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【成人発達心遊記】12973-12975:2024年7月14日(日)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12973. ここからの唯識の探究計画

12974. 今朝方の夢

12975. 浄土と平和

12976. 長き夏休み


12973. ここからの唯識の探究計画 


時刻は午前7時を迎えた。今日は早朝から曇り空で、今の気温は14度と冷えている。今日は1日を通して曇りのようで、最高気温は19度までしか上がらない。新たな週を迎える明日からは再び最高気温が20度を超え始め、暖かさが戻って来る感じである。7月の第3週目に明日から入るが、「暑さ」ではなく、「暖かさ」が戻って来るという表現をしているところからもこの地の涼しさが窺える。来週は週末の日曜日に再び最高気温が20度を破るが、それ以外の日は天気も良く、暖かさを感じられそうなので何よりである。引き続き最高気温が25度を超えない日々が続いて欲しいと思う。


今日もまた大いに唯識学の探究を楽しんでいき、それと並行して英語の発話能力の鍛錬にも集中して取り組んでいきたい。今現在ゼミナールの補助学習教材として、作成したPPTスライドに対して解説動画を作っているのだが、同じスライドに対して4回目の説明をしている最中である。毎回違った観点で新しいことを話すようにしているが、4回目の説明を終えたらPPTスライドを離れ、良遍の『観心覚夢鈔』と『法相二巻抄』の解説音声を作っていこうと思う。ちょうど昨日からそれらの書物に特化してこれから唯識学研究を深めていこうと思ったので、研究に並行する形で逐一読み解いた内容を解説音声にしていこうと思う。そうすれば自らの探究と他者の学習を後押しする取り組みの双方が一石二鳥に行えると考えたのだ。また、読解した内容を他者に説明することは自分の学びを深めることにも繋がるため、非常に望ましい探究の進め方かと思う。自分の仏教研究の焦点は唯識学にあり、しかもそれはインド、チベット、中国のそれではなく、日本の法相唯識学にある。昨日のゼミナールのクラスでも、日本の法相唯識学の特性についての話題となったが、まさに日本の風土に根差した日本の精神性が感じられるその教えをゆっくりと紐解いていきたい。その時に鎌倉時代に活躍した良遍に自分は注目をしている。特に『観心覚夢鈔』と『法相二巻抄』の2冊には大いに感銘を受けるものがあり、まずはそれら2冊に特化して研究を進めていきたいと思う。他の書籍に目移りすることなく、日々の研究の主眼はしばらくそれらの2冊とし、休憩として唯識学に関する他の和書や洋書に目を通していくような形で探究を進めていきたいと思う。それが当面の予定である。フローニンゲン:2024/7/14(日)07:21


12974. 今朝方の夢     


ひんやりとした朝の世界に微風が吹いている。曇り空の下、木々が微風に揺れている。今朝方は小鳥たちの鳴き声が聞こえてこない。ここ最近は寒さのぶり返しのためなのか、小鳥たちの鳴き声が聞こえてこない日がちらほらある。この間に彼らはどこで何をしているのだろうか。彼らの生活の姿が気になるところだ。


小鳥たちの様子を気にしながら、今朝方の夢について振り返っていた。夢の中で私は、雪が積もった道を小中学校時代の親友(KF)と一緒に自転車で進んでいた。自転車を漕いでいたのはかつてお互いが生活をしていた社宅のアパート付近だった。彼はその後アパートを引っ越して一軒家で住むようになり、私の家族もマンションに引っ越すことになった。お互いにとって懐かしのアパートの周りを自転車で進んでいたのだが、雪が結構積もっていたために、自転車が思うように進まなくて困った。これは自転車から降りて進んだ方が良さそうだぞと思った瞬間に、パッと右に方向を見ると、そこに巨大なもんじゃ焼きのお店があった。店の外観は煌びやかな飾りとライトアップによってとても派手だった。店の壁には歌舞伎役者の赤い紅隈の顔の写真がいくつも貼られていて、なお一層のこと外観を華美なものにしていた。店の中に入ってみると、靴を脱ぐ場所の面積がとても広く、靴を入れるロッカーが無数にあった。これは相当数の客が入るような店だとすぐにわかり、実際に繁盛しているようだった。ちょうど昼時だったのでもんじゃ焼きでも食べようかと思い、靴箱付近で店員に案内されるのを待っていると、中から若い店員の女性と一緒に別の親友(NK)が靴箱の方に歩いてきた。彼はまだこちらに気づいておらず、こちらから声を掛けようと思ったが、店員の女性と仲良く話をしていたので邪魔をすることはせず、しばらく目立たないようにしていた。するとそこで夢の場面が突然変わった。


その他に覚えている場面としては、小中学校時代の親友(HS)と一緒にプールで泳いでいた場面である。実際には私たちはプールで泳ぎの練習をしていたわけではなく、私は彼がプールの中で逆立ちをするパフォーマンスの練習に付き合っていた。彼がそのパフォーマンスをうまくできているかを観察し、それに対してフィードバックする役目を自分は担っていた。早速彼がそのパフォーマンスをしてみたところ、お尻だけが水面から顔を出し、思わず笑ってしまった。しかもお尻の部分の水着が少し破れていたこともあって、なお一層のことを笑いを誘った。彼は真剣に練習をしていたので笑ってはいけないと思ったが、次に水面から顔を出した時にその点について指摘しておこうと思った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/7/14(日)07:38


12975. 浄土と平和         


一筋の光が朝空から地上に降り注いでいる様子をぼんやりと眺めていると、雲間からさらに朝日が照り出してきた。今日は1日を通して曇りがちの日となるが、こうして短い時間でも朝日を拝めると心がホッとする。太陽の恵みは生命を育むという物理的な働きのならず、心に安らぎをもたらしてくれるような働きもあることを感じる。


昨夜就寝前に仏教の浄土観についてふと考え事をしていた。浄土観には様々なものがあるが、世間一般で流布しているようなあの世という感覚でもはや浄土を捉えていない自分がいる。唯識学を学び始める前は、浄土と聞くと他の多くの人たちと同じくあの世を想起していたが、今となっては浄土は8つの識が智に転じた後に開かれる世界だという認識がある。端的にはそこは仏が住む世界なのだが、仏は死者のことを指しておらず、深い智慧と慈悲によって8つの識を4つの智に転じることができた人のことを指す。私たちの認識が世界を作り出すということを考えると、8つの識が4つの智に転じるという認識上の転換が起これば、それに伴って開かれてくる世界が変わってくるというのは至って当然のように思えてくる。つまり認識論的な展開を果たして、存在論的な展開を果たすということがそこに見られるということである。言い換えれば、認識論的な展開が起こることを通じて、まずは存在としても在り方が変わり、その双方の変化が取り巻く世界を変えるということである。8つの識が4つの智に転じるという転識得智を果たすと、浄土に参入するというのはきっとそういう意味なのではないだろうか。浄土とは決して架空の世界なのではなく、転識得智後に自ずから開かれてくる環境心理世界なのだろう。深層的な阿頼耶識が環境世界としての器世間を生み出していることからも、阿頼耶識が大円鏡智に転ずれば、大円鏡智から生み出される環境世界が浄土だと見なすことにも合点がいく。自分自身も含め、1人でも多くの人が深い智慧と慈悲を体得していき、浄土の世界に入っていくことを祈っている。気が付けば、来月の今頃は終戦記念日である。世界を見渡せばまだまだ戦争を行なっている地域がある中で、仏教を通じた、すなわち心の治癒と発達を通じた平和への実現の道について何か取り組みができないだろうかと考えている自分がいる。フローニンゲン:2024/7/14(日)08:04


12975. 長き夏休み  


午前11時を告げる鐘の音が近所の教会から聞こえてきた。何気なく聴覚を通じて耳に聞こえてきた教会の美しい鐘の音も、オランダというキリスト教圏の国の文化がもたらしたものなのだということをふと思った。キリスト教という宗教がなければこの鐘の音が自分の耳に届けられることはなかったと思うと、その縁に対して信心深くなり、感謝の念がおのずと芽生えてくる。


7月も明日から第3週を迎える。社会人にとっての夏休みはまだ先かもしれないが、学校に通っている子どもたちは夏休みに入る頃かと思う。オランダの学校においていつから夏休みに入るのか定かではなかったので調べてみたところ、ちょうど今週の金曜日を最後に夏休みが始まったようだった。フローニンゲン大学に在籍していた頃を思い出すと、大学生や大学院生、そして教授たちの夏休みはもっと早くから始まり、6月の中旬からもう夏休みだったことを思い出す。そこから9月までずっと夏休みであったことを思い出すと、大学関係者の夏休みはとても長く恵まれていると改めて思う。今の自分は毎日が休みなようなものであり、ずっと続く休日の中で自分のライフワークとしての取り組みに没頭できているという大変恵まれた環境の中にいる。ここからまた大学機関に戻ったとしても、長い夏休みがあることはとても有り難い。自分の性格上、ゆったりとした休みが長くあり、その中で自分の取り組みを前に進める環境が最善のもののように映る。自分が求める環境はやはり心の有り様と対応したもののようだ。そして究極的には、心が環境を生み出すという点において、最善な環境は自らの心が作り出していくものなのだとういことが見えてくる。そのようなことを考えていると、1羽の小鳥が鳴き声を上げ、またどこかに飛び立っていった。


今日の午前中の唯識学の探究はとても順調に進んでいる。『法相二巻抄』の解説書の3回目の読解を進めながら、閃いたことをゼミナールの補助学習教材として解説音声を作成していくことを今から行いたい。とりわけ心王と心所の対応関係で3つの重要なパターンがあることに気付かされたので、その洞察をシェアしておきたいと思う。午後からも自由気ままに『法相二巻抄』を読み進めていき、気分転換がてら日本の法相唯識思想に関する研究所に目を通したり、唯識学に関する洋書に目を通していければと思う。学術機関に戻って本格的な研究を始める前の今現在は、自由気ままに自分の関心に基づく読書を進めていければと思う。フローニンゲン:2024/7/14(日)11:19


Today’s Letter

What is the Pure Land? It is not a place we go to after death. We can enter it in our lifetime. Reaching the Pure Land requires us to deepen our wisdom and compassion. Through continuous learning and practice, we will eventually purify and transform the eight types of consciousness, bringing us to the Pure Land. Groningen, July 14, 2024

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