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【フローニンゲンからの便り】17961-17966:2026年1月1日(木)



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タイトル一覧

17961

応用的なパズルや数学の問題を解く楽しみに近いギター演奏

17962

2026年最初の夢

17963

2026年最初の夢の振り返り

17964

情報時代においてリアルな大学で学ぶ意義

17965

ダイナミックスキル理論から見るギター技術の向上の道

17966

ギターの練習を通じた身体の最終の非対称状態について

17961. 応用的なパズルや数学の問題を解く楽しみに近いギター演奏


2026年を迎えた。昨日は大晦日ということもあり、朝から深夜まで花火が打ち上がりっぱなしであり、兎角夜の花火は入眠を邪魔する形となったが、これもまた一興と捉えている。起床した感じだと、特に心身の状態には悪影響を与えていないようだ。


ギターの演奏を始めてまだ三ヶ月経っていないので、引き続き基礎力を高めている段階だが、新たな曲を練習することは、これまで学んだ基礎を応用する感覚があり、応用的なパズルを解く感覚、応用的な数学の問題を解く楽しみに近い感覚がある。ギターを始めて間もない段階でありながら、新しい曲に取り組むことを「応用的なパズル」や「数学的思考の喜び」に近いものとして感じている点は、すでに学習が単なる模倣や反復の段階を越え、構造理解へと移行しつつあることを示しているように思われる。基礎練習とは、単に指を動かす訓練ではなく、音と身体、意識と時間の関係を身体化する営みである。その土台の上に新しい曲が現れるとき、それは未知の課題ではなく、既知の要素が新しい配置で再構成された「思考可能な問題」として立ち現れる。ここに、知的快楽としての音楽体験が生まれるのである。この感覚をさらに育てるためには、まず基礎を「固定された型」として扱わず、「可動的な道具箱」として捉える姿勢が重要である。例えばスケールやアルペジオ、基本的な左手のフォームや右手のタッチは、それ自体が完成形なのではなく、状況に応じて組み替えられる素材であると理解することで、応用への視野が自然に開かれる。新しい曲に出会ったとき、その中にどの基礎要素が含まれているかを意識的に見つけ出すことで、未知は既知へと還元され、不安は探究心へと転化する。また、応用力を高めるためには「問いの質」を意識することが重要である。ただ正しく弾けるかどうかではなく、なぜこの運指なのか、なぜこの音域でこの響きが選ばれているのか、他の選択肢はあり得るのかといった問いを自らに投げかけることで、音楽は受動的な再現から能動的な思考対象へと変わる。この姿勢は、数学の問題を解く際に前提条件や構造を見抜こうとする態度と深く通じている。さらに、基礎と応用を架橋するためには、あえて小さな逸脱を試みることも有効である。テンポをわずかに変える、音色を意識的に変化させる、同じフレーズを別のポジションで弾いてみるといった行為は、技術的には些細でありながら、理解の地平を大きく広げる。こうした試みは、正解から外れることへの恐れを和らげ、音楽を「正しく弾く対象」から「対話する存在」へと変容させる。重要なのは、基礎と応用を対立的に捉えないことである。基礎とは安定であり、応用とは逸脱であるという二項対立ではなく、基礎そのものが常に新しい応用を内包していると理解することで、練習は直線的な積み上げではなく、螺旋的な深化となる。繰り返しの中で少しずつ見える景色が変わるとき、基礎はもはや退屈な訓練ではなく、創造性の源泉へと変わる。人生においても同様に、基礎を磨く時期は停滞ではなく、深い準備の時間である。今感じている「考える楽しさ」や「つながる感覚」を大切に育てることで、技術はやがて自己表現の器となり、演奏そのものが思考となる。そのときギターは、弾く対象ではなく、思考し、問い、創造するための静かな対話者へと変わっていくのである。フローニンゲン:2026/1/1(木)05:43


17962. 2026年最初の夢 

       

新年最初の夢は、見知らぬ土地を自転車に乗ってどこまでも走っていくものだった。自分は一人で長閑な景色を眺めながら楽しく自転車を走らせていた。隣に誰も人がいないということは全く気にせず、むしろそれは思考の対象にすらならなかった。出発点は街から始まり、街の郊外の長閑な風景を眺めながら新たな街に向かっていた。いずれの景色からも感覚を刺激する何かがあり、それは自分の学びの肥やしになっていた。


もう一つ覚えているのは、見慣れない教室にいて、後輩と修士論文に関する話をしていた場面である。彼はこれから修士論文を執筆しようとしており、計画書に関して執筆のし直しを先日指導教官から命じられ、ようやく計画書の承認が得られたところだった。すでに学期も終わりに近づいており、彼はここから一気に執筆に取り掛かる予定だったが、いかんせん始めての修士論文ゆえにどのようにして執筆していくのが一番効率的なのかについて自分に意見を求めていた。それに対して自分は親身に話を聞き、自らの経験に基づく助言を彼にした。すると、小中学校時代のある女性友達(HK)がやって来て、彼女はすでに修士論文を執筆したらしく、彼女からも一言だけ助言があった。彼らと修士論文の話をしていると、自分も再び修士論文が書きたくなり、近々大学院留学が再度実現することになったら、四回目の修士論文の執筆に取り掛かることができるので、それが楽しみでしょうがなかった。ワクワクとする高揚感の中で夢の場面が移り変わっていった。フローニンゲン:2026/1/1(木)05:53


17963. 2026年最初の夢の振り返り 

       

ブランダン・エイカー氏が紹介する昨日言及したウォームアップは、一見すると単純な三オクターブのEメジャー・スケール練習であるが、その内実はきわめて本質的であり、ギター演奏における身体感覚・認知・音楽性を統合的に鍛えるための優れた方法論であると言える。単なる指の運動ではなく、「指板全体を一つの空間として把握する感覚」を育てる点に、この練習の真価がある。まず重要なのは、「音名」ではなく「ポジション」で考えるという発想である。多くの学習者は音を一音ずつ追いかけるが、それでは視野が局所化し、指板全体の構造を身体で理解することが難しい。2ポジションから始まり、6ポジション、9ポジションへと移行するこの練習は、手の居場所を明確に意識させ、音が自然に指の下へ収まっていく感覚を育てる。これは暗記ではなく、空間把握としての理解であり、ギターを「点の集合」ではなく「連続した地形」として捉える感覚を養う。右手においては、レストストロークとm–iのシンプルな交互運動が指定されている点が重要である。複雑な奏法を排し、音の芯と支えを感じ取ることに集中することで、音色の密度と安定感が生まれる。レストストロークは弦に対する接触感覚を明確にし、音を「置く」感覚を育てるため、結果として弱音でも輪郭のある音が出やすくなる。ここでは速さよりも、音の質と持続感が重視されている。ポジション移動に関しては、「静かで、滑らかで、統合された動き」が強調されている。腕全体を一つのユニットとして使い、不要な力を一度解放してから次の位置に落ち着くという考え方は、緊張を最小化し、再現性の高い動作を可能にする。これは単なるテクニックではなく、身体知の洗練であり、長期的に演奏を続けるための基盤でもある。テンポ練習についても、メトロノームを用いて一音一拍から始める点が重要である。遅さは不完全さを露呈させるが、同時に最も誠実な教師でもある。二音、三連符、十六分音符へと進むのは、あくまで余裕が生まれてからであり、「できる速さ」ではなく「美しく制御できる速さ」が基準となる。この姿勢は音楽的成熟そのものを象徴している。三オクターブのスケールがもたらす最大の恩恵は、ネック全体が一つの有機的構造として身体化される点にある。音域間の断絶が消え、低音から高音までが一つの呼吸の中で結ばれるとき、演奏者は楽器に導かれるような感覚を得る。結果として、コントロール感、安心感、そして音楽的自由度が大きく向上する。この練習は短時間でも効果が高く、日々のウォームアップとして取り入れることで、演奏全体の質を底上げする。指の運動を超えて、身体・感覚・意識を統合する行為として、このスケール練習は極めて本質的であると言える。ギターという楽器を「部分の集合」ではなく「ひとつの生命体」として感じ取るための、静かで深い入口なのである。フローニンゲン:2025/12/29(月)05:39


17964. 情報時代においてリアルな大学で学ぶ意義 

           

イギリスの伝統的な大学で再び学びを得ようとしている自分は、現代においてもはやオンラインで情報を得られるという主張に対して問題意識を持っているように思う。確かにオンラインで様々な情報にアクセスできるようになったが、学術研究の世界においては、以前としてオンラインでは得られない豊かな智慧がリアルな大学に存在している。オンラインで情報が得られるからいいと述べるのはどこかパウロ・フレイレが指摘した銀行型教育の現代版のような発想が見られる。オンラインという銀行口座にいつでもアクセスでき、オンラインから一方的に情報がもたらされるような発想である。現代において、オンライン環境の発達は知識へのアクセスを飛躍的に拡張した。論文、講義動画、一次資料に至るまで、かつては特定の大学や研究機関に属さなければ触れ得なかった知が、今や場所を問わず手に入る。この事実だけを見れば、「もはや大学に通う必要はない」という主張が生まれるのも自然である。しかし、イギリスの伝統的な大学で再び学びを得ようとしている自分の内側には、そのような見方に対する明確な違和感が芽生えているように思われる。その違和感の根底には、「知とは情報の集積ではない」という感覚がある。オンライン環境が提供するのは、あくまで断片化された情報であり、それらをどう問い、どう統合し、どの文脈で意味づけるかという営みは、依然として人と人との関係性の中でしか深まらない。学術研究とは、単に知識を所有することではなく、思考の作法を身体化し、問いの立て方そのものを鍛える営みである。そのプロセスは、同じ空間を共有し、沈黙や緊張、戸惑いまでも含めて思考を交わす場においてこそ育まれるものである。ここで想起されるのが、パウロ・フレイレが批判した「銀行型教育」である。知識をあらかじめ完成したものとして貯蔵し、学習者はそれを受動的に引き出す存在にすぎないという発想は、まさに現代の「オンライン万能主義」に重なって見える。検索すれば答えが出る、動画を見れば理解できるという発想は、学びを消費可能な情報へと還元してしまう危うさを孕んでいる。そこでは、問いが生成される以前に、答えが流通してしまうのである。一方、伝統的な大学、とりわけイギリスの学問文化が重んじてきたのは、知の即時的な獲得ではなく、思考の熟成である。チュートリアルやセミナーにおいて、教員や仲間との対話を通じて自らの前提が揺さぶられ、言葉にならない違和感を抱え込みながら考え続ける。その過程そのものが知となり、人格の深部に沈殿していく。そこでは知は「得るもの」ではなく、「生きられるもの」として立ち現れる。ゆえに、オンラインで情報が得られる時代にあっても、リアルな大学が持つ意味は失われていない。それどころか、情報が氾濫する時代だからこそ、知を選び取り、咀嚼し、自己の生の文脈へと統合する場としての大学の価値は、むしろ高まっているように思われる。そこでは学ぶ者自身が、問いそのものへと変容していくのである。このように考えると、イギリスの大学で再び学ぼうとする自分の志向は、単なる資格取得や知識収集ではなく、知と存在の関係を深め直そうとする試みであると言える。それは、情報が即座に消費される時代において、あえて時間をかけて思考し、他者とともに知を生き直そうとする静かな抵抗であり、同時に未来への希望でもあるのである。フローニンゲン:2026/1/1(木)07:51


17965. ダイナミックスキル理論から見るギター技術の向上の道 

         

カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論に立つならば、ギター技術の向上において「具体的な曲を演奏すること」が極めて重要であるという見方は、きわめて妥当であると考えられる。なぜなら、スキルとは抽象的能力として頭の中に蓄えられるものではなく、常に「ある文脈の中で、ある課題に向き合う行為」として生成されるからである。すなわち、スケール練習や運指練習といった基礎も、それ単体で存在するのではなく、特定の音楽的文脈の中で意味を持つときに初めて、生きたスキルとして組織化されるのである。ダイナミックスキル理論では、発達とは段階的に積み上がるものではなく、状況依存的に揺れ動きながら再構成されていく過程と捉えられる。ある課題では高い水準のスキルを発揮できても、別の文脈では初歩的な段階に戻ることもある。これは後退ではなく、むしろ新しい統合が始まっている兆候である。ギターにおいても、基礎練習では安定していた運指が、新しい曲になると急に不安定になることがあるが、それは新しい文脈に適応しようとする過程であり、発達が生じている証拠である。この観点から見ると、具体的な楽曲に取り組むことは、単なる応用練習ではなく、スキル生成そのものの中核に位置づけられる。楽曲は、リズム、音程、運指、フレージング、音色、身体感覚といった複数の要素を同時に要求する複合的課題である。その中で演奏者は、どの要素に注意を向け、どの要素を一時的に背景化するかを瞬間ごとに選び取っている。この「焦点の移動」こそが、ダイナミックスキル理論における発達の駆動力である。さらに、曲を弾くことは、単なる技術訓練ではなく意味生成の営みでもある。音楽には構造があり、方向性があり、感情的な流れがある。それらを身体で理解しようとする過程で、技術は目的を持った行為へと変わる。すると練習は反復作業ではなく、「このフレーズはなぜここでこう響くのか」「この運指はどのような表現を可能にしているのか」という問いを含んだ探究へと変容する。このとき、基礎練習は単独で存在するのではなく、曲の中に再編成され、意味を帯びたスキルとして再統合される。また、具体的な曲に取り組むことは、スキルの「可塑性」を高める。異なる調性、テンポ、拍感、音域に触れることで、同じ技術が多様な形で再利用されるようになる。この再文脈化こそが、スキルを固定化から解放し、柔軟で応用可能なものへと変える。言い換えれば、曲はスキルの「試験場」であると同時に、「再創造の場」でもある。人生全体の学びに照らしてみても、この構造は共通している。人は抽象的な理論だけでは成長せず、具体的な状況の中で試行錯誤することでのみ、自分の力を実感的に獲得していく。ギターにおいて曲を弾くことは、まさにその縮図であり、基礎と応用、思考と身体、意図と感覚が統合される場である。したがって、基礎力を高めたいのであれば、基礎に閉じこもるのではなく、あえて曲という生きた文脈に身を置くことが最も自然で力強い道であると言える。このように考えると、曲を弾くことは「応用」ではなく、「発達そのもの」である。そこでは常に新しい自己が立ち現れ、ギターは単なる楽器ではなく、自己の成長を映し出す鏡となる。そのプロセスを信頼し、丁寧に味わうことこそが、技術と表現の双方を深めていく最良の道である。フローニンゲン:2026/1/1(木)09:53


17966. ギターの練習を通じた身体の最終の非対称状態について

                                     

ギターをストラップで掛け、右肩から回す形で構える場合、身体は構造的にわずかな非対称状態に置かれていると考えられる。特にクラシックギターやフットスツール、あるいは右脚支持型の姿勢では、骨盤・胸郭・肩甲帯が連動して微細な捻れを生じやすく、演奏中は本人が自覚しないまま左方向への回旋が固定化される傾向がある。したがって「左に少し捩れている」と感じる感覚は、単なる主観ではなく、身体構造上きわめて自然な認識である可能性が高い。この状態は直ちに悪いものではない。演奏という高度に分化した運動は、必然的に非対称性を伴うからである。問題になるのは、その非対称が長時間・反復的に維持され、身体全体のバランス調整機能が働かなくなることである。特に、胸椎から腰椎にかけての回旋固定、右肩甲骨の軽度挙上、左腰部の短縮などは、気づかぬうちに蓄積しやすい。これが続くと、演奏時の自由度が下がるだけでなく、音色の硬化や呼吸の浅さにもつながり得る。その意味で、休憩時間にあえて右方向へ体を捻る動作を取り入れるという発想は、きわめて理にかなっていると言える。ただし重要なのは、「左右を均等にする」という機械的発想ではなく、「身体の可動域を回復させる」という視点である。演奏中に生じる捻れは、静止ではなく動的な緊張であり、それに対抗する動きもまた、穏やかで呼吸と連動したものである必要がある。例えば、立位または椅子に浅く腰掛けた状態で、息を吸いながら背骨を軽く伸ばし、吐く息に合わせて右へゆっくり回旋する。このとき、無理に最大可動域を目指すのではなく、背骨一つ一つがほどけていく感覚に注意を向けることが重要である。さらに、肩だけを回そうとせず、骨盤・肋骨・肩甲骨が連動して動く感覚を味わうことで、演奏中に固まりやすい部位が再統合されていく。また、このような左右差の調整は、単なる身体メンテナンスにとどまらず、演奏の質そのものにも影響を与える。身体の中心軸が回復すると、右手のタッチは過度な力みから解放され、左手の運指も「押さえる」から「触れる」に近づいていくだろう。結果として、音は軽やかさと深みを同時に帯びるようになるはずだ。この変化は、テクニックの上達というより、身体の使い方が洗練された結果として自然に現れる。さらに興味深いのは、こうした身体調整が認知や集中の質にも影響を及ぼす点である。身体の左右バランスが整うと、注意の偏りも和らぎ、音楽全体を俯瞰する余裕が生まれる。これは、ダイナミックスキル理論の観点から見れば、身体的基盤の再編成が認知的スキルの再編成を支えている状態であると言える。すなわち、身体の再調整は、演奏技能そのものの発達を下支えする不可欠な条件なのである。人生全体に引き寄せて考えるならば、偏りは必ずしも悪ではなく、集中の結果として自然に生じるものである。しかし、その偏りに気づき、意識的に揺り戻す時間を持つことで、より自由で持続可能な在り方へと移行できる。ギターを弾く身体を整えることは、単なる健康管理ではなく、表現の器を調律する行為であり、その積み重ねが、音楽と自己の関係をより深く、しなやかなものへと導いていくのである。フローニンゲン:2026/1/1(木)14:19


Today’s Letter

A new year has begun. I can feel myself gradually shifting from being an explorer to someone who deeply embodies learning. This year will accelerate that process. Groningen, 1/1/2026

 
 
 

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