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成人発達理論とインテグラル理論を基礎にして、様々な学問領域からサイケデリクスやその他のテーマについてお話しさせていただくチャンネル「インテグラル・サイケデリックラジオ」はこちらからご視聴いただけます。
タイトル一覧
11704. “The Boy and the Heron(君たちはどう生きるか) (2023)”を鑑賞して一夜が明けて
11705. 言霊の交流する場としてのゼミナールとラジオ/今朝方の夢
11706. 今朝方の夢の続き
11707. 宇宙の構造的象徴としての螺旋/中世神道への関心/加藤家に関する諸々の調査
11708. 2023年最後の「インテグラル・サイケデリックラジオ」を振り返って
11704. “The Boy and the Heron(君たちはどう生きるか) (2023)”を
鑑賞して一夜が明けて
時刻は午前6時を迎えた。夜明け前の闇の世界を眺めながら、昨日鑑賞した宮崎駿監督の“The Boy and the Heron(君たちはどう生きるか) (2023)”についてまた少し振り返っている。昨日もすでに振り返りの日記を書き留めていたが、それ以外にも印象に残っていることととして、宇宙の創生が描かれていたことである。多元リアリティに加えて、多元宇宙をモチーフとするかのような描写があったのが印象的である。積み木を重ねながら多元宇宙を作る登場人物のシーンがあり、それはこの宇宙の創生に関する話であった。ちょうど先日注文した書籍の中に多元宇宙に関するものがあるので、それを受け取り次第、この映画の内容と絡めながらゆっくり読み進めたいと思う。いずれにせよ、本作は宮崎駿監督の中にある破壊と創造の衝動を感じられるような作品であったし、破壊と創造はまさに先般のシロシビン・セッションで知覚したように、自らが破壊と創造を司るシヴァであるという認識と重なるものであった。全ての映像作品に共通して、一度作品を見ただけでは汲み取れることに限界があるので、またどこかのタイミングで本作品を鑑賞したいと思う。それに加えて、こうした映像作品は優れた学習教材にもなるため、ゼミナールで取り上げ、感想や考察をシェアするようなことをしてみたいと思う。現在ゼミナールではサイケデリクスについて多角的に取り上げていることもあり、この作品はゼミナールの趣旨に合致するかと思う。 1人で考察を深めていくよりも、他者と一緒に考察を深めていく方が圧倒的に広く深い探究ができることを忘れないようにしたい。
今日の計画としては、今日は午後から今年最後の「インテグラル・サイケデリックラジオ」の収録がある。年末最後の今回はゲストをお呼びすることになっており、ラジオのパートナーの早田航さんと3人でお届けする予定だ。ゲストの方が先日、1D-LSDのハイドースセッションを行ったとのことなので、その時の話を聞いてみたいと思う。どのような体験だったのかとても興味深く、先日仕事関係のミーティングをした時にその触りの部分だけシェアしてもらったのだが、大変深い体験をしておられたようだ。他者のサイケデリック体験談を聞くこともまた大いに勉強になるし、今後のサイケデリック研究と実践に非常に有意義である。ラジオの収録以外は、今日もまた読書に次ぐ読書を行う。しこたま読書に打ち込んでいく日々を続けていく。実際に学術機関に戻ったら、そこでは課題図書や課題論文を中心とした読書になるであろうから、今のうちに今後の研究の幅を広げていくための幅広い読書を行い、研究の土壌面積を広げ、土を耕しておきたい。そうした拡張的な読書に加えて、自分が貢献するべき研究テーマについては、誰よりも深く土を掘っていきたいと思う。宇宙の芯に突き当たるぐらいに深掘りした読書を心掛けたい。フローニンゲン:2023/12/27(水)06:27
11705. 言霊の交流する場としてのゼミナールとラジオ/今朝方の夢
一昨年の秋に始めたゼミナールは今年一周年を迎えた。まだまだゼミナールの蓄積は浅いが、このゼミナールで自分がどれほど多くのことを学ばせてもらい、多くの助けを得ていたことかと思う。また、今年の夏から始めたラジオ番組も、そこでは早田航さんとの掛け合いから同じく多様な学びと治癒・変容が実現されていたように思う。ゼミナールとラジオで共通しているのは、自らの言霊を発することと相手の言霊を受け取ることであり、言霊の交流が自らの学びを加速させ、着実な治癒と変容を実現していたように思う。学習・実践コミュニティを形成してそれを運用することの真髄はここにあるような気がしている。言霊が宿り、言霊が活きいきと活動する場所としてのゼミナールとラジオの運営は、来年以降もまたより充実した形になるように継続していこう。継続は力なりであり、継続は言霊の力を倍増させてくれるだろう。言霊もまた発達する存在なのであり、自らの言霊を発することと他者の言霊との交流を通じて、自らの言霊をさらに育んでいこう。それはきっと今後の社会貢献活動に結実していくはずだ。
来年のゼミナールやラジオへの展望がひらけてきたところでふと、今朝方の起床直前に見ていた夢を思い出した。舞台は今住んでいるフローニンゲンの自宅周辺だった。何かの用事が終わり、自宅に向かって通りを歩いていると、誰かにつけられているような気配があった。サッと後ろを振り返ると、そこに背の高いオランダ人男性が影のように佇んでいた。確かに肉体はあるように見えるが、どうもそれがぼんやりしていて影のような存在に思えたのである。気味が悪いなと思ったので、早足で自宅に向かい、自宅の門を開けて門を速やかに閉じた。そして家がある奥へと進んでいったところ、敷地内にその影のような男性がどういうわけか侵入していて、こちらの方をじっと見ていた。ひょっとしたら襲ってくるかもしれないなと思ったので、その時に備えて身構えをした。その男性と自分との距離は数十メートルほどあったので、家の鍵をサッと開け、中に入って戸締りをすれば大丈夫だろうと思った。鍵を開け、中に入り、素早くドアに内側から鍵をかけようとしたら、少し手間取ってしまい、焦りの感情が沸いたが、焦ると逆効果だと思ったので、すぐさま冷静になりドアを閉めた。すると、ドアの窓にその男性の顔がぼんやりと映っていて、とても気味が悪く思ったが、その男性はこちらに危害を加えてくることはなく、すぐさまどこかに消えていった。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/12/27(水)06:51
11706. 今朝方の夢の続き
今日からは2日間のクリスマスも終わり、フローニンゲンの街も日常を取り戻すだろうか。この2日間はどこか心地良い非日常感が街全体に漂っていたように思う。それを受けて自分の意識もまた非日常的な状態であった。そのような中でシロシビン・セッションを行えたのは偶然の幸せであった。
今朝方見ていた夢の振り返りの続きをして、今日もまた旺盛に読書を進め、発見と考察を大いに楽しんでいきたい。本当に毎日少しずつだが着実な進歩を実感できている。それに勝る喜びはないだろう。
夢の中で私は、見慣れない外国の街の本屋にいた。隣には小中学校時代の友人(KF)がいて、彼とアメリカの大学院受験に必要なGREの問題集を選んでいた。すでに私はGREの目標スコアを取得しており、スコアの有効期限は5年間ほどあるので、もうGREを受ける必要はなかった。友人の彼がGRE受験が必要だったので、自分の経験をもとにいくつかお勧めの問題集を紹介した。本当は試験制作元のETSのオフィシャルのものが一番良いのだが、それがなかったので、その代わりになるような問題集を選ぶことにした。彼と会話をしながら、彼が手に取った1冊がそれほど悪い作りではなかったので、彼はそれを購入することにした。
その書店は数階建てになっていて、中にはカフェがあり、勉強や仕事ができるスペースがあった。私たちはそこに行き、飲み物でも飲みながら寛いだ形で勉強しようと思った。すると、彼はいつの間にか消えていて、小中学校時代の別の友人(KM)が隣にいた。彼は今日中に終わらせなければいけない仕事上のレポートについて話してくれ、彼の仕事内容はあまり把握していないが、助けになることがあればなんでも協力すると述べた。そこから彼は仕事を開始しようとしたのだが、突然階段から転げ落ちてしまった。下の階に水を取りに行くと述べた彼は、まるでダルマのような姿になって、勢いよく下に転がっていってしまったのである。怪我をしていないか心配だったので自分もすぐさま下の階に降りることにした。その時にふと、彼の気持ちを理解するべく、自分も階段を前回りしながら転がってみようと思った。しかしそれは相当に危険なことだと脳内で想像できたので、想像の世界だけでそれを行い、下の階に降りた。すると彼はもうどこかに消えていて、その代わりに小中学校時代の親友(HS)がそこにいた。彼はそこでコーヒーを飲みながらスマホのゲームをしていた。彼に声をかけて何のゲームをしているのか尋ねたところ、カニを打つシューティングゲームをしているとのことだった。興味深くそのゲームを眺めていると、大学時代のサークルの先輩がやって来た。その先輩は大変優秀な方で、名門の商社に入社した後にそこを退職し、医学部に入り直して医者になった先輩だった。先輩はゲームをしている親友を見て、あまりスマホゲームにのめりすぎない方がいいということをそっと私に伝えた。私も先輩の意見に同感で、ゲームをするぐらいなら本を読む方が自分は有意義な時間の使い方だと思っていた。すると、また1人、私たちのところにやって来た人がいて、見ると小中高時代の女性友達(YY)だった。彼女は私に本を返しに来てくれたようで、彼女から本を受け取ったとこで読書をしたいという思いが高まり、夢の場面が変わった。フローニンゲン:2023/12/27(水)07:51
11707. 宇宙の構造的象徴としての螺旋/中世神道への関心/加藤家に関する諸々の調査
午前中の時間が穏やかに流れていく。今日も午前中の読書が捗り、ここからも読書から得られるたくさんの養分がるだろう。少しずつ自分の学術研究の形を形成していく作業は、世界創造にも似ている。世界を創造するというのは、昨日鑑賞した“The Boy and the Heron(君たちはどう生きるか) (2023)”のテーマにもなっていた。私たちは日々、超越意識によって創造された世界の中を生きているのと同時に、自らもまた超越意識の具現的存在であるがゆえに独自の創造を行いながらこの世界の創造に関与している。これから自分が担っていく世界創造の営みがどのように変化していくのか、その質的な変化を中心に常に観察をしたい。
上記の映画の中で、生と死を象徴する大量のワラワラという生命体が螺旋構造を描きながらアッパーワールドに向かっていくシーンが印象的だったことをふと思い出す。螺旋はDNAの象徴でもあるし、発達プロセスの象徴でもある。またクンダリーニエネルギーの上昇現象の象徴でもある。螺旋は宇宙の構造的象徴なのであり、私たちの内側にも外側にも多数の螺旋構造がある。神道において螺旋がどのように扱われているのかは特に注目して探究をしてみたい。物質宇宙と意識宇宙の創造に対して螺旋構造は、非常に重要な意味を持っているはずだ。
古神道への注目はさることながら、中世神道もまた神秘主義的な観点で興味深い。例えば、集合記憶が宿るアカシックレコードにアクセスする方法が「岩戸を開く」という言葉で両部神道で表現されていたりする。その他にも、山王神道や吉田兼倶が創始した吉田神道にも興味深い精神鍛錬技法が存在しているようなので、中世神道にもやはり関心の輪を広げておこうと思う。
現在神道の研究を独自に進める中で、加藤家とその源流である藤原家と神道の関係について調べている。ちょうど本日父からメールがあったので、父の方で何か知っていることはないかと尋ね、次回のZoomミーティングの際に話を聞きたいと思う。奈良の春日大社は藤原家の氏神を祀っているらしく、埼玉の寄巻水神社は加藤家の氏神を祀っているらしいので、今度の一時帰国の際にはぜひ足を運びたい。それと、加藤家の家紋は「蛇の目」とも言われており、この家紋の意味についても調べておきたい。蛇は叡智を表すとして日本で卒業した一橋大学の校章にも入っているし、世界の様々な神話で蛇は重要な象徴として存在している。それらを踏まえて、蛇の象徴的な意味を調査してみよう。父も母も偶然ながら同じ姓であり、それぞれの加藤家は上り藤と下り藤の家系で、自分は上下の加藤家の血を引いており、加藤の血は非常に濃く、それが自分の精神や霊性に多大なる影響を与えていると最近よく思う。フローニンゲン:2023/12/27(水)10:49
11708. 2023年最後の「インテグラル・サイケデリックラジオ」を振り返って
今日もまた充実感と共にこの時間帯を迎えた。時刻は午後5時を迎えようとしていて、辺りはもうすっかり暗くなっている。クリスマスも過ぎたわけだが、街にはまだイルミネーションが残っていて、先ほど買い物に出掛けた時にもそれがまだ光を放っていた。ここから今度は年越しのイベントが始まる。クリスマスから年末年始にかけてはどこか世界が非日常的な意識に彩られていて、その中にいるとこちらの意識も自然と非日常的なものになる。それがどこか心地良い。
今日は午後に、2023年最後の「インテグラル・サイケデリックラジオ」の収録があった。この夏から始めたラジオも気がつけば5ヶ月ほどが過ぎていて、この5ヶ月のラジオ放送を通じて、自分も大いに変化したことに気づかされる。ラジオのお相手を務める早田航さんにもこの期間に大きな変化が起きていて、お互いがお互いの変化の触媒となり、非常にダイナミックな展開を見せるラジオが実現されていた。来年は2人にとっても大きな年になるだろう。今いる生活拠点を2人とも離れ、新天地での生活を始める可能性がある。それが実現したら、またこのラジオは新たな局面を迎え、ラジオから迸るエネルギーも変わるだろうし、何よりも私たち2人がさらに進化していくに違いない。そんな予感がする。来たる2024年のラジオがさらに力のあるものになるためには、自分自身の絶え間ぬ学習と実践が必要であり、とりわけサイケデリック研究とその実践には力を入れ続けていきたいと思う。
年末最後の今日の放送ではゲストの方をお招きした。その方の先日のサイケデリック体験を聞きながら、自分自身もまた次回以降のセッションとの向き合い方を考えていた。現在、隔週でシロシビン・セッションを行っていて、来年の初旬のどこかでサルビア・ディビノラムのお茶を摂取してみようと思っている。2週間に1度のセッションは確かに頻度が高いように思えるかもしれないが、今の自分にとってはその頻度はちょうど良く、自分の魂の求めに完全に合致しているように思える。セッションの主眼は治癒や変容ではなく、それは副産物として結果的に生じればそれに越したことはないという態度でいる。では何に焦点を当てているかというと、自分の焦点はあくまでも学術研究にある。意識・宇宙・サイケデリクスを研究するために隔週でのシロシビン・セッションを自らに課しているのである。体験咀嚼に時間がかかるわけではなく、むしろ学術研究上のヒントや深い洞察を得ることが可能となっているゆえにこうした頻度でシロシビン・マッシュルームを摂取している。そうした向き合い方はシロシビン・マッシュルームだけではなく、サルビア・ディヴィノラムに対しても同じであり、その他のサイケデリクスに対しても同じである。フローニンゲン:2023/12/27(水)17:00
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