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タイトル一覧
13037. 利他的なアウトプットがもたらす脳への刺激
13038. 今朝方の夢
13039. 事物の遍く繋がり/文化的な土壌と枠組みの大切さ
13040. 今朝方の夢の続き
13041. 『法相二巻抄』の解説音声を作成し始めて/AIと唯識
13037. 利他的なアウトプットがもたらす脳への刺激
時刻は午前5時半を迎えた。今、雨がしとしとと降っている。雨のおかげで気温が下がっており、涼しさを感じる。それは肌寒いぐらいなので、長袖長ズボンで過ごすことにした。昨日も結局朝からジムに行くまでの時間帯はずっと長袖長ズボンで過ごしていた。今降っている雨は午前中の早い段階で止み、午後からは少し晴れ間が顔を覗かすようである。いずれにせよ、ひんやりとした環境の中で集中力を高く保つ形で自らの取り組みに従事できることは有り難いことである。今日もまた一日のほとんど全ての時間を使って唯識学の探究を進めていく。その準備運動として朝一番の実践には英語の発話能力の向上実践を行う。午後からの活動を始める際にも同様の実践からスタートさせている。音読は脳を刺激し、脳を活性化させてくれるため、探究活動の準備運動としてそれは優れた実践であるし、英語の発話能力のさらなる向上を実現させる意味でも重要な実践となる。音読という観点で言えば、ここ最近は毎日唯識学の解説の音声ファイルを作っている。『唯識三十頌』の解説動画についても4回目の説明に関するものを毎日少しずつ作成している。それについては明日の段階で全て説明を終える。そこからは5回目の説明に入るのではなく、少し時間をあけたいと思う。今ゼミナールで扱っている課題図書を少し寝かせ、数ヵ月後ぐらいに改めてその書籍に関する解説動画を作るか、解説音声を作っていきたい。いずれにせよ、このように毎日何かしらのアウトプットを継続させていると、自然と理解力や記憶力が増していく。もちろんそれは対象に依存したものだが、対象固有性を超えて、他の対象についても理解や記憶がしやすくなるような対象一般性を持っているかもしれない。ある対象についての理解と記憶を深めるだけではなく、アウトプットの実践は脳機能そのものを向上させている可能性がある。人に対して説明をすることを意識したアウトプットの実践は、そもそも社会的である脳を刺激し、機能を向上させる働きをしていることは大いに考えられる。私たちの脳はもともと社会生活に適応するために発達してきた歴史があるのではないだろうか。その歴史的な発達過程を踏まえると、やはり利他を意識した取り組みが脳を刺激し、脳の発達を促すことは十分に考えられることである。少なくとも自分はその効能を実感している。今日もまた楽しさと喜びの感情に包まれる形で、自利利他の実践としての動画・音声ファイルの作成を行なっていきたい。フローニンゲン:2024/7/26(金)05:58
13038. 今朝方の夢
時刻は午前6時を迎えたところ、起床時に降っていた雨はどうやら止んだようだ。とは言え空にはまだうっすらと雨雲があるので、もうしばらくは小雨が断続的に降るかもしれない。朝の世界はとても静かで、今ようやく小鳥たちが鳴き声を上げ始めた。雨宿りを終えた彼らの鳴き声を味わいながら、今朝方の夢について振り返りたい。
まず覚えている場面として、大学時代に受講していた経営戦略の授業を担当していた教授の豪邸に小中高時代の友人(AF)と潜入していたことである。最初私たちはそこが教授の自宅だということに気づかずに潜入捜査をしていた。途轍もなく大きな豪邸で、それはまるで城のように大きかった。私たちは特殊な能力を持っていて、宙に浮かぶことができた。その能力を存分に活用しながら、潜入捜査を続けていると、窓の向こうの大きな庭で、その先生が剣術の稽古を1人で行なっていた。手に持っているのはどうやら真剣のようで、先生の立ち姿は見事で、その動作には迫力があった。先生の姿を見かけた時に、そこで初めて今潜入捜査をしている場所が先生の家だとわかったのである。それが分かると突然、宙に浮かぶ能力が発動しなくなり、地面に足を着けた。そこからは歩いて捜査を続けることにしたところ、目の前に先生の自宅の図書室が現れた。図書室には雇われた係員の中年の女性がいた。そして数人の青年たちが本を選びにやって来たところだった。私は青年たちに紛れながら、係員の女性に軽く会釈をして外に出た。中庭には先生がいるので、図書室の裏側から外に出ることにしたところ、再び似たような建物が目の前にあり、今度はその建物の中に入って捜査を続けようと思った。そこで夢の場面が変わった。
もう1つ覚えている場面としては、見慣れない教室の中にいて、大学入試に向けた勉強の進捗について横にいた男性と話をしていたことである。横にいた男性はどうやら知人のようで、彼と話をしていると、後ろから先輩の女性に話しかけられた。その先輩は先々を見越して勉強を自分で進めており、夏休みの宿題も夏休みが始まる前にもうほぼ全て終えているようだった。夏休みの宿題として出された問題集を見せてもらうと、先輩は本当にもう全ての問題を解き終えているようだった。一方自分はまだ宿題に着手しておらず、入試に向けた勉強も本腰を入れていなかった。隣にいた知人の男性は、「2年も3年も受験勉強なんてできないから、自分は数ヶ月集中して一気に勉強する方が性に合っている」と述べた。自分はその考えに賛同するものの、先輩のように先々勉強を進めていくことも本来は好んでいると思った。なので自分の勉強スタイルは2人の折衷型なのだろうということを2人に伝えると、2人は納得したような表情を浮かべていた。結局人それぞれに勉強スタイルがあり、自分の性格や能力を含め、自らにとって最適な勉強スタイルを見つけていくしかない。それを発見し、それをさらにより良いものに磨き上げていくことが望ましい。そのようなことを改めて思わせる夢だった。フローニンゲン:2024/7/26(金)06:21
13039. 事物の遍く繋がり/文化的な土壌と枠組みの大切さ
先ほどまでは止んでいた雨がまた降り始めた。風はほとんどなく、雨脚も大したことはなく、夏の風情を感じさせる清々しい雨である。この雨がまた外気の上昇を防いでくれていて、その恩恵を授かっている自分がいることに気づく。こうして全てのものは繋がり合っているのだろう。全ての事物が繋がり合い、相互に影響を与え合って遍く形で世界に存在している世界観。この世界観は仏教的であり、同時に量子論的でもある。この世界は事物で満たされており、事物が介入しない空間はない。目に見えるものも目に見えないものも含め、隙間なく事物で埋め尽くされているのがこのリアリティなのだ。隙間なく事物で埋め尽くされているがゆえに、ある事物が運動を始めれば、それと繋がっている事物に影響を与える。それは直接的な影響として、さらには間接的な影響として、その影響の波紋はどこまでも広がっていく。ある事物のたった1つの動きがこの世界の全ての事物に影響を与える形になるのである。自分という人間もまた1つの事物であり、自分の言動や行動に対して反省の目が自ずと向けられる。今こうして綴っている日記もまた自分の行動に他ならず、またそこには言葉が内包されているため、言動の具体的な形でもある。たった1つの些細な日記の執筆もまたこの世界全てに波及する形で影響を与えているのである。そうした認識が立ち現れる。何か特別なことをする必要もなく、日々の自分の些細なアクションを見つめ直していくこと。1つ1つのアクションが誠実なものであることを心掛けること。願わくばそれが自分と他者の智慧と慈悲を養うものになってほしいと思うし、智慧と慈悲を共有するものであってほしいと思う。
昨日はジムで存分に体を動かしてトレーニングをしたこともあり、トレーニングの翌日の朝の楽しみでもある栄養補給としての蒸したサツマイモを先ほど味わった。その中でふと、サイケデリクスの理解も使用も、唯識学の理解も使用も、その背後に文化的な枠組みが必要であることを思った。とりわけ前者については、現在欧米ではサイケデリックルネサンスの影響を受けて、一般人のサイケデリクスへのアクセスが1960年代と同じぐらいに容易になり、潮流が生まれつつある。当時はまさにサイケデリックカルチャーの黎明期で、文化的な枠組みを作っていく段階にあったが、それはあまり質の高いものではなかった。南米やアフリカで長らく儀式的にサイケデリクスが用いられてきたのと同じぐらいの時間をかけて文化を育んでいくのは難しいだろうが、今回のサイケデリックムーブメントに期待するのは、学者と実践者、そして一般人が質の高い文化的枠組みを作っていくことである。とりわけサイケデリクスに関する学者と実践者の増加は顕著であり、彼らの多くはそうした意志を持って成熟した文化的枠組みの醸成に向けて奮闘しているように見えるのは喜ばしいことである。翻って唯識学についてはどうだろか。日本にはそれを受け入れ、咀嚼するだけの文化的な土壌がすでにあるが、その土壌がほぼ埋もれた状態になっている点が気がかりである。日本が本来持っている仏教的な豊かな土壌を見つめ直し、それをさらに現代の様相や課題と照らし合わせて目覚めさせるような試みにも従事していきたい。それを通じて少しずつ、唯識学の教えが日本の社会の中で良い方向に活用されていくことを期待する。文化的な土壌と枠組みの大切さについて改めて考えていた。フローニンゲン:2024/7/26(金)07:11
13040. 今朝方の夢の続き
時刻は午前9時を迎えた。今、霧雨のような雨が地上に降り注いでいる。金曜日の今日もまたとても穏やかな朝の世界が広がっている。今年の夏はここまでのところとても涼しく、大変快適に過ごすことができている。暑さは気だるさを生み、集中力を低下させる要因にもなるため、今こうして自分が身を置いている環境には感謝の念が尽きない。そんな中、ここから唯識学の研究を本格的に大学機関の中で行うためには環境の変化が余儀なくされる。新しい環境との縁を楽しみにしながら、良縁がやって来るための準備と努力を惜しまないようにしたいと思う。そのようなことを考えていると、今朝方の夢の続きについて思い出した。
夢の中で私は、常用漢字の試験の試験官を務めていた。試験会場は大学の比較的広い教室で、そこで行われていたのは小学校6年生までに習うそれほど難しくない漢字の試験だった。受験者はどういうわけか日本人の大人ばかりだった。年齢層は幅広く、成人になりたての人から高齢者もいた。みんな一生懸命に漢字の読み書きをそこで行っていた。しばらくすると試験が無事に終わり、解答用紙を回収した。そこで自分の仕事は終わりとなり、1階に降りたところ、地下室に繋がる階段を偶然見つけた。これまでその階段の存在には気づいておらず、地下に何があるのだろうと気になったので、扉を開けて地下に降りていくことにした。するとそこに広がっていたのは、ミュージアムショップのような場所で、そこで目を引いたのはある漫画家のサイン入りの画集だった。何種類もの画集がある中で、その漫画家が描いた漫画作品の画集は特に装丁が美しく、表紙が金色に輝いていた。その表紙にその漫画家のサインがあり、それを手に取って眺め、それを購入しようと思った。そもそもその画集は一般の入手は難しく、数量も限定されていたので、まさか大学の地下でそれを購入できるとは思ってもおらず、この機会を逃さないようにしようと思った。レジには店員がおらず、売店の奥にいる気配がしたので声を掛けた。すると、売店の奥から有名な日本人の女優が現れた。どうやら奥でお茶を飲んで寛いでいたらしく、そして今その方はこの売店でパートタイムで働いているようだった。女優として一世を風靡していた頃から比べると外見が老けていて、気力も減退しているようだった。そのことに対して残念な気持ちになったが、そんな気持ちを顔に出さずに挨拶をして画集を購入した。そのような場面があった。この場面を思い出したことによって、そう言えばコロッセウムの闘技場を上から眺めている場面があったこともふと思い出した。そこでは何かのゲームかアニメのキャラクターが戦っていたが、その戦いは決して殺し合いではなく、残虐性はなかった。フローニンゲン:2024/7/26(金)09:18
13041. 『法相二巻抄』の解説音声を作成し始めて/AIと唯識
時刻は間もなく午後5時を迎える。振り返ってみれば、今日の朝方には小雨が降っていたように思うが、それが幻であったかのように今目の前には美しい夕方の世界が広がっている。1日を通して同じ景色が二度とないという千変万化する世界の真理を体感する思いだ。私たちは二度と同じ川に入れないのと同じく、心もまた生滅流転を繰り返しているゆえに、私たちは二度と同じ自分ではあり得ない。目の前に広がる景色と私たちの存在にはそのような共通性がある。
今日も1日を通して唯識学の探究に没頭していた。1日のほぼ全ての時間を唯識学の文献の読解とその解説動画・解説音声の作成に充てていた。数日前に取り掛かり始めた良遍の『観心覚夢鈔』の解説音声を全て作成していくことができたので、午後からは同じく良遍の『法相二巻抄』の解説音声を作成し始めた。解説音声の作成方法は『観心覚夢鈔』の時と同じく、小さなトピックを1つ読むごとに1つの音声ファイルを作成している。こうして1つのまとまりごとに復習がてら、自分の理解力を試すような形で音声ファイルを作成していくのはやはりいいものだと思う。明日は午後からゼミナールのクラスがあるが、それまでの時間は『法相二巻抄』の解説音声の作成に力を入れたい。
今日の探究の中でふと、唯識と人工知能という両者の関係性を視野に入れながらの唯識探究を進めていきたいと思った。唯識がAIに果たす役割とAIが唯識に果たす役割のどちらも大きいと思われるため、ここからAIが社会の中でさらに注目され、社会の中でどのように実装されていくのかの手助けを唯識学は果たすだろう。それはAIの開発の過程やAIを社会で導入する段階において、さらには一般人がAIを活用する場面においても唯識学の教えはきっと重宝されると思われる。唯識学とAIの架け橋としての役割もどこかのタイミングで担っていくことを想定して、ここからの探究をさらにより一層充実したものにしていきたい。フローニンゲン:2024/7/26(金)17:02
Today’s Letter
We need a more mature culture to wisely use psychedelics. A lack of cultural frameworks for using psychedelics may cause damage and trauma to our psyche. The same is true for applying the wisdom of the Yogacara School of Buddhism. My role would be to build and cultivate cultural frameworks for it.
Everything is everywhere, and everything interacts with everything else. Our actions and the movement of things influence all. Interdependence is omnipresent in this reality. Groningen, July 26, 2024
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