【フローニンゲンからの便り】17466-17469:2025年10月2日(木)
- yoheikatowwp
- 10月4日
- 読了時間: 13分

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タイトル一覧
17466 | 成人発達理論とリーダーシップ開発を架橋した論文を読んで |
17467 | 今朝方の夢 |
17468 | 今朝方の夢の振り返り |
17469 | 註釈論文の着実な進展/書籍の打ち合わせを終えて |
17466. 成人発達理論とリーダーシップ開発を架橋した論文を読んで
時刻は午前6時半を迎えた。今の気温は6度と低く、今日の日中の最高気温は17度である。午後にジムに行く際にはスウェットを羽織っていく必要がありそうである。昨日、現在協働して書籍の執筆をしている知人の瀬田千恵子さんから“The Aware Leader: Supporting Post-Autonomous Leadership Development”という論文を勧めていただき、論文のPDFをいただいた。早速昨日この論文に目を通してみた。この論文は、JFK時代の友人も在籍しているPacific Integral(PI)という組織が15年間にわたって実施してきた「Generating Transformative Change(GTC)」プログラムの研究と実践を基盤として、リーダーシップ開発を成人発達理論の観点から考察するものである。序論では、今日のリーダーに求められる複雑性への対応、心の成熟度、そして実践的力量の必要性が高まる中で、発達的アプローチが有効であることが強調される。著者たちは特に、スザンヌ・クック=グロイターの発達理論における戦略家段階(4.5 Strategist)から構築自覚段階(5.0 Construct Aware)への移行に注目し、その発達的課題と可能性を描き出している。成人発達研究の知見によれば、人間は発達段階を通じて自己同一性や関心の範囲を拡大し、複雑さへの耐性を高め、二項対立を超えた両立的思考や相互浸透的思考へと成長する。この発達のプロセスはリーダーシップに直結し、複雑で相互依存的な現代社会において、多様な視点を取り込み、自己を道具として活用する力を育む。研究はまた、発達段階がリーダーシップの効果性やパフォーマンスと強く相関することを示している。PIのGTCプログラムは9か月間にわたり、合宿型リトリート、コーチング、実践課題を組み合わせて展開され、参加者は多様な国籍や職種から集まる。カリキュラムは成人発達理論、インテグラル理論、対話的実践、身体性・意識のトレーニング、シャドーの統合などを網羅し、単なるスキル習得ではなく内的能力の拡張を目的とする。ここで重要なのは、プログラムが「未来からの呼び声」に耳を澄まし、個人や集団が次に進むべき発達的段階を発見するための「インキュベーター」として機能する点である。また、発達研究と並行して行われたアクションリサーチにより、GTC参加者は従来の研究では稀であった発達の後期の段階(StrategistやConstruct Aware)への移行を示すことが確認された。特に過去9年間のデータでは、参加者の84%が戦略家段階以上に達しており、構築自覚段階に成長する割合も大きく増加している。この結果は、GTCが高度な発達段階にあるリーダーに適しており、かつ彼らの成長を加速していることを示唆すると論文は述べる。さらに、テリー・オファロンによるSTAGESモデルの導入は、発達理論に新しい精緻さを加えた。STAGESは発達段階を「意識対象の種類(具体・微細・メタ意識)」「個人/集合の志向」「学習様式」という3つのパターンから構造的に説明する。これにより、従来のカテゴリー的理解を超え、発達の基盤にあるリズムを明らかにした。本論文は、このモデルを通してリーダーシップ発達の全体像をより深く理解する道を提示している。後編では、特に戦略家(4.5)から構築自覚(5.0)への移行の特徴と課題が詳細に検討される。戦略家段階では、複雑なシステムや意味づけのプロセスを理解し、変革を推進する意欲に満ちている。しかし、構築自覚段階に移行すると、自己や世界のあらゆる構成性が透徹して認識され、従来のモデルや枠組みに懐疑的になる。ここでは「受容的姿勢」が前面化し、自己の行為主体性に疑問が生じ、方向性を失ったかのような感覚が生まれる。この大きな転換は、しばしば臨床的病理と誤認されるほどの混乱を伴うが、実際には新しい自己感覚の誕生である。構築自覚段階のリーダーには、いくつかの独自の資質が備わる。第一に、すべての境界や文化的前提が構築物として見えるため、現実を柔軟に再定義し、境界を動かしながら創造的にリーダーシップを発揮できる。第二に、「あるがまま」を深く受容する態度から、葛藤や不確実性の中でも落ち着いて存在し続ける力が養われる。第三に、未知に開かれ、未来を共に創発する敏捷性が発揮される。さらに、無意識やシャドーへの感受性、広大な空間的視野と深い時間感覚を持つことも特徴的である。一方で、この段階には固有の落とし穴も存在する。自己の動機を絶えず疑い、コミットメントを避ける傾向や、従来の集団との意思疎通に困難を覚える点などである。また、文化的にも稀少な段階であるため、理解者や支援コミュニティを欠くことが孤立感を強める。しかし著者たちは、これらの挑戦は発達上の自然なプロセスであり、時間と適切な環境によって統合が進むと強調する。倫理的観点も重要である。発達支援の実践は「高次の段階を理想化しない」「成長に無理な方向づけをしない」という原則のもとに行われなければならない。また、発達の後期の段階にあるリーダーは、同段階の仲間とのコミュニティを築くと同時に、初期の段階との架橋を担う責任を負う。そのためにはシャドーの統合、初期段階のスキルの再習得、癒しのプロセスが必要である。結論として、本論文は「アウェア・リーダー」とは究極的には「純粋な気づき」そのものであり、進化のビジョンに呼応し、全体性と統合を志向する存在であると定義する。メタ意識的リーダーは、人類史において新しい発達段階を切り開く存在であり、その実践は未成熟であるがゆえに創造的である。この未踏の領域を切り開く営みは、現代社会が直面する複雑性に対応するための希望でもあると言えるだろう。この論文はいつかゼミの中で課題文献として取り上げるかもしれない。それくらいに示唆に富むものだった。フローニンゲン:2025/10/2(木)06:44
17467. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、あるヒーラーの知人の方と日本で卒業した大学のキャンパスの中を歩いていた。その方は微笑みを浮かべて、「これからチグリス・ユーフラテス川に歩いて向かって、大陸を横断してこようと思ってるんです」と述べた。私はそれを聞いて仰天した。今いる東京からメソポタミア文明が誕生したチグリス・ユーフラテス川まで一体どれくらいの距離があるのだろうと気が遠くなったのである。しかしその方は平然とした顔を浮かべていて、飄々(ひょうひょう)としていた。何やらその地に巡礼に出かけ、エネルギーを分けてもらってくるとのことだった。キャンパスの門に向かって歩いていると、その方があるプレゼントを渡してくれた。それはエネルギーが込められた鉢巻で、日本を象徴する赤い丸が2つ描かれており、その間に黄色いドラゴンが描かれていた。それを有り難くいただき、門を出ようとすると、デロイト時代のある先輩のメンバーの方が、自分もチグリス・ユーフラテス川に歩いていきたいと思っていたと述べたので驚いた。一体何がそれほどまでに2人を惹きつけるのだろうと疑問に思った。そしてもう1人別のメンバーの方も現れ、その方と一緒に世界史の資料集を取り出して、チグリス・ユーフラテス川について調べてみることにした。しかし、資料集には巡礼にまつわる特に重要な事柄は書かれておらず、そこがパワースポットだと知っている人はごく少数のようだった。キャンパスの門から外に出ると、バスが来ていたのでそれに乗ることにした。キャンパス内も珍しく混んでいたが、バスもかなり混んでいて、人波に押されるようにして前の方に立つことにした。
もう1つ覚えているのは、高校時代のあるクラスメートの女性友達と一緒に共著で書籍を執筆することになった場面である。すでに私たちは各自のパートの文章を執筆し終え、編集者の方に原稿を見せることにした。すると、他の生徒たちもいる教室の中でその若い男性の編集者が、自分のパートは手放しに褒めながらも、彼女のパートに関して手厳しい評価をし、彼女を嘲笑するような言葉も述べた。私はそれを見て見ぬふりができず、彼女の味方になって彼女を擁護することにした。実際に、彼女が書いた原稿は自分から見ると素晴らしい内容で、その編集者の男性が批判するようなものではなかったのである。編集者のその男性は、私がどれだけ即興的に思考を巡らせることができるかをその場にいた人たちに示すために、20問の問いをカードを1枚ずつ読み上げながら質問してきた。私は確かにそれらの問いの全てに即興的かつ洞察を盛り込みながら回答することができ、その方は私をまた褒めた。彼女も同じ問いを与えられようとした時に場面が変わり、数歳ほど歳が離れた2人の姉妹を目撃する場面が現れた。姉は能力的にとても高く、妹はそんな姉と一緒に同じ活動をしたいと思っているようだったが、彼女の両親は体調が優れないようで、姉が面倒を見る必要があり、妹の願いは叶わないようだった。しかし、姉も本当は妹と一緒に同じ取り組みをしたいと心の願っているようだったが、それを顔に出さないように努めていることを察した。フローニンゲン:2025/10/2(木)07:12
17468. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢は大きく2つの幕を持って展開している。1つは「巡礼と贈与」の幕であり、もう1つは「言葉と評価、そして姉妹の葛藤」の幕である。前者は宇宙的・文明的なスケールを持ちながら個人的な使命感や贈与の象徴を強く示し、後者は協働作業における倫理性や評価の不条理、さらには姉妹の関係性を通じて「支えること」と「共に在りたいと願うこと」の緊張を表現している。まず「巡礼と贈与」の場面において、大学キャンパスは知的形成の場であると同時に、そこから外界へ旅立つ起点として現れている。その知人ヒーラーが「チグリス・ユーフラテス川に向かって歩いて大陸を横断する」と述べる姿は、常人には無謀に映る超越的な決意を象徴している。古代文明の発祥地への巡礼は、起源に遡って生命力や叡智を直接受け取ろうとする意志であり、歴史の深層に潜む「生命の泉」に触れようとする試みである。それが淡々と語られるのは、神秘的な道を歩む者の自然体の姿を示すものである。その際に渡された「赤い丸が2つと黄色い龍が描かれた鉢巻」は、日本的な象徴と宇宙的な霊力の融合であると言えるかもしれない。赤丸は日の丸を連想させ、2つであることは二重の太陽、すなわち2つの生命力や2つの心の統合を意味する。黄色い龍は変容と守護のシンボルであり、内面的な旅の守り神としての役割を果たしている。これは自己が自らのルーツと宇宙的な使命を繋ぐ象徴的な贈与を受け取ったことを意味するのではないかと思う。そこへデロイト時代の先輩が現れ、同じく「その川へ歩いて行きたい」と述べるのは、個人の精神的な探求が他者にも連動して響き、共同的な巡礼意識を生み出すことを示す。さらに別の仲間が「世界史の資料集」を開くが、そこに特別な記述が見つからないのは、真正な巡礼の知は書物には記されず、実際に歩む者のみが体験として得られるものであることを示唆している。最後にバスに乗り込む場面は、個人的な旅が社会的な流れ、すなわち群衆の中に再び回帰することを表しており、孤高の探求と社会的な営みとの往還が強調されている。次に「言葉と評価」の幕に移る。ここでの共同執筆は、自分が他者と共に創造を担う姿勢を象徴している。編集者が女性の友人を不当に貶めるのは、権力や評価の場に潜む不正義を浮かび上がらせる構図である。自分がそれを見過ごさず擁護するのは、正義感や友情に根ざした姿勢の表れであり、同時に他者の価値を守るという倫理的使命感を示している。その後に課された20問への即興的な回答は、自分が持つ思考の柔軟性と創造的洞察を象徴するテストであり、「知の舞台」において自らの能力が認められる場面である。しかし、この試験的な成功は同時に「本来守るべきものは評価ではなく、仲間の尊厳である」という裏のメッセージを含んでいる。姉妹の場面は、この構造をさらに深める象徴である。姉は能力を発揮しながらも両親の介護のために自らを犠牲にしており、妹は共に活動する夢を抱きながら叶えられない。これは「能力を持ちながら、愛ゆえに制約を引き受ける姿」と「共に在りたいという純粋な願い」の葛藤を描いている。表には出さずとも姉が妹と共に歩みたいと願っていることは、自分の深層にも「共に成し遂げたい」という抑えられた情熱が潜んでいることを映し出している。全体としてこの夢は、起源への巡礼と贈与、協働創造における倫理、姉妹の象徴的な葛藤という3つの層で展開している。自分にとっての人生的意味は、「真の知と力は外部の権威や記録にはなく、実際に歩む経験と仲間を守る勇気に宿る」ということである。さらに、個人の使命と共同体への責任は分離できず、両者の間で揺れ動きながらも、その緊張の中で人は成熟していく。つまり、この夢は自分に対し、孤独な巡礼者であると同時に仲間や家族と共に歩む支え手であれ、と告げているのである。フローニンゲン:2025/10/2(木)07:28
17469. 註釈論文の着実な進展/書籍の打ち合わせを終えて
時刻は午後4時半を迎えた。穏やかな夕方の光がとても心地良い。もう最近はジムに行っても大して汗をかかなくなった。もちろん行きに準備運動がてらジョギングをしているので、ジムに行ってからのトレーニングでも汗はまだじんわりとかくこともあるが、ここからはもうジョギングをしていてもジムでのトレーニングでは汗をかかなくなるのではないかと思う。来週はまた今週よりも若干気温が下がり、冬に入るのも間近だと思われる。
ここのところはほぼ毎日数時間ほど時間を取って、良遍の漢文文献に対する査読付き論文を投稿することに向けて執筆が捗っている。今日は、『唯識般若不異事』の註釈論文の執筆の原稿を書き上げた。来年から仮にイギリスの大学院に進学することができたら、そこでの4回目の修士論文の執筆は、良遍の作品に対する註釈論文を執筆しようと思っているし、博士論文もまた註釈論文の形を採用する。最初は漢文を英語に翻訳することや、翻訳されたものに対する註釈に慣れないこともあったが、これもまた1つのライティングに関するスキル領域のようで、今はもう随分と慣れた。その手順については少なくとも随分と習熟してきている。ここからも慢心せずに、日々少しずつ註釈論文の執筆を続けていきたい。自分の前には、まだまだ取り組みたい良遍の作品があるし、『唯識論同学鈔』という鎌倉時代までの選りすぐりの学問僧の叡智が結集した作品の翻訳にも取り組みたい。この大部については註釈を施しているとそれだけで人生が終わりそうなため、今のところは翻訳プロジェクトとして位置付け、全体の解説を執筆することにとどめたいと思っている。いずれにせよ、こうしてまだまだ取り組みたい文献が山積みであることは、自分の生き甲斐であり、幸福感の源泉である。明日からは、『自行思惟』の註釈論文の完成に向けて取り組んでいこうと思う。
今日は午前中に、英治出版さんとの打ち合わせがあった。人の視座をテーマに成人発達理論と絡めた書籍を執筆しようとしており、今日は3度目の打ち合わせとなった。これまで積み重ねてきた打ち合わせのおかげで、テーマが明確になり、今日の打ち合わせを通じて構成がより明確なものになった。改めて、書籍を執筆する際の文脈設定の重要性を学ばせてもらったことは大きく、外堀を埋めていくことを意識した構成にすることにした。打ち合わせ後、記憶が新しいうちに早速企画書の構成案を練り直した。今日の打ち合わせでいただいたコメントは全て反映し、さらに自分でも工夫を凝らせる箇所がいくつかあったので、それを反映した新しい構成案を作った。一旦この構成案を寝かせて、しばらくしてからまた構成案を見直したいと思う。構成案が固まれば、企画書のその他の箇所も今回の修正をもとに内容を改めて行きたいと思う。もしこの企画が通れば、今年から来年にかけては随分と多くの書籍を世に送り出す機会に恵まれる。今回の書籍だけではなく、能力の評価についても書籍を書きたいという思いがあり、仮に来年の秋からイギリスの大学院に進学することになったら、その前に能力の評価に関する書籍も執筆し終えたいと思う。フローニンゲン:2025/10/2(木)16:45
Today’s Letter
The weather in my inner world remains bright regardless of the conditions outside. This brightness stems from my gratitude for everyone and everything. I feel I should radiate the world with this inner light. Groningen, 10/02/2025

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