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【成人発達心遊記】12923-12926:2024年7月3日(水)

更新日:7月6日



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

12923. 冷たき朝の思い

12924. 今朝方の夢

12925. 「心遊記」の始まり/新たな活動拠点を求めて

12926. 心の動きの観察行の楽しみ/唯識の思想・空の思想の常識化に向けて


12923. 冷たき朝の思い


時刻は午前5時を迎えた。今、早朝の涼しい世界に小鳥が鳴き声を上げている。今朝もまた曇っているのだが、キッチン側と庭側の双方から同種の小鳥の鳴き声が聞こえてくる。朝の涼しげな世界に響き渡る彼らの声は格別である。今日もまた気温が低く、今の気温は12度で、日中は14度までしか気温が上がらない。7月を迎えたというのに驚くほどの寒さで、2階にいる今は秋の格好である。長袖と長ズボンを着て過ごさなければ寒すぎるほどである。今日は正午前から午後にかけて雨が降るようで、その雨がまた気温を低く抑えることに繋がりそうである。明日以降も日曜日までは最高気温が20度以下の日々が続く。体調管理には気をつけて過ごしたい。


今日もまた精神を集中させた形で諸々の取り組みに従事したい。全ての活動が心を磨き、心を育む実践なのであり、そこには甲乙はない。取り組みの最中の集中状態が肝要なのだ。活動に没頭し、それそのものと化すことが心の浄化に繋がり、ひいては心を育むことにつながる。英語の発話訓練にせよ、唯識学の探究にせよ、全てを没入状態の意識状態で行っていく。そうした個別具体的な実践以外にも、日常の全ての行為を没入状態で行っていければと思う。料理や食事、掃除や洗濯など、日常の行為の全てを精神を研ぎ澄ませた没我状態で行えるようになることがこれから自分が向かっていく方向性だろう。全ての事柄を学びに変え、心を育むものにしていきたい。そのような思いが改めて芽生えてくる。


静かな環境の中で心を絶えず見つめていくこと。今の生活拠点はその点で大変望ましい。きっと自分はこの地に心を磨きにやって来たのだろう。気がつけばもうこの地での生活も9年目を迎えようとしている。それほどまでに月日が経っているとは思っても見なかったことである。この地で与えてもらった無数の恵みに感謝したい。おそらく自分はそろそろこの地を離れて新しい環境でまた新たな心の旅を始める必要があるように感じている。心の旅をしながら心の旅について研究するという生活を欧米の大学院で行いたいという思いが日増しに強くなる。現在毎日取り組んでいる地道な探究と実践は、きっとその実現につながってくれるものだと祈る。フローニンゲン:2024/7/3(水)05:30


12924. 今朝方の夢


時刻は間もなく午前6時を迎えようとしている。今朝はとりわけ冷えるので、早朝の暖かい飲み物は心をホッとさせてくれる。「ホットな飲み物だけにホッとさせてくれるのだろうか」という脳裏に浮かんだセンテンスもまた心を温めてくれる。人はこうして物理的なものや精神的なものを通じて心が温められていく存在なのだということを改めて思う。


今朝方はここ連日と同じく、幼少時代に試聴していたアニメのキャラクターが登場した。これで3日連続である。おそらくそのアニメがテーマとなって現れているのは、ここ最近英語でその漫画を読み進めているからだろう。その漫画は仏教の世界観が体現されており、仏教の探究を兼ねて、そして英語の学習も兼ねて英語でその漫画をオンライン上で読み進めている。夢の中の私はそのアニメのキャラクターと修行論について語り合っていた。それぞれ活動する分野は違えど、お互いに求道者であることは共通しており、修行の話は大変盛り上がった。彼らの修行への取り組みには頭が下がる思いであり、果たして自分にそれだけの精神力が備わっているかを問われるような心境であった。仮に彼らのような精神力が今の自分になかったとしても、それを育んでいけばいいのだと思った。他者を通じて自己を顧みるというまさに愧の心所が働く形で、彼らの存在を通じて自分の精神力を顧みて、さらなる心の成長に繋げていこうと誓う自分がいた。


その他には、実際に通っていた中学校の体育館でバスケの練習試合をしている場面があったのを覚えている。県内の強豪校を招き、その学校と練習試合をしていた。試合前にはかなりの大差で負けてしまうのではないかと思ったが、こちらのメンバーの士気が試合の経過と共に鰻登りに高くなり、全員がゾーンの状態に入っていた。ゆえに好プレーが連発され、気がつけば県内屈指の強豪校を絶えず圧倒する試合展開となった。自分はチームのキャプテンとして、ゾーンの状態にありながらも絶えず冷静に試合の経過を見つめていて、メンバーに絶えず的確な指示を出し続けていた。ゾーンの状態は人間として生きることの喜びを大いに体験させてくれる素晴らしい現象だと改めて思った次第である。フローニンゲン:2024/7/3(水)06:02


12925. 「心遊記」の始まり/新たな活動拠点を求めて


この一連の日記はもはや心の探究記というよりも、心を通じてこの世界を遊ぶという「心遊記」の性質を強めているのではないかとふと思った。そのような気づきから、本日よりこの一連の日記を心遊記と名付けて綴っていくことにしよう。名前が変わることは自分の変化を表している。今後またどこかのタイミングで日記の名前が変わるかもしれない。それはその時の自分がまた変化したことを示す大事なサインである。今日から新たな名称を纏った心遊記にこれから何が綴られていくだろうか。日常の些細なことの中に大切な何かがある。真理は常に日常の至る所に遍満しているのである。些細なことの中にある真理を絶えず見つめていくこと。真理と共に生きること。それが心遊記の向かうべき方向性である。心を通じて心の世界で遊ぶこと。それを人生の指針とする。それはもちろん固定的なものではなく、その指針さえもが諸行無常に貫かれている。その指針に囚われることなく、その指針すらも遊びの対象として、絶えず心の世界で心という存在を通じて遊戯に従事し続けるのである。それがこれからの自分の生き方としてより色濃く鮮明になるだろう。


心遊記を綴る仮有の存在としての綴り手の自己は、新たな活動拠点を求めている。オランダフローニンゲンは日本と同じく自分にとっての魂の故郷の1つとなった。そんな場所を離れ、また新たな心遊を始める時期が迫って来ていることを感じる。次にやってくる場所は、心遊をとことんまで深められる場所であることを願う。やはりそれは自分にとって学術機関なのだろう。今のところはアメリカかイギリスの仏教研究にとことん打ち込める学術期間が候補として心の世界に立ち現れている。玄奘三蔵や世阿弥然り、彼らは自らの創造性を発揮する環境が与えられていた。玄奘三蔵は皇帝からの庇護があり、世阿弥は将軍からの庇護があった。庇護下での活動は制約があることは確かだが、それは創造性を大いに育むきっかけを生むものでもあり得る。他の活動に従事する必要なく、自らのライフワークに打ち込み続ける環境が与えられることほど幸運なことはない。もちろんそれは人によっては呪いとして受け止められることもあるだろうが、今の自分はライフワークにとことん打ち込むための新たな環境を求めている。現在の環境は確かに何の制約もなく自由な探究活動に従事することを可能にしてくれている。しかし、そこには誰からの庇護もなく、仏教の学術的な研究面で言えば協働者もいない状況なのだ。ここからの自分が真剣に仏教研究に従事体と思うのであれば、協働者に恵まれる必要がある。そして学術研究に打ち込むための環境が与えられる必要がある。そうしたことを総合的に考えてみると、やはり自分は学術機関に身を置きたいのだということがわかってくる。そこで地道に論文を執筆していき、その成果を一般の人たちにもわかりやすい書籍として共有していくこと。そのような活動に取り組むことを可能にするアメリカかイギリスの大学に身を置きたい。そこから仏教研究者としての新たな道をスタートさせ、再びどこかのタイミングでヨーロッパに帰って来たいと思う。フローニンゲン:2024/7/3(水)06:28


12926. 心の動きの観察行の楽しみ/唯識の思想・空の思想の常識化に向けて     


時刻は間もなく午前10時を迎える。今日は早朝から底冷えするような寒さがあり、2階の二重窓は内と外の双方を閉めて風が入ってこないようにしている。室内の格好も寒さ対策をしっかりしている。


午前中のここまでのところ、唯識学の探究が順調に進んでいた。今はもっぱら自分の心の動きだけではなく、他者の心の動きを観察することも実践の1つに据えており、心の動きの機微がうまく描かれた映像作品は重要な学習教材となる。深層心理劇としての能もその1つの学習教材として今後取り入れていく予定である。自分自身もまた絵師なのだが、自らの心に働く絵師と描かれる絵だけではなく、他者の心の中でどのような絵師としての識がどのような心所としての絵を描いているかを見ていくこともまた1つの楽しみになっている。こうした自他の心の動きの観察をこれからも続けていきたい。


いつか唯識の思想や空の思想が社会の中で常識となるようなことにならないだろうか。現代の不幸や社会問題の根幹には、それらの思想が全く常識になっておらず、それらの思想に疎く、心が荒廃してしまっている問題があるように思える。多くの人が自我を実体化し、それに囚われ、苦悩の根幹である心を向き合わないままに生きていることに社会問題の根源を見る。そうした根源的な問題を解決する取り組みの1つとして、唯識の思想や空の思想が社会の中で常識となるような活動にいつか本格的に着手したい。今の取り組みはそれに向かっているものであり、それに連なっているものだと信じている。


唯識学に惚れ込んで探究を日々続けているわけだが、家族関係論や幼少期の発達課題に関する洞察は唯識学には欠けている。逆に言えば、発達心理学の洞察と唯識学の洞察は互いに補完し合い、協力・協働関係を結ぶことが可能なのである。両者を佳境していく試み。その試みを行なっていくことが自分に課せられた仕事の1つのように思えてくる。フローニンゲン:2024/7/3(水)10:06


Today’s Letter

A couple of little birds are chirping on a chilly morning. Their twittering soothes my mind deeply.


My ninth year living in Groningen will start in August. I cannot believe that eight years have already passed. Groningen has immensely fostered my development. After the ninth year, it might be the time for me to begin a new challenge in a new environment. Groningen, July 3, 2024

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