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タイトル一覧
13448: 現実世界からの目覚めを促す夢の振り返り
13449: 今朝方の夢
13450: 今朝方の夢の続き
13451: 性愛を中心にしたウェルネスの輪の広がり/円成実性的な自由について
13448. 現実世界からの目覚めを促す夢の振り返り
時刻は午前7時半を迎えた。この時間になってようやく空がダークブルーに変わり始めている。庭側の木に小鳥がやって来て、思い思いに囀りを上げている。日本に一時帰国した際には、朝の日の出の時間の速さに驚くであろう。そしてオランダよりも格段に晴れの日が多いであろうから、今からそれが楽しみである。朝の静けさを堪能しながら、今日もまたいつものように今朝方の夢をゆっくり振り返り、それが終わったら探究活動に入っていこうと思う。今日の探究は、インドの後期密教に関する経典群を扱った論文集の下巻を読み進めていくことが主眼になる。その書籍の初読を終えたら、午前中に収録予定のラジオに向けて課題図書の復習をしておきたい。もし論文集の初読を速やかに終えることが出来なければ、午後からもその続きに取り掛かる。
毎朝夢について振り返っていると、現実世界の夢性にますます目覚めている感覚がする。夢の振り返りの量に比例して、現実世界もまた夢の如しものであることへの目覚めが増している。まさに観心覚夢である。夢の振り返りには唯識的にはそのような効果があったのである。今後も夢の振り返りに励んでいき、夢の如き現実世界からの目覚めをさらに促進していこうと思う。そのようなことを思いながら、まず最初に思い出した夢として、実家のキッチンにいた場面がある。そこで両親と会話しながら朝食の準備をしていた。両親はすでに朝食を済ませており、コーヒーを飲みながら寛いでいた。その様子を見て、久しぶりに自分もコーヒーが飲みたくなってきた。普段はコーヒーを飲むことをやめ、抹茶を含め、様々なお茶を飲むような生活をしばらく続けていた。しかし、久しぶりにコーヒーの香ばしい香りを嗅ぐと、それに抗うことができずにコーヒーを自分で淹れて飲んでみようと思った。幸いにも両親はコーヒー豆にはこだわっていたので、質の良いコーヒー豆から抽出されたコーヒーはさぞかし美味しいだろうと思われた。いざコーヒーを淹れて、朝食に何を食べようかと思った時に、母が冷蔵庫にチョコレートケーキがあると教えてくれた。それもまたこだわりのケーキで、原材料は全てオーガニックのもので、精製された糖は使っていないようで、黒糖を使っているとのことだったのでそのケーキをいただくことにした。ケーキは1つではなく、2つぐらいをいただき、それに加えてフルーツとしてバナナを1本食べようと思った。その準備を進めていると、父がふと、“jeopardize”の意味が「危険に晒す」であることを述べ、その同義語を1つ述べた。私は父が結構難しい英単語を知っているのだなと感心し、さらに一段レベルの高い英単語のクイズを出してみようと思ったがそれをやめた。クイズを出すよりも先にコーヒーを飲みながらケーキを食べたかったのである。フローニンゲン:2024/10/23(水)08:00
13449. 今朝方の夢
今日も昨日と同様に晴れの予報だが、昨日の朝方と同じく霧が出ている。天気予報を見ると、霧の注意報が出ているほどだ。その都合上、朝日を拝むことはまだできていない。この様子だと朝日が見え始めるのは午前9時頃になるのではないかと思う。かなり濃い霧が出ていたようで、霧が木々の枝に露となって付着しているのが見える。
今朝方の夢の続きとして、次のような夢を見ていた。夢の中で私は、日本に一時帰国する飛行機の中にいて、気がつけば空港に到着していた。到着した空港から空港の駅までシャトル列車があったのでそれに乗車した。すると、そこには結構な数の外国人がいて驚いた。未曾有の円安の影響なのだろうか、海外からの観光客が増加していることを日本に到着して改めて思った。シャトル列車はいくつかのターミナルに順次停車していくが、乗車時間は長くなかった。ところが、シャトル列車に乗っている最中に、バイオハザードのようなゲームの世界の中にいて、その世界からの脱出に随分と時間を要した。シャトル列車のある世界とゲームの世界は時間の流れが全く異なっていて、そもそも別の時間軸で動いているようだった。ゲームの世界の中にいる時にはそこがゲームの世界だということには気づかず、まずはゲームの世界で生き延びて、その世界の最終地点に辿り着くことだけが念頭にあった。ゾンビのような怪物だちを倒していきながら、最中地点に到着してハタとこの世界がゲームであることに気付き、自分がゲームの世界の中で奮闘していたことに気付かされた。それを受けてゲームの世界から瞬時に脱出して、意識と体は再びシャトル列車の中にいた。どうやら乗り換えを行う駅に間も無く到着するとのことで、荷物をまとめ始めた。すると、隣に座っていたアメリカ人の女性が私に2つのブルーベリーマフィンが入ったビニール袋を渡してくれた。その袋の中にはどういうわけか皮の剥かれていないニンニクが大量に入っていて驚いた。それはマフィンの保存をよくするために入れられていたのか定かではないが、とにかくその女性からビニール袋をまず受け取った。そこでふと、そのマフィンを購入したのはいつだったかと思い出そうとした。それは確か今回の旅行の前か旅行中のどこかで購入したものののようで、少なくとも数日は経っていたのでカビが生えていないかが気になった。どうやらカビは入っていないらしく、まだ食べられるようだったので後ほど列車の中でそれを食べようと思った。そのようなことを考えながら、自分のリュックサックが隣の席の窓の隙間に挟まっているのが見えたのでまずはそれを取り出し、今度はスーツケースを探した。そうこうしているうちに列車は駅に到着し、慌ててスーツケースを探したところ、当初置いていた場所ではない所にスーツケースがあるのを発見し、急いでそれを持って列車の外に出た。間一髪列車の外に出ることができ、そこから東京方面に向かう列車に乗って宿泊予定のホテルに向かおうとした。降りる駅は新横浜だったか東京だったか定かではなくなり、後ほど確認してみる必要があると思った。新幹線の乗り口に向かうと、見覚えのある顔が見えた。これまで長くゼミナールに参加してくれていたある男性の知人の方とばったりそこで遭遇し、少し立ち話をした。どうやらその方はクライアント企業に訪問していたらしく、そこでクライアントとランチを共にしたそうだった。その方はお酒を飲まないのだが、クライアントの社長が昼からお酒を飲み、随分と酔っ払って大変なことになっていたと身振り手振り楽しそうに話してくれた。もう少し話を聞いていたかったが、新幹線がやって来る時間が迫っていたので、今度またゆっくり話をしようということをその方に告げてその場を去ることにした。フローニンゲン:2024/10/23(水)08:34
13450. 今朝方の夢の続き
早朝に予想していた通り、午前9時を迎えてから朝日が出始めた。今日も雲がほとんどない快晴の空に恵まれるようで、優しい太陽の光に満ちた1日を満喫したいと思う。今朝方見ていた夢についてはすでにいくつか振り返っていたが、まだ続きがあるのでそれも振り返っておきたい。夢の振り返りが増せば増すだけ、深層意識への理解が深まるのと同時に、この夢のような現実世界からの目覚めも促される。
夢の中で私は、見慣れないショッピングモールの中にいた。その一角にカフェがあり、そこで小中高時代の親友(NK)と話をしていた。しばらく2人で話をしていると、もう1人別の友人(YU)がやって来て、彼も話に加わった。まず親友の彼が話してくれた嬉しい知らせとして、彼が無事にある資格試験に合格したとのことだった。私はその知らせを自分ごとのように喜んだ。それを受けて彼がふと、自分も大学の入試試験を受験していたことを思い出し、その結果について尋ねてきた。自分としてはそれはあまり触れて欲しくない話題だった。というのもちょうど数日前に不合格通知を受け取ったばかりで、まだ心の整理がついていなかったからである。後からやって来た友人の彼も第一志望の大学に不合格となり、彼もそのことを思い出したようで、少し顔に陰りが見えた。質問をしてきた親友の彼は、私たち2人が第一志望の大学に不合格になったことを残念に思ってくれているようだった。暗い話題はそれくらいにして、別の話題に変えようと思った時に、自分は確かに日本の第一志望の大学に不合格になったが、スペインとハワイの大学についてはこれから出願することを思い出し、まだ希望があることを彼に伝えた。すると気分が晴れてきて、そう言えば自分は第一志望の大学に昔合格しており、すでにその大学を卒業していることを思い出した。それを思い出して安堵したところで目が覚めた。
この夢について改めて思い返してみると、かつて自分が日本で卒業した大学を再び受験しようとする夢は結構繰り返し見るモチーフだということに気づく。そしてことごとく再受験は失敗し、そのたびに自分はすでにもうその大学をかつて卒業していたことを思い出して安堵するという体験を夢の中でする。どうやら大学受験を終えて20年ほど経ってもまだ、日本の過酷な大学受験の体験は自分にとってトラウマになっているようである。こうして何度も夢に出て来て、それを振り返ってみても、根本的な傷はまだ完全に癒えていないようだ。大学受験にまつわるトラウマを完全に癒すことにはまだ時間がかかるのかもしれないが、傷の根本にまだ立ち返りながら、着実にその傷を癒していく試みを継続したいと思う。深層意識にあるこの傷が顕在意識下における日常生活に少なからず影響を与えていることは確かであり、自分でも時折トラウマによって引き起こされた言動に気づくことがある。このようにして考えてみると、青年の心を深く傷つけかねない日本の入試制度は、心の発育上も好ましくなく、下手をするとそのトラウマによってコミュニケーションの問題が生じたり、心の成長が停滞してしまうことなども引き起こしているのではないかと思う。フローニンゲン:2024/10/23(水)09:31
13451. 性愛を中心にしたウェルネスの輪の広がり/円成実性的な自由について
時刻は午後1時半を迎えた。起床直後こそ霧が深い朝の世界が広がっていたが、今は雲ひとつない見事な青空が広がっている。快晴の澄み渡る青空がを眺めながら、午前中に行っていたラジオの収録の内容について思い返している。今日もまた性科学の課題図書を取り上げて対話を進めていったわけだが、前半の回においては課題図書に全く触れない形で対話がなされた。そこで取り上げた内容は、自分の肩書きの原体験についてだった。改めて「成人発達学者」という今の肩書きにつながる原体験が何だったのかについて色々と振り返りをさせてもらう機会を得た。対話の中では明確な形を持つ原体験を思い出すことはできず、むしろ今につながる幼少期の自分の問題意識の根源を思い出すことならできた。ひょっとしたら自分の場合は、これという明確な形のある原体験が今の肩書きにつながっていったのではなく、形を持たない大切な問題意識を起点にした無数の体験が積み重なって今の自分の肩書きとしての取り組みにつながっていったのかもしれないと思った。その他に印象に残っているのは、後半の回で取り上げた性愛を中心にしたウェルネスの輪の広がりについてである。性愛はそれが持つ力の強さとそれが及ぶ範囲の広さから、心身のウェルネスだけではなく、人間関係やお金のウェルネスなどとも密接につながる重要なものであることを再認識させられた。性愛を起点にしてそこから放射線状に広がっていくウェルネスの輪の様々な要素を考え、それぞれの領域のウェルネスを高めていくことが全人格的なウェルビーイングの涵養につながるのだろう。そのようなことを考えさせてくれる内容だった。
そうした振り返りをしているとふと、今朝方ベッドの上で考えていた事柄を思い出した。それは自由に関するものである。私たちは、~できることが自由であると考えたり、~の状態が自由であると考えてしまいがちかもしれないが、それらは全て条件付けによってもたらされる自由であり、~できることができる自由をひとたび考えてしまうと、それができない場合には不自由さを感じてしまい、~の状態が自由であると考えてしまうと、その状態ではない場合にはすぐさま不自由さを感じてしまう。本当の自由とは、究極的な自由とは、そうした条件付けを超えたものなのだろうということを半覚醒の状態で考えていた。とどのつまり、そうした条件付けの自由は遍計所執性的な自由なのである。言葉での条件付けによって持たされる自由は窮屈なものでしかない。もちろん私たちは言葉を使い、言葉によって遍計所執性を生み出す存在なので、言葉によって形作った遍計所執性としての自由をまた言葉としての遍計所執性によってその意味を更新しながら、より豊かな自由に向かっていくしか方法がないのかもしれないと思う。円成実性としての真如としての自由には、言葉の力を借りて依他起性としての自由を跳躍台にして到達できるものなのかもしれない。あるいは性愛のように、言葉を超えた交わりを通じて垣間見え、徐々に体現されていくものなのかもしれない。性愛はウェルネスとのつながりだけではなく、究極的な自由ともつながっている非常に大事なものだということを改めて思う。フローニンゲン:2024/10/23(水)13:49
Today’s Letter
The fog has disappeared, and the bright morning sun has appeared. This seesaw phenomenon can often be observed in our mental world as well. The key is to go beyond seeing both sides and perceive the unchanging wholeness of the world. Groningen, October 23 2024
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