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タイトル一覧
12633. シロシビン・セッションが持つ習慣改変力について
12634. 今朝方の夢
12635. 観法行の修練を楽しみながら/2週間後のゼミナールへの期待
12633. シロシビン・セッションが持つ習慣改変力について
時刻は午前6時半を迎えた。今朝は空にうっすらとした雲がかかっていて、早朝には小雨が降っていた。今は雨が止んでいるが、空を覆っている雲は雨雲のように思える。天気予報が示しているように、今日は正午過ぎまで小雨が降る確率が高く、午後1時を過ぎると晴れ間が見えてくるようだ。今の気温は11度で、日中の最高気温は14度である。明日の朝には5度まで気温が下がるようなので、寒さを覚悟しておこう。明日からの1週間は幸いにも晴れの日が続き、最高気温は17度前後、最低気温は8度前後のとても過ごしやすい日々が続く。肌寒さがあるぐらいのそれくらいの気温が一番有り難く、心地良い寒さの中で日々を過ごしていけそうだ。 5月はまだまだそのような気温で日々が過ぎていくだろう。
今日は第32回のシロシビン・セッションを行う予定である。それまでの時間は唯識学の探究に充てていく。おそらく午前中に読み進める書物の内容がセッションの内容に少なからぬ影響を与えるであろう。今日のセッションもどのような内容になるかは全く未知であるが、毎回のセッションと同じく、必ずや自分にとって意味のある真理が開示されるだろうと確信している。前回のセッションでは命が重要なテーマとして浮上し、抹茶に関しても洞察が降ってきた。そこから実際にコーヒーを飲むことを完全にやめ、今こうして抹茶生活に入っていることを思うと、シロシビン・セッションの習慣改変力には驚かされる。しかしこれはそもそも各種の中毒症状からの脱却にシロシビンが活用されているという実証研究に基づくアプローチがあることを思えば、さほど不思議なことではないのかもしれない。いずれにせよ、これまで習慣的に愛飲してきたコーヒーをこうも簡単にすぐさま完全にやめれるとは思っておらず、コーヒー以上に健康効果があり、身体にも優しい抹茶を飲み始めるという新たな習慣が生まれたことを嬉しく思う。今日のセッションでもこれまでの自分の何らかの習慣の見直しが起こるだろうか。今の自分に気づけていない形骸化し、不要になった習慣が何かを教えてくれるかもしれない。人間の成長は習慣で形成されていく側面があり、同時に成長の鈍化は形骸化した習慣への固着と関係しているように思える。ゆえにこうしたシロシビン・セッションによる習慣改変効果はとても有り難く、習慣の見直しと形骸化した習慣からの脱却にはうってつけだと感じる。習慣以外にも、今日もまた何か新たな真理を覚知することができたら幸いだ。フローニンゲン:2024/5/5(日)06:52
12634. 今朝方の夢
暖房が音を立てながらせっせと働いてくれている。5月を迎えたが、また寒さが戻ってきたフローニンゲン。例年通りと言えば例年通りだが、フローニンゲンが完全に冬に終わりを告げるのは5月末か6月に入ってからになる。それまでは肌寒い日々が続く。その肌寒さは朝夕に限ったことではなく、日中においてもである。朝夕が涼しいのは夏のフローニンゲンの特徴でもあり、それは夏の時にはとても有り難い。引き続き日中の肌寒さを味わい、静かに季節の相転移を待ちたい。
今朝方は1つ印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、唯識学に関する穴埋め問題を解いていた。それはどうやら試験の一貫のようで、教室で1人問題を解いていると、小中高時代の友人(HY)がやって来た。どうやら彼が私の答案を採点してくれるらしく、ちょうど解答を終えたところだったので彼に解答用紙を渡した。すると彼は速やかに採点を始めたが、しばらくすると私に話しかけて来て、そこからは話で盛り上がった。そのタイミングで教室にまた別の友人がやって来て、そこからは3人で話をすることになった。話に盛り上がっている時にふと採点中の自分の解答用紙を見ると、彼が次に採点しようとしている箇所の解答欄が空欄であることに気づいた。その問題は自信を持って正解だと思える解答を書いていたはずなのだが、どうやら記入するのを失念してしまっていたようだった。どうしたものかと思い、そこでふと思ったのが、採点をしている友人の気を逸らしてこっそりと解答を記入してしまおうということだった。それを実行に移すべく、話題を少し変えて、彼の注意を逸らした。彼が注意を逸らした瞬間を見計らって、サッと解答を記入しようと思ったが、やはりそれは試験時間が終わってからの不正行為のように思われたので一瞬躊躇った。するとその瞬間に夢から覚めた。
この夢について書き出してみて思い出しが、この夢の場面の前にも唯識学に関するものを見ていた。そこでは、唯識学における真理の取り扱いについて1人熟考しながら独り言を呟いていた。すると、どこからともなく天から誰かの声が聞こえてきた。どうやらそれは遥か昔の偉大な学僧のようで、その僧侶から唯識学における真理についての教えを受けていた。真理はそもそも言葉を超えたものだが、それを言葉を巧みに用いて言葉を通じて理解する道をその僧侶に示してもらっていた。その時間はとても有意義で、時間を忘れるほどだった。そんな時間の中で自分は真理の世界に浸り切り、真理そのものと化していた。そのような場面があったのを覚えている。フローニンゲン:2024/5/5(日)07:05
12635. 観法行の修練を楽しみながら/2週間後のゼミナールへの期待
自分は真理を求める修行僧なのだろうか。はたまたアスリートなのだろうか。学ぶ者としての学者としても当然ながら真理を追求しているように思えるが、自分の中でとにかく大切にしているのは実践修行である。こうして唯識学と出会って深くその世界に入ってみると、「修行」という言葉の意味も感覚も随分と変化して来ているように気づく。そこには堅苦しさは微塵もなく、むしろ清々しさだけがある。行を修めていくことを通じて仏になっていく道。その道を着実に歩んでいるかを毎日の瞬間瞬間に内省対象に挙げて検証している。今はまだそのような状態だが、修行がさらに進めば、もはやそのような内的検証を必要としない形で、絶えず観法行を積み、善行を積んでいるという状態になるだろう。今はまだ道から外れていないかを意識的に検証する段階にあるが、いつかきっとそうした意識的な検証が不要となり、自分の一挙手一投足の全てが仏に向かう正しい道の上に行われるようになるだろう。無意識的に恒常的に行が積める段階に至るまで、徹底して意識的な取り組みに従事していきたい。
仏になるための観法行を学んでいくこと。観法行を磨き、観法行の達人を経て仏になることが唯識学を修する自分なりの目的となっている。ここで言う仏とは、広大無辺な智慧と慈悲を他者に授ける存在であることに他ならない。そんな存在に向かって着実な一歩を毎日進めていく。今日のシロシビン・セッションはその大事な一歩になる。それは大きな一歩になるだろう。毎日の小さな一歩に加えて、そこに隔週の日曜日に大きな一歩を加えていくこと。歩幅を変えることを通じて新たな刺激を自らにもたらしながらこの道を進めるところまで進んでいく。
2週間後のゼミナールでは、いよいよ唯識学を扱っていく。ちょうど節目の80回から唯識学を扱えることは望外の喜びである。これまでは様々なテーマを越境していたが、ここからは新たな試みとして唯識学に焦点を当てる形でゼミナールを運営していく。受講生の方達とどこまで深く唯識学を探究できるのか楽しみでしょうがない。テーマを変えることなく、唯識学というテーマを固定化させることを通じて、唯識学についての理解は回を追うごとに深まっていくだろう。そして、固定した唯識学を試金石にして自らの変化に気づけるに違いない。固定化した唯識学を自らの変化の参照点としてみるのである。絶えず唯識学と照らし合わせながら、自分の肯定的な変化を体感していくこと。それを実現できるような時間としていきたい。おそらくそのようなことを自分が計らわなくても、きっと自然にそれは実現できるだろう。唯識学の持つ力、そして受講生の方々の内在的な力を信じるだけでいいのだ。自分はその場にいて、その場に顕現する叡智の媒介者及び橋渡し役に徹すればいいのである。受講生の方達とそれぞれの智慧を持ち寄って、観法行を磨いていくことはとても楽しみだ。それぞれが持つ日常の課題に引き付けた観法行を共有していくことは創造的な営みでもある。唯識学が持つ豊かな無数の観点を観法行に落とし込んでいく形で、叡智を実践智に変えていく。また実践智を叡智に転換させていくこともクラスの中で実現できたらと思う。2週間後のクラスが始まることが本当に今から楽しみである。フローニンゲン:2024/5/5(日)07:57
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