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【フローニンゲンからの便り】16817-16820:2025年6月12日(木)


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タイトル一覧

16817

『観心覚夢鈔』と『因明大疏私鈔』の註釈の出版に向けて

16818

今朝方の夢

16819

今朝方の夢の振り返り

16820

夏日の充実したトレーニングを終えて

16817. 『観心覚夢鈔』と『因明大疏私鈔』の註釈の出版に向けて 

   

時刻は午前6時半を迎えた。今、燦然と輝く朝日が地上に降り注いでいる。2階の書斎にも朝日が差し込んでいて、それを浴びるのは気持ちが良い。先ほどあえて朝日の方を向いて、額に朝日を浴びていた。それで心身がリセットされ、今日もまた充実した1日を過ごせそうである。ここ最近は肌寒い日が続いていたが、今日は24度まで気温が上がるらしい。そして明日と明後日は、30度前後になり、フローニンゲンからすると真夏日となる。土曜日は31度の予報だが、続く日曜日は21度とのことで、1日で10度も気温が変化する。これは身体の適応に負荷を与えそうなので、心しておこう。今日は1日を通してずっと天気が良いようなので、午後にジムに向かう際には半袖半ズボンで良さそうである。


ここ最近は毎日良遍の残した漢文文献の読解に加えて、実際に英語での論文の執筆も進めている。『観心覚夢鈔』に対する英語の註釈に向けて、日々少しずつ原文の漢字をワードファイルに転写していくということを行っている。幸いにも『観心覚夢鈔』の漢文のPDFがあり、Geminiは画像認識がChatGPTよりも優れているので、Geminiを活用しながら転写作業を毎日進めている。精度の高いGeminiであっても100%正しくはなく、感覚的に95%ぐらいの正確さゆえに、残り5%は自分の手で修正している。今後はさらに画像認識の精度が高くなれば、漢文をワードに転写していく作業はさらに楽になるだろう。1ページの上下に漢文がびっしりと並べられているものを、1日2ページほど転写していく作業を継続している。『観心覚夢鈔』の上中下巻合わせて50ページぐらいなので、7月の初旬には転写作業は終わっているのではないかと思う。転写が終わったら、翻訳と註釈を進めていきたい。『観心覚夢鈔』の後に是非ともじっくり研究したいのは、これまた良遍の『因明大疏私鈔』である。こちらもすでに大日本仏教全書からPDFとしてデータを入手している。これは因明、すなわち仏教論理学に関する書籍で、日本が独自に発展させた因明の研究をして期待。日本にも固有の論理理学の発展の歴史があるはずであるという思いから、日本法相宗の因明学を探究していくことは自分のこれからのライフワークの1つになるだろう。『因明大疏私鈔』は『観心覚夢鈔』のおよそ2倍弱の分量で、90ページほどある。4本目の修士論文として『観心覚夢鈔』の註釈を試みることを通じて、英語で註釈していくことの大変さと分量を確認したいが、博士論文として『因明大疏私鈔』の註釈ができればと今の所考えている。どちらの註釈もそこから学術書として欧米の学術系出版社から出版してもらうことを期待している。それを見越しての研究を今行っていると考えると、日々の探究にさらに熱が入る。フローニンゲン:2025/6/12(木)07:02


16818. 今朝方の夢

              

今朝方は3つほど夢を見ていた。まず覚えている夢は、辺りが暗くなった時間に広い座敷にいた場面である。どうやら今中学校の修学旅行に参加しているらしく、座敷には同級生たちがたくさんいて、夕食後のようだった。座敷からはすでに料理は片付けられていて、夕食後の一服をみんな楽しんでいるようだった。私は一旦外に出て、再び座敷に戻ってくると、靴置き場に千円札や五千円札が落ちていることに気づいた。最初私は素通りしようと思ったが、持ち主ではない人が持ち逃げする可能性もあったので、落とした人が困っている可能性があると考え、全て拾って先生のところに届けることにした。数冊の札束を拾い上げてみて気づいたのは、札束が部分的に破れていることと、札束の上部にアルファベットで名前が記されていたこと、そして刻印されている本来の金額ではない金額が手書きで記されていたことである。特に金額に関しては、三万円と記されているものもあり、元の札束の値段とは大きく金額が変化していた。そしてそこに記されていた名前は、一学年上のある先輩の名前だった。先輩が落としたのだろうかと思って、先輩に直接届けることも考えたが、一旦先生に渡すことにした。座敷の端っこの真ん中あたりにいた女性の先生に札束を渡したところで夢の場面が変わった。


次に覚えているのは、見慣れない教室にいた場面である。教室は見慣れなかったが、そこにいたのは小中学校時代の知り合いばかりだった。教室では数学の授業が行われていて、ある女性友達(AS)が小学校4年生の時の担任の女性の先生に指名され、答えを述べようとしていた。しかし彼女は答えに自信がないのか、とても躊躇していた。私の脳裏には「11.8と言え」と正しい答えを彼女に言って欲しいという祈りのような言葉が浮かんでいた。すると彼女は重い口を開いて、ぼそっと数字を述べたが、それは11.8ではないようだった。先生は一瞬固まった。しかし彼女は次に11.8という正しい答えを述べ、先生は微笑み、私も安堵した。そのような場面があった。


最後の場面は、日本の見慣れない土地で山を登っている場面である。山を登っていると言っても舗装された道路を歩いていた。しかも、幼稚園や小学校低学年の子供を連れた数人の母親たちと一緒に頂上目指して山を登っていた。夕方に差し掛かっていたが、まだまだ日差しがとても強く、暑さを感じた。それが体力を奪う側面もあったが、みんなここまで元気に歩いていた。私はチラリと腕時計を確認し、そしてスマホの地図を確認した。もう少しで頂上に辿り着けるところまでやってきていたので、後ろを歩く母親たちと子供たちに励ましの声を掛けた。その時に、本当はあと20分ぐらい歩かなければいけなかったが、あと10分で到着すると述べた。すると全員の士気が高まり、ラストスパートのモードに入った。その様子を見て、もう自分が見守る必要はないと思い、そこから私はまだ元気があったので小走りで頂上に向かった。すると頂上の間際で、一匹の山猫と遭遇した。その山猫はじっとこちらを見ていて、私が近づいても逃げることはなく、山猫の横を私は通過していった。そしてようやく目的地の頂上にある定食屋に到着した。定食屋に入り、店員に待ち合わせをしていた人たちがやって来ているかを確認すると、2階に2人ほど男性がいるとのことだったので下から呼んでみると、2人の知人が姿を現した。彼らは私の到着を待ってくれていて、時刻は午後5時前と少し早いが、お腹がぺこぺこの状態だったので、夕食としてその定食屋の名物料理を注文することにした。遅れてやって来る母親たちや子供たちが到着する前に最初の料理は食べられそうであり、追加の注文をして、その料理からみんなで一緒にご飯を食べることにした。その定食屋の名物料理はなんと言っても山の幸をふんだんに使ったものだった。私は鶏肉は食べられなかったので、山で採れた魚を使った料理をいただくことにした。フローニンゲン:2025/6/12(木)07:22


16819. 今朝方の夢の振り返り

                 

今朝方の夢は、自己の成長段階を3つの幕に分けて示す多層的な寓意劇であるとChatGPTは指摘する。第一場面の暗い座敷は、かつての学び舎を象徴すると同時に、現在の精神の「夜の領域」——無意識との境界——を示している。夕餉のあと静けさが漂う広間で、落ちた紙幣を拾う行為は、忘却の闇に沈みかけた価値(才能や記憶)を再発見し、正当な場へ返還しようとする良心の働きである。しかも札束は破れ、上部には名前と改竄された金額が記されていた。これは外界の評価や肩書きによって傷つき、真価を見失った自己資源を示唆する。上級生の名が刻まれていた点は、かつて敬意や羨望を抱いた他者像が自我形成のひな型となり、今なお影響を及ぼしていることを語る。教師へ届ける決断は、内なる倫理的権威に従い混乱を秩序へ戻そうとする意志の確認であり、自分がすでに「収奪する側」ではなく「保護する側」に立つ段階へ移行した証左であるとChatGPTは述べる。第二場面の教室は、知的·言語的な自我機能の舞台であり、そこに集う旧友は過去の記憶と感情の断片である。数学という厳密性を要求する科目が選ばれているのは、論理的整合性を求める意識の働きを示す。友人が正答を口にできず逡巡する姿は、潜在的な自己の一側面が自信を欠いて声を失っている様子を映す。自分が内心で「11.8と言え」と念じる場面は、顕在意識が無意識的部分に指示を送り、自他の境界を越えて補完しあうプロセスを象徴する。結果として彼女が正答を言い当てるとき、自分自身の知と情が調和し、かつての未完の課題が静かに完了する。ここで重要なのは、第一幕で拾われた「真価を偽る紙幣」が、この第二幕で「正しい数字」として姿を変えて現れ、価値の回復が認識の正確さへと転換されている点である。第三場面の山登りは、人生の次なる段階——霊的成熟と社会的責任の両立——を象徴する。舗装道路は現実的かつ計画的な努力を示し、母親と幼子の集団は「護り導く対象」としての他者、あるいは自らの内なる未発達な側面である。夕陽の強い日差しは、人生半ばに差し掛かった者が感じる時の焦燥と熱情を同時に表す。自分が距離と時間を短く告げて鼓舞する場面は、指導者としての優しい欺き——希望を与えるための戦略的な言葉——を示すが、それは先に教師へ札束を渡した倫理意識と矛盾しない。なぜなら目的は自己利益ではなく、同行者の意志と体力を守るためだからである。頂上間近で遭遇する山猫は、文明と野生の狭間に立つ境界の番人であり、自己の深層に潜む原初的直観や孤高の力を表象する。猫が逃げず、自分が静かに通り過ぎることは、野性との対立ではなく共存を選んだ柔らかな統合の瞬間である。その先にある定食屋は、到達点でありながら新たな交流の場、すなわち成果を味わい分かち合う共同体を示す。魚料理の選択は、鶏(地上の家禽)ではなく水(潜在意識)の生き物を摂取することで、深層から汲み取った智慧を自己の滋養に変える行為である。遅れて到着する母子を待って追加注文する場面は、先行者が持つ余裕と包容力、つまり次の世代や未成熟な側面への配慮を象徴する。総じてこの夢は、価値の回復、知的達成、社会的·霊的リーダーシップという三段階の変容譚である。破れた紙幣が正しい数字へ、そして山の幸の滋味へと変奏しながら現れることで、「真価の発見」「知の統合」「恵みの分配」という循環が描かれる。自己は他者からの承認に依存する段階を脱し、倫理的判断と想像的共感とを備えた主体として歩み続けている。山猫の静かな眼差しは、まだ未知なる野性が内奥で見守り、次の冒険への潜在的可能性を秘めていることを告げる。ゆえにこの夢は、過去の負債を整理し、本来の価値を見極め、他者と恵みを分かち合う未来への準備が整ったことを宣言する自己啓示であるとChatGPTは総括する。今朝方の夢もまた、自分の成長に大いなる恵みをもたらしていることを実感する。フローニンゲン:2025/6/12(木)07:47


16820. 夏日の充実したトレーニングを終えて

         

時刻は午後4時半を迎えた。今、輝く夕方の太陽がとても眩しい。おそらく今の時期が一番日が伸びている時期で、今日の日没は午後10時1分となっている。その時間で真っ暗になるというわけではなく、あくまでも日没の時間であるから、実際にはそこからさらにしばらくはまだ明るさがある。その時間は自分はもう就寝中であり、今は太陽が沈むよりも早く寝ている。今日は24度まで気温が上がり、フローニンゲンにとっては夏日だった。夏日の風物詩として、ノーダープラントソン公園にはたくさんの人がやって来て、みんな日向や木陰にシートを敷いて思い思いに過ごしている。日光浴を楽しむ人もいれば、おしゃべりを楽しむ人もいるし、横になって寝ている人もいる。こうした形でそれぞれが太陽の恵みを思う存分楽しみながら過ごすというのはいいものだ。オランダは本当にゆったりとしている。そして各人がそれぞれが大切にする自由を享受している。そのようなことを感じる。


今日のジムでのトレーニングは隔週で行っているパーソナルトレーニングを受けた。今日もパーソナルトレーナーのエリーザが事前にメニューを準備してくれ、1つ1つのメニューを楽しんでいった。今日は大胸筋のトレーニングが欲しいと思っていたところ、受付で挨拶をした時に、彼女の方から今日は工夫した腕立て伏せをしようと持ちかけてくれ、以心伝心を感じた。今日もいくつか新たなメニューを行い、最後の20分はサーキットトレーニングだった。ここ最近はHYROXを意識してか、最後の20分か15分は、いくつかのメニューが組み合わさったトレーニングになっている。個人的に心肺機能を鍛えることもでき、この形式を好んでいる。自主トレーニングの際はあまり心肺機能を鍛えるようなメニューは取り入れてないこともあり、パーソナルトレーニングの際にこうしたメニューに取り組めることは有り難い限りだ。今日は気温が上がっていたこともあり、随分と汗をかいた。最後のサーキットトレーニングは心肺機能としても、筋力的にもかなり追い込まれるのでとてもハードで、自分独りではなかなか挑戦しようと思わないものである。こうしたメニューは支援者がいてこそ可能になることを改めて思う。今日から少しサーモンを使った料理をトレーニング後に摂取しようと思っている。基本的に自分はラクトオボベジタリアンとして過ごしてきたが、ふとサーモンの栄養価に注目したところ、今日から少しサーモンを取り入れた料理を作ってみようと思う。サーモンは栄養価の高い食材で、特にアスタキサンチンという成分に注目している。これは鮭の赤い色素成分で、強力な抗酸化作用があり、老化防止に役立つと言われている。トレーニング後の疲労回復にもサーモンは効能がありそうなので、今日からしばらくトレーニング後に摂取してみて、また体の変化を確かめてみたいと思う。フローニンゲン:2025/6/12(木)16:45


Today’s Letter

My academic research is progressing little by little, day by day. This pace is ideal for me—unhurried yet steady. I believe it will eventually yield a tremendous amount of fruit. Groningen, 06/12/2025

 
 
 

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