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【フローニンゲンからの便り】18440-18442:2026年3月30日(月)

  • 4月1日
  • 読了時間: 7分


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タイトル一覧

18440

修論・ファイナルペーパー・博論

18441

今朝方の夢

18442

今朝方の夢の振り返り

18440. 修論・ファイナルペーパー・博論  

     

時刻は午前6時半を迎えたが、辺りはまだ暗い。昨日からサマータイムに入り、1時間時間が進んだためだろう。今強風が吹いていて、少し雨が降っている。どうやらこの雨はいっときのもののようだ。


昨日ふと、エディンバラ大学に行くまでの時間を有効に活用するために色々と考えており、その中で査読付き論文の執筆よりも修士論文のドラフトの執筆を優先させようと思った。そのドラフトがある程度完成していると、エディンバラ大学に行ってからが非常に楽になる。4月一杯は唯識関連の文献かつ良遍に関する文献を集中的に読み込んでいこうと思っており、5月から本格的に修論のドラフトの執筆に取り掛かりたい。これが4回目の修論執筆なのでもう慣れたものではあるが、前回修論を執筆したのはもう8年前のことになるので、 そのブランクを取り戻るかのように、少しずつ執筆の感覚を取り戻していきたいと思う。修論のドラフトが落ち着いたら、履修する予定の森里先生の「仏教哲学」というコースのファイナルペーパーのドラフトに着手していきたい。このコースでは仏教の様々な哲学的な考え方に触れることになる。それを踏まえてファイナルペーパーでは、「統合的仏教思想家としての良遍」という仮題を思いつき、良遍が禅や浄土教からどのような影響を受けたか(空の思想や法華経からの影響などにも触れる)、そして華厳など他の宗派にどのような影響を与えたのかについて考察していきたい。ファイナルペーパーの字数制限は3,000字なので、4つの項目を750字をめどにするか、あるいは5つの項目を600字をめどにするかを後に判断する。それから博士論文の研究計画書についてもエディンバラに行く前にある程度のものを作っておく。先ほど入浴しているときにふと、『法相二巻鈔』単体を註釈していくともしかしたら分量的に少ないかもしれないと思い、“Seven Works of Vasubandhu”のように良遍のいくつかの作品を取り上げて註釈していく形でまとめていくことを思いついた。実際のところ、『法相二巻鈔』以外にも査読付き論文として出版するには少し長い作品がいくつかあり、それらを組み合わせて博士論文の形にまとめ上げていくことは名案のように思えたのである。この案をもう少しブラッシュアップしていこう。フローニンゲン:2026/3/30(月)06:48


18441. 今朝方の夢


今朝方は夢の中で、見慣れない温泉に浸かっている場面があった。そこの大浴場には開放的な窓があり、窓辺には1人1人が腰掛けて湯船に浸かれるようになっていた。そこに腰掛けて寛いでいると、高校時代のクラスメートの2人の友人が現れ、彼らと旧交を温める形で楽しく語り合った。


次に覚えているのは、狭い機内にいる場面である。夢は最初、小さな飛行機に乗り込む前のところから始まり、前職時代の同僚と話をしながら機内に向かった。機内の先頭部分はビジネスクラスでスペースが広かったが、すでにそこには人が座っていたし、自分はビジネスクラスのチケットを持っていなかったので、後ろの方に行くことにした。自由に座れるということだったし、幸いにも機内には空席が目立ったたので、諸々のことを考えて一番良さそうな席に座ることにした。しかしどの席も窮屈そうで、結局目星の席は見つからなかった。すると気づけば飛行機の外にいた。そして再び機内に向かい、機内に入ったところ、光景が全く同じで、結局そこでも席に座ることはなかった。


もう一つ覚えているのは、見慣れない小川で釣りをしていた場面である。そこには小中学校時代の友人が数人いて、彼らと話をしながら釣りを楽しんでいた。同時に自分の脳裏には、釣りをしながら誰かの到着を待っていた。それもまた友人だと思うが、遠方からやって来る友人の到着を心待ちにしていたのである。彼の到着を待ちながらルアーを投げていると、なんと鯉が引っ掛かった。それを釣り上げて道の上に上げてみると、鯉は特に苦しそうにしていないように見えたが、ルアーを喉の奥の方まで飲み込んでしまったようで、早く取ってあげないと可哀想に思えた。しかし自分にはそれができなさそうだったので、周りにいた友人に代わりにそれをしてもらうことにした。するとその瞬間に、待ち焦がれていた友人がやって来たような直感があり、振り向いたところで夢から覚めた。フローニンゲン:2026/3/30(月)07:20


18442. 今朝方の夢の振り返り

          

今朝方の夢全体は、自分の内的な「移行過程」における三つの位相――安らぎ、選択不能、到来直前――が連続的に配置された構造を持っているように思われる。冒頭の温泉の場面において、自分は見慣れない場所にいながらも、身体を湯に委ね、窓辺という半ば外界に開かれた位置に身を置いている。これは、おそらく既知と未知の境界に自分が身を置いている状態を象徴しているのであろう。過去の友人たちと旧交を温めている点は、自分の内的記憶や人格の過去層が再び統合されつつあることを示唆しているように見える。温泉というモチーフは浄化や回復の象徴であることが多く、ここでは過去の自己との和解や再接続が、穏やかな形で進行している可能性がある。しかしながら、その安定的な場面は突如として飛行機という極めて人工的かつ移動志向的な空間へと転換する。この転換は、内的な安定から外的な移行への急激なシフトを意味しているのかもしれない。機内において自分は座席を探し続けるが、どの席も窮屈に感じられ、最終的には着席できないまま外に出てしまう。そして再び同じ場面が反復される。この反復構造は、自分が現在、ある位置や役割を選び取ることに対して、決定的な確信を持てていない状態を象徴している可能性がある。ビジネスクラスという前方の空間が既に他者によって占められている点は、社会的地位や既存の枠組みに対する距離感を示唆しているようにも見えるし、自由席であるにもかかわらず座れないという状況は、選択の自由がかえって選択不能を生み出しているという逆説的な心理状態を反映しているのかもしれないのである。さらに重要なのは、自分が一度機外に出た後、再び同じ構造の機内に戻るという点である。これは、外に出ることで問題が解決されるわけではなく、むしろ同じ構造が繰り返されるという、いわば内的課題の未解決性を示しているように思われる。ここには、自分の中で「どこにも完全には属せない」という感覚、あるいは「どこに座るべきかがまだ決定されていない」という発達的過渡期の特徴が現れているのであろう。最後の釣りの場面において、空間は再び自然へと回帰する。この回帰は、人工的な選択の場から、より根源的で関係的な場へと自分が戻っていることを示しているように見える。ここで自分は友人たちとともに釣りをしているが、同時に「誰かの到着を待っている」という未来志向の意識を強く持っている。この「まだ来ていない誰か」は、具体的な他者であると同時に、まだ実現されていない自己の可能性や、新たな関係性の象徴である可能性があると言えるだろう。鯉が釣れる場面は象徴的である。鯉はしばしば生命力や変容の象徴とされるが、それが喉の奥深くにルアーを飲み込んでいるという状況は、自分が何か重要なものを「深く引き寄せてしまった」状態、しかしそれを適切に扱うスキルや準備がまだ十分ではない状態を示しているのかもしれない。自分では対処できず、他者に委ねるという行為は、成長の過程において他者の介入や支援が不可欠であることを示唆しているように見えるのである。そして、その委ねの瞬間に「待っていた友人が到着した」という直感が生じる。この構造は極めて示唆的であり、自分が何かを手放し、他者に委ねた瞬間に、新たな出会いや展開が訪れるという因果的連関を暗示している可能性がある。振り向いたところで夢が終わる点は、その到来がまだ完全には意識化されていない、いわば「閾値の直前」にあることを意味しているのであろう。以上を総合すると、この夢は、自分が過去の自己との統合を経て、現在の選択不能な過渡期にありながらも、他者との関係性の中で何かを委ねることによって、新たな段階への移行が目前に迫っていることを示している可能性が高い。人生における意味としては、自分がすべてを自力で決定し制御しようとする段階から、関係性の中で開かれた形で変容を受け入れる段階へと移行しつつあること、その転換点にすでに立っていることを示唆しているのではないかと考えられるのである。フローニンゲン:2026/3/30(月)07:33


Today’s Letter

Linguistic clarity is achieved through the apoha theory proposed by Dignāga. When we define A in terms of the exclusion of non-A, we come to apprehend emptiness. Groningen, 3/30/2026

 
 
 

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