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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12822-12826:2024年6月11日(火)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12822. 寒さと雨続きのフローニンゲンにて

12823. 新しい栽培キットの発育状況/今朝方の夢

12824. 今朝方の夢の続き

12825. 水道管と夢からのメッセージ

12826. “dz”の発音より


12822. 寒さと雨続きのフローニンゲンにて  


時刻は午前6時を迎えようとしている。今の気温は8度と低く、ここ連日と同じく暖房がせっせと働いてくれている。早朝から暖房が稼働することは日常茶飯事となり、寝ている深夜にもきっと暖房は働き続けてくれているのだと思う。それくらいに気温が低い。今日も日中の最高気温は13度までしか上がらず、昼前からは昨日と同じく雨が降るようだ。夕方には少し雨足が弱まるようなので、そのタイミングを見計らって近所のオーガニックスーパーに買い物に出かけたいと思う。昨日は強い雨のせいもあって自宅に篭りっきりであり、本来はジムに行ってその帰りにスーパーに立ち寄るところだったのだが、それができなかった。日常の中にこうしたイレギュラーなものが入り込んで来るとリズムが若干狂うが、それもまた一興であり、それを1つの変化として楽しみ、また再び元の生活に戻っていく楽しさがある。ここからしばらくは雨と寒さが続くことが予想される天気予報が出ている。オランダは日本と違って梅雨のようなものはなく、雨が一番降る時期は秋の終わりや冬の初めのため、日本の梅雨とは時期もずれる。ところが今週1週間は軒並み雨マークが付されていて、日中のどこかのタイミングで雨に見舞われる日々が続くようなのだ。おそらくこの雨続きの日を抜け出たら、もう少し気温が上がり、初夏を感じさせるような日々がやって来るのではないかと想像される。


昨日、先日日本のAmazonに注文した書籍に関しての配達の連絡が来た。当初は来週の頭あたりに書籍が届く予定であったが、今週の木曜日に早々と第一陣の書籍が届く。第二陣の書籍がまた来週の初旬に到着する予定のようで、Amazonの配達の速度の速さに驚かされる。この間日本の古書店から唯識学の古文書を取り寄せた際に、航空便で郵送してもらっても10日ぐらいは掛かったので、Amazonはその運輸ネットワークを活用して通常の速達航空便よりも早い海外郵送を実現させている点に感心する。木曜日はちょうどジムに行く日なので、書籍の量からすると翌日に書籍の受け取りをした方がいいかもしれないが、ジムから帰る時間帯が晴れていれば、そのまま書籍の受け取りをしてしまおうと思う。


今日もまた英語の発話能力の向上実践を核に据えて、その合間に唯識学の探究を進めていきたいと思う。ここからしばらくはずっとこの時間配分でいく。英語の発話能力が新たな次元における高原状態になるまで集中的に鍛錬を続けていき、そこからはまた力を落とさず、緩やかに実践を継続させる形で更なる能力の向上を進めていく。そのタイミングで再び唯識学の研究書を旺盛に読み進めていきたいと思う。そうした展望が開かれており、その先に欧米社会での日本法相唯識学の宣揚活動の展望が開かれている。フローニンゲン:2024/6/11(火)06:05


12823. 新しい栽培キットの発育状況/今朝方の夢


先日フローニンゲン大学の哲学科の建物の真ん前に店を構えているスマートショップで購入したシロシビン・マッシュルームの新しい栽培キットはまだ地中から頭を出していない。今週の日曜日には再びシロシビン・セッションを行う予定であったが、もしかしたらセッションに間に合わない可能性がある。そうであれば焦ることなく、再来週にずらし、今回は3週間ほどの間隔を空けたいと思う。たまにはこうしたインターバルがあってもいいだろう。規則正しく実践を積み重ねていくことは極めて重要だが、自分はそれを行える個性が最初から備わっていることもあり、むしろ自分が定めた規則からあえて離れさせるような外部要因を受け、それに対して適応していく在り方もこれからさらに模索するべきなのかもしれない。シロシビン・マッシュルームの発育がゆっくり進んでいることは、それを行う最良のきっかけになっている。いずれにせよ、ここからまたマッシュルームの頭が地中から出てくることを楽しみにし、今回初めて試す品種の効力についても関心が高まるばかりだ。


シロシビン・マッシュルームの発育に思いを馳せながら、同時に今朝方の夢について振り返っていた。夢の中で私は、見慣れないマンションの1室で見知らぬ若い日本人女優と話をしていた。若いといっても自分よりも歳が若いというだけであり、女優の世界では中堅に差し掛かっている歳ぐらいの人だった。とは言え女優ということもあって、身なりには気をつけていることがわかるぐらいに年齢よりもずっと若く見えた。そんな彼女と話をしていたのはストレッチのやり方に関するものである。彼女は身体を若々しく維持するためにトレーニングにも関心を強く寄せており、筋力トレーニングも取り入れているようだった。トレーニング前の動的ストレッチやトレーニング後の静的ストレッチについて、お互いにどのようなストレッチをしているのかをシェアし合い、実演をすることを通じて話が盛り上がった。ストレッチを実際に行って身体がほぐれたところで今後のお互いの人生の話となり、身体がほぐれていたこともあって、お互いに腹を割って話をし、お互いに質問し合うことを通じて今後の人生に関するまた新たな展望が開かれる形となった。それを受けて私たちは希望の光を感じ、優しい太陽の光が部屋に差し込む温かい雰囲気の中で有意義な時間を過ごしていた。フローニンゲン:2024/6/11(火)06:21


12824. 今朝方の夢の続き


早朝に見えていたうっすらとした雲は雲散霧消し、今、見事な朝空が広がっている。天気予報では今日も午後から雨が降るようだが、午前7時を迎えた今この瞬間はそれを全く予感させない。優しく穏やかな朝日がとても眩しく、そして温もりがある。


眩い朝日を眺めながら、今朝方の夢の続きを振り返っている。そう言えば夢の中で、学校の教室にいて授業を受けていた場面があった。そこはどうやら高校のようで、自分の目の前には違う高校に通ったはずの小中高時代のある女性友達が座っていた。その授業は自分にとって幾分退屈で、自分の勉強を進めていこうと内職をしていると、目の前に座っていた彼女がわざと自分の机にもたれ掛かってきた。4本脚の椅子の前の2本を中に浮かせる形で後ろにもたれ掛かってきたのだが、私はそれが自分の勉強の邪魔になると思って迷惑に思った。授業も退屈であったし、少しばかり苛立ちの気持ちがずっと自分の中にあったこともあって、彼女のその仕草に寛容な気持ちになれず、彼女がもたれ掛かってきた瞬間に机を後ろに引いて、彼女を地面に倒した。彼女はもちろん後頭部から地面に落ちたのだが、それはある意味自業自得だと思った。小学校に入学した時に最初に先生から注意されることの1つとして、椅子を2本脚で立てて座ってはならないというものがあるはずであり、彼女はその注意を忘れて危険な座り方をしていたから自業自得だと思ったのである。後頭部を地面に打ちつけた彼女は身動きをせず、気絶してしまったかのように見えたが、痛みで涙を浮かべていた。そんな彼女に対して私は容赦無く、「高校に通う前にもう一度小学校からやり直せ」と捨て台詞を吐いた。授業の退屈さもそうであるし、彼女の馬鹿げた行為に対しても嫌気が差し、教室から外に出て、今日はもう早退しようと思った。そのような場面があった。


それ以外には、スペインの郊外の町で、レアル・マドリードの練習に参加している場面があった。まずはその町に列車で到着した時に、練習場までの道筋がわからず少し困った。スマホの地図がうまく機能せず、事前にPDFで地図をダウンロードした際にも練習場の周辺しか表示しておらず、駅から練習場までの道筋が全く未知だったのだ。困ったなと思いつつ、とりあえず勘で進んでいくことにした。するとしばらくして、パリサンジェルマンで活躍するブラジル人のスター選手が呑気に自転車に乗りながら、スーパーで購入したと思われるパンを片手に持って自宅に帰っているようだった。まずその選手が全粒粉のパンを主食にしていることに小さな驚きがあり、まぁ外国人であればパンぐらい食べるかとも思った。それにしても彼ほど有名な選手が何も変装せず、自転車で町をウロウロできるというのはとても微笑ましく思え、この町の住人は選手のプライベートを大切にするのだろうと思った。


しばらく道に迷いながら散策していると、なんとか練習場に到着できた。ちょうど今から練習が始まるところで、練習に間に合ったことを喜んでいると、数日後に迫った試合に向けて、実践的な練習をすることになった。選手のうちの1人がまるで監督のようにスタメン組を発表し始めた時、私は違和感を感じ、その選手に向かって、「監督でもないのになぜ君がスタメン組を決めるんだ?」と質問した。どうやら他の選手たちも同じ違和感を持っていたようだが、その選手に問いただす勇気がなかったようであった。一応その選手のプライドを立てる形で、その選手を含め、今のキャプテンと前キャプテンであった自分、そして前々キャプテンを含めて4人でスタメン組を話し合おうということになって落ち着いた。そこからは雰囲気が良くなり、スタメン組もすぐに決まり、フォーメーションと戦略の選定などの細かな話に移っていくことができた。数日後に迫った試合に向けてチームの士気は高く、きっと良い結果が出せるだろうという確信があった。フローニンゲン:2024/6/11(火)07:20


12825. 水道管と夢からのメッセージ


ここ数日、キッチンの水道管が詰まっているようで、水道管の滑りを落とすような液体を購入して使ってみたところ、それがあまり効き目がなく、先ほど自分で水道管のパイプを開けてみたところ、個体になったヘドロを取り除くことができた。この家に引っ越してきて丸4年を迎えたこともあり、この4年間で知らず知らずにヘドロが水道管に蓄積されていたことに驚く。基本的に自分の食事はヘドロが溜まるようなものはほとんどないはずなので、それでも4年間でこれほどのヘドロが蓄積されているとは思いもよらなかったことである。水道管は私たちの食道にも喩えられ、ファスティングなどの食道を浄化するような実践をしなければ、身体にヘドロが溜まっていき、それが種々の病気を生み出すというのも何か理に適っていると改めて思った。同時に、定期的なファスティングを行うことを通じて食道を浄化していくことの大切さを思った次第である。水道管は詰まるまでなかなか掃除をしようという気持ちにならないが、詰まりを受けたら速やかに水道管のヘドロを除去したいと思う。


水道管の掃除と関係してか、そう言えば今朝方の夢の中で、家のオーナーのペイトラさんが自分の家にやって来て、部屋の掃除を手伝ってくれると述べた場面があった。今住んでいる一軒家ではなく、マンションの1室を借りていて、日曜日の朝にペイトラさんが突然やって来たのである。正直なところ、部屋の掃除は自分でできるし、そもそも部屋はそれほど汚れているわけではなかった。毎週こまめに掃除をしていることもあり、ペイトラさんの力を借りなくても十分であった。そしてその日は日曜日だったこともあり、日曜日の朝はゆったりとした時間を過ごしたいと思っていたので、正直なところありがた迷惑の申し出であった。マンションの1階にやって来たペイトラさんはテキストメッセージを自分に送り、今から部屋に向かうとのことだったが、階段の場所を間違えて、隣の階段の部屋に辿り着いてしまったようだった。すると、部屋の呼び鈴が鳴り、出てみると2人のオランダ人の背の高い男女が立っていた。彼ら曰く、ペイトラさんに言われて部屋の掃除の手伝いにやって来たとのことだった。自分1人で掃除ができるところを、わざわざペイトラさんを含めて3人もの手を借りる必要など全くなく、どうしたものかと思った。ペイトラさんが別の部屋に行ってしまったこともあり、2人にはもう掃除の話は無くなったと伝える形で帰ってもらおうと思った。そのような場面があった。この夢はどこか水道管の詰まりと対応し、現実世界と夢の世界が相互に影響を与え合っているかのようであった。また水道管の詰まりは身体の詰まりがないかを考える意味でも重要なメッセージであり、疲労や余分な物質を溜めず、それらを身体から外に出していく浄化の意識を常に持っておきたいと思う。フローニンゲン:2024/6/11(火)07:53


12826. “dz”の発音より     


時刻は午後3時半を迎えた。天気予報が嬉しい方向に外れ、今は雨が降っていない。なのでこの日記を書き留めたら、アクティブレストの散歩がてら近所のオーガニックスーパーに行って買い物をしてこようと思う。今日は朝からこの時間にかけて、英語の発話能力の鍛錬に精を出し、その合間に休憩がてら唯識学の探究を行っていた。発話能力の鍛錬の一環として自分の発音を見つめ直しているのだが、その過程の中でいくつもの発見が日々ある。今日の小さな発見は、改めてcarsとcardsの発音の違いについてこれまでの自分が無頓着であったことだった。両者の違いはwordsとwasの発音を混同してしまうことにも繋がり、きっとこれまでの自分は両者を似通った形で発音してしまっていたのだろうと思う。cardsとwordsの語尾は“dz”の発音となり、この音の発声の仕方を見直した。この音を発する際には、dの音を出した後にzを続けるような発声をすると正しく発音できる。ここで興味深いのは、自分が正しく音を発音できるようになることは正しく聞き取れることの必要条件だが十分条件ではないということである。逆に言えば、こうした音の違いを認識しておかないと正しい発音をまず一切聞き取れないことを意味する。そしてネイティブが実際に発音する際にそれが正しく聞き取れるかはまた別次元の話なのだ。自分で正しく発音できることは正しく聞き取ることの最低条件なのであり、正しい発音を学び、それに習熟していくことをしていかない限りはリスニング力は伸びない。これは自分が身をもって体験してきたことである。さらには正しい発音を心掛けていかない限り、ネイティブやその他に英語話者に正しく音が伝わらないことを生み出す。ゆえにスピーキングにおいても発音は当然ながら重要な役割を果たすのだ。どんな学習も実践も、妥協点を見出すことは容易い。しかし妥協を許さずにその対象と向き合って初めて違う次元がどんどんと開かれていくのである。少なくとも自分は英語の発話能力と唯識学については妥協を許さず、細部に宿る神を大切にして学習と実践を継続していきたいと思う。その実りはいつか多様な形で人生の中で現行してくるだろう。フローニンゲン:2024/6/11(火)15:47

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