【フローニンゲンからの便り】19071-19074:2026年7月31日(金)
- 8月2日
- 読了時間: 11分

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タイトル一覧
19071 | ヘ音記号パートの練習 |
19072 | 今朝方の夢 |
19073 | 今朝方の夢の振り返り |
19074 | 相対音感を鍛えることの意味 |
19071. ヘ音記号パートの練習
昨日、ピアノ楽譜のヘ音記号の部分をクラシックギターで弾いてみた。最初は、単に普段とは違う記号を読む練習になる程度に考えていたが、実際に取り組むと、これは指板と和声を結び直すかなり密度の高い訓練だと感じた。クラシックギターの楽譜は通常、ト音記号で書かれ、実際には記譜音より一オクターブ低く響く。そのため、ヘ音記号の音を実音としてギターへ移すには、いつもの譜読みの癖をいったん脇に置き、五線上の音と指板上の実際の高さを直接対応させなければならない。たとえばヘ音記号の中央付近に現れる音を、六弦や五弦だけで機械的に探すのではなく、同じ音が別の弦にも存在することを確かめながら運指を選ぶ。すると、指板がポジションの集合ではなく、音名によってつながった一枚の地図に見えてきた。普段のギター譜では、音を見た瞬間に慣れた運指へ手が向かい、耳が置き去りになることがある。ところがヘ音記号では、その自動運転がいったん解除される。音名を確認し、声に出し、指板上で位置を探してから弾くため、一音ごとの注意が深くなる。テンポは遅くなったが、譜読みが遅いのではなく、音を丁寧に理解しているのだと思えば焦りも少なかった。初見演奏の基礎とは、速く反応することより、記号を確かな音へ変換することなのだろう。特に有益だったのは、低音を伴奏の土台として聴く感覚が強くなったことである。ピアノの左手には、根音、分散和音、対旋律、内声など、曲の骨格を支える情報が詰まっている。それをギターで一音ずつ拾うと、和音の名前だけでは見落としていた音の進行が浮かび上がる。低音が半音下がるだけで響きの重心が移り、同じ上声が別の表情を帯びる。和声は縦に積まれた石垣ではなく、低音によって流れを変える川なのだと実感した。また、ピアノ譜では左手と右手が別々の段に記されるため、ヘ音記号だけを弾いた後にト音記号の旋律も加えると、声部を分けて考える練習になる。クラシックギターでは複数の声部を一本の楽器で同時に扱うので、低音をどれだけ保ち、どの音を切り、旋律をどの弦に置くかという判断が欠かせない。ピアノ譜をギターへ移す作業は、完成した運指をなぞるのではなく、自分で小さな編曲を行うことに近い。弾けない低音が出てきた場合も、単に諦めるのではなく、一オクターブ上げる、音を省く、和音の機能を残す、といった選択を迫られる。その判断が、曲の本質を見抜く訓練になるように思う。昨日の最後に、ヘ音記号の低音を声で歌ってからギターで弾いてみた。歌える音は指板上でも見つけやすく、次の音への距離も予測しやすかった。さらに、同じ低音を異なる弦で弾き比べると、音高は同じでも音色と余韻が違い、運指の選択がそのまま解釈になることにも気づいた。譜面、耳、声、指が一本の線で結ばれる感覚があった。ヘ音記号をクラシックギターで読むことは、単なる読譜の変化球ではない。低音から音楽を眺め、和声の重力を感じ、指板を音名で理解し、自分で編曲する力を育てる練習なのである。今後はバッハの鍵盤曲や簡単なコラールの低声部から始め、少しずつ二声、三声へ広げていきたい。フローニンゲン:2026/7/31(金)06:46
19072. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、見慣れない場所にいた。そこは森を切り開いて作られた陸上トラックだった。そこで今から中学校時代の同級生たちと運動会をすることになっているようだった。男子の200m走が始まると、学年で一番背の高かった友人が独走状態となり、最後のコーナーを曲がる時に、まるでスピードスケートのような姿勢と動きで地面を滑らかに滑り始めたので見事だと思って驚いた。タイムは24.4秒で、彼は途中から本気を出していなかったので、仮に最初から最後まで本気で走っていたら、世界記録の可能性もあるぐらいに見事な走りだった。彼がゴールした後に彼と話すことになり、見事な走りについて話をしただけではなく、別のことを彼に伝えた。実は、陸上トラックのすぐ横で、2mを超す大きなムカデがしかも2匹もいたことを伝えたのである。刺激しなければおとなしそうだったが、地べたに座っている友人たちも多かったので、ムカデを駆除することを検討しなければならないと思った。陸上トラックの脇の倉庫に、確かガスバーナーがあったと思うので、それで焼き殺すことも一つの選択肢だった。いずれの手段にせよ、生き物を殺すことには躊躇する気持ちがあったが、仲間を守るためには致し方ないと思った。
次に覚えているのは、港の横にある立派な高級ホテルに宿泊している場面である。大学時代の友人と、次のサッカーの試合では、見事なアシストをすると約束し、アシストの場面を彼にイメージしてもらうために、口頭で説明をし、そしてどんな球種のパスを送るかを実際のボールを使って示した。そうこうしているとホテルに到着し、エレベーターホールにやって来たエレベーターに2人の小中高時代の友人(YU & SI)と一緒に乗った。どういうわけか米国のトランプ大統領とその側近も乗り込み、上の階に向かったのだが、階数表示のボタンはなく、ただどこまでも上に向かっていくようになっていたので驚いた。50階あたりにあるレストランまで一気にエレベーターが上がっていくと、重力差によってめまいがしそうになった。思わず友人がストップボタンを押したところ、すぐにエレベーターは止まったが、もうレストランの階に到着していた。私たちはそこで降り、2人の友人はヘリコプターが止まるエレベーターの中に入っていき、片方の友人はヘリコプターの足にまるでジャングルジムにしがみつくかのようにして下に向かっていった。私は通常のエレベーターに乗り直して1階に向かった。その時に、自分が住む階は、高すぎず低すぎずの12階が限度だと思った。フローニンゲン:2026/7/31(金)06:59
19073. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は、自分の内側で進行している二つの運動、すなわち潜在能力を解放しようとする上昇の力と、その力が暴走しないよう地上へ引き戻す調整の力を映しているのかもしれない。森を切り開いて造られた陸上トラックは、未分化な無意識の領域に、意識的な訓練の場が設けられつつあることを示すように思われる。森は未分化な生命力であり、トラックはその生命力に方向と尺度を与える構造である。中学校時代の同級生たちが集まっているのは、現在の課題が、肩書きよりも競争心、身体感覚、仲間意識といった原初的な力に関係しているからではないだろうか。長身の友人による200m走は、自分の中に眠る、まだ全力を出していない能力の象徴であるように見える。彼が最後のコーナーで走るのではなく、スピードスケートのように滑ったことは重要である。力任せに地面を蹴るのではなく、抵抗を減らし、流れに乗ることで速度を得ているからである。これは、今後の自分が努力量だけで前進する段階から、身体と知性と環境の摩擦を減らし、洗練された運動によって成果を生み出す段階へ移行しつつあることを暗示しているのかもしれない。しかも彼は本気を出し切っていない。夢は、現在の成果を到達点ではなく、まだ封を切っていない潜在力の予告編として示しているようである。しかし、その華麗な走りの傍らには2匹の巨大なムカデがいる。ムカデは多数の脚を持ち、地面の暗がりを這う存在であるため、複数の小さな不安、未処理の実務、身体的な緊張が連結して巨大化した像である可能性がある。2匹という数は、外的課題と内的課題、あるいは知的上昇と生活上の危機管理という二系統の問題を示しているのかもしれない。刺激しなければ襲わないという点から、それらは悪そのものではなく、放置すれば仲間を傷つけうる潜在的危険なのであろう。ガスバーナーで焼く発想と殺生への躊躇は、問題を徹底的に除去したい一方で、そこに含まれる生命や意味まで破壊したくない葛藤を表しているように思われる。ここでは、守ることと慈しむことが一本の刃の両側に置かれているのである。後半の港と高級ホテルは、人生の移行期にある自分の現在地を映しているのかもしれない。港は出発と到着の境界であり、ホテルは永住の場ではなく一時的な滞在地である。そこでサッカーのアシストを約束する場面は、単独で得点することよりも、他者が力を発揮できるよう最適な球を送り届ける役割へ向かっていることを示すように見える。口頭説明だけでなく実際の球種まで示す点には、思想を抽象的に語るだけでなく、身体化された形で伝えようとする姿勢が表れているのであろう。階数ボタンのないエレベーターは、社会的成功、知的探究、権力への接近が、自分の制御を離れて上昇していく感覚の象徴かもしれない。トランプ大統領の同乗は、強大な権力や誇示的な上昇志向がその箱に入り込んだことを示しているようである。50階まで一気に上がり、重力差でめまいがするのは、成長速度が身体と心の統合を追い越す危険を伝えているのではないだろうか。友人が停止ボタンを押すと目的階に着いていたことは、止まる勇気が遅れではなく、むしろ適切な到達を可能にするという示唆である。ヘリコプターの足にしがみついて下降する友人たちは、危険を伴う急激な移動を選ぶ部分の象徴であろう。それに対し、自分は通常のエレベーターで1階へ戻り、住むなら12階までだと判断する。この12階は、地上との接続を失わず、同時に展望を得られる高さである。夢全体は、自分に世界記録級の上昇力があることを認めながらも、真の成熟とは最高層へ行くことではなく、地面の危険を見つめ、仲間に良いパスを送り、眺望と重力が釣り合う高さに住むことだと告げているのかもしれない。自分に必要なのは、空へ逃げる翼ではなく、地上と高層を往復できる昇降機なのである。フローニンゲン:2026/7/31(金)07:52
19074. 相対音感を鍛えることの意味
クラシックギターの練習をしながらふと、相対音感を鍛えることの意味について考えていた。これまでは、楽譜に書かれた音を正しい指で押さえ、間違えずに最後まで弾くことを優先していた。しかし、それだけでは指が先に進み、耳が後ろから追いかけるような演奏になってしまうことがある。相対音感とは、ある音を基準にして、次の音がどれほど高いか低いかを感じ取る力である。この力が育つと、音符は単なる記号ではなく、互いに引き合い、離れ、解決していく関係として見えてくる。今朝は短い旋律を弾く前に、まず声で歌ってみた。次の音が上がるのか下がるのか、三度なのか四度なのかを意識してから指を動かすと、演奏の感覚が少し変わった。これまでは指板上の場所を順番に覚えていたが、音程の関係を耳で理解すると、次に向かう音を内側で予測できる。暗譜が崩れそうになっても、旋律の流れを頼りに戻れる可能性が高まるように思う。運指だけの記憶が一本の細い糸だとすれば、耳、楽譜、和声、指板を結びつけた記憶は、何本もの糸で編まれた丈夫な綱である。相対音感は、声部を聴き分けるうえでも重要だと感じた。クラシックギターでは、旋律、低音、内声が一本の楽器の中で同時に進む。高音の旋律だけを追っていると、低音がどの方向へ動き、内声がどこで緊張し、どこで解決しているかを見失いやすい。そこで、低音だけを弾いて歌い、次に旋律だけを取り出し、最後に両方を合わせてみた。すると、それまで和音の塊として聞こえていた部分が、複数の声が対話する場面のように感じられた。どの音を強くし、どの音を長く残すべきかという判断も、指づかいではなく耳から生まれてくる。また、ギターは同じ高さの音を異なる弦やポジションで出せるため、相対音感があると運指の選択にも意味が生まれる。同じ音でも、弦が変われば音色や余韻が異なる。前後の旋律とのつながりを耳で聴きながら場所を選べば、運指は単なる弾きやすさの問題ではなく、音楽的な表現の選択になる。調弦のわずかなずれや、強く押さえすぎたときの音程の変化にも気づきやすくなるだろう。さらに、短い旋律を別の調へ移して弾く練習も試した。音名をそのまま追うのではなく、主音から何度離れているかを保ちながら移すと、旋律の骨格が見えてくる。これは耳で覚えた曲を指板上に再現したり、初見で次の響きを予測したりする力にもつながるはずである。楽譜を読む力と耳で理解する力が別々に育つのではなく、互いを支え合う感覚が少しわかった。練習の最後には、主音を鳴らし、そこから三度、五度、七度を声で探してからギターで確かめた。さらに、二小節ほどの旋律を先に歌い、それを指板上で再現してみた。すぐには弾けなかったが、声と指の間にある距離がはっきり見えたこと自体が収穫だった。相対音感を鍛えることは、音当ての技術を身につけることではない。内側で音楽を聴き、その響きに指を従わせるための訓練なのである。指が音を探すのではなく、耳が進む道を照らし、指がその光の上を歩くようになれば、演奏は運動の再現から、意味を持った語りへ変わっていくのだと思う。フローニンゲン:2026/7/31(金)10:37
Today’s Letter
I found an interesting way to play and practice using the circle of fifths. I use it to improvise on the guitar, which helps me develop a variety of musical skills. Groningen, 7/31/2026



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