて問いを立てていき、問いを立てるだけではなく、自らその問いに答えていくということをしていきたいと思う。
そのようなことを考えていると、今朝方の夢を思い出した。夢の中で私は、実際に通っていた中学校にいた。学校の中をうろうろとしているとすぐに気づいたのだが、学校の全ての建物が新しくなっていることに驚いた。まだ改装中のものもあって、ひとつ期待が掛かっているのは体育館であった。自分が通っていた頃は、体育館は随分と老朽化していた。改装中の体育館に行くと、随分と作業が進行していて、体育館は見違えるような姿に変貌しつつある様子が窺えて、とても嬉しくなった。それと同時に、自分が古い体育館で経験したことの記憶が風化してしまわないかどうかが少し気がかりだったのも確かである。自分が使っていた体育館とは似ても似つかない綺麗な体育館が生まれた時、自分の記憶はどうなってしまうのだろうかと考えていた。そこから、記憶は場所と結びつき、場所は記憶と結びつくことを思った。
体育館を後にすると、お世話になっていた先生たちが体育館の脇で草むしりに励んでいた。先生の中にはグラウンドの脇を綺麗にしている人もいた。私は先生たちに挨拶をしようと思ったが、先生たちは私に微笑みかけるだけで何も言葉を発しようとしなかった。最近では、卒業生であっても勝手に学校の中に入れないような世の中になっていて、先生たちに追い返されるかと思ったが、その心配は杞憂に終わったことだけは救いだった。グラウンドに到着すると、グラウンドの真ん中で、小中学校時代の友人たちが数人いて何か話し合っていた。彼らは明日のバスケの試合に向けて、何時何分にどこに集合するかを話し合っているようだった。そう言えば明日は試合だったなと自分も思い、彼らと一緒に私も会場に行くことにした。結局、ある親友(SI)の家に朝の9時に集合することになった。彼の家は自分の家からすると、会場と逆の方向だったので、彼の家に行くことは遠回りかと思ったが、みんなと一緒に会場に行く方が楽しそうだと思ったので、その案に賛成した。フローニンゲン:2023/5/4(木)06:56
10288. 添え指について/今朝方の夢の続き
鳩がホーホーと鳴いている。そう述べると、いつもの小鳥が梅の木の方向から鳴き声を上げ始めた。そして、書斎の前の裸の木に、黄色い背中をした小さくて可愛い小鳥が木に止まった。彼らの姿を眺めながら、昨夜の箏の稽古について思い出していた。前回のレッスンを受けて、先生から添え指の大切さを改めて教えていただいたのだが、添え指を意識すると、断然演奏しやすくなって驚いた。添え指をすると安定感が一気に増すし、どの弦を弾くのかに関して指が迷子にならずに済むことも多い。しかし、添え指によって本来消してはならず、音の余韻を残すところを消してしまうことがあり、これについてはどのように対処すればいいのかと考えていた。基本的には添え指は、前後で使わない弦に薬指を置いておくとうまくいくが、そうもいかないケースも散見され、そうしたケースへの対処法について今度のレッスンで先生に尋ねてみようと思う。今のところは自分なりの対処法として、そうした場合には添え指をしないという形で対処しているのだが、それが最善策なのかについて尋ねてみたい。
先ほど夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがある。夢の中で私は、現在毎週末行っているゼミの学習教材として音声ファイルと動画ファイルの双方をいくつか作っていた。その中で、アップした動画を音声として紹介していなかったかが気になり、改めて確認してみようと思った。すると、音声は音声として、動画は動画としてきちんとアップされていたようなのでホッとした。その安堵の気持ちを受けて、また一段と教材作りにのめり込んでいく自分がいた。それに並行して、自分の学術研究も順調に進んでいるようだったので何よりだった。そんな場面があった。
その他に覚えているのは、ヨーロッパの先進国のどこかの国で、英語で劇をする場面である。劇の練習の前にその国の首都を観光し、随分と文化的な刺激を受けていた。町並みもそうであるし、立派な美術館にも大きな創造的刺激を受けた。そうした刺激を糧にして、劇の練習に励んでいこうと思った。どうやら私は主人公を演じることを任されているらしく、覚えなければいけないセリフが一番多かった。困ったことに、台本を渡されたのはつい先ほどであり、さらにはリハーサルは今日の一回しかないとのことで、明日がもう本番だった。今日の間でセリフを全て覚えることなど到底できないと思ったが、セリフが飛んでしまった箇所は即興で劇を進めていこうと思った。そう思うと肩の荷がスッと降りて、リハーサルも順調に進んでいった。その調子を見ると、セリフが飛んでしまうことはもしかしたらないかもしれないと思ったが、万が一飛んだ場合には、自分が得意としている即興性を働かせようと思った。ただしそれを見越して、一緒に演じる人たちに、自分が即興性を働かせて劇を進めていくかもしれないと事前に知らせておこうと思った。さもなければ、大抵の人は即興性に対応することが難しく、本番で困惑してしまうであろうから。そのようなことを考えながら劇の練習に励んでいた。フローニンゲン:2023/5/4(木)07:08
10289. 順調に進むGRE対策/今朝方の夢の断片が示唆すること
時刻は午前10時を迎えた。この段階で、今日のGREにおけるverbalセクションの対策を終えた。reading comprehension、text completion、sentence equivalenceの3つの形式についてそれぞれ10問ぐらいの問題を解いていった。それらの問題形式に対してすでに戦略が確定していて、今はそれを磨いている時期である。懸念のあったreading comprehensionの問題についても仕上がりは上々であり、ここからはさらに戦略を磨いていく過程で正答率を高めていければと思う。いずれの問題形式においても高度な語彙力が要求されるが、中でもtext completion、そしてとりわけsentence equivalenceは単語力が物を言う。単語学習は対策の最終局面まで進めていく必要があるが、今後は単語そのものを見た段階で、その意味と質感が一瞬で喚起されるまでその単語に習熟したい。自分で情景的イメージを思い浮かべながらその単語をコンテクストの中で覚えようとしたり、自分に紐付いた具体例を作ることによって、単語の習熟度合いは高まっていくだろう。それでは今からライティングの対策に入りたい。引き続き、模範解答を音読していく中で、解答の質感を掴み、文章表現で参考になるものを貪欲に取り入れていく。今日は時間が作れそうなので、数学の対策にも時間を充てたいと思う。
先ほどひと休憩ついているときに、今朝方の夢の断片的な場面を思い出した。夢の中で、さなぎが石の上にへばりついているのを見ていた場面があった。それは岩なのか大きな葉っぱなのか定かではなかったが、何か堅そうなものの上にさなぎがいて、殻はその堅そうなものに同化した色になっていた。私は最初それに気づかずに手で触れようとしたが、触れようとする瞬間に、そこにさなぎがいることに気づいて触れるのをやめた。一体何かにどのような幼虫がいるのか気になったが、外からは一向に中の様子がわからず、殻からそれが出てくるまでは誰も何がいるのかが分からないと思った。そのような夢を見ていたのを思い出す。あのさなぎは自分自身の今後の姿を表しているのかもしれない。今の自分にはその姿は予想できないのと同じで、今後の自分はあのさなぎのような存在なのだ。人間の発達は蝶の変容過程に喩えられるが、私たちはまさに未知なる自分を絶えず内包させながら、それに向かって日々変容の足取りを前に進めている存在だと言えるだろう。フローニンゲン:2023/5/4(木)10:26
10290. 日常と非日常
見事な快晴の空。それにあっぱれという言葉を掛けると、「あっぱれ」という言葉が「天晴れ」と書くことを知った。2階の両側の窓を開けると、爽やかな風と共に小鳥たちの美しい鳴き声が流れ込んできた。しばしそれに浸り、幸福感を感じていた。こうした日常をより強固なものにしていくこと。日常が安定的なものになればなるだけ、旅を含めた非日常の輝きが増す。今度の旅に向けて、自分はまたこの日々の日常を大切にしながら、日常の安定化を図っていく。そして日常の安定化の破れを期待して、非日常の旅の世界に入っていく。
こうした日常が仮初の小屋だとすると、非日常とは何なのだろうか。それは小屋を取り巻く何かなのだろうか。いやそれはきっと小屋が建っている地中の深遠な部分として捉えることができるかもしれない。それは地中に奥深くに張り巡らされていて、絶えず存在するが、日常生活を何気なく送っていては基本見ることはできない。しかし、何かのきっかけで日常に亀裂が入ると、それは地中から顔を覗かせる。小屋のいずれかに罅(ひび)が入ることは意外と日常的に起こるのだ。その時に、罅の奥にある深遠な非日常に気づけるかどうかは人による。それに気づくことは一概に良いことだとは当然言えない。それは下手をすると、私たちを虚無の世界に引き摺り込む可能性がある。非日常世界は不合理や不条理に満ちていることがよくある。そうした非日常世界に安易に足を踏み入れていくことが危険なことは承知しておかなければならない。しかしそれでもなお自分は非日常世界に積極的に入っていこうとする。なぜならそれは、日常世界に再度光と養分をもたらしうるからであり、それによって自らの生命力も人生も輝きも増しうるからである。日常の中に潜む非日常的な出会いを楽しみにしながら、今日もまた日常の一環であるジムに後ほど向かいたい。フローニンゲン:2023/5/4(木)13:12
10291. 脳内回路への刺激と土台としての身体の涵養
時刻は午後5時を迎えた。今日も天気に恵まれ、朝こそ気温が低くて部屋に自動で暖房が入るような状況だが、日中はとても暖かくなって来ている。ジムに行く際の上着も冬用のジャケットを羽織る必要は今日はなく、ジムからの帰りは上着を脱いで半袖で帰れるぐらいだった。ジムから帰って来てまだ身体が温かい。代謝が上がっているのを実感する。
今日のジムでのトレーニングはパーソナルトレーニングではなく、個人トレーニングだった。木曜日はいつもそうだが、この日は自分のペースで自分の選ぶメニューをこなしていくことができる楽しみがある。今日はいくつかのメニューで成長が見られ、これまでよりも少し重たいウェイトでメニューをこなすことができた。今行っているGREの対策もそうだし、この間のIELTSの対策でも感じたことだが、着実なトレーニングは着実な成果をもたらす。いずれの実践もその領域固有の脳内回路を開発する必要があるのだが、それは適切な負荷量のトレーニングを継続して行っていけば必ず開発されていく。それぞれの領域で開発される脳内回路は共通する側面もあるが、やはりそれぞれで固有であるということを押さえておかなければならない。最近は様々な実践に継続的に実践する中で、それぞれに固有の脳内回路の存在が身体感覚として掴めるようになって来ており、それぞれの回路の成長を実感する。箏の稽古もジークンドーの稽古も全くそうである。さらには新たな学術領域に乗り出す際にも同様のことが言え、今は倫理学に関して新たな脳内回路を開発していく過程の中にある。
筋力トレーニングをしながら筋肉に刺激を入れていくのと同じく、多様な実践はそれぞれの脳内回路に刺激を入れ、それぞれの回路の発達を促しながら、総体としての脳の回路を発育する効果もあるように思える。また、全ては脳という身体の一部が絡み、それは身体に張り巡らされた様々な神経回路の影響を受けることから、身体全体を筋力トレーニングで鍛えていくことは非常に効果的だと実感する。武術の実践はもとより、知的な実践にせよ、芸術的な実践にせよ、それらに関係する身体感覚の土台を筋力トレーニングは構築してくれる。土台としての身体の涵養を今後も継続していきながら、その土台の上に様々な学習と実践を地道に積み重ねていこうと思う。フローニンゲン:2023/5/4(木)17:10
10292. GREの数学セクションの対策について
ジムからの帰り道に、町の家のいくつかにオランダの国旗が掲げられていた。先日の国王の日を終えて、そう言えば明日はオランダの解放記念日(Liberation Day)であることを思い出した。なので明日はきっと中央市場が休みであろうから、土曜日のゼミナールのクラスを終えてから中央市場に行こうと思う。明日はいずれにしても雨が降るようだったので、明日は一日中家にいようと思う。
ジムから帰っている最中に、GREの数学セクションの対策について考えていた。昨日と今日は時間を取って、少しばかり数学のセクションの対策をしていた。5年前にGREを受けて以来、英語での数学表現を結構忘れていることもあり、さらには暗算力を含めた計算力が低下していることを実感しているので、まずは英語での数学表現をきちんと復習していき、計算力を向上させる取り組みをしたいと思う。
計算力の感覚を取り戻すことに加えて、計算用紙に計算過程を書く際に読みやすい綺麗な字で書くようにすることが計算ミスを防ぐ上で重要かと思ったので、それをこれからの問題演習の際に意識していくつもりだ。公式問題集を1周したら、2周目においては1周目で間違えた問題のみを再び解き直し、3周目においては全ての問題に対して問題を見た段階で解法プロセスを頭の中で考えるということをやっていく。すなわち、問題を見ただけで何をどのように解き進めていけば良いのかを理解する脳内回路を作っていくのである。こうした瞬発力を養うことは、時間に追われる数学セクションで高得点を得る上で非常に重要になる。5年前に受験した時のスコアをGMATに換算すると710点とのことだが、これがどれほどのスコアなのかはGMATを受けたことがないのでよく分からない。少し興味本位で換算スコアを眺めてみた。今回はverbalセクションで少なくとも160点は超えたいと思うし、数学セクションでも少なくとも前回と同様に168点ぐらいは取得したい。もちろん満点を取得できるに越したことはないが、数学セクションで全くミスを犯さないというのは自分にとってはまだ難しい。今回は数学セクションも念入りに対策をするので、両セクションの合計が330点を超え、GMATに換算すると740点ぐらいのスコアを取得できたらと思う。肩肘張ることなく、引き続きゲーム感覚で各セクションの対策を楽しんで行っていけば、自ずから良い結果がもたらされるのではないかと期待する。フローニンゲン:2023/5/4(木)17:24
本日の自由詩(free verse)
No.2929, Manifest Evidence
Evidence for me to prosper came down from the sky.
I just gratefully received it.
Groningen; 07:41, 5/4/2023
No.2930, Heavenly Justice
Someday heavenly justice will be given to us.
We should enhance our ethics and morals to prepare for it.
Groningen; 10:59, 5/4/2023
No.2931, A Place of Mutual Touching
The world is a gentle place of mutual touching.
Its mutuality is essential.
It can open the door of nonduality.
Groningen; 12:53, 5/4/2023
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