⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。
タイトル一覧
13333: 運命の綾/真理の輝き
13334: 今朝方の夢
13335: グロスボディの鍛錬/蜃気楼の如き言葉
13336: 今朝方の夢の続き
13333. 運命の綾/真理の輝き
時刻は午前8時を迎えた。今の気温は6度と非常に低いが、空には雲がなく、見事な青空が広がっている。そんな青空に一筋の飛行機雲ができている。飛行機がアムステルダム空港に向かう姿を眺めていると、今度は逆方向に飛行機雲が遠くの空にできているのが目に入った。それはアムステルダム空港から北欧の方に向かっている。互いに気づかない形で2つの飛行機雲は交じり合っている。そんな様子を見ながら、どこか運命の綾を感じる。本当はもうお互いに出会っているはずなのに、その出会いに気づくことができないという現象。この人生においては私たちの気づかないところで運命のすれ違いが起きている。この広く深遠な宇宙がもたらす素晴らしき出会いにどれだけ気づくことができるだろうか。そのようなことを考えさせられる。
昨日はゼミナールのクラスを終えて散歩がてら街の中心部に買い物に出かけた。ここ最近は日本の一時帰国に向けて、外行きの新しい服を購入したり、新しいパジャマやビジネスの場でも履ける長いソックスなどを買ったりしていた。さらには昨日のようにウォーターフロスを新しくしたり、新たなリュックも購入した。ビジネスでも使えるリュックについてはフローニンゲンでいいものが見つからなければ、一時帰国の際の最初の滞在地である大阪で購入しようと思っていた。ちょうどMacBook Airを新しいものにしようと思っていて、そのついでに梅田の方に出かけて買い物をしようと考えていた。MacBook Airはすでに丸5年ほど使っていて、今では調子を取り戻しているが、今年の夏に勝手にシャットダウンするという異常が現れることが何回かあったので、今回の一時帰国の際に古いものを買取に出して新しいものを購入する予定である。次回の一時帰国の予定はまだないため、今回の一時帰国の際に買い替えができたらと思う。こうして古いものとお別れをし、新しいものを入手すると、古いものに対しては諸行無常を感じ、新しいものに対しては新鮮な気持ちを感じる。もちろん手にした新しいものもその瞬間から諸行無常の原理によって、役目を終える方向に動き始める。こうしたところにも、唯識学を学ぶことを通じて日常を見つめる眼差しの変化を感じる。日常の諸現象の背後にある真理へ絶えず目覚めているような感覚がある。昨日のゼミナールの中でも、日常の些細なことを観察したり、些細な実践をしたりすることを通じて非日常性を感じ、そこから目覚めを実現していく道について話がなされていた。目覚めには何か特別なことが必要なわけではなく、私たちの意識を研ぎ澄ませ、日常を虚心坦懐に眺めることをしていけばいいのである。平静な心でこの日常世界を眺めてみると、その背後にある真理が輝き出す。そしてそれらの1つ1つの固有の真理の背後にある絶対的な真理の眩い光に気づくであろう。フローニンゲン:2024/9/29(日)08:24
13334. 今朝方の夢
雲ひとつない美しい朝空に朝日が輝き始めているが、気温が6度しかないこともあって、部屋の中では暖房がせっせと稼働している。今日の日中の最高気温は15度まで上がるらしく、晴れ間が広がっている最中においては体感としてはもう少し暖かく感じられるかもしれない。昨日街の中心部に出かけた時には、気温が13度ほどということもあって、すでにマフラーを首に巻いている人の姿をちらほらと見かけた。先日の日記で書き留めていたように、15度を下回り始めるとマフラーを撒き始める人が出てくるというのは本当にようである。自分は体温が比較的高い方なので、昨日の段階ではマフラーを必要と感じず、おそらく10度を下回り始めるとマフラーを求めるようになるのではないかと思う。今回の一時帰国は11月の中旬から12月の初旬にかけてであり、その頃のフローニンゲンはもはやマフラーは不可欠だと思うが、日本に帰った瞬間においてはまだマフラーは必要でないかもしれない。日本に向かう際の寒さと日本での滞在後半の寒さ、そしてヨーロッパに戻ってきてからの寒さを考えると、マフラーは必ず持参したほうがいいかと思う。
そのようなことを考えながら今朝方の夢について振り返り始めた。夢の中で私は、日本と外国が混じり合った見慣れない観光地にいた。そこは山の付近の旅館街であり、とても風光明媚な場所で趣があった。旅館のいくつかは真新しいものがあったが、逆にいくつかは昔ながらの古き良き旅館の姿をしていた。私は観光客の1人としてそこに滞在しており、その日の夜に自宅に帰ることになっていた。時刻は夕暮れ時となり、そろそろ旅館を出発して駅に向かおうと思った。ちょうど同じ旅館にある知人が宿泊していて、彼に別れの挨拶をするのを忘れていたとふと思った。それが少し気がかりのまま駅に向かって歩いていると、日没が近づく中で、通りすがりのグラウンドで野球をしている外国人たちの姿を見た。その中には地元民の日本人も数人ほどいたが、大半は外国人だった。それぞれの外国人の国籍は不明であったが、遠くから見た感じ、様々な国籍の人たちが楽しく野球に興じているように思えた。沈みゆく夕日に照らされている彼らはとても楽しそうで、自分もその輪の中に加わりたいと思ったが、列車がやって来る時間が迫っていたので、足早に駅に向かうことにした。グラウンドを通り過ぎ、川をかける橋を渡ったところで、道を間違えている可能性があることに気づいた。列車の時間はもう直ぐだったので、気持ちが焦り始めたが、一度冷静になって駅までの方向を確認した。すると、橋の向こうから小中高時代のある友人(HY)がやってきて、彼が親切に駅の方向を教えてくれた。また彼はどういうわけか一緒に宿泊していた知人のことを知っていて、その知人も今駅に向かおうとしているから、知人がいる定食屋で彼と合流するといいと述べた。私はもう知人と合流する時間はないと思ったので、友人の彼に教えてもらった駅の方向だけを頼りに1人で駅に向かうことにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/9/29(日)08:50
13335. グロスボディの鍛錬/蜃気楼の如き言葉
天晴れな秋晴れの空が早朝のフローニンゲン上空に広がっている。明日と明後日は小雨がどこかのタイミングで降るような日になるようだが、それ以降は晴れの日が続く。フローニンゲンの秋や冬は天気が崩れやすくなって来ることもあり、こうして晴れの日があることは心に憩いをもたらし、太陽の光の恵みをじっくり味わいたいという気持ちになる。昨日の夕方に街の中心部に買い物に出かけて、帰り際にノーダープラントソン公園を歩いていると、夕方の落ち着きをそこで味わった。先日に美容クリニックに行った際には朝の落ち着きと輝きをそこで味わった。朝と夕方でノーダープラントソン公園は違う表情を見せてくれる。これから日照時間が短くなり、太陽の姿を拝む時間が限られてくる季節になると、太陽の光を浴びてセロトニンを分泌することが難しくなって来る。それを考えて、晴れの日の朝は朝食後に、ノーダープラントソン公園を30分ぐらい散歩するような習慣を持ってみようかとも考えている。
歩くということに関して言えば、昨日のゼミナールでは100kmを超えるウォーキングに参加した方の話と、同じような長距離のウォーキングに参加した方の話が印象に残っている。自分もかつてフルマラソンを走った時に、自分の足が自分の足でないような感覚になったことがあり、こうした長距離ウォーキングではどうやらグロスボディの限界を試されるような現象が起こるらしいことを改めて起こった。グロスボディの限界を迎えて脱落する人と、そこからゾーンに入り、サトルボディ以上の高次元の身体意識を通じて歩き切る人の違いの話が印象に残っている。先週に長距離ウォーキングに参加された方の話によると、歩き切った方の特徴としては、やはり普段から高次元の意識状態に参入するような学びや実践をしている方が多いらしく、高次元の意識の状態は意識の段階と違って誰でもアクセスすることは可能であるが、日頃の学びと実践が高い周波数帯の意識状態にアクセスしやすくなるというのは十分に考えられる。昨日の話から、改めて高次元の意識状態にアクセスすることを実現しやすくなるような学びと実践を継続していくことについて考えていた。今の生活習慣はそれを可能にしてくれるものだと思うのでそれを続けていけばいいが、あと1つ加えるならばジムでのトレーニングにおいてよりグロスボディを限界まで追い込むようなことをしていきたい。その際には当然ながら怪我には気をつけなければならず、今の自分がこなすことのできない高負荷過ぎるメニューではなく、それでいて今の自分がきついと思うギリギリの所に焦点を当てたトレーニングを継続していきたいと思う。明日はまたジムに行くので、肉体が心地良い悲鳴を上げるような鍛錬を意識していこう。
その他には、言葉の実体化を超えることについても考えていた。言葉は蜃気楼の如きものであり、言葉は本来実体のないものである。なのに私たちは、言葉を通じて無自覚的に実体化を行い、蜃気楼の如きものに縛られて苦しめられる。まずは言葉が持つ蜃気楼性に自覚的になることを出発点とし、言葉はいつも空中楼閣を構築するようなものだという明確な意識を持ちたい。そうした意識があることによって、言葉面に囚われることや言葉による実体化を防ぐことに繋がり、逆に言葉を通じて豊かな内面生活を送れるようになって来るだろう。フローニンゲン:2024/9/29(日)10:10
13336. 今朝方の夢の続き
そろそろ洗濯機が回り終える頃かと思う。洗濯機が止まったら、速やかに洗濯物を乾燥させようと思う。今日は晴れなので、洗濯物の乾きも早いかと思う。早朝と同じくまたしても上空に一直線の美しい飛行機雲が見えている。それはアムステルダム空港に向かって着実に進んでいる。こうして雲ひとつない日に空を見上げると、今日も空を飛んで移動している人たちの姿を地上から眺めることができる。目で飛行機雲を追い、それが消える頃からは心を通じて飛行機雲を追い始めている自分がいる。そうした自分がひと段落した頃に、今朝方の夢の続きを思い出した。
夢の中で私は、かつてLecticaという発達測定の研究機関でお世話になっていた認知的発達心理学者のセオ・ドーソン博士と話をしていた。ドーソン博士はLecticaの共同設立者の1人であり、私はその組織で発達測定のアナリストとしてインターンをしていたことがある。当時ドーソン博士から色々と指導を受けながら仕事をしていた記憶が懐かしく甦ってきた。結局最後は働き方に関する考え方や思想上の違いによってこの組織から離れることになったのだが、改めてドーソン博士からもう一度Lecticaで働かないかと声を掛けてもらった。私はそれをとても有り難く思ったが、結局のところ2人は働き方に関する考え方が大きく違うし、発達現象に対するアプローチにおける思想も違うことから、働き始めてもまたうまくいかないだろうと思われた。なので私は丁重にその申し出を断ることにした。私の頭の中ではすでに、ドーソン博士と口論になっている姿が想像されていて、自分の意思決定は賢明だと思った。ドーソン博士は心の優しい人ではあるが、マネジメントの立場になると自分でも述べているように他者をコントロールするような威圧的な言動をすることがあり、自分はそれに耐えることができなかった。自分は誰かに監視されたり、指図を受けることを極度に嫌うため、ドーソン博士と働くことは二度とできないと思った。その思いを強くしたところでふと我に返ると、そこはどこかの大学の食堂だった。食堂の窓からは穏やかな午前中の太陽の光が差し込んできていた。少し早いが何か昼食を食べようと思ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/9/29(日)10:22
Today’s Letter
Sexual self-pleasure activities provide a wonderful opportunity to heal and nurture ourselves. These activities can serve as subtle bodywork or energy work. While engaging in them, the key is to focus our attention and allow our energy to flow throughout the entire body. We can transform any sexual self-pleasure activity into a rich exercise to enhance our vital energy. Groningen, September 29 2024
Comments