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タイトル一覧
13113. 秋の入り口を感じて
13114. 今朝方の夢
13115. 今朝方の夢の続き
13116. ゲームのような現実世界の中で
13117. 秋を感じる夏日の夕方に
13113. 秋の入り口を感じて
時刻は午前7時を迎えようとしている。今日からまた新たな週が始まった。新たな週の始まりを祝福するかのようにして、鳩がホーホーと鳴き声を上げている。耳を澄ませると、小鳥たちの囀りも聞こえてくる。彼らは新たな週の始まりだけではなく、こうして毎日を祝福して生きている。彼らのそうした姿から学ぶことは多い。新たな日々を絶えず祝福すること。そして新たな日々から祝福されていることを感じること。その双方を通じて毎日を生きたいものである。
ここ数日は朝のこの時間帯は空がうっすらと曇っていることが多かったが、今日はすでに雲ひとつない快晴が広がっている。今の気温は14度と肌寒さがあるが、今日は30度近くに達する予定である。雲がひとつもなく、かつ気温が上がる日はかなりの気温に達すると見込まれ、予報では28度か29度となっているが、下手をすると30度に達するのではないかと思う。午後にジムに行く際にはそれを覚悟しておきたい。ジムの中ではきっと汗が滲む時間帯が多くなるであろうから、水分補給をしっかりして鍛錬をしていこうと思う。幸いなのは今のところ30度を超えるような気温にならないことである。フローニンゲンで30度を超えることは滅多になく、一番気温が上がっても確か30度止まりだったかと思う。あるいは2階から1階に避難した日が一度あったので、30度を超えた日もあったかもしれないが、いずれにせよ夏のここまでのところは猛暑日である30度超えの日はほとんどなかったことが救いである。明日も28度まで気温が上昇するようだが、明後日からはまた気温が下がり、22度までしか気温が上がらない。それ以降もずっと20度前半の気温が続くため、大変過ごしやすい日々になりそうである。あれよあれよという間に、8月も中旬に入ろうとしている。この調子だと、真夏日がほとんどない状態で今年の夏は終わりそうだ。ひょっとしたら、今日と明日の気温上昇を持って暑い日は最後となるかもしれない。それを思わせるのは、最近の日照時間の変化であり、また昨日の夕方に味わった秋のような涼しさである。昨日の夕方に草刈りをしている時に、すでに夕方の時間帯の太陽や風の感じから、季節は秋の入り口に差し掛かっていることを感じたのである。この感じが正しければ、もう真夏日になることはないかもしれない。果たして感覚通りにいくだろうか、そのあたりをここから9月にかけて観察していこう。フローニンゲン:2024/8/12(月)07:05
13114. 今朝方の夢
時刻は午前7時を迎え、朝日が燦然と輝いている。朝日の輝きは見事だが、それは夏の朝日というよりもどこか秋の朝日を感じさせる。朝日の様子からも季節の進行を感じさせる次第である。
今朝方は夢の中で、自分の攻撃性を反省させられる場面があった。実際に夢の中の自分は、自らの内側に存在している攻撃衝動と向き合っており、それがなぜ思わぬときに発動してしまうのかについて反省していたのである。具体的には、小中高時代の友人(YU)と話をしている最中に自らの攻撃性が発動してしまい、思わず彼をはたくような行動に出てしまったのである。彼とは最初穏やかな形で話をしていた。何について話をしていたかというと、哲学思想か何かについてテキストを見ながら話をしていた。最初こそお互いに建設的に意見交換できていたが、ある箇所で意見が割れた。意見が割れた時にも建設的に対話を進めていたが、最終的に彼が、別の友人が述べたことを鵜呑みにした発言をした。「XX君がここはもっと深い解釈をしていた」というような発言をし、彼は自分の意見を述べるのではなく、別の友人の意見をそっくりそのまま鵜呑みにする形で自分の意見とするようなことを述べた。それに対して私は突然腹を立て、彼の顔を手の甲ではたいた。握り拳を作って彼を殴ることはしなかったが、彼の発言を受けて発言で返すのではなく、咄嗟に手の甲で彼の顔をはたいている自分がいたのである。それはもう衝動的なもので、理性で抑えられるようなものではなかった。彼の顔をはたいてすぐに、自分の衝動的な行動を反省した。確かに、彼には他人の意見を拝借するのではなく、自分の意見を述べて欲しかったのだが、仮にそうであればそのように伝えれば良かったのである。それを伝えることなく、いきなり手が出てしまった自分について何がそうさせたのかを考えていた。その行動には自分の煩悩が存在しており、それに付随して幾つかの随煩悩も関係しているように思えた。煩悩に関しては瞋が該当し、随煩悩については忿が該当するのはすぐにわかったが、それ以外にも煩悩と随煩悩が複雑に関係していることは確かだった。そもそもで言えば、自分の発言に対して彼が別の友人がもっと深い解釈をしていたと述べたことに怒りを感じたことを思い出してみると、自分の意見を実体化し、それに囚われてしまうという無知さがあり、自らの意見を自分とみなす我見のようなものがあり、そこに自分の意見を他者の意見と比較して優越を気にする慢の煩悩が働いていたように思えてくる。いずれにせよ、幾分考えを巡らせて怒りが収まってから、彼には素直に謝った。そして自分の望みとして、彼には自らの意見を述べて欲しかったことを伝えた。そのような場面があった。フローニンゲン:2024/8/12(月)07:20
13115. 今朝方の夢の続き
今日は午後こそ気温が上昇するが、朝のこの時間帯はまだまだ冷えている。先ほど換気のために窓を開けていたのだが、冷たい風が部屋に流れてきて、もう秋の朝を感じさせるほどだった。まだ8月の半ばを迎える前だが、秋の足音がすでに聞こえてきている。暑さよりも寒さを好む自分にとっては、秋の到来は嬉しい。今年の秋と冬はまた充実した時間が進行していくはずである。唯識学の探究を中心に据えて、日々を充実した形で過ごしていこう。その先に待っている実りを楽しみにしながら、毎日の取り組みに専心する。
朝の温かい飲み物を飲みながら、今朝方の夢の続きを振り返っていた。夢の中で私は、たくさんのインドアスポーツができる立派な施設の中にいた。その施設に併設されているホテルに宿泊しながら、連日友人たちとインドアスポーツを楽しんでいた。その日はバスケを午前中から行うことにし、バスケコートに向かった。バスケコートは非常に立派なもので、そこでプロの試合が行えそうなほどであった。フロアもよく磨かれていて、ボールも触り心地が良く、プレーしやすい環境が整っていた。そうした環境に感謝しながら、友人たちとバスケを始めた。同じチームに小中高時代の親友(SI)がいて、彼とは中学校時代に同じバスケ部に所属して毎日練習を共にしていたこともあって、以心伝心のプレーができた。彼がフリーになってゴール下に向かって走る姿が見えたので、リングの右上に向かって緩やかな放物線を描くパスを送ったところ、彼はそれをアリウープダンクで決めた。その豪快なダンクにその場にいた全員が驚いていたが、私は彼ならそれをやってのけるだろうと思っていたので、まさに狙い通りのゴールに喜んだ。ゴールを決めた彼に駆け寄ると、自分のパスの意図をやはりすぐさま汲んでくれていたようだった。それを受けて、彼と以心伝心のプレーができることの喜びを改めて噛み締めた。そこからしばらくバスケを楽しみ、昼食を摂ることにした。明日は朝からフットサルをしようという話をし、ホテルのレストランに向かった。
翌日になってフットサルを始めると、小中高時代の別の親友(NK)が昨日の友人のバスケのプレーについて尋ねてきた。彼のアリウープダンクがやはりハイライトだったのでそれを伝えると、彼も驚いていた。このようにその親友と話しながらフットサルをしていると、気が付けば前半が終わっていて、こちらのチームが前半だけで13-0と圧倒していた。一方的な試合展開ゆえに途中からは気が抜けていたように思うし、自分が決めた4つのゴールについてもほぼ記憶になかった。どのようなゴールだったのか、コート脇にいて試合を観戦していた友人たちに話を聞き、後半からのプレーに役立てようと思った。どうやら相手のチームは後半から凄腕のゴールキーパーを出場させるようだったが、前半ですでに大差がついているので試合はこのままこちらの勝利で終わるように思った。フローニンゲン:2024/8/12(月)07:47
13116. ゲームのような現実世界の中で
時刻は午前10時半を迎えた。今、空には雲が全くなく、見事な青空が広がっている。透き通る青空を眺めていると、存在が空に溶け出して一体化するような感覚さえある。一点の雲もない青空を眺めることは宇宙と一体となる感覚を醸成し、宇宙意識を育む最良の機会を提供してくれているように思えてくる。早朝から見事な天気であるが、午前中は半袖では肌寒さを感じる涼しさがある。今の気温は21度まで上昇しているが、それでもまだそれくらいの気温しかない。今日は午後から28度を超えてくるが、この肌寒い朝においてはそれを望む自分がいる。
唯識学を学び、その教えを実践に適用しながら心を清らかなものにしていく楽しみ。それはゲームにも似た楽しみがある。人生は夢の如しものであり、現代的に言えば人生はヴァーチャルリアリティのゲームのようなものだろうか。今の自分には、人生というものがRPGゲームにも似たような姿として映っている。もちろん与えられた自らの命と時間を大切にすることは言うまでもないが、それらへ執着することなく、むしろリラックスする形でゲームとしてのこの人生を全うしようとしているような感覚がある。夢の如しゲーム的世界の中で、心を磨き、心を鍛えながらにして、他者を含めた衆生の解放と幸福の実現に向けて尽力していくこと。それもまたある種のゲームのようなものであると感じながらも、それに意義を見出し、その活動に専心している自分を肯定している自己がある。そこにはもはや明確な自己認識はないかもしれない。自己すらもが仮構の存在であるという認識を持ちながら、それでいて自分にできる取り組みに日々精進している。心を浄化していく試みはまだまだ道半ばである。特に夢の中の自分はまだまだ強い囚われがある。深層心理は浄化の余地が多分に残されており、それはひるがえって表層心理に影響を与えていることからも、心の浄化の道はまだまだ長い道のりだということがわかる。しかしそうであったとしても、心を浄化していくプロセスそのものが今の自分にとっては大きな喜びと楽しさをもたらしている。それを通じて日々の自らの心の成長を実感できるのだ。さらには、成長した心を持って社会に関わることの喜びと楽しさも日増しに強くなっている。人間として生きるこの現実世界が心を磨き、そして育むゲームと化し、ゲームの世界の中で日夜自利利他のために学びと実践を継続している自己がいる。フローニンゲン:2024/8/12(月)10:47
13117. 秋を感じる夏日の夕方に
時刻は午後5時を迎えようとしている。今、雲ひとつない夕方の見事な空が広がっている。今日は確かに気温が上がったが、爽やかな風がずっと吹いていたので、午後にジムに行った際には日陰を歩いていると涼しさを感じるほどだった。そこからも季節が着実に秋に近づいてきていることを思った。早朝にも同じことを考えていたが、実際に午後に街を歩いてみてそのように実感した次第である。そして今目の前に映る夕日も夏の力強さよりも秋の柔らかさを感じさせる。結局今日は30度まで気温が上がったが、午前中は半袖だと肌寒いほどであったし、午後からも涼しい風のおかげで暑さを感じることはさほどなかった。もちろんジムで体を動かしている最中にはいつもより発汗量が多かったことは確かである。日照時間にも変化が起こり、夕方の西日が照っているこの時間帯も室内には直射日光が入らず、そのおかげで室温が上がらずに快適に過ごせている。8月が終わるまでに仮に30度ほどに達する日があったとしても、もう暑さをさほど感じなくて済むことに感謝したい。今年は結局、2週間前かそこらの土曜日に一度だけ2階にいることができないほどに暑くなっただけであった。総じて大変過ごしやすい夏であった。ここから始まる秋がどのようになるのかまた楽しみである。
今日のジムでのトレーニングは、気温の上昇とは関係なくいつものように集中してトレーニングに打ち込むことができた。平日の午後かつ気温が高かったこともあり、ジムは非常に空いていた。どの場所も器具も何一つとして待つことなく、自分が望むときに自由に使うことができて大変快適であった。今日はいつもより重点的に下半身を鍛えていった。トレーニングの合間合間でふくらはぎを鍛えるメニューを行ったり、ブルガリアンスクワットで両足を交互に入れ替えるメニューを行ったりと、インターバル中にも積極的に下半身を鍛えていくことを意識していた。少し前から3食食べる食生活に戻し、体重も健康的にゆっくりと増加し、それによって筋肉量も増えてきた。食事量とトレーニング量はしばらく今の状態を継続し、また必要に応じて見直しをしていきたいと思う。フローニンゲン:2024/8/12(月)17:02
Today’s Letter
Summer is coming to an end, even though it is still the middle of August. I can feel it in the morning sun and the winds. As a new season begins, a new chapter in my life will start. Groningen, August 12, 2024
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