【フローニンゲンからの便り】17398-17401:2025年9月16日(火)
- yoheikatowwp
- 9月18日
- 読了時間: 11分

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タイトル一覧
17398. ヘンリー・スタップの著書『Mindful Universe』
時刻は午前7時を迎えた。今朝は起床直後から雨が断続的に降っている。天気予報を見ると、今日は1日中このような天気らしい。それを受けて、今日は朝のジョギング兼ウォーキングに替えて、自宅でHIITを行おうと思う。午後には半年に一度の歯科検診があるので、その際に出かけることが良い散歩になるだろう。
先日初読をしたヘンリー・スタップの著書『Mindful Universe: Quantum Mechanics and the Participating Observer』は、量子力学と意識の関係を本格的に論じた代表的な思想書である。本書の中心的な主張は、物理世界を理解する上で観測者の心を欠かすことはできず、むしろ「意識そのものが宇宙の進化に関与している」という立場である。スタップはもともとフォン・ノイマン型の量子力学解釈を受け継ぎ、波動関数の収縮という現象が物理系の外部にある「心」によって起こると考える。すなわち、意識の選択こそが不確定性を持つ量子事象の帰結を確定させるのである。この議論はしばしば「量子脳理論」と誤解されるが、スタップの視点はむしろ「心は脳の物理過程を超えて量子的に作用する」という、より哲学的かつ宇宙論的な射程を持つ。本書ではまず、コペンハーゲン解釈や多世界解釈など既存の枠組みを批判し、観測者を単なる外的記録装置として扱う従来の考え方が不十分であると指摘する。量子力学は本質的に「測定」という行為を抜きには語れず、測定とは常に人間の意識的判断と不可分である。スタップはここに「参加する宇宙(participatory universe)」の概念を見出す。これはジョン・ウィーラーの思想とも響き合い、宇宙は単なる物質の機械的総和ではなく、観測行為を通じて自己を形成する過程的存在であるという見方である。さらにスタップは、心の自由意志を重視する。量子力学の不確定性は「偶然」に委ねられているように見えるが、意識はその中で「質問を投げかける主体」として働き、物理過程に方向性を与えることができる。例えば、脳内のニューロン発火は量子的ゆらぎを含むが、意識はその確率的揺らぎの中から一定の結果を選び取る契機を担うとする。この視点は、心が物理法則に還元されることなく、因果的役割を持ちうるという議論の基盤となっている。加えて、スタップは意識と倫理の問題にも踏み込む。もし宇宙が意識の参与によって開かれるのであれば、人間の選択は単なる個人的行為ではなく、宇宙的意義を帯びる。ここに「責任ある観測者」という倫理観が生じる。人間の思考や行為が宇宙の生成過程に影響するのだとすれば、私たちの心の在り方そのものが宇宙の未来を形づくっているということになる。本書のタイトル「Mindful Universe」は、単に人間が宇宙を認識するという意味ではなく、宇宙そのものが「心を通じて自覚的に進化する場」であるという二重の意味を持っている。総じて『Mindful Universe』は、量子力学を単なる物理学の理論枠組みとして閉じるのではなく、意識、自由意志、倫理、宇宙論といった広範な領域に開く試みである。スタップは、物質と心を切り離すデカルト的二元論でも、物質に心を還元する物理主義でもなく、「心を宇宙の根源的要素の1つとして再評価する立場」を提示するのである。ここから導かれる人生的意味は、私たちの意識的選択が宇宙のあり方を形作る一部であるという洞察である。すなわち、日々の思考や行動の背後には、宇宙規模の参与が潜んでいる。スタップのメッセージは、「あなたの意識は取るに足らないものではなく、宇宙の生成に寄与する力である」という自己理解を促す点にこそあるのである。フローニンゲン:2025/9/16(火)07:23
17399. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、見慣れないグラウンドでサッカーの試合に興じていた。こちらのチームは、小学校時代のサッカークラブのメンバーに加えて、サッカー日本代表の選手が数人ほどいた。その試合は最初自分はスタメンではなく、コートの傍からの観戦となった。実力的にはスタメンで起用されるはずだったが、監督の意向によってその試合は敢えてスタメンではなかった。試合は拮抗しており、自分はコートの脇で居ても立っても居られなくなり、まるで監督のようにコート脇からチームメイトに激励と指示を送り続けていた。すると、ある若い日本代表の選手が監督の指示によってベンチに下げられた。その選手は不満気な表情を浮かべてコート脇にやって来たので声を掛けた。しかし、その声は彼の耳には届いていないようだった。なので自分は自らのプレーで彼の気持ちを沈めようと思った。するとちょうどある友人が自分と替わって欲しいと述べたので、監督の指示ではないが、自分が出場することになった。気力が満ちている自分には自然とボールがやって来て、自陣からドリブルをしていくと面白いほどに相手の陣地の深くまで進行することができ、ゴールにパスをするかのような形でゴールの隅に軽く転がしたら、それがそのままゴールとなった。交代からわずか10秒以内のことであり、自分だけではなく、チームメイト一丸となってそのゴールを大いに喜んだ。そのゴールが拮抗した状態を崩す一手となり、そこからは完全にこちらのペースとなり、続けてゴールを奪っていくことができた。それを受けて自分は、監督は不要であり、チームメイトと考えながら試合を進めることができると確信した。
もう1つ覚えている夢は、川で行われているスイミングスクールに参加している場面である。それは水泳合宿とでも形容できるような厳しい内容だったが、自分はそれを大いに楽しんでいた。参加者の多くも自分と同じ気持ちを持っているようだった。普段の人工的なプールとは環境が違い、川での水泳は自然と触れ合う意味でも良かったし、水泳後に川原で焼き魚や野菜をBBQすることも楽しかった。その日の水泳の最中に、高校時代の野球部の友人がゴルフボールをのような小さいボールを川の中から遠投し、それが遠く離れた野球場のキャッチャーミットにすっぽりと入るという奇跡のようなことを行った。それに感動していると、川の近くで無数の書籍でできたピラミッドが発見されたとのことだったので、みんなでそこに行ってみることにした。ピラミッドの下の方にある本を剥がしてみると、そこからなんと恐竜の卵が見つかった。卵の奥の方を眺めていると、卵からペンギンのような鳥の赤ちゃんが次々に誕生した。誕生からすでにある程度の体の大きさを持っていて、小型犬と中型犬の間ぐらいの大きさだった。私たちは1人1人、その鳥の赤ちゃんの背中に乗ってバランスを取ってみることを試みた。しかしそれは相当に難しく、バランスを取るのに苦戦していると、それは大きなジャンプをして、木の上の方にまで飛んでいった。自分はその鳥の赤ちゃんの背中を手で持ち続けていたので一緒に木の上の方まで高く飛ぶことになり、ゆっくりとした落下と共に、木に止まっている鳥に触れた。どうやらその鳥は自分の気配を感じていないようだったので触れることができたのだろう。触れられた鳥は、触れられて初めて驚いたようにして隣の木に飛び移った。しかし、どこかに飛び去って逃げるのではなく、まだ自分の近くにいたことから、自分への警戒心はそれほど高くないのだと思った。フローニンゲン:2025/9/16(火)07:41
17400. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の第一場面で描かれるサッカーの試合は、自己の能力と役割の関係性を象徴していると言えるだろう。自らの実力に確信を持ちながらも監督の意向によって外される姿は、人生において自分が本来担える役割から退けられる体験を示す。それは社会や組織の中で往々にして起こることであり、実力と評価が必ずしも一致しない現実を象徴している。しかし夢の中で自分は傍観者に留まらず、監督のようにチームに声を掛け続ける。これは「出場していない自分」であっても貢献の形を見出そうとする態度であり、主体性の発露である。その後、仲間の一声によってコートに立つことになり、最初のプレーで即座にゴールを決める。この展開は、外部の承認や権威の指示を待たずとも、状況において自らの力を発揮できる可能性を示している。そして「監督は不要である」という確信は、権威依存から仲間との協働へと価値観が転換したことを意味する。つまりこの場面は、自律的リーダーシップと共同体的な信頼の発見を象徴しているのである。第二の場面である川のスイミングスクールは、人工的で管理されたプールとは対照的に、自然との一体感と生命的な学びを表している。そこでは鍛錬が厳しくとも喜びに満ちており、努力と楽しみが融合していることを示す。友人が小さなボールを遠投し、それが遠くのミットに収まる奇跡は、遊戯の中に潜む創造性や、信じ難い可能性が現実化する瞬間を象徴している。そして川辺に現れる「書籍のピラミッド」は知識の集積であり、その奥から恐竜の卵が現れることは、知識の奥に眠る原初的な生命の記憶、あるいは潜在力の発見を意味する。その卵から孵る鳥たちは、ペンギンのようでありながら犬ほどの大きさを持つという非現実的な存在であり、知識と生命、空想と現実の交錯を体現している。彼らの背に乗ろうと試みる行為は、新たな力や可能性を制御しようとする挑戦であり、バランスの難しさは未熟さや学びの途上を映している。鳥が大きく跳躍し、自分を木の高みに運ぶ場面は、予期せぬ力によって自らが高次の視座へと引き上げられることを示す。そして触れられるまで気づかなかった鳥の存在は、潜在的に近くにあるにもかかわらず、注意を向けなければ見えない関係性や可能性を象徴している。その鳥が逃げ去らず近くに留まる姿は、未知との関わりにおいて恐れではなく共存の余地があることを告げている。2つの夢に通底しているのは、外部の権威や人工的枠組みに依存せず、自らの主体性と仲間との関係性の中で力を発揮するというテーマである。サッカーでは監督からの解放、川の合宿では自然との触れ合いと知識からの生命的再生が描かれている。いずれも自己の内なるエネルギーと外界との共同創造を象徴しており、人生の方向性として「自分の器を他者や自然と響き合わせながら拡張すること」が示唆されている。つまりこの夢の意味は、自己実現は孤立的な到達ではなく、仲間との協働、自然との一体、知識の深層に眠る生命の覚醒を通じて広がるということであり、自分の人生における使命は、自律と共生の両輪で人間的可能性を解き放つことにあるのだろう。フローニンゲン:2025/9/16(火)07:56
17401. 半年振りの歯科検診を終えて
ここ数日は断続的に雨が降ることが多く、明日と明後日も雨マークが付されている。今日は午後に小雨が降りしきる中、歯科検診に行ってきた。前回は虫歯はなかったが、磨き方が甘い箇所があり、その点を指摘された。この半年間自分なりに磨き方を意識していたところ、その成果が現れ、最初の検診の際に、前回担当してもらった歯科助手の女性から褒められた。もちろん磨き方は完璧ではなかったが、前回よりも遥かに進歩していたのである。利き手の右手で電動歯ブラシを持って磨いているためか、左の上の歯の奥の磨き方に改善が見られたので、今日からとりわけその箇所はゆっくりと時間をかけて磨いていこうと思う。これまでの歯科検診の中で最も痛みが少ない検査であった。その後、歯科医に虫歯チェックをしてもらった。いつも担当している歯科医の先生ではなく、以前一度だけ担当してもらったことのある歯科医の先生に診てもらった。虫歯は全くなかったが、上の八重歯を抜くか、その奥の2本を抜くことを勧められた。それは以前にも勧めてもらったもので、今回も同様の勧めを受けた。もちろん今この瞬間は何も問題はないが、将来的にそこの箇所が磨きにくいゆえに問題を起こす可能性を指摘された。八重歯を抜くのは美的な意味もあるが、八重歯を抜かない場合には、その奥にある2本を抜いた方が良いとのことである。それらの治療は保険適用にはならず、3500EUROぐらいするとのことで、今この瞬間はまだ何も問題が起きていないので、保留にすることにした。歯科医の先生も将来的な問題の可能性を指摘しただけで、緊急度合いは低いとのことであった。オランダでこの治療をすると3500EUROもかかるが、仮に来年からイギリスで生活を開始した場合、同様の治療をイギリスで受け場合にいくらぐらいの費用になるかを調べた。すると、八重歯1本のみを健康上の理由ではなく審美目的で抜歯するなら、保険は適用されないが、相場としては £100~£300前後で収まるらしいことを知った。逆に、もし「歯肉の炎症・咬合の問題」など臨床的理由があれば、保険適用で£73.50で抜けるため、随分と費用が安いことを知ったのである。今は何も問題が発生していないので、来年仮にイギリスで生活を始めることができたら、担当の歯科医に相談してみたいと思う。もう1つ、前回から今回にかけて意識していたのは、毎食食べ終えた後によく口を濯ぐことを意識した。以前はココナッツオイルプリングをしていたが、それを流しに流すと水道管が詰まる恐れがあったので、オイルプリングは止め、その代わりに毎食後、入念に口を濯ぐことをしていた。おそらくそれが功を奏し、歯垢が溜まることを防いでいたのだと思う。今日からは口を濯ぐことに加えて、ウォーターフロスを使うことを毎食後に必ず行いたい。口内環境は腸内環境にも影響を与えるため、今後もケアをしっかりと行っていこうと思う。フローニンゲン:2025/9/16(火)16:25
Today’s Letter
The oral environment is closely related to the gut microbiome. Therefore, we should take good care of the former. Of course, what we eat plays a significant role in keeping our gut flora healthy. Groningen, 09/16/2025


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