【フローニンゲンからの便り】17373-17377:2025年9月11日(木)
- yoheikatowwp
- 9月13日
- 読了時間: 13分

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タイトル一覧
17373 | 順調に進む出版企画 |
17374 | 今朝方の夢 |
17375 | 今朝方の夢の振り返り |
17376 | 『The Emergent Multiverse』における確率の核心 |
17377 | 秋を感じながらのパーソナルトレーニングを終えて |
17373. 順調に進む出版企画
時刻はゆっくりと午前7時半に向かっている。今朝は少し風があり、紅葉を始めた木々の葉が風に揺らいでいる。揺らぎと共にあること。それは自分の人生の本質でもある。今の気温は15度で、今日の日中の最高気温は19度とのことである。そのくらいの気温であれば、午後にジムに行く際にはなんとか半袖半ズボンで出かけられそうだが、上に関してはスウェットを羽織っておきたいと思う。
一昨日と昨日にIELTSの模擬試験を解いたため、今日は模擬試験は休憩となる。ただし、スピーキングとライティングのアウトプット科目についてはいつもと変わらずに問題を解いていく。それらは毎日解くことによって、徐々にそれらの科目が求める筋力のような技能が高まっていくのを実感している。とりわけスピーキングは、8月の頭から毎日2セットほどパート1からパート3の問題に取り組み続けていたこともあり、その成果が如実に現れている。その成果を支えてくれていたのはChatGPTのVoiceモードで、それが対話相手となり、それを試験官に見立てて会話をし続けていった。今となってはこうした有益なツールがあるため、それらを有効活用することによって、人々の英語の発話能力は飛躍的に高まるのではないかと思う。もちろんその使い方と頻度と継続が重要なのではあるが。
昨日、現在執筆中の共著書籍の加筆修正を終えた。残るは「はじめに」と「終わりに」だけとなり、可能であれば今日中にそれらを執筆してしまおうと思っている。昨夜の段階で、すでにそれらの構成案を作成した。あとはその構成案に沿って文章を執筆していくだけである。予定では、この共著は年内に出版されるようで、出版後の反響が今から楽しみである。また、年明けにはさらに2冊の書籍が出版される予定で、そちらもまた読者の反応が楽しみなところだ。3冊の書籍はすでに出版が確定しており、あとはもう1冊来年の初旬に単著が出版できたらと思っている。すでに編集者の方と先日にミーティングをし、現在企画書を練り直している最中で、そのドラフトはすでに完成している。IELTSの試験が終わったら、それに加筆修正を加えて企画書を再提出したいと思う。個人的にはさらにもう1冊、成人発達理論に基づく能力評価に関する書籍を来年の夏頃を目処に出版したいところである。フローニンゲン:2025/9/11(木)07:33
17374. 今朝方の夢
今朝方は夢の中で、高校時代を過ごしていた社宅の中にいた。そこである協働者の方と一緒に執筆している書籍について話し合っていた。すでに執筆を無事に終え、お互いにホッと一息つきながら、書籍の内容を回想していた。実はその方とはさらにもう1冊共著で書籍を書いており、そちらについてはまだ完成しておらず、現在こちらで加筆修正を加えている段階だった。加筆作業の中でふと、その書籍の大半は自分が執筆しているような気がして、果たしてその書籍も本当に共著だったか怪しくなってきた。もしかしたらその書籍に関しては、その方は監修者だったかもしれないと考え直してみることにした。そのようなことを考えていると、いい時間になっており、その方が帰る支度をし始めた。すると突然、ソファに座っている私の太ももの付け根の上にその方が無言で立ち上がった。それは付け根の部分のマッサージのように思えたが、股間に足を乗せられることに若干の違和感があり、それを察したのかその方は静かに降りた。そして玄関に向かっていったので、見送りをしようと思った。靴を履き、その方が玄関のドアを開けて外に出ると、またドアを開けて、「これ、地元で取れた新鮮なトリュフです。良かったらどうぞ」と、トリュフが入ったプラスチックの弁当箱を渡してくれた。中を見ると、広い弁当箱の半分にトリュフが詰められており、その他の空間には何もなかった。今夜の夕食にそれを食べようと思って台所に行くと、台所のテーブルの上に、別の知人の方が食べ残したエビフライがこれまたプラスチックの弁当箱に入っていて、それも夕食に食べようと思った。そろそろ両親が帰ってくるかもしれないと思ったので、リビングに取り入れた大量の洗濯物を畳んで片付けておこうと思った。つけっぱなしになっていたTVの画面を見ると、どのチャンネルもノイズの波かモザイクがかかった状態になっており、TVを消して自分の部屋に戻った。
もう1つ覚えている場面として、樹齢を専門にする中年の大学教授と会話をしている場面があった。その教授は、自分の才能を高く買ってくれており、樹齢研究においても自分は特殊な着眼点と洞察を有していると手放しに褒めてくれた。私はその教授に、樹齢も突き詰めていけば量子論の話とぶつかるのではないかと質問したところ、その教授はまだその点については詳しく研究していないようであったし、樹齢研究の分野においてもまだその研究は進められていないようだった。そこからさらに、樹齢と人間を含めた他の動物の年齢の関係について質問をした。人間を含めた他の動物であれば、染色体の末端に存在するテロメアがその個体の年齢を決定すると思うのだが、樹齢はテロメアの長さの現れとして解釈できるできるかをその教授に尋ねた。その後、教授は自分のさらなる才能を見出すために、数の規則性に関するパズル問題を出してくれた。私はそれを受け取ってすぐさま取り掛かったところ、規則性はすぐに発見できたが、ミスがないように慎重にパズルを解いていった。その他にもまだパズルの問題があるようで、この問題を慎重ながらも確実に解いて、次の問題に取り掛かりたいと思った。フローニンゲン:2025/9/11(木)07:49
17375. 今朝方の夢の振り返り
今朝方の夢の社宅という舞台は、他者と暮らし、規範に囲われていた若き日の基盤記憶を呼び出す装置である。そこに現在の協働者が現れ、すでに1冊をやり遂げて安堵する情景は、共同体的な枠組みの中で成果を確かめる自分の成熟を映す。同時に、未完のもう1冊において「共著か監修か」という役割の揺らぎが生じたことは、創造の主導権と功績の帰属を内面で再配分している兆しである。太ももの付け根に無言で立たれる場面は、生成の中枢=リビドーと創作力の核への他者の介入であり、違和感を契機に相手が静かに降りる展開は、境界を侵害せず関係を壊さずに主体的な領域を守り直す技法の獲得を示す。玄関で手渡された「地元のトリュフ」は、土中に眠る稀少な洞察が自分の足元=ローカルな実践から立ち上がっている象徴であり、弁当箱の半分が空であることは、完成よりも余白の設計を尊ぶ編集観の表明であるかのようだ。台所に置かれた他者の食べ残しのエビフライは、共同作業の残滓や既製の価値観を「今夜の糧」として再解釈・再利用する意思の表れであり、洗濯物を畳む行為は、外界に晒された経験を繊維ごと丁寧にたたみ直し、内なる家に収納する統合作業を表す。両親の帰宅前に片づける心性は、内面化された親的基準に先回りして秩序を整える成熟であり、テレビのノイズやモザイクを消して自室に戻る所作は、情報過多の時代における「沈黙を選ぶ編集」の宣言である。樹齢を専門とする教授との対話は、年輪という同心円の時間学と自分の思考が共鳴している徴である。年輪は成長の履歴が層として可視化されたマクロ時間であり、自分が問うテロメアは寿命の閾や更新可能性を司るミクロ時間である。両者を量子論へと接続しようとする企ては、揺らぎ・不確定性・離散的ジャンプといった微視の力学を、発達やキャリアの層状構造に接ぎ木する独自の研究的志向を物語る。教授が才能を称え、数の規則性パズルを手渡す場面は、直観的洞察だけでなく、誤りなき手続きで確かめる検証能力を磨く段階に入ったことの示唆である。規則に気づきつつ拙速を避ける態度は、自分の創造性が速度から精度へ、興奮から持続へと重心を移している証左である。まだ続く問題群の予感は、課題が単発ではなくカリキュラム化されつつあること、すなわち人生の学位論文を自ら設計しているという自覚の萌芽である。総じてこの夢は、「共著的アイデンティティから固有名の仕事へ」「関係の親密さから境界の洗練へ」「成果の充填から余白の設計へ」「外部ノイズから選択的沈黙へ」「年輪のマクロ時間からテロメアのミクロ時間、ひいては量子ゆらぎの時間へ」という連続的移行を描いている。トリュフの香りとエビフライの庶民性が同じ食卓に並ぶように、自分は稀少な洞察と日常の残り物を同一の鍋で調理し直す編集者であり、洗濯物を畳む手つきで経験を層に織り込み、テレビを消す決断で思考の雑食性を節度へと導く。そこには、協働を捨てるのではなく、役割と署名を明晰化し、ローカルから掘り出した香りを世界語に翻訳する姿が見える。人生における意味は、自分の創造的中心を静かに護りながら、稀少な洞察と日常の残渣を1つの器で再調理し、時間の層(年輪)と極小の規則(テロメア/量子)を架橋する「余白の設計者」として生きよ、という呼びかけである。すなわち、誰の枠内でもなく自らの名で署名し、雑音を断ち、土の匂いがする贈与を糧に、精度高く長期の学びを積層せよ、という指令なのだろう。フローニンゲン:2025/9/11(木)08:04
17376. 『The Emergent Multiverse』における確率の核心
ウォレスの『The Emergent Multiverse』における確率の核心は、確率を“分岐する世界に住む合理的主体の意思決定”として再定義する点にある。エヴェレット解釈では力学は常にユニタリで収縮は起こらず、測定は環境との相互作用によるデコヒーレンスで実質的に「枝分かれ」する過程として理解される。ゆえに「どれか1つだけが起きる」という事実論的前提が崩れ、確率の意味が失われたように見える。ウォレスはここで、サヴェッジ流の決定理論をブランチ世界用に拡張し、分岐無差別性、状態随伴性、時間整合性(ダイアクロニック一貫性)などの合理性公理を課すことで、ブランチ間の賭けの評価基準が振幅二乗(ボルン則)で一意に定まることを示す。結論は、「確率」は世界が1つに縮退する頻度の物理量ではなく、振幅二乗を重みとする“ケアの測度/信念の強度”としての規範的指針であり、これに従う主体だけが分岐をまたぐ意思決定で自己矛盾(ダッチブック)を回避できる、というものである。さらに彼は、測定直前に観測者が「自分がどの枝に自己同一化されるか」を知らないという自己位置づけ不確実性の枠組みを整え、ボルン則重みの“客観的役割”と主観的確信度を「量子版プリンシプル・プリンシプル」によって結び直す。これらは確率の整合性問題(確率がそもそも意味を持つか)と定量化問題(なぜ二乗か)の双方に同時に答える構図である。これに対するコペンハーゲン解釈は、確率を公理的に与える。すなわち測定にともない波動関数が実在的に収縮し、ボルン則は理論の基本命題として受け入れる。利点は概念の単純さであるが、どの相互作用が「測定」なのかという分割線の曖昧さと、収縮機構の物理的説明欠如を抱える。確率は客観的チャンスであり、導出ではなく採用である。デ・ブロイ=ボーム理論(パイロット波)は、粒子位置がガイド波によって決定論的に進むので、確率は初期条件に関する無知の測度として現れる。標準量子論の予測が再現されるのは、初期分布がρ=|ψ|²という量子平衡にあるときであり、その根拠は「典型性」や動力学的緩和(ヴァレンティーニ)に求められる。ここで確率はエピステミック(無知)であり、ボルン則は平衡仮定と典型性議論を通じて説明される。ただし「なぜ宇宙が平衡にあるのか」というメタレベルの説明責任が残る。GRW理論(自発収縮)は、波動関数に確率的ジャンプを与える確率過程をダイナミクスに組み込む。収縮率や局在幅という新パラメータが導入され、マクロな重ね合わせは急速に潰れて古典性が得られる。ここでの確率は理論に内在する客観的ランダム性であり、ボルン則はジャンプ過程の構造から帰結する。利点は測定問題の明快な解決と経験的可検性(わずかな標準理論からの偏差)であるが、エネルギー非保存の微小効果や「テイル問題」などの課題を伴う。以上を統合すると、コペンハーゲンは「確率=収縮の公理」、ボームは「確率=初期条件の無知」、GRWは「確率=基本法則のランダム性」、ウォレスのエヴェレットは「確率=分岐下の合理的意思決定の重み」という位置づけになる。前三者は一意の結果という古典的直観を保持するが、その代償として収縮ポストュレート(collapse postulate, 収縮仮説・測定仮説)(コペンハーゲン)、特別な初期測度(ボーム)、新たな確率法則(GRW)を導入する。対してエヴェレットは純粋ユニタリ発展を死守する代わりに、確率を規範(どう信じ・どう賭けるべきか)として基礎づける点に哲学的独自性がある。直観的には“全部起きるのに確率とは何か”という反発が生じるが、デコヒーレンスにより枝間干渉が消え、主体は自己位置の不確実性の下で意思決定を迫られるため、確率は行為の合理性の公理として不可避である、というのがウォレスの主張である。経験的立場から見れば、GRWのみが原理的に観測テスト可能なズレを予告し、コペンハーゲンとボームとエヴェレットは標準量子論と経験的に同値であることが多い。よって選択の多くは、形而上学的コストと概念的透明性のトレードオフに帰着する。すなわち、法則の単純性とダイナミクスの純粋性(エヴェレット)、単一世界直観と客観チャンス(コペンハーゲン/GRW)、素朴実在論的像と決定論(ボーム)のいずれを重んずるか、という規範・形而上学・経験的姿勢の総合選好の問題なのである。フローニンゲン:2025/9/11(木)13:45
17377. 秋を感じながらのパーソナルトレーニングを終えて
時刻は午後4時半を迎えた。先ほどジムから帰ってきて、シャワーを浴びてさっぱりして今に至る。今、穏やかな夕日が笑顔を浮かべている。今日は数秒ほど小雨がぱらつく瞬間があったが、午後には太陽の姿を拝むことができてとても気持ち良かった。確かに最高気温は20度を下回っていたが、ジムの行きには準備運動がてらジョギングして体を温めることもあり、そしてトレーニング後は代謝が上がっていることを考慮して、半袖半ズボンで出かけた。今日の体感的に、最高気温が18度か17度までだったら、半袖半ズボンで出かけられそうだと思った。これから気温はますます下がっていくので、今後の目安にしたい。
今日のジムでのパーソナルトレーニングは、またいくつか新たなメニューが取り入れられ、とても新鮮だった。いつも必ず何か新たなメニューを考案するパーソナルトレーナーのエリーザの創造性には頭がさがる。もうかれこれ彼女に指導してもらう形で3年弱パーソナルトレーニングをしていると思うが、こうして今でも毎回のトレーニングで新しいメニューを提供してもらえることは有り難く、それが脳と身体に常に良い刺激となっている。自分1人で行う普段のトレーニングでは、どうしても毎回お決まりのメニューになりがちで、いくつかのメニューを出し入れしたとしても幅は限られている。今後は彼女の創造性に倣って、日頃のパーソナルトレーニングで提供してもらっているメニューを参考にして自分なりのトレーニングメニューを考案することをより意識したい。実際には、自分でもそうしたメニューを考案できるはずだし、これまでパーソナルトレーニングで提供してもらった種々のメニューを平素のトレーニングに組み込めば自ずと幅が広がる。自分としてはあまり器具を使わずに準備に手間がかからないトレーニングを好む傾向があるため、それが自然とある一定の幅のメニューにしていたのだと思う。今日はエリーザに冷水シャワーを勧めた。近所のロクシーとも先日話す機会があったので、その時にも彼女に勧めたところ、彼女のパートナーのゴヤは「アイスマン」ことオランダ人の有名人ヴィム・ホフを知っていて、冷水シャワーの効能についても理解があった。一昨日にロクシーに会った時に、彼女が笑顔で冷水シャワーを試してみたと語ってくれ、その効能を感じてくれていたようなので勧めて良かったと思う。自分もすでに冷水シャワーは朝と夜の入浴後の習慣になっていて、これから着実にその良い効能を実感するだろう。フローニンゲン:2025/9/11(木)16:46
Today’s Letter
Autumn has arrived. A new season offers me the chance for a fresh start, and I can grow and deepen myself this fall. Groningen, 09/11/2025

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