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タイトル一覧
12599. 秋の一時帰国のフランクフルト経由について
12600. 今朝方の夢
12601. 真理の味
12602. 着実に進展する古文書の解読/真理を分かち合う人として生きること
12603. 叡智の輸入から叡智の輸出へ:人生の新たな季節の始まりを感じながら
12604. 『瑜伽師地論』の音読に向けて/心の習い事としての唯識学
12605. 暖かい日のジムでのトレーニングを終えて
12599. 秋の一時帰国のフランクフルト経由について
時刻は午前4時半を迎えた。今日もまた爽快な目覚めであり、今日1日の活動の充実さを予感させる。この時間帯はまだ辺りが真っ暗だが、ここ最近は日の出も早くなった。午前5時を過ぎてくると、辺りがうっすらと明るくなり始めるだろう。そしてそのタイミングで小鳥たちが鳴き声を上げ始めてくれる。きっと今日もそのタイミングで小鳥たちの美しい鳴き声のシャワーを浴びれるはずである。
今の気温は7度と低いが、今日からは少し暖かくなる。日中の最高気温は18度まで上がるようなので、午後にジムに行く際にはもうマフラーと手袋は必要なさそうである。ほんの1週間前まではマフラーと手袋が必要であったが、こうして突如としてそれらが不要になる様子を眺めていると、季節の変化は連続的かつ非連続的だということがわかる。そこには非線形的な跳躍があるのである。今まさにそれが起こっている。明日からは3日間、最高気温が20度を超える日が続き、水曜日に関して言うと25度まで到達するので、それはフローニンゲンにおける夏日である。こうした形で少しずつ暖かさを感じられるようになってきているのは嬉しいことである。冬の時代が長いフローニンゲンにおいては、短い春と夏の時期は本当に貴重である。その貴重な季節をこれから目一杯味わいたいと思う。
昨日の夕方に、無事に今年の秋の一時帰国のための航空券を確保したことについて昨日の日記で書き留めていたように思う。その時にフランクフルトを経由するのは初めてだと書いたように思うが、そんなことはなく、前回の一時帰国の際にはまさにフランクフルトを経由し、帰りに関しては経由どころかフランクフルトの5泊して観光していたことを思い出した。これまでドイツの様々な都市に足を運んだが、まだフランクフルト観光をしたことがなかったので、2022年の一時帰国の際にはフランクフルトにゆっくり滞在して、美術館や博物館巡りをしたのを覚えている。今回もまたフランクフルト空港を経由する形となり、帰りに関してもまたフランクフルトに1泊ほどしようと思う。成田からフランクフルトに到着する時刻は午後の5時で、そこからアムステルダム空港までまた飛行機に乗り、そこからフローニンゲンに戻るのは相当にしんどい。ただでさえ14時間も成田からフランクフルトに向かう機内に乗っているのだから、その疲労たるや見過ごせないものがある。とにかく体調を優先させて、心身共にゆとりのある旅をするというのが30代以降になっての旅のスタイルであり、それは日々脳を活用する取り組みに従事しているからでもある。日々の探究活動に全身全霊で打ち込むためには体の状態を最も気を使う必要がある。なので今回の旅においても、フランクフルト空港の中か空港に歩いて行ける距離にあるホテルに宿泊し、翌日の昼ぐらいにオランダに戻ろうと思う。フランクフルト空港に到着したらホテルに直行し、ゆっくり休んでその日は早く就寝し、翌日体力を回復させたところでオランダに戻るようにする。そうした計画を立てている。フローニンゲン:2024/4/29(月)05:02
12600. 今朝方の夢
時刻は午前5時を迎えた。空がダークブルーに変わり始めたのに呼応して、予想していた通り、1羽の小鳥が鳴き声を上げ始めた。今日も昨日に引き続き、キッチン側から鳴き声が聞こえ始めた。ここからその1羽の小鳥の後を追う形で、何羽かの小鳥たちが今日も一日中鳴き声を上げてくれるだろう。彼らの鳴き声に後押しされながら、今日もまた自らのライフワークである唯識学の探究に打ち込んでいこう。
今朝方の夢についていつものように振り返っている。まず覚えているのは、イギリスのサッカープレミアリーグの強豪であるリバプールに所属して、重要な試合を戦っている場面である。私はリバプールの一員として、本拠地のアンフィールドの素晴らしいスタジアムで、宿敵のチェルシーとの大一番を戦っていた。なんと言ってもリバプールはそのスタジアムが素晴らしく、ファンも熱狂的で、その熱気が選手にも直接伝わってくる作りになっている。そんなスタジアムでファンからの大声援を受けながらチェルシーという宿敵と戦えることに大きな喜びを感じていた。私は右のミッドフィルダーとして試合に出場し、他の選手たちとコミュニケーションを取りながら、巧みな連携プレーを終始行なっていた。試合開始早々には早速自分に得点チャンスがやってきたが、放ったシュートは相手ディフェンダーに当たってしまい、コーナーキックとなった。コーナーキックを任されていたこともあり、コーナーフラッグのところに行くと、すぐさまショートコーナーを使って相手を困惑させ、ショートコーナーの折り返しのボールを受けて、それをグラウンダーのパスとしてペナルティーエリア内のアフリカ系の選手にボールを送った。するとその選手が見事にゴール左隅にシュートを決め、スタジアムは大歓声に包まれた。その歓声は怒号のようで、これこそリバプールの歓声だとしみじみと感じ、そんな大歓声を受けてこうしてフィールドで試合ができることに本当に感謝し、思わず感動の涙がこぼれてきそうになった。涙を流すにはまだ早く、試合はまだこれからであったし、相手は強豪のチェルシーだったので、引き続き気の抜けない試合になるだろうと思った。しかしまずは今決まった得点を純粋にチームメイトたち、そしてファンたちと喜び分かち合いたいと思った。そのような場面があった。
次に覚えているのは、日本で新幹線に乗ろうとしている場面である。私は新横浜駅から新幹線に乗車しようとしていた。チケット売り場で担当の女性からチケットを求めていた時にふと、そう言えばSuicaをちゃんとオランダから持って来ていたので、それにチャージしてもらえば新しくSuicaを発行してもらう必要がないと思い、チケットの購入を一旦待ってもらおうと思ったが、もうチケットが発券されていたので、Suicaの件はまた今度にしようと思った。購入したチケットを持ってプラットホームに向かってみると、新幹線がちょうどやって来て、それに乗って実家のある山口県に向かうことにした。仮に窓口でSuicaについて交渉していたら、予約していたグリーン車の指定席のチケットが無駄になっていたのではないかと思うと、先ほどの自分の意思決定は正しかったと思った。フローニンゲン:2024/4/29(月)05:19
12601. 真理の味
今日はどのような真理が知覚されるだろうか。真理への期待感が高まる朝を味わっている。小鳥たちの鳴き声も先ほどよりも活気を増し始めた。時刻は午前6時を迎えたこともあり、辺りはもうすっかり明るい。遠くの空に薄オレンジ色の朝焼けが見える。そんな朝焼けを背景にして、自分の近くには小鳥たちが集まっていて、清澄な鳴き声を上げてくれている。それは真理の世界に届きそうである。そして、彼らの1つ1つの鳴き声という事の背後に常に必ず理としての真理が内包されていることを忘れてならない。それに気づかない限りは悟りに至ることなど到底できないだろう。そしてそれに絶えず気づくことができないのであれば、それは真の覚者足り得ない。そうした自覚が必要である。
真理の味は無記なるものだろうか。すなわちそれには善悪などなく、無味だと言えるだろうか。真理そのものは無味なるものかもしれない。しかし自分は、そうした本来無味なる真理をあえて味わいのあるものとして味わいたいと思う。真理から味を汲み取ることは可能である。仮に真理そのものが無味であったとしても、私たちはそこから豊かな味わいを汲み取ることが可能なのである。私たちに前六識があるというのはそういう意味なのだろう。それらは確かに私たちを迷わせるが、迷いの先に待っている果実として真理があり、前六識はその果実としての真理の味を味わわせてくれる唯一の存在なのである。深層心理としての末那識と阿頼耶識には、真理を味わう働きはないはずである。
私たちは、真理を覆う表面的な現象や事柄で迷う生き物だ。そうした迷いを生む時に関与しているのは深層意識のみならず、顕在意識としての前六識である。真理に暗い私たちではあるが、真理を見出していくのもまた前六識、とりわけ第六織としての意識の力なのである。混迷する現代社会を眺めていると、深層意識に目を向けながらの第六織としての意識を涵養することの重要性を痛感する。それは日毎に増す感覚である。同時に、それは唯識学の現代社会における有用性の感覚を高めている。唯識学はまさにそのニーズに合致する最良のものなのではないかと思う。意識を養い、意識を開発していくこと。そして私たち一人一人が仮構の表層現象に目を奪われて悩み、苦しみ、迷うことから解放させ、表層的な事物の背後にある真理に目覚めさせてくれるのが唯識学の教えと実践技法なのだ。慈悲心を持ってその叡智を多くの人に一刻も早く届けられるようになるために、今日もまた唯識学の研究に丹精を込めて取り組んでいきたい。フローニンゲン:2024/4/29(月)06:13
12602. 着実に進展する古文書の解読/真理を分かち合う人として生きること
奈良時代以降に残された日本法相唯識学に関する古文書が少しずつ着実に解読されていく喜びに毎朝浸っている。古文書の解読作業は朝の日課となり、毎朝それが楽しみで仕方ない。訓読文にも随分と慣れ、早くも学習曲線上における最初の飛躍の段階に到達したようだ。訓読文の見た目にも慣れ、読み方にも慣れ、旧字体の漢字にも随分と慣れ始めている自分がいる。これも継続的な学習の賜物かと思う。古に残された文献が時空を超えて今こうして自分の手元にあり、現代を生きる自分の存在を通して意味が紐解かれていく姿は感動的ですらある。自分が意味が理解できるということに感動を覚えているというよりも、現代を生きる1人の人間がこうして1300年も昔に生きていた人が残した言葉に触れ、まるで彼らと意味世界で交流をしているような姿を拝むことができる点に感動を覚えているのである。こうした感動を大切にし、ここからも毎朝の古文書解読を進めていく。
今日は良遍の『奥理抄』の続きに取り掛かり、全ての読解を終えた。依然として初読の段階だが、意味の分からない1つ1つの漢字を調べながらの初読も速度が上がり、当初の頃に比べて漢字を調べる頻度も減ってきて、読解が速やかになりつつある。明日からは『覚夢鈔補闕法門』に取り掛かり始める。良遍の書き残した書物を通じて、良遍が触れた真理を自分も追体験させてもらっていることに感謝の念が絶えない。良遍が垣間見た真理の世界のほんのごく一部しか自分はまだ知り得ていないだろうが、絶えず謙虚さを持って良遍を含めた過去の偉大な学僧が書き残した書物と向き合い、これからも精進しながら真理を求めていきたいと思う。真理に対して垂直に立ち、真理を通じて前進していくこと。それが自分のこれからの生き方の核となる。生きていく過程の中で得られた真理の妙味を味わい、その味わいと共に真理という叡智を多くの人に共有していくこと。それを徹頭徹尾行っていく。自分の全エネルギーはもうそれだけに向けられている。眼差しも、存在のベクトルも、全てそれに向けられている。自分はただ真理を通じて、真理として、真理を共有する人間としてただただ生きていきたい。フローニンゲン:2024/4/29(月)07:03
12603. 叡智の輸入から叡智の輸出へ:人生の新たな季節の始まりを感じながら
インドで生まれ、中国に伝播し、日本で揉まれて発展した法相唯識学は、世界に誇るべき精神文化遺産である。それを単なる遺産として残していくだけではなく、それに内包されている豊かな叡智を広く欧米社会に共有していきたいと思う。きっとそれが自分の使命なのだろう。日本で生まれ、人生の1/3ほどを欧米社会で生きて来た自分がなすべきことはそれなのだ。これまでの自分は、欧米社会で生まれ、発展してきた学問を日本に紹介することを行っていた。それはある意味叡智の輸入であった。まさにこの12年間は、成人発達理論やインテグラル理論といった西洋の学問的な叡智の結晶を日本に輸入することが1つの自分の役割であったし、仕事であったように思う。しかし、もうそのフェーズは終わりを告げている。海外から日本に叡智を輸入するのではなく、日本から海外に叡智を輸出していくフェーズに自分のライフサイクルが変化し始めているのに気づく。まさにそれをもたらしてくれたのが日本法相唯識学との出会いであり、輸出対象もまたそれである。
当然ながらいつかはインド、中国、チベットに伝播した唯識学の教えまで学びたいが、今はとにかく日本の法相唯識学に全身全霊をかけて焦点を当てて探究を進めていく。今はまるで資糧位の段階であるかのように、日本の法相唯識学についてその歴史を含め、知識を収集していく段階である。知識を超えて叡智に触れていきながら、同時に叡智を通じて実践をして叡智を体現していくということも併せて行っている。それを愚直に進めていきながら、どこかのタイミングで必ず再び欧米の学術機関に戻り、研究内容を論文や専門書の形としてまとめていくことを行いたい。そこでの英語での知識の共有から出発し、少しでも欧米人が唯識学の叡智に触れられるような土壌をまずは作っていきたい。いきなり広く唯識学の教えが欧米社会に広がっていくとは考えづらい。もちろん今はSNSを含めたテクノロジーをうまく活用すれば、本当に良いと思うものを広く波及させていくことは比較的容易なのかもしれないが、自分は焦ることなく、着実に人間解放・人間発達の叡智が詰まった唯識学の教えを自らも実践を通じて体現させていきながら広く着実に世界に共有していきたいと思う。
自分の人生のフェーズは新たな局面を迎えた。確かに引き続き叡智を得ながら、叡智を養分にして自己を深めていくが、叡智を共有するフェーズを迎えたのである。しかも西洋の叡智を日本に共有するというフェーズから、今度は日本の宝として残存する唯識学の叡智を世界に向けて共有するフェーズに入ったのである。新たな季節を迎えようとしているのはフローニンゲンだけではなく、自らの人生もまたそのようである。人生の新たな季節の始まりを大いに祝福したい気分である。フローニンゲン:2024/4/29(月)07:39
12604. 『瑜伽師地論』の音読に向けて/心の習い事としての唯識学
時刻は午後1時を迎えた。今日は本当に良い天気で、午前中こそまだ暖房が自動で入る時間があったが、正午を迎える頃にはもう暖房は自動で入ることはせず、暖かくなってきた。もう1時間ほど唯識学の研究に打ち込んだら、晴れ渡る空の下、散歩がてらジムに行って今日も気持ちの良い汗をかいて来ようと思う。
午前中に、『国訳大蔵経:瑜伽師地論』の初読を進めていた。玄奘三蔵が『瑜伽師地論』の原典をインドまで求めた気持ちが触れれば即座に分かる偉大な書物だとつくづく感じていた。玄奘三蔵の命懸けのインド渡航と命を注いだ翻訳のおかげで、今こうして1300年以上の時を経て、この書物の叡智に触れられることに本当に感謝したい。現在初読を着実に進めているが、初読を無事に終えて再読する際には、一言一句味読するようにして音読していく。朝の音読行としてそれを行おう。
唯識学の研究は、何も文献の読解だけに留まらない。文献を読みながら、現代のテクノロジーの1つでもあるPPTにスライドとしてまとめていく作業もまた大きな学びをもたらす。そしてそれと同等の学びをもたらすのが、そのスライドに対する解説動画の作成である。毎日コンスタントに2、3本ほど解説動画を作成し、それをゼミナールの皆さんに共有している。今朝方も2本ほど新しく解説動画を作っていった。こうして文献読解とそれを口頭で解説していくというサイクルをこれからも長きに渡って回していきたいと思う。それは雪だるま式に自らの内側に知識と叡智をもたらしてくれるであろう。
心を習うこと。心についての習い事が唯識学の探究と実践なのであるという気づきが午前中にあった。心は無限に広く深いものであるから、この習い事に終わりはない。自らがどこまで心を理解したいか、どこまで心を深めたいかがその習い事の終わりどきを決める。自分はこの習い事を一生涯続けていくであろう。他の習い事に優先させる形で心の習い事としての唯識学の修練に励むという気持ちをまた新たにした次第だ。一生かけて取り組めるこんな魅力的な習い事に出会えたことに深く感謝している。フローニンゲン:2024/4/29(月)13:18
12605. 暖かい日のジムでのトレーニングを終えて
時刻はゆっくりと午後5時を迎えようとしている。サマータイムが始まって1ヶ月ほどが経ち、この時間はまだまだ明るい。最近は就寝時間がすっかり早くなったこともあって、就寝に向かう午後9時前はまだ明るさがあるぐらいである。今日はすこぶる天気が良く、早朝から今にかけて始終小鳥たちが喜びの鳴き声を上げていた。今も彼らの澄み渡る鳴き声が聞こえてくる。
今日は最高気温が19度ほどになり、ジムへ行き道においては、ジムに到着する頃にはもうすっかり体が温まっていて、上着を羽織る必要ないように思えた。半袖半ズボンで十分なように思えたので、帰りはジムでトレーニングをした格好のまま帰ることにした。帰り道の途中で立ち寄ったスーパーの中では寒さを感じたので上着をまた羽織ったが、下の格好は半ズボンのままであり、今週の木曜日にジムに行く際には上に羽織るものを持って行きながらも、行きも帰りも格好は半ズボンで十分なように思えたのでそのような格好で出掛けていこう。木曜日はもう最高気温は20度を超える。
今日のジムでのトレーニングもよく集中した充実したトレーニングが実現されていた。準備運動を終え、ローイングマシンを5分ほど漕いだ時に、今日はどれくらい体が動きそうかなと改めて考えた。実は行きにジョギングをしてジムに向かおうとしていた時に、いつもより少し体に重さがあった。それは風のせいで前に足が進めづらかったのか定かではないが、いずれにせよ今日は様子を見ながらトレーニングをすることにした。ローイングマシンを使って以降の本格的なトレーニングは、徐々に負荷量を増していく形で無理をせずにトレーニングしていった。するとトレーニングの途中ぐらいからはいつもと変わらない負荷量で各種のメニューをこなしていくことができた。身体の状態というのは本当に変化があって興味深いものである。別の観点で言えば、そうした変化に絶えず敏感であることがトレーニングのみならず、身体の健康の維持・促進に重要になるのだと思われる。十分にトレーニングをした後の有酸素運動としてのランニングはとても気持ち良く、傾斜角度を調整して負荷量を増やし、20分強様々な速度を段階的に変えていく形で良い汗を流した。今日の夕食はさぞかし美味しく感じられるだろう。今日からは先日購入した電動グラインダーを有効活用するために、朝に大豆をきな粉にしてドリンクに加えるだけではなく、先ほど黒豆を購入してきたので、それを粉にして蒸したサツマイモの上にまぶしてみようと思う。黒豆には大豆にはないアントシアニンという抗酸化作用のある成分が含まれているし、大豆と同じぐらいのタンパク質量を持つので、とりわけトレーニング後の夕食には積極的に取り入れていきたい。さてどのような味だろうか、今から味わってみるのが楽しみである。フローニンゲン:2024/4/29(月)17:01
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