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【成人発達心遊記】13664-13669:2024年11月30日(土)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指した成人発達コラボラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

13664: 【日本滞在記】 実家滞在最終日の朝に

13665: 【日本滞在記】 お酒を嗜んで

13666: 【日本滞在記】 ゼミナールの第108回目のクラスを振り返って

13667: 【日本滞在記】 分段生死と変易生死

13668: 【日本滞在記】 分別起の煩悩を克服する空体験の重要さ

13669: 【日本滞在記】宗教の現代的な価値/永遠不変の価値観を持って現実世界を生きること


13664. 【日本滞在記】 実家滞在最終日の朝に  

 

時刻は午前6時半を迎えた。いよいよ今日が実家に滞在する最終日となる。明日からは、「成人発達コラボラジオ」でご一緒している知人の早田航さんに会いに大分に行き、大分に2泊3日の滞在をする。月曜日には航さんのスタジオでパーソナルトレーニングを受けさせてもらえることになっており、今からそれが楽しみである。実家でも月曜日と木曜日には必ずトレーニングを行なっていたが、そこではダンベル1本を用いたトレーニングが主であり、大胸筋や上腕三頭筋については自重で鍛えていたこともあり、そろそろ違う刺激が欲しくなっている頃であった。スタジオでどのようなトレーニングを受けられるのかに期待を膨らませながら月曜日にスタジオにお邪魔したい。


もうこの時間になると朝焼けが遠くに見えていて、今それを眺めている。幸いにも実家に滞在する最終日の今日は天気が良いようなので、後ほど散歩に出かけたいと思う。今日は午前9時からゼミナールの第108回目のクラスがある。今日はこれまで扱っていた課題図書を総振り返りする回となる。受講生の皆さんには事前に、クラスの中で取り上げたいと思う論点をいくつか考えてきてもらうことをお願いしたので、皆さんがどのような論点をクラスに持ち寄ってくれるのかが楽しみである。自分自身も論点をいくつか用意しているが、皆さんが関心のある論点を尊重し、それを優先的に扱っていきたいと思う。その方が間違いなくクラスが盛り上がるだろう。


実家の光市にやってきた時にはまだ暖かさが残っていたが、12月を明日に控え、光市も随分と冷えてきた。朝夕の冷え込みもそうだが、日中の最高気温も10度前半になっているので、オランダから持参した衣服が活躍する頃になり、それらの衣服でさえ少し寒さを感じるほどになった。なので昨日は、散歩がてら近所のユニクロに行って、極暖のヒートテックの上を購入した。それをインナーとして着ることで寒さは随分と和らぐのではないかと思う。天気予報を見る限り、明日と明後日の大分ではヒートテックは必要ではなさそうである。航さんのスタジオに行く月曜日には、なんと最高気温は20度まで上がるというおよそ12月とは思えない暖かさだ。火曜日からの大阪か、木曜日からの奈良ではヒートテックが活躍するのではないかと思うし、欧州に帰る日は向こうは相当に冷えているのでヒートテックを着よう。こうして気づけば日本の滞在時間も残りわずかとなり、ここまでのところ非常に充実した一時帰国だったと思う。来年の年末年始に日本に戻って来ることがあれば、来年は東京に数日滞在したり、まだ足を運んだことのない都道府県に足を運んでみたいと思う。日本にはまだまだ風光明媚な場所がある。それを残りの人生を賭けてゆっくりと開発していこう。光市:2024/11/30(土)06:54


13665. 【日本滞在記】 お酒を嗜んで   


今、燦然と輝く朝日を眺めている。こうして実家の滞在最終日も晴れに見舞われたことを嬉しく思う。心置き無く朝日を堪能し、後ほどその朝日を浴びながら散歩すれば、とても充実した気持ちで明日実家を出発できるだろう。明日の出発の時刻はゆっくりであるし、明日も晴れのため、明日の朝ももしかしたら散歩を楽しむかもしれない。今回の実家の滞在を経て、改めて散歩の魅力に気づき、オランダに戻ってからも朝に散歩する習慣を継続したいと思う。朝食を食べ終えて少し休憩した後に少しばかり散歩を楽しむことを雨の日以外行おうと思う。


今朝方は夢を見ることはなかった。記憶に残る夢を見ないのは2週間の実家の滞在中、これが2回目かと思う。夢を見ない原因が何なのかは未だ明確なものはわからない。実家に滞在中は、お酒を少々嗜む程度に飲んでいる。うちは両親がお酒を飲む。これまで一時帰国した時にも実家に滞在中の何日かは一緒にお酒を飲んで語り合うことをしていたが、その頻度はかなり抑えめであった。ところが今回は、父が学生時代に趣味としていたカクテルに目覚め、色々なお酒を買い集めて日々様々なお酒を飲むようになったとのことだった。先日の四国旅行中には、父が運転する車の中で、『レモンハート』という父が好きなテレビドラマを見ていて、それがバーを舞台にするとても面白い内容で、自分も幾分お酒の世界に目を開かれた。もちろんオランダに戻ってからや普段は一切お酒を口にするつもりはないが、こうして1年や2年に1度日本に帰ってきて、実家に滞在する時ぐらいはお酒を嗜むのもありかと思う。父が購入したカクテルのガイドブックを最初から最後まで眺め、「ゴールデンドリーム」というカクテルに目を惹かれたので、それを昨日の夕食後に作ってもらった。毎日夢の振り返りを大切にし、夢を貴重な学習財源としている自分にとって、「黄金色の夢」という意味を持つそのカクテルに興味を持ち、父が作ったものを飲んでみたところ、大変美味であった。今日は実家滞在の最終日ということで、父がまだ開けていない酒を開けて一緒に飲むことになった。その酒とは、父の退職記念として2018年の9月の父の誕生日に贈った1980年もののラフォンタンである。それを母を含めて3人で少しだけ堪能する予定だ。実は退職記念プレゼントと誕生日プレゼントとして、父が生まれた1956年のラフォンタンも贈ったのだが、それはまた来年以降の楽しみとしてとっておくことになった。日本に帰ってきて実家に滞在する時だけ両親と盃を交わすことを一時帰国の1つの楽しみとし、いつか誰かとオーセンティックなバーにも行ってみたいと思う。光市:2024/11/30(土)07:47


13666. 【日本滞在記】 ゼミナールの第108回目のクラスを振り返って       


つい今し方、ゼミナールの第108回目のクラスを終えた。一時帰国中はこちらの都合で朝の早い時間帯にクラスを行なっていることもあって、参加者の人数は少なく、今日は3人の受講生の方々と対話を通じて学びを深めていった。ここ最近のゼミナールは唯識学を主軸に扱っているが、話の中で適宜成人発達理論やインテグラル理論に言及することがあり、それらの理論と唯識を横断していくと、非常に学びの幅と深さが広がっていくことを実感する。


今日の90分間のクラスで得られた学びは多々あるが、印象に残っているのはクラスの最後にある受講生の方が述べてくださったことである。それはゼミの場がお互いを分かり合う場として存在していて、分かり合うことは私たちの心の成長にとって必要な癒しをもたらすということである。単に共感的な聞き方を通じて実現される分かり合いを超えて、より心の深層的な次元での分かり合い現象がクラスの中で起こっているように思う。当然ながら、私たちの心は最終的には1人1人異なり、不可侵領域を持つ人人唯識の世界なので、相手の話を全て全体として完全に分かり切るということは不可能だが、その不可能性を認識しながらその限界に向かってできる限り理解を深めようとする姿勢が自分の中に芽吹いていることにはたと気付かされた次第である。この話と繋がるのが傾聴と呼ばれるもので、自分もかつてコーチングの資格を取得するときに、傾聴の定義と方法論を学んだが、それを単純に型通りにやろうとするとどこかで限界を迎える。もちろん発達のプロセスにおいて、最初は型に沿うことは重要だが、最終的には傾聴するという意識を超えて、傾聴がより自然体のものとなる型を手放す段階に至る必要がある。この時に、かつての違和感のある傾聴について考えを巡らせてみると、それは自らの遍計所執性を投影し、それに無自覚な形で話を聞いている場面があったなと思い出されるし、言語的な知性を司る第六織を末那識と密着した形で発揮している状態で話を聞いている場面があったなと思い出される。それらの場面は、いずれも深層的な次元で相手を分かる傾聴を実現させてくれない。重要なことは、自らの遍計所執性に気づきながら話を聞くことであり、第六織が転識得智を果たした妙観察智や末那識が転識得智を果たした平等性智をできるだけ体現した状態で話を聞くことなのだと思う。そのためには心を磨く修行が必要になるが、それを継続させていくと、相手の話を深層的な次元で聞くことが徐々に可能になり、話を聞いてもらった相手にとってみれば何か清々しいような気持ちや軽安の境地を体験するような現象がもたらされるのだろう。人の話を聞くという行為を1つとってみても、それは慈悲に基づいた智慧を発揮する優れた実践機会であり、話を聞きながら相手にとって大切な真理に気づいてもらうという法施の実践にもなるのだろうと思った次第である。光市:2024/11/30(土)10:53


13667. 【日本滞在記】 分段生死と変易生死  


時刻は午後2時を迎えた。今日も昨日同じかそれ以上に天気が良い。早朝こそさほどではなかったが、昼頃から風が強くなり、今海にウィンドサーフィンを楽しむ人の姿をちらほら見る。遠浅の海でウィンドサーフィンを楽しむ数人の人たちの姿を眺めながら、それぞれの人が各人の過去を背負った「分段生死」について思いを馳せる。私たちの体には寿命があり、それは一定の限界として私たちに乗り掛かる。寿命に基づく生と死の隔ての様子が分段と表現されている。仏教における死生観はそれに留まらず、「変易生死(へんにゃくしょうじ)」ないしは「不思議変易生死(ふしぎへんにゃくしょうじ)」と呼ばれるものがある。これは、願と慈悲と禅定の力によって肉体の限界や寿命を際限なく自在に変えることができる菩薩の生死を指す。そのように展開されていく人生の境涯があることは興味深い。グロスの肉体の寿命に従うだけの人生は分段生死のみの生き方となるが、願と慈悲と禅定を実践していく生き方はその生き方を超えていく。よりサトルに、コーザルに人生を展開させていくことが可能になる。いやそれは本質的には真理と一体となった生き方であるから、非二元として人生を展開させていく生き方だと言えるだろう。どのような人生を展開させていくか。それもまた私たちの心に依存する。


毎週末行っているゼミにはキリスト教を信奉している方がいるのだが、今日のクラスの後にふと、キリスト教を信奉しながらも唯識を含めた仏教を深く学ぶことの意義について考えていた。宗教の中には、あるいは宗教に関する発達ラインのある段階においては、他の宗教を学ぶことを厳しく禁じるものもあるが、相対主義的段階以上の宗教観を持ち合わせていれば、自分が信奉する宗教以外の宗教の教えにも偏見なく目が開かれていき、それぞれの宗教に固有の叡智や実践を汲み取ることが可能になってくるのではないかと思った。かつてゼミナールでは世界の宗教について概観的に学んだが、そこからこうして仏教の唯識学を深く学んでいる自分もかつては神道の探究に集中的に勤しんでいた。神道はその性質上、他の宗教とぶつかり合うような側面が希薄であり、自分の場合は神道を深く学んだ後に仏教を真剣に学び始め、今は仏教が自らの宗教的な発達ラインの核を示している。ここからまた他の宗教の探究に乗り出していく可能性は大いにある。それ以外にも、宗教社会学の観点も現実世界の諸問題の背後にある宗教的なものを考察し、そうした問題の解決に向けて有益な学問かと思い、それについても今後タイミングが訪れた学びを深めていきたいと思う。宗教を通じて個人の心と社会を見つめていくこと、そして人間発達を軸として個人の心と社会を見つめていくことの研鑽を継続させていこう。光市:2024/11/30(土)14:24


13668. 【日本滞在記】 分別起の煩悩を克服する空体験の重要さ       


唯識においては修行の段階は大別して、資糧位、加行位、見道位、修習位、究竟位に分別され、合計で41個の段階がある。資糧位においては仏の教えをしっかりと吸収する段階であり、そこで蓄えが次の段階以降の発達に重要な役割を果たす。加行位においては、その名の通り、資糧位で蓄えた仏の教えに対して行を加えながら、すなわち実践をしながら仏の教えを体現していく。しかしこの段階ではまだ空については知的理解で留まり、それを体得することはできない。それができるのは次の見道位である。ここでは大きな転換が実現される。認識論的には、そこで初めて空が知的理解を超えて身体的・存在的に体得され、無分別智の体験がやって来る。それは真理、あるいは真如と一体となる体験である。この体験は刹那的なものだが、その体験の前後では世界を認識する方法も世界における在り方も大きく変容することになる。見道位における空体験から再び意識状態が通常のものになると、そこではまた分別智が発揮されるのだが、そこでの分別智は空体験を経た後の後得智となり、空体験前の分別智とは性質を異にする。見道位における空体験の重要さは、そうした認識論的転回と存在論的転回に留まらない。それらはある意味、インテグラル理論の言葉で言えばグローイングアップとウェイングアップの道であり、見道位における空体験はそれに加えてクリーニングアップにおいても非常に重要な意味を持つ。私たちのシャドー、すなわち煩悩は、仏教的に言えば無明に由来する。無明はつまるところ空が分からないというところに由来している。ゆえに空を知的理解を超えて体得するという見道位における空体験は、無明を克服することに大きな力をもたらすのである。唯識においては、煩悩を生まれ持っての倶生起の煩悩と生まれてから獲得された分別起の煩悩に分ける。倶生起の煩悩は想像の通り、それが生得的なものであるがゆえに克服が難しく、それは見道位の次の修習位で10個の段階を経ながら徐々に克服されていく。しかし、分別起の煩悩は漸次的ではなく、見道位における空体験によって一気に氷解する。悟りに向けての学びや実践は徐々に蓄積されていくが、悟るという体験は頓悟なのである。その瞬間に、空が分からない形で無明によって形成されていた分別起の煩悩は一気に克服されていく。そのようなことを考えながら、毎週末のゼミナールのクラスでは、言葉を用いた対話を通じて、知的な迷いである分別起の煩悩を少しずつ克服していき、来るべき空体験に向けての準備をしているのではないかと思った次第である。毎回のクラスの後に、どこか清々しい気持ちになるのは、クラス内での対話が自分の中に残っている知的な迷いの解消に繋がっており、それが解消されることによって生まれたスペースを感じているからなのだと思う。そうした意味でも今後のゼミナールのクラスがまた楽しみになってくる。そこに治癒や変容の喜びに加えて、真理に触れる喜びと楽しさがある。光市:2024/11/30(土)14:45


13669. 【日本滞在記】宗教の現代的な価値/永遠不変の価値観を持って現実世界を 生きること        


変わりゆくものと変わらないもの。この現象世界は、諸行無常の原則に貫かれて絶えず変化をしている。各種の学問は、そうした世界の変化に対応する形で新たな知を生み出していく。自分はそうした新たに創出される知に関心があるし、移りゆく人間の有り様や社会の有り様を観察することを好む。それと同時に、自分はこの世界で変わらないものを愛していることにも気づく。それは人間存在の根幹部分であったり、心の奥深い特性であったり、この世界の真実の実相など、真理に触れる世界に関係する。これまで自分が修めてきた学問はどちらかというと前者に関係するものであったように思うが、唯識を含めた宗教の探究はより後者に焦点を当てる。宗教の現代的な価値は、それが長大な時間をかけて、この世界における変わらないものを探究した成果が内包されていることではないかと思う。人として変わらない側面は何で、社会として変わらない側面は何なんか、現象を世界を貫く真理の世界の探究の成果がそこに充満しており、その叡智を汲み取ってより良い生を形成していくことに宗教の現代的な価値を見出す。自分は絶えず自他と社会の変化を観察し、そうした変化を超えた変化を生み出す真理の世界に眼差しを向け続ける。そのためには宗教的な素養が不可欠であり、宗教的な探究と実践が不可避に要求される。


自らの価値観は、意識の発達に応じて変化し、より深まっていく。そうした価値観は相対的な真理の世界の中で深まっていく。そのようなプロセスの中で、自分は仏教が持つ永遠不変の価値観を拠り所にしている。そうした拠り所があることが、結果的に相対的な真理の世界における自らの価値観の発達の歩みを着実なものにしてくれているように思う。すなわち、絶対的な真理の世界を説く仏教の永遠不変の価値観に立脚する形で現実世界を生きるということを自分は大切にしていて、それを通じて少しずつ自らの価値観が着実に深まりを見せているのを実感している。永遠不変の価値観を持って現実世界を生きられるこの心の落ち着きを何と形容していいか分からない。それは真理に抱擁される絶対的な安心感と言えるだろうか。それは巷で言われる心理的安全性とは当然次元が異なり、心理的安全性という人為的に創出されるそれも大切だが、真理が創出する無為の安心感にも目を向けるべきだと考える。表層的な変化や言葉尻に囚われる現代人にはそれが難しいかもしれないが、多くの人が真理に抱擁される絶対的な安心感を感じてもらえるような取り組みにも積極的に関与していきたいという思いを新たにする。光市:2024/11/30(土)15:12


Today’s Letter

My mind remains calm and peaceful after walking. While taking a morning walk on the beach, I realized that now is the best time to apply for graduate school, both in terms of my career and my age. Approaching the age of 40, I’ve been experiencing a kind of mid-life crisis about what I want to do for the rest of my life. After several months of reflection, I discovered that I want to dedicate myself to studying Buddhism. Putting aside my career at Deloitte and in the educational sector in the U.S., I have been running my own business in the field of human development. I’d like to study Buddhism, particularly from the perspective of human development. I believe that my three previous master’s degrees and work experience have prepared me to start a new career. To fully realize this new path, I need one more advanced academic degree in religious studies. Hikari, November 30, 2024

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