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タイトル一覧
13131. 夏の終わりを感じながら
13132. 今朝方の夢
13133. 雨音を聞きながら
13134. 小鳥を観察する楽しみ
13131. 夏の終わりを感じながら
時刻は午前7時を迎えた。辺りはまだ薄暗く、空は雲に覆われて曇っている。雲の様子からすると、それは雨雲のようであり、今は雨は降っていないが、いつ雨が降り始めてもおかしくない感じがする。そのように述べていると、言霊が伝わったのか、天からポツポツと小さな雨滴が降って来た。今の気温は19度ほどあるが、今日はもうここから気温はほとんど上昇せず、21度までしか上がらない。気温の上昇を防ぐ要因になっているのは、朝から夕方にかけての雨のようだ。ここから午後4時頃まで断続的に雨が降る予報が出ている。朝の風は冷たく心地良い。昨日の日記に書き留めていたように、3日前の真夏日をもってして今年の夏は終わりを告げたようだ。まだ断定はできないが、少なくともここから1週間は25度未満の気温が続き、8月の後半で真夏日になるようなことはもう考えられにくいと思うので夏の終わりを予感している。結局今年は、30度を超える日は2日ほどしかなかったように思う。それらの2日間は2階で過ごすのは大変であったが、たった2日間だけの真夏日であったからなんとか耐えることができた。今年はそもそも夏に入るのが遅く、7月の終わり頃まで暖房が自動で入るような日があったほどだったと記憶している。実質2週間から3週間ほどの短い夏だった。
夏の終わりを感じながら、秋に向けた取り組みについて考えている。秋においても目新しいことをする予定はなく、夏の時期と同じ活動に従事できればと思う。主眼は兎にも角にも唯識学の研究である。欧米の大学院に戻るまでは、ひたすらに文献を読み込んでいき、アウトプットとして人に説明するかのように音声ファイルを作成していく。唯識学に関する解説の音声ファイルの作成は、いつか欧米の大学で唯識学に関する講義を受け持つ際に役に立つだろう。今は日本語でしか説明をしていないが、どこかのタイミングで英語で情報発信するのも良いかもしれないと考えている。いずれにせよ、まずは文献が豊富な日本語を通じて徹底的に唯識学の理解を深めたい。欧米の大学院に戻ってしまうと、きっと日本語の文献を読む時間はほとんどなくなるであろうから、今の間にできる限りのことをしておきたい。もちろん唯識学の研究であれば日本語の文献を読むことに罪悪感を感じる必要はなく、積極的に文献を活用していくことができるが、英語空間に入ると自然と英語の文献を読むことが多くなるであろうから、今の間にできることは全てしておきたいのである。今日の探究活動もまた近い将来の欧米の大学院での研究につながるはずだ。フローニンゲン:2024/8/16(金)07:14
13132. 今朝方の夢
今日は教会の鐘の音が聞こえてくるだろうか。昨日は午前10時に鐘の音が美しく鳴り響いた。不定期に突如として鳴る鐘の音は、探究の手をふと止めてその音に聞き入らせてくれる不思議な力を持っている。綺麗な音には浄化作用があり、教会の鐘の音はまさにそのような力を持っている。
小雨が止み、小鳥の鳴き声が小さく聞こえてくる中で、今朝方の夢について振り返っている。今朝方の夢で覚えているのは、高校は違うが非常に優秀だった予備校時代の知人と一緒に教室に座って数学の問題を解いている場面があったことである。教壇には予備校時代にお世話になっていた数学の年配の先生が立っていて、新たな問題を黒板に書いていた。今取り掛かっている問題はどこかの私大の入試問題のようで、その大学自体は難易度は高くないのだが、その問題は難易度が高かった。その問題は因数分解の問題で、本来それは自分が得意としているはずだったが、隣の知人と同様に自分も苦戦していた。彼は結局京都大学に進学するのだが、数学を得意としていた彼もまたその問題に手こずっていた。教壇の上で問題を書いている先生の方をふと見ると、その問題はどうやら先生が作問したもののようだった。先生は難関大の数学の特別な講座を担当していて、その講座では良く先生のオリジナル問題が扱われた。その先生は京大の理学部数学科を卒業していたので数学の力はピカイチであった。そんな先生が出題した問題は数列に関するものだった。しかし一風変わっていたのは、暗号資産が背後のテーマになっていて、暗号資産の利子率が絡むような問題だった。さらには経営学の現在価値の概念も取り入れられており、数列の中にその概念が適用されていて、複合問題のように思えた。与えられた3つの数列を書き写しながら、この問題は自分には手に負えそうにないと判断し、先ほどから取り掛かっているある私大の問題に再び取り掛かることにした。
この夢以外には、実際に通っていた中学校の体育館で、部活の後輩にバスケの指導をしている場面があった。自分と同じ学年の友人は誰1人としてそこにおらず、そこにいたのは全て1学年下と2学年下の後輩たちだけだった。後輩たちは自分に親しみを感じてくれているようで、自分の指導も素直に聞いてくれていた。むしろ彼らの表情はとても活き活きしていて、教えているこちらも喜びに包まれていた。しばらく彼らの練習に付き合っていると、職員室の方から数学の若い女性の先生がやって来て、自分が体育館にいることを一瞬怪訝に思っているようだったが、卒業生ということもあり咎められることもなく、引き続き後輩の指導をすることにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/8/16(金)07:28
13133. 雨音を聞きながら
早朝よりシトシトした雨が降っており、少し雨脚が強くなり始めた。雨の影響で小鳥たちもどこかに避難しており、彼らの鳴き声はほとんど聞こえてこない。かろうじて近くの木に止まって雨宿りをしている1羽の小鳥の囀りが聞こえるぐらいである。小鳥たちも風邪を引いたりすることがあるのかはわからないが、彼らが元気であることを願う。いつも彼らは自分に癒しをもたらしてくれているのだから。
今日もまた『成唯識論』を取り上げて読解と解説の音声ファイルを作成していく。昨日は、根本煩悩に付随する小随煩悩、中随煩悩、大随煩悩の20個を最後に扱っていた。今日はその続きを見ていく。こうして書物を変えて改めて唯識学の教えの1つ1つを扱っていると、常に新しい発見がある。それはとても喜ばしいことであり、新たな発見は自分の心に関する新たな発見でもあり、心の治癒と発達をさらに促してくれる。唯識学の全体像はすでに頭に入っていることから、ここからはとにかく様々な書物を繰り返し読んで解説をしていくことを通じて細部を詰めていきたい。そうした地道な探究活動に従事するフェーズの中にいる。細部を詰めることがひと段落したら、いよいよ学術論文を執筆したり、一般書を執筆するフェーズに入るだろうか。今は日本語で一般書を執筆するよりも英語で執筆し、欧米社会に唯識学の教えを伝えていきたいという思いの方が強い。博士論文をここから10年以内に執筆し終え、それを元にした学術書の執筆と一般書の執筆を計画している。日本の法相唯識学についてであれば、英語での論文のネタに困ることはなく、多数の論点を1つずつ探究しながらの論文が執筆できるのではないかと思う。そうした論文を一般向けにわかりやすく解説していく一般書の作成にも力を入れていきたい。とにかく学びを自分の内側で閉じるのではなく、絶えず外側に開いたものにし、多くの人に学んだことを常に共有したいと思う。ゼミナールの補助教材として作成している音声ファイルの作成はまさにそうした意図に基づいて毎日行われている。今日もまた楽しみながら解説の音声ファイルを作成していこう。フローニンゲン:2024/8/16(金)08:54
13134. 小鳥を観察する楽しみ
時刻は間もなく午後4時を迎えようとしている。今日は朝から涼しさがあり、快適な状態で自らの取り組みを前に進めていた。やはり数日前の真夏日を最後に夏はその命を終えたようで、今日の涼しさは秋のそれである。ここからはますます涼しさが増していくだろうと思われる。
先ほど休憩がてらキッチン側の窓のそばに行って、外の木々をぼんやりと眺めていた。目の前にある木々にはよく小鳥がやって来る。夕方に近づいてきたこの時間帯も夕涼みする小鳥の姿を見ることができた。その姿はとても愛らしく、そこにいたのは小さなコマドリであった。コマドリが身づくろいをしたり、鳴き声を上げている様子を静かに観察していた。すると、バードウォッチングを趣味する人の気持ちが少しわかったような気がした。以前どこかの国に出かけてスキポール空港からフローニンゲンに戻って来ている最中に列車が途中駅で止まる出来事があった。その時に偶然にフローニンゲン大学に勤めている教授と出会い、その教授がアフリカに出かけて趣味のバードウォッチングをしていたという話を聞かせてくれた。その時に鳥を見ることが趣味になるとはあまり想像できなかったが、今ならばバードウォッチングが立派な趣味になることがわかる。さらには鳥を研究対象にすることも理解ができる。いずれにせよ、本格的なバードウォッチングと言わないまでにしても、自宅の窓から鳥たちを眺めることや、出かけている最中に鳥たちを観察することは自分の趣味の1つにしてもいいかと思う。とりわけ小鳥の動く様子を眺めることは心を穏やかにしてくれるし、彼らの囀りは心を深く癒してくれる。身近なところに生きたセラピストがいてくれることに改めて感謝した次第だ。フローニンゲン:2024/8/16(金)16:09
Today’s Letter
Everything we see and feel does not exist as it appears. Phenomena manifest through interdependence; without dependent origination, nothing arises. The only exception is truth. Truth exists beyond our perception and permeates all phenomena. Groningen, August 16, 2024
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