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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12584-12589:2024年4月26日(金)



⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12584. 抹茶・大豆・黒豆

12585. 今朝方の夢

12586. 大豆生活・抹茶生活の本格的な始まり

12587. 今朝方の夢の続き

12588. 瑜伽行としての文献読解/古書の香りに包まれて

12589. 『「人の器」を測るとはどういうことか』の出版記念をセミナー終えて


12584. 抹茶・大豆・黒豆


時刻は午前5時を迎えた。今日もまた5時を過ぎたあたりから1羽の小鳥が鳴き声を上げ始めた。一昨日はキッチン側から、昨日は庭側から鳴き声が聞こえてきたが、今日は再びキッチン側からまず第一声が聞こえてきた。今はもう双方から鳴き声が聞こえてくる。サマータイムに入ってから1ヶ月が経とうとしており、こうして日々気づかない形で夜明けの時間が早くなっていて、小鳥たちはそれに呼応する形で少しずつ早い時間から鳴き声を上げるようになっているのだろう。


昨日のジムでの筋力トレーニングも非常に充実していた。トレーニングの前後に行う有酸素運動も板につき、昨日はトレーニング前のローイングを気持ち長めに行い、筋肉を温めた。そのおかげもあってか、充実したトレーニングが実現できたように思う。パーソナルトレーナーのエリーザとトレーニング中に雑談をしていると、彼女もニューヨーク旅行中に何かを悟ったようにコーヒーを飲むことを突如としてやめたらしい。ちょうど自分と同タイミングでコーヒーの摂取をやめたことに驚く。コーヒーを完全にやめて抹茶に変えることによって身体にどのような好影響が見られるかはこれから明らかになっていくであろう。身体への影響はそのまま心への影響にもつながってくるであろうから、習慣を変えることによる心身への影響を具に観察したい。


昨日ジムに行く前に、近所の玩具屋に届けられた電動豆挽きを受け取った。今日からはそれを用いてオーガニックの大豆を挽き、それを朝のドンリクに加えてみる。朝はタンパク質を含めた栄養の補給として、呼吸法の実践とアニマルフローの実践を終えた後に、ヘンプパウダー、カカオパウダー、小麦若葉、蜂蜜を混ぜた温かいドリンクを飲むことが日課であり、そこに挽いた大豆を加えてみようと思った次第である。この1週間以内に、コーヒーミルで大豆を挽いて試したところ、味は大変良かった。ただし、手動のコーヒーミルで固い大豆を挽くのがとても大変だったので、小型の電動の豆挽きを購入した次第である。今日からそれを用いて大豆生活が始まる。抹茶と合わせて朝に大豆を摂取することも健康をさらに促進してくれるだろう。


昨日のジムからの帰り道に立ち寄ったオーガニックスーパーで、大豆だけではなく黒豆にも関心を持った。ちょうど同じコーナーに黒豆が置かれていて、見るからにして何か栄養がありそうだと思った。すると、100g中のタンパク質量は大豆とほぼ同じぐらいに優秀なだけではなく、牛のレバーやホウレン草よりも100g中の鉄分の量が豊富とのことであり、カルシウムやカリウムといった生理機能に欠かせないミネラルを豊富に含んでいることを知った。さらには、大豆以上にアントシアニンが含まれているらしく、アントシアニンは抗酸化作用があるので、黒豆を夜の料理に使ってみようかと検討している。こうして日々少しずつ食実践にもさらなる改善を加える形で日々をさらに従事した心身で過ごしていきたいと思う。フローニンゲン:2024/4/26(金)05:31


12585. 今朝方の夢


まだ時刻は午前5時半を迎えたばかりだが、辺りがうっすらと明るくなり始めていることに気づく。先ほど午前5時の段階で近所の民家にも明かりが灯っている家があり、自分と同じぐらいに早起きをして活動している人が他にもいるのだと知った。明日からは最高気温が15度を超えてくるが、今日はまだ肌寒く、11度までしか気温が上がらない。今も暖房がせっせと働いてくれていて、気温は4度である。


今朝方はいくつかの断片的な夢を見ていた。覚えているものから順番に書き留めておこう。まず覚えているのは、小中高時代の友人(YU)と一緒に、我執の強い人たちに対して我執への囚われから脱出する方法を伝えていた場面である。それは説法の旅のようで、色々な場所に出向いて様々な人たちにその方法について教えていた。もちろん唯識学をベースにしてその方法を伝えていったのだが、あまり難しい言葉は使わず、目の前にいる人の特性に合わせて説き方を変えていった。すると、それが功を奏して、その場にいた人たちは皆一様に我執への囚われから解放されることに希望を見出したようだった。それを見てこちらも説法をした甲斐があったと思い、こうして仏法を伝えるという意味での法施としての説法の大切さを感じた。そのような場面があった。


次に覚えているのは、小中高時代の親友(SI)と一緒に温泉に入っている場面である。私たちは旅先の旅館に宿泊していて、ちょうど観光から帰ってきたばかりだった。充実した観光を終え、疲れた体を癒すために、真っ先に温泉に入ることにした。大浴場に行き、すぐさま扉を開けて温泉のある場所に入って行こうとした。すると湯気が大量に立ち込めており、その先にある温泉がよく確認できないほどであった。温泉に入る前にサウナに入りたいなとふと思ったので、親友にサウナがある場所を知っているかと尋ねた。すると、温泉の奥にあるとのことだったので、一緒にサウナに向かうことにしたが、すぐさま自分の考えは変わり、サウナよりも先にまずは目の前の温泉にゆっくり浸かろうと提案した。親友はその提案に賛同してくれ、まずはじっくりと温泉を味わうことにした。温泉に浸かってしばらくすると、サウナから2人の男性が出で来た。すると、2人もまた小中高時代の友人(NK & TK)で、彼らにサウナの様子はどうだったかと尋ねた。サウナも温泉に負けず素晴らしいと述べたので、そろそろ温泉に浸かることを切り上げて、サウナに入ってみようと思った。いざサウナに向かおうとしたところで親友から鼻水が垂れていることを指摘され、それを拭ってサウナ室に向かった。そのような場面があった。フローニンゲン:2024/4/26(金)05:45


12586. 大豆生活・抹茶生活の本格的な始まり   

     

時刻は午前6時半を迎えた。朝焼けがとても美しく、遠くの空が薄オレンジ色に輝いている。そんな朝空の下に、小鳥たちが引き続き美しい鳴き声を上げ続けてくれている。そんな景色に溶け込みながら、朝の創作活動に取り組んでいた。


昨日受け取った電動豆挽きを先ほど早速使ってみた。手動のコーヒーミルで大豆を挽いていた時の苦労が嘘のように、わずか10秒ほどで固い大豆がきな粉となった。説明書を読むと、20秒ほど時間をかければさらに細かくなるようなので、10秒の段階ですでに十分細かい粉になっていたが、さらに細かい粉にするために明日は20秒ほど時間を測って大豆を挽いてみようと思う。自らの手で豆を挽くことにも趣きはあるが、テクノロジーの力を借りて豆を挽くことの便利さには感謝したいと思う。昨日はジムでの筋力トレーニングがあったので、その翌朝の時間帯にタンパク質を補給することは大切で、大豆はうってつけの食材となる。いつもの朝のドリンクにきな粉を混ぜて先ほどいただいた。もちろん毎朝大豆を摂取しても何も問題ないと思うが、当面は腸を慣らすために、筋力トレーニングの翌日と翌々日の朝に大豆を粉末にしたきな粉を摂取することにし、1日、2日空けて筋力トレーニングをして、またその翌日に大豆を摂取するようにしてみよう。慣れてきたら毎朝のドリンクに粉末にした大豆を混ぜることを検討したい。大豆生活がこうして無事に始まった。


それと同様に、昨日から始まった抹茶生活も楽しみである。今は休憩として1杯の水を飲んでいるが、それを飲み終えたら抹茶を作る。昨日の体験をもとにすると、一度カップの上で抹茶をきちんと溶かしてから魔法瓶に入れた方がいいと思った。昨日は抹茶をスプーンで掬ったものを魔法瓶に入れ、そこに80度ほどのお湯を注ぎ、魔法瓶を軽く振る形で混ぜた。すると完全に抹茶が溶けておらず、飲み始めの表層部分の味がとても薄かったので、その反省を踏まえて、今日はまずカップできちんと抹茶を溶かしてから魔法瓶に入れることにする。フローニンゲンはまだまだ寒さが残るので、魔法瓶で保温しながら抹茶をいただけることは有り難い。もう少し暖かくなってきたらお湯の温度を下げて魔法瓶に入れるようにしよう。夏の時期には常温の抹茶を飲むのもいいかもしれず、今使っている抹茶が常温でどこまで溶けるのかもまた実験してみる必要があるだろう。ここからの大豆生活・抹茶生活による心身の健康促進とその影響による活動のさらなる充実に期待を持つ。フローニンゲン:2024/4/26(金)06:46


12587. 今朝方の夢の続き  


つい先ほど抹茶を淹れた。早朝の爽やかな朝空を眺め、小鳥たちの清澄な鳴き声に包まれながら飲む抹茶は格別である。そして、そんな抹茶を味わいながらの唯識学研究はさらに格別である。至福なること極まりない生活がここにある。


至福さを感じていると、今朝方の夢の続きを思い出した。それについても書き留めておき、今日もまた昼までの唯識学の探究に没頭していきたいと思う。


夢の中で私は、オランダにある宿泊施設の数を数える調査を手伝っていた。日本の旅行代理店に勤める2人の見知らぬ男女がオランダにやって来て、2人の手伝いとしてその調査に加わることになった。最初、女性の方が過去の調査をもとに現在の宿泊施設の数を算出していたが、どうもその数字が現状に合わないという感覚が自分の中にあった。オランダでこうして丸8年生活している中でオランダの方々の町に足を運び、そこで見て来た経験からすると、彼女が算出した1施設当たりの人口比率は一桁ずれているように思えたのである。そこで私は、過去のデータを信頼するのではなく、一度私たちの頭の中だけでフェルミ推定をしてみようと提案した。2人はフェルミ推定について知らないようだったので、その方法を教え、1施設当たりの人口比率の概算値を算出した。するとそれは自分の感覚とも合致するもので、そこから実際の調査に取り掛かった。すると、やはり自分の直感とフェルミ推定の算出結果が正しかったことがわかった。そこから私たちはフィールドワークとして外に出かけることにした。すると、道を歩くオランダ人の小学生たちの集団に遭遇した。彼らはまだ小学生なのだが、さすが世界一身長の高い国のオランダ人である。小学生ながらに私たち以上に背が高い子供がわんさかいて、彼らに取り囲まれて話しかけられると妙な圧迫感があった。彼らにとっては日本人が珍しかったようで、学校で習いたての英語で私たちに笑顔で色々と質問をしてきた。そのような場面があった。


それ以外に覚えている場面は、3人の見知らぬ日本人と自分とで、その場で即興劇を行なっていた場面である。即興劇を始めてみると、全員最初は英語で話をしていたのだが、突然私はどこの国の言葉かわからない言語で話し始めて3人を驚かせた。自分でもそれに驚いてしまったのだが、最初私はスペイン語を話し始めたのかと思った。音の感じがスペイン語のそれに似ていたのである。しかしどうやらスペイン語ではなく、何か得体の知れない外国語を自分が流暢に澱みなく話していることに気づき、自分でも驚いた。3人は驚きながらも、その驚きをできるだけ表に出さない形で即興劇を続けていった。そのような場面があった。この謎の外国語を流暢に喋る夢が示唆するものは何か気になるところである。今は日々英語か古典日本語に触れるような毎日を過ごしているに過ぎず、変わった外国語に触れるような生活を送っていない。将来に仏教研究の幅をさらに広げる際にサンスクリット語やチベット語を本格的に学習しようと思っているが、その前触れがすでに自分の深層意識の中で現れているのだろうか。そのようなことを思わせる夢だった。フローニンゲン:2024/4/26(金)07:15


12588. 瑜伽行としての文献読解/古書の香りに包まれて


小鳥の鳴き声と共に、今『国訳大蔵経:瑜伽師地論』の第22巻の初読を終えた。この本にはルビが振られていることもあって、毎日1巻ずつ瑜伽師地論を読み進めていくと、早朝の良遍の残した訓読文を読むことが日毎に楽になっているのを実感する。また、良遍の訓読文と格闘しながら、分からない読みや意味の漢字を一言一句調べていく取り組みを継続しているがゆえに上記の瑜伽師地論が読みやすくなっていることも感じる。双方が好影響を与え合い、唯識学の古書を紐解く文献読解力を着実に高めてくれていることを実感している。こうして毎日少しの変化と成長を感じられることは生きる喜びの醸成にもつながっている。ライフワークというのはそうした性質を持って然るべきであろう。


自分にとっては、唯識学の文献を集中した心で読んでいくこともまた1つの立派な瑜伽行である。瑜伽行を行じながら文献と向き合っているのだという意識を絶えず持ちたいものである。集中した意識こと学習と実践の肝であり、極度な集中状態に速やかに入ることやそれを持続させることをシロシビン・セッションや日頃の瞑想実践のみならず、文献読解を通じても実現させていく。


上述の先日届けられた『国訳大蔵経:瑜伽師地論』は、玄奘三蔵の漢訳全100巻を16巻の和綴じとして出版されたもので、毎日1巻ずつ初読をしていくことにした。初読でまずは『瑜伽師地論』の全体観を把握し、再読以降に少しずつ内容の理解を深めていくという読解方針はいつもと変わらない。『瑜伽師地論』とはこれから長い付き合いになるであろうから、何度も繰り返し本書と触れることを通じて、瑜伽行唯識学の奥義を体得したいと思う。またこの書物と向き合うことで訓読文を読みこなす下地を形成していきたいと思う。すでにその下地の形成過程が始まっており、あとはその過程が自然発酵的に少しずつ進行していくように毎日学習という実践行を通じた刺激を加えていくだけだ。


そのようなことを考えながら、意識を鼻識に向けていると、書斎の机の周りが古書の香りに包まれていることに気づく。唯識学の研究を始めてからというもの、奈良時代まで遡る日本語の古書を購入することが増え、書斎の机の周辺は新書の香りではなく、古書の香りが立ち込めるようになったのである。古書の良い香りに包まれながら、午前中の唯識学の研究を引き続き進めていこう。フローニンゲン:2024/4/26(金)09:20


12589. 『「人の器」を測るとはどういうことか』の出版記念をセミナー終えて


つい先ほど、これまで長らく協働をさせていただいている株式アントレプレナーファクトリーさんの後援のもと、知人の中土井僚さんと一緒に『「人の器」を測るとはどういうことか 成人発達理論における実践的測定手法』の書籍の出版を記念したセミナーをさせていただいた。まずもってこうした場をいただけたことに深く感謝し、その感謝を味わっている自分がいる。久しぶりのセミナーということもあって、とても新鮮な気持ちで今日の日を迎えることができたし、何よりも中土井さんとの対話が楽しかったという思いがまず浮かぶ。

少し今日の内容を振り返ってみると、中土井さんからの問いとご発言にあったように、自分は成人発達理論と離れられない関係にあるのだなと思わされた。それは決して否定的な意味ではなく、むしろ逆にとても肯定的な意味としてである。詰まるところ成人発達理論は、私たちの心の成長発達のプロセスやメカニズムを探究している学問分野であり、実践と理論が不可分とは言いつつもなぜそうした理論を大切にするかというと、実践を通じて自己が成長をさらに遂げていけば、これまで見落としていたその理論の意義や価値に気付かされるということが起こる。もっと突き詰めていくと、その理論の背後にある理、すなわち真理が見えてくるのである。これまでの自分は、成人発達理論の真理が見えていたとは決していない。見えていたのは、成人発達理論の「事」の部分、すなわち真理に付帯している表層的な事柄だったのである。事理則不可分の観点で言えば、事と理が絶えずつながっているからこそ、その時の未熟な自分には成人発達理論の真理が見えていなくても、表層的な事を通じて真理をどこかで感じ取っている自分がいたのだと思う。そこから日々地道な探究活動と実践活動を続けていくことによって、成人発達理論の「理」すなわち真理が少しずつ見えてきたのだと思う。もちろんそれもまた道半ばであるが、理論が理論たる所以は、それが私たちが想像しているよりも遥かに深く豊かな真理を内包しているということである。真理を見落とすなかれ。仮に今その瞬間に真理が見えなくても、絶えず真理を見つめようとする眼差しと態度を持てという言葉を自分に投げかけたい。その言葉はすでにいつも投げかけているものなのかもしれない。真理という言葉が形骸化され、得てして疎ましく思われたり怪訝に思われたりする世の中においてこそ、誰からも理解されなくても、世の中の全ての人を敵に回したとしても自分は真理を追求していく。自分はそんな愚直な真理追求人なのだと思う。そのようなことを改めて思わせてくれるセミナーであった。フローニンゲン:2024/4/27(土)15:06

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