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【成人発達心遊記】12942-12945:2024年7月7日(日)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12942. 発達心理学の経糸と唯識学の横糸の結合に向けて

12943. 今朝方の夢

12944. 海外ドラマを学習教材とした発達心理学と唯識学の融合に向けて

12945. 向かうべき場所へ


12942. 発達心理学の経糸と唯識学の横糸の結合に向けて 

 

時刻は午前5時半を迎えた。今朝方もまた起床した瞬間には暖房が自動で入っていた。今の気温は12度であり、先ほどまではさらに低い気温だったから暖房が入るのも無理はない。今日もまた1日を通して肌寒い日となる。日中の最高気温は18度ほどだ。明日からまた新たな週を迎えるが、来週の火曜日だけ最高気温が25度ほどになるようなのでその日は暖かさを感じられるだろう。来週も引き続き小雨が1日のどこかで降る日が多く、そのおかげもあって気温が低い状態が続く。今のところ、今年の夏は昨年の夏と同様に非常に過ごしやすい。来週に関して言えば、フローニンゲンはヘルシンキの気温よりも低い形となる。


昨日のゼミナールのクラスは色々な意味で実りの多いものとなり、その振り返りをクラスが終わった後や夕食を摂り終えた後も続けていた。その中で1つ、発達心理学という経糸と唯識学という横糸を結び合わせようとしている自分がいることに気づいた。もちろん唯識学も修行の段階モデルなどが提示され、そこには垂直方向の眼差しがある。唯識学にも心の垂直的な成長の視座があるわけだが、心の働きの分析に関しては発達心理学的な垂直的な質的差異を明らかにする目はない。また、フロイト派の発達心理学の知見が明らかにするような幼少期の発達課題に類する言及もない。そうした箇所はやはり発達心理学が補うべきところなのだろう。唯識学と発達心理学の架橋の方向性として例えば、心所という心の働きを捉えたら、それに紐ずく発達課題や家族関係問題などの観点を適用していくことなどが挙げられる。とりわけ成長を阻害する煩悩の心所に気づいたら、その背後にある幼少時代の発達課題や家族関係の問題などに注目をしてさらに詳細な心の観察行をしていくことは有効なアプローチに思える。さらに余力があれば、発達心理学の枠組みから心理療法の理論を学ぶことにも関心を広げていき、より包括的で深層的な心の浄化・発育方法を考えていきたいと思う。

昨日のクラス外の学びとして、華厳の世界観である「一即一切、一切即一」という言葉について改めて考えていた。この言葉が意味するのは、1つの中に一切が含まれている、あるいは一切全てが1つの中に含まれていることを意味する。この言葉が体現された世界観は、まさにシロシビン・セッションで直接体験をよく得ることであり、非常に慣れ親しんだものであるがゆえにこの言葉に大いに共鳴・共感している自分がいる。その他にも、華厳が最も大切にする世界として、「事事無礙法界」というものがある。この言葉が意味するのは、全ての事物が真理を内包しており、それらの事物が全て分け隔てなく交流し合っている世界の中に私たちは生きているということである。この言葉が示す世界もまたシロシビン・セッションが頻繁に開示する。シロシビン・セッションは唯識学の探究のみならず、華厳学の探究にも繋がることが見えてきて、ここからひと月に1回に頻度を落としたシロシビン・セッションでは、唯識学に加えて華厳学の枠組みについても意識して探究を進めていきたいと思う。フローニンゲン:2024/7/7(日)06:00


12943. 今朝方の夢 


起床した時間帯こそ空は曇っていたが、時計の針が午前6時を示そうとし始めた頃から朝日が輝き始めた。遠くの空に浮かぶ黄金色に輝く朝日がとても眩しい。その光は夏のものとは思えない優しさがあり、気温の低い冷えた朝の世界をそっと優しく温めてくれている。他の有情と同じく、自分もまたその微光に喜びを感じている。静かに湧き起こる喜びの感情の中で、今朝方の夢について振り返っていた。今朝方の夢でまず覚えているのは、高校2年生の時のクラスメートの女性友達と楽しげに話をしていた場面である。話をしていた場所は、日本の風光明媚な観光地にある旅館の中だった。彼女は浴衣を着ていて、自分も寛いだ格好でいた。高校時代の懐かしい話に花が咲くかと思いきや、過去の思い出話については一切話をせず、絶えず今2人を取り巻く事柄について話していた。そこには静謐さがあり、確かに彼女と話をしていて楽しさの感情があったことは確かだが、より穏やかの感情が勝っていたと言える。しばらく話をしていると、彼女の声が弱くなり、体調不良を感じているようだったので、体調不良を治癒するために横になってもらって体をさすることにした。彼女の体をさすりながら、体調不良の原因が消えていくことを祈っている自分がいた。


それ以外に覚えている夢として、ヨーロッパの見慣れない街を散策していた場面がある。1人当てもなくブラブラと街を散策していると、これからの人生において重要なアイデアが色々と浮かんできた。散策をしている自分の眼は街そのものには向かっておらず、心の眼は未来の自分に向かっていた。歩きながら得られたアイデアをどのように具体的な行動に落とし込んでいくか。そこに今の自分がやるべきことがあるように思えた。そのような場面があった。この場面の中で自分が働かせていた心所は、想像力を働かせ、未来の自分について想像するという「想」の心所が挙げられる。また、未来の自分は結局自利利他の精神で全ての有情に利楽を与えるという目標を抱いており、それは善法欲の心所が発揮されていたと言えるだろう。まだまだ不完全ではあるが、夢の中の自分も着実に煩悩ではなく、善の心所をより働かせ始めている点は注目に値する。唯識学を学ぶことを通じて、どうやら本当に少しずつだが確実に深層の心の領域から変革が起こり始めているようだ。フローニンゲン:2024/7/7(日)06:14


12944. 海外ドラマを学習教材とした発達心理学と唯識学の融合に向けて


朝日の輝きは見事だが、まるで初冬のような寒さを感じる朝の世界が広がっている。時刻は午前8時半を迎えたが、依然として気温は低いままであり、寒さを感じながら過ごしている。7月も2週目に入ろうとしているのにこの寒さは驚きである。


ここ最近は能に関心を示していたが、唯識学の観点から能における人間心理を紐解くことは一旦脇に置くことにした。というのもやはり能は実際に鑑賞してみてなんぼであり、いくらDVDで鑑賞できるとは言えど、リアルの場で生で鑑賞するのとでは感じられることは随分と異なるだろうと思ったし、下手にDVDを通じた鑑賞によって能の良さや面白さに気づけなくなってしまう可能性もあることを危惧した。書物を通じた能の探究も一旦棚上げすることにし、どこかのタイミングで実際に能をリアルで鑑賞することができたら、それをきっかけにして本格的に唯識学を通じた能の探究をしてみようと思う。今はとりあえず視聴しやすい映画やドラマを中心にして、唯識学を用いた人間心理の観察と分析を地道に進めていきたい。その観点で言えば、Netflixはコンテンツが非常に豊富で有益である。今は“The Good Doctor (2017)(『グッド・ドクター 名医の条件』)”という医療関係のドラマを視聴しているが、全てのエピソードを視聴し終えたら、今度は“House of Cards (2013)(『ハウス・オブ・カード 野望の階段』)”という政治ドラマを視聴しようと思っている。政治の世界は人間のドロドロとした心理が渦巻く領域のため、観察と分析のしがいがありそうである。とりわけ煩悩の心所を分析する訓練になるだろうし、煩悩と対極にある善の心所を考察する訓練にもなるだろう。海外ドラマを通じた心理模様の分析を唯識学の枠組みを通じて行っていくことに並行して、捉えた心の働きの質的差異、すなわち深度を見ていくことも併せて行っていきたい。それを実現させてくれるのが発達心理学の枠組みである。幼少期の発達課題や心の特性に焦点を当てた発達理論を皮切りに、成人発達理論を含める形で心の働きの質的差異や背後にあるものを分析していきたい。ここに東西の叡智の融合を見る。その叡智の融合を実現させていく鍛錬として人間心理を見事に描写した海外ドラマは非常に有益な学習教材となる。フローニンゲン:2024/7/7(日)08:38


12945. 向かうべき場所へ


時刻は間もなく午後4時を迎える。先ほど、幾分激しい通り雨が降った。今は雨は止んでいるが、夜の時間帯もまた少し小雨が降るようだ。こうした雨が気温を低い状態に維持していることがわかる。今日も1日通して肌寒い日だった。初冬の頃と同じ格好をして室内で生活をしている。明日からはまた20度を超える最高気温となるが、それでも依然として肌寒さがあることに変わりはない。体調には十分に気をつけたいと思う。心身共に健康な状態で大いに自らのライフワークに打ち込んでいきたいと思う次第だ。


仏法を理解していくことを最大の楽しみとしている自分がいる。仏典を少しずつ読解していくことを通じて、智慧と慈悲を涵養していくことを人生最大の楽しみとしている自分がここにいる。まさかこうした自分がいるなどとは数ヶ月前には信じられなかったことである。諸縁が機を熟して自らを仏道の道に導いてくれたことに感謝の念が尽きない。とりわけ唯識学との出会いを通じて自分の人生はまた大きく動き出した。善法欲に満ちた自己をまた向かうべきところに向かわせ始めてくれたのが唯識学だった。唯識学に特化した探究をこれからも続けていき、それと並行して唯識学から派生した仏教思想についても旺盛に学びを深めていきたいと思う。それらは全てどこまでも広く深い智慧と慈悲の獲得を通じた利他行の実現のためである。もうその目的は見失うことがない。自分が進べき道標は明瞭なものとなり、そこに向かう足取りは確かなものである。そしてそれを実現させている自分の心がこれ以上にないほどに充実している。そこには生命の輝きと躍動感がある。そうした姿を自ら眺めていて嬉しくなってくる。喜びが溢れている。この心の有り様で日々少しずつ進んでいけばいいという絶対的な安心感。それに支えながら、向かうべき場所に着実に向かっていこう。フローニンゲン:2024/7/7(日)16:02


Today’s Letter

Whether or not this reality looks like a dream, the borderline between them does not exist for me. I awake from each layer of dreams, step by step, every day. I’ll get out of a certain layer of dreams today, too. How about you? Groningen, July 7, 2024

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