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タイトル一覧
13148. それぞれの人生
13149. 今朝方の夢
13150. 今朝方の夢の続き
13151. 自覚を深めるための『大乗五蘊論』
13148. それぞれの人生
時刻は午前7時を迎えた。今、小鳥の囀りと鳩がホーホーと鳴く声が聞こえている。辺りはもう随分と明るくなっているが、それでもまだうっすらとした要素が残っている。それくらいに日の出が遅くなっている。今の気温は15度と肌寒く、室温もそれ相応に下がっていることから、長袖長ズボンで過ごしている。今日はどうやら24度まで気温が上がるようだが、夕方から雨が降り始め、それによって気温が下がる。それを受けて明日は最高気温が18度までしか上がらない。最高気温が20度を下回るというのはもう完全に秋の気候である。
昨日のジムでトレーニングを終えた後、2人のトレーナーの女性と受付でしばらく話していた。片方はパーソナルトレーナーを務めてくれているエリーザで、もう片方はドイツ人のトレーナーのエレンである。2人ともう夏が終わったねという話をしている中で、2人が夏の終わりと共に学校の始まりについて話をしてくれた。エレンは無事に修士論文を提出し、来年の2月に卒業するらしく、そのままフローニンゲン大学の社会学の博士課程に進らしかった。一方のエリーザは8月末から医療系の専門学校に通うことになっていて、2人とも夏休みの終わりを幾分嘆きながらも9月からの新学期の始まりを楽しみにしているようだった。自分もかつては同じような気分を持ってこの時期を過ごしていたことを懐かしく思った。今は日々学術機関を離れる形で探究を続けているが、いつかまたこの時期に新学期の始まりを楽しみにできるような日がやって来ることを望む。そう言えば、昨日ジムで知り合ったジョスリンは、博士号取得後はアカデミアに残るのではなく、企業に勤めることを検討しているようだった。しかも10年過ごしたフローニンゲンを離れて、暖かいスペインに移住してそこで働くことを希望しているとのことだった。博士課程の中でアカデミアにおけるプレッシャーを垣間見てきたとのことであり、それは企業社会においてもきっと見られることであるが、視野を広げるためにも一度学術の世界から外に出てみたいということを述べていたのが印象的である。ちょうど自分とは逆で、自分は再び学術の世界に戻ることを希望している。アカデミアにおけるプレッシャーをプレッシャーだと感じず、それとうまく付き合えるような心をすでに自分は持っているように思うし、そうした心を育むために唯識学を学んでいるような意味合いもある。いずれにせよ、昨日話をした人たちも自分もまたそれぞれの人生を送っていて、それぞれ常に次に向かって動いていることがわかる。フローニンゲン:2024/8/20(火)07:22
13149. 今朝方の夢
先ほどに引き続き、小鳥の囀りと鳩の鳴き声が聞こえてくる。彼らの鳴き声には落ち着きがあり、朝の清澄さに花を添えている。そんな中、今朝方の夢について振り返っていた。
夢の中で私は、見慣れない外国の小学校にいた。そこは単なる小学校ではなく、レストランや演劇場などを併設しており、大人も楽しめる場所になっていた。むしろ小学校の機能がメインというよりも娯楽の機能がメインになっているように思えた。敷地内には見どころがたくさんあったので1人でぶらぶらと歩いていると、突然中東の戦争地帯の町に瞬間移動していた。その町のストリートでは、戦争のひとときの平和を享受するかのようにサッカーをして遊んでいる子供たちがいた。小さな子供と青年が入り混じる形でサッカーを路上で行っている姿はとても印象的で、ちょうど隣に現れた父も何かを感じているらしかった。父が突然私と肩を組んできて、彼らがまだ戦争の終結しない状態の中で笑顔を浮かべてサッカーをしている様子に対して心を打たれるものがあるようだった。私も心を打たれ、感動となんとも言えない気持ちの入り混じった気持ちになっていた。そうした気持ちに浸っていると、再び先ほどの小学校にいた。今度は学校のグラウンドにいた。そこではある2人の大物芸能人がサッカーの試合に出場していた。2人はコンビを組んで芸能界で活躍を長くしている人なのだが、どちらもサッカーがうまく、時に片方の方が高校時代にはサッカーの名門校でレギュラーを務めていたこともあり、依然としてサッカーがうまかった。父と2人の試合を眺めていると、気づけば周りに元サッカー日本代表の選手達がいて、彼らと喋りながら試合を観戦することになった。彼らの大半はもう引退をしていて、最近はサッカーをしていないようだった。それに加えて、そもそも体を鍛えることも無くなってしまったようで、お腹の周りの贅肉が気になり始めたとのことだった。すると、何人かの方達が腹筋をお互いに披露し始めた。それを受けて父も腹筋を披露したところ、なんと父の腹筋が一番引き締まっているようだったので驚いた。するとそこでグラウンドで行われていた試合が終わったようで、今度は私たちが試合に参加して楽しむ番となった。その時を楽しみにしていたので、早速グラウンドでウォーミングアップをしようとすると、靴がボロボロで脱げそうな状態だった。それはもうサッカーができるようなシューズではなく、その代わりとして持参したランニングシューズでサッカーをしようと思い、それを教室に取りに帰ろうと思った。教室までの廊下はとても薄暗く、天井も低かった。廊下の一角にレストランがあったり、小さな映画館があったりと、色々と見ものがあったが、早くシューズを取りに行こうと思っていたこともあり、それらの場所は全て素通りしていった。すると、誰かが廊下の向こうからやってくる声がしたので、咄嗟に宙に浮かんで天井に張り付いた。特に身を隠す必要もなかったのだが、咄嗟に体がそのように動いたのである。すると廊下の向こうから、小中高時代の女性友達と彼女の友人が数人やって来た。彼女はすぐに自分が天井に張り付いていることを察知し、下に降りてくるように促した。その気はなく、早くどこかに行ってほしいと思ったが、彼女の念力によって地面に降ろされ、廊下の端の小さなドアから外に出ることになった。そのドアは本当に小さく、猫が通る小窓みたいなもので、自分の右足の太ももが引っかかってしまい、ズボンが破れてしまいそうだったので、向こう側に出ることはやめて引き返そうと思ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/8/20(火)07:59
13150. 今朝方の夢の続き
時刻は午前9時を迎えた。この時間になってようやく朝日が地上に降り注ぎ始めた。まだ8月の半ばであるが、すでに秋に入ったフローニンゲンはとても過ごしやすく、ここ最近は本当に毎日が快適である。ここから寒さが厳しくなり始める季節まではとても良い時期である。朝の涼しさを感じながら、今朝方の夢の続きを振り返っていた。
夢の中で私は、大学時代のゼミの友人(TA)と一緒に日本の地方都市の丘の上にある高校に向かっていた。自動車や自転車を使うことなく、私たちはランニングがてら走って高校に向かっていた。その高校は仏教系の高校で、とりわけ仏教がどのようにその高校で教えられているのかに関心があったので、そこで働く先生や生徒たちにインタビューをさせてもらうことになっていた。高校までの坂道はとても急で、その勾配には驚かされた。その高校に通う生徒たちは毎朝この急勾配を登っているのだと思うとその苦労に労いの気持ちが生まれた。途中の道で一番危ないなと思ったのは、単に縦に急勾配があるだけではなく、横に傾斜があって、下手をするとガードレールのない道から転がり落ちてしまう場所があったことである。大学時代の友人は二手に分かれている道の上の方の道を選び、先に高校に向かっていた。私は試しに下の方の道を選んだのだが、そちらの道はさらに勾配が激しく、足を滑らせて道から外に転げ落ちそうになってしまった。その時に斜面の岩がまるでボルダリングの岩のようで、手足をなんとかそれらにかけて再び道に戻ろうとしていたら、突然お尻に何かが噛み付いた。しかもそれは何か人間の言葉を発して噛み付いて来たのである。それに私は驚いてしまって、その瞬間にハッと目覚めた。それが夢であることがわかってからまた夢の世界に戻っていった。すると今見ていた夢の続きとして、同じ高校を舞台にした世界に戻ってくることができた。無事に高校に到着しており、高校の入り口付近にあった自販機に小学生ぐらいの男の子が立っていて、背伸びをして飲み物を購入し、少し離れたベンチに座っていた母親のところに駆け寄っていった。2人に高校にやって来た理由を尋ねるために話しかけてみたところ、この高校は授業がある時間も市民に敷地内を開放しているらしく、子供と一緒に遊びに来たとのことだった。しかしその日は猛暑日だったので、木陰でゆっくりしているとのことだった。すると一台のタクシーがやって来て、2人はそのタクシーに乗って帰ると私に告げて別れた。そのような夢を見ていたことを思い出す。それ以外にも、一夏だけの命を持つ若い女性と話をしていた場面があったことも記憶に残っている。フローニンゲン:2024/8/20(火)09:14
13151. 自覚を深めるための『大乗五蘊論』
時刻は午前11時半を迎えた。今、雲ひとつない見事な青空が広がっていて、大変心地良い。キッチン側には午前中の太陽の光が差し込んでいる。その光はもはや夏のそれではなく、柔らかさと優しさのある秋のそれになっている。今この瞬間は見事な晴れ間が広がっているが、今日の夕方の終わり頃から小雨が降り始めるらしい。今の天気の様子からは想像できないが、天気は常に目まぐるしく変化を続けているため、午後からは雨雲がやって来るのだろう。昨日は午前中に1度と教会の鐘の音が聞こえてきたが、今日はそれを聞くことはなかった。午前中に聞こえて来た音は、鳥たちの鳴き声とそよ風の音だけである。
午前中のここまでのところ、唯識学の探究は順調に進んでいた。数日前から取り掛かり始めた『大乗五蘊論』を先ほど無事に読み終えることができた。本書は今回が5回目の読解となり、読解に並行して音声ファイルを作成していった。やはり黙読で自分のためだけに読み進めていくよりも、逐一立ち止まって解説の音声ファイルを作っていくのとでは理解の度合いに決定的な差をもたらすことを感じる。本書は存在の構成要素を5つに分け、それらの理解を深めていくことを通じて我執を絶って無我の教えを体得することが目標とされる。仏教において存在の構成要素が分析されるのは、兎にも角にも悟りのためなのである。悟りの智慧を獲得することと涅槃に至ることが目的にされているのだ。本書を通じて学んだ存在の構成要素は、日々の観法行に大いに役立てていきたい。できる限り自分の日々の心の様子を実況中継していく際に、存在の構成要素とその働きに自覚的になりたい。仏教は「自覚教」と呼ばれるほどに、自らの自覚が重視される。とりわけ心の中で何が起こっているのか、そしてそもそも心とは何かに対する自覚が要求されるのだ。深い自覚を得れば得るだけ私たちは悟りに近づいていく。自覚を深めていくためにも、こうした座学は不可欠なものとなる。フローニンゲン:2024/8/20(火)11:41
Today’s Letter
Suchness neither appears nor disappears; it is always present, both here and there. Once we realize and unite with it, our existential anxiety will vanish. Moreover, by being one with suchness, we will discover our true nature. Groningen, August 20, 2024
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