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タイトル一覧
13329: 人生最後の日の過ごし方
13330: 今朝方の夢
13331: 今朝方の夢の続き
13332: ビジネスにも使えるサムソナイトの鞄を購入して/第99回のクラスを振り返って
13329. 人生最後の日の過ごし方
時刻は午前6時半を迎えた。今辺りは真っ暗だが、空がダークブルーに変わり始めようとしている。来月の終わりにサマータイムが終了となるが、それまではどんどんと日の出が遅くなり、日の入りも早くなる。日の入りに関してはもう就寝時には辺りは真っ暗になっている。今の気温は9度と寒く、自動で暖房が入っている。昨日から暖房が自動で入る時間が多くなっており、これから暖房にはさらにお世話になるだろう。昨日は風がとても強かったが、今日は穏やかな1日になるようだ。気温は13度までしか上がらないが、晴れるため、ゼミナールのクラスを終えたら家電量販店に立ち寄ってきたいと思う。また、日本に一時帰国中のビジネスの場でも使えるようなリュックを1つ購入したいと考えている。手提げ鞄だと片方の手が潰れてしまうし、肩にかけるものだと肩が疲れてしまう。ビジネスでも使えて、普段でも使えるような鞄を1つ新しく購入しようと思う。調べてみると、街の中心部に良さそうな鞄屋が2店ほどあることを知ったので、家電量販店に足を運ぶ前にまずは鞄を吟味したいと思う。もしこれだと思うものがなければ、日本に一時帰国した時に購入することにしたい。
昨夜就寝前にふと、次のようなことを考えていた。仮にその日が人生最後の日だということがわかっていて、地球上の全員が同時にその日に人生を終えるとわかっていた場合、自分はその最後の日をどのように過ごすだろうか、というものだった。ベッドの上で仰向けになりながら目を閉じ、静かにその問いに対して考えていた。すると答えとして現れたものはシンプルなものだった。きっと自分は両親や親友たちに連絡をし、彼らの声を聞くだろう。両親や親友と話をし、そこでの時間を大切にしながら、感謝の気持ちと共にお別れの言葉を述べるに違いない。いや、お別れの言葉はあえて述べる必要はなく、一緒に過ごせたことがどれだけ幸せなことであったかだけを伝え、その幸福感を最後にまた味わうことだけを行うかもしれないと思った。そして、両親や親友と話をした後には、愛する人との時間を大切にし、仮に自分にパートナーや子供がいれば、彼らとの時間を大切に過ごすに違いないと思った。子供が大きくなっていれば、彼らの意思を尊重し、彼らが過ごしたいように最後の1日を過ごさせるだろう。そうなってくると、最後は親愛のパートナーだけとその日が終わるまで深い幸福感に包まれた形で一緒に時を過ごしたいと思った。最後就寝の際に、目を閉じる瞬間に最大の幸福感を感じられるような形で人生を終えることができたら本望である。そのようなことを考えながら就寝に就いた。人生最後の日をこのように自分は過ごすのだとわかったら、きっとそれが自分にとって一番大切な生き方なのだということが見えてくる。他の何よりもそうした形で時間を過ごすことを大切にした生き方をしたいと思う。ふと日常の様々な事柄に忙殺されそうになったら、自分が大切にしている時間の過ごし方を思い出してみるのである。昨夜の考え事は、帰って来れる大切な時間の過ごし方を見つけさせてくれる大切なものだった。フローニンゲン:2024/9/28(土)06:49
13330. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎え、ようやく窓の外の景色がどのようなものが見えてきた。空には少し雲があるが、それらの雲は小さく薄い。昨日のような強風は吹いておらず、その代わりにそよ風が木々の葉を揺らしている。今のところまだ木々には緑色の葉がついている。それらが紅葉し、剥がれ落ちていくのも時間の問題かもしれないが、その変化のプロセスを楽しみたいと思う。変化のプロセスを楽しむことは、夢の振り返りにも通底するものかもしれない。夢そのものが変化に富んでおり、そのプロセスをゆっくり辿る中でまた新たな自己発見がある。それでは今朝方はどのような夢を見ていただろうか。
夢の中で私は、外国とも日本ともわからないような見慣れない町を散策していた。そこは巨大な都市ではなく、それでいて小さな都市でもなく、中規模の程よい人口がいる町だった。そんな町を空を飛びながら散策していた。空を飛ぶといっても高度は低く、家屋よりも少し高い位置を維持して飛んでいた。地上にいる人たちからは自分の姿は見えていないようで、何も気にせずに気ままに自分の高度を維持して空を飛んで町を眺めていた。すると、ある2階建ての古びた家屋に目が向かった。その家屋の庭では野菜が育てられており、庭の畑から数種類の野菜の根が混じり合い、家屋にツタのように根が張っていたのが目に留まったのである。育てられている野菜の大きさはとても立派で、それでいて農薬などを一切使わずに、有機肥料だけでそれだけ立派に育てているようだった。家の人に育て方のコツを聞いてみたいと思ったので、高度を下げて庭に着地した。すると、どこからともなく家の主人の男性の声が聞こえてきた。彼の姿は一向に見えず、彼に野菜の育て方を聞くよりも先に、彼の方から良い野菜があれば持って帰るといいと言ってくれた。野菜を持って帰りたいのは山々だったが、野菜を持って空を飛ぶと重たくなりそうだったので、野菜の帰りに土産話を持って帰りたいと思った。それはやはり野菜の育て方に関するものだった。こちらからそれについて質問しようとしたところ、質問するよりも先にその男性は私の心を読んでいるかの如く、野菜の育て方のコツについて教えてくれた。特にこの場所は日照時間と日の当たる角度が最適らしく、それが野菜を立派にしている最大のポイントのようだった。そこからも太陽の偉大さを思った。太陽エネルギーをしっかり取り入れることと、野菜たちを区分けしながらも彼らが交流できるような畑の作りにすることが非常に重要ということを教えてもらった。私はお礼を述べてから再び宙に浮き、空を飛んでその場を去った。大きな運河が前方に見えてきて、それを眺めながら、主人の話を振り返っていた。太陽エネルギーを自己に取り入れることと、他の種族と交わることの大切さは、自分の人生をさらに豊かにしてくれることに不可欠だと考えていた。フローニンゲン:2024/9/28(土)07:15
13331. 今朝方の夢の続き
先ほど通り雨がやって来たが、今はもう雨雲は完全に消え去り、青空が広がっている。天気予報を見ると、今日はここから雲がほとんどないような快晴に恵まれるらしい。気温は13度までしか上がらないが、晴れ渡る美しい青空を眺めているだけで心が温まる。
先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがある。まず覚えている夢として、会社の中にいて、仕事に対してやる気が極度に減退している場面があったことである。無機質な建物の中で、窓もないようなフロアの中で仕事をすることは息を詰まらせる以外の何ものでもなかった。幸いにも自分には隣の人と仕切りで仕切られていたので、個室のような空間が与えられていたが、むしろそれが孤立感を生み出し、ますますこの職場で働くことが嫌になっていた。そもそも誰かの下で誰かの指示を受けながら仕事をすることは全く自分の性に合っていなかった。自分は自らの個性が遺憾なく発揮された自ら生み出す仕事にしか従事できないことを改めて悟った。そうした仕事として考えられるのは、自らの探究事項に沿って研究ができる学者としての仕事であり、学術研究を通じて培った知見をもとにしたコンサルティング活動が自分の性に合っていると改めて思った次第である。そうした考えが芽生えた途端にもう会社をこの日で辞めようと思った。すると、嘘のように気分が晴れてきて、先ほどまでの鬱屈した気分はなく、希望に満ち溢れ、本来の自分の姿に戻ったかのような自分がそこにいた。
そのような夢を見た後に、今度は見慣れないお洒落なアパレルショップにいた場面があったことを思い出す。その店の店長の女性とは知り合いの関係にあり、彼女とは歳が近かったこともあり、また価値観も共通のものがあったので、彼女と話をするのは楽しかった。店の奥で飲み物を出してもらいながら話をしていると、店の中に突然見覚えのある小型犬が入ってきた。それはかつて両親が飼っていた愛犬だった。愛犬は尻尾を振りながらこちらに駆け寄ってきて、私が膝をついて歓迎すると、大喜びでさらに勢いよく尻尾を振って自分に顔を擦り寄せてきた。その様子を見ていた店長の女性は微笑みながら店の奥にいき、シリアルにミルクを混ぜたものを持って来てくれた。それは愛犬と自分の両方が食べられる食べ物のようだったので、有り難く愛犬と一緒にいただくことにした。そのような場面があったのを覚えている。
そう言えば、先ほど振り返っていた夢の中で、野菜を育てている庭から宙に浮かんでそこから離れようとしている時に、大きな蜘蛛の巣が掛かっているのを確認して、そこを避けて宙に浮かんだシーンがあったことが脳裏をよぎった。蜘蛛の巣を壊さないようにして宙に浮かび、そこから勢いよく運河の方に向かっていくシーンが改めて思い出された次第である。フローニンゲン:2024/9/28(土)07:59
13332. ビジネスにも使えるサムソナイトの鞄を購入して/第99回のクラスを振り返って
時刻は間もなく午後7時を迎えようとしている。この時間帯はまだ明るく、日が沈むまであと1時間ぐらいはあるだろうか。今日は午後に第99回のゼミナールのクラスがあった。それを終えてすぐに街の中心部に向かい、ビジネス用にも使えるリュックと新しいウォーターフロスを購入しにそれぞれ店に立ち寄った。リュックについては街の中心部の鞄専門店を2店ほどはしごし、1店目でサムソナイトのビジネスにも使えるお洒落なリュックを見つけ、それをそこで購入しようと思ったが、もう1店の店にも立ち寄ることにした。そこは以前、アテネで財布を盗まれた後に新しい財布を購入した鞄専門店で、その時は鞄ではなくてカードのみを格納できる財布を購入した。そこでビジネス用にも使えるリュックを探したところ、やはり目を引いたのはサムソナイトのものだった。1店目にはないよりスタイリッシュな形のリュックがあったので、それを購入することにした。それはもちろん普段使いも可能なので、今後これまでのリュックと並行して場面に応じて使い分けていこうと思う。いずれにせよ、今回の一時帰国ではビジネスの場にも顔を出すので、帰国の際には今日買ったリュックを活用したいと思う。
今日のゼミナールのクラスの内容を振り返ってみると、自利利他の精神がもたらす想像を超えた力についての話題が印象に残っている。私たちは自分の第六識や末那識を働かせていることに留まっていると、眠っている力を最大限に引き出すことはできない。人智を超えた力の源泉は、やはり阿頼耶識にあると言えるだろう。阿頼耶識に眠っている力の引き出し方には色々なものがあるが、1つにはグロスの肉体を鍛錬し、その限界を超えていく際に阿頼耶識と繋がれる可能性が高いことが今日のクラスの話題からも明らかになったように思う。グロスボディをグロスの次元でのみ考えて鍛えるのではなく、それはあくまでもサトルの次元やコーザルの次元と繋がりやすくするためとして捉えるといいのではないかと思う。ケン・ウィルバー自身もウェイトリフティングを通してグロスボディの鍛錬に余念がなかったが、ウィルバーがグロスボディを徹底的に鍛え抜いていたことにはより高次元の意識状態に繋がりやすくするためであり、今日のクラスの内容と紐付けると阿頼耶識に眠った力を引き出すためだということが見えてくる。サイケデリクスの活用やタントラセックスなども同様の実践として推奨されるのではないかと思う。今日のクラスもまたこれからの探究を後押ししてくれるような素晴らしい回であった。フローニンゲン:2024/9/28(土)19:02
Today’s Letter
Transcendence is not a rare phenomenon but an ordinary one. Our daily lives are full of it. Even taking a breath is a form of transcendence. Hearing a little bird twittering makes me feel a tranquil sense of it. I’m glad to live in a world so replete with transcendence. Groningen, September 28 2024
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