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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12393-12399:2024年3月28日(木)

⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12393. 今朝方の夢

12394. 今朝方の夢の続き

12395. 自利即利他行の積み重ね

12396. 喜びと密接に繋がった大欲に基づいて/日本の唯識法相教学の伝統継承への使命感

12397. 五位百法の暗記と内面観察行/他者との関わりと煩悩

12398. 心の有り様と環境世界の有り様

12399. ジムでの何気ない風景から


12393. 今朝方の夢


今日もまた新たな1日が始まった。時刻は午前5時半を迎えたが、まだ辺りは闇に包まれている。しかし、小鳥たちはもう鳴き声を上げていて、夜明けに向けた喜びの歌を奏でている。そんな歌に包まれながら、今朝方の夢について振り返っていた。


夢の中で私は、ニューヨークの弁護士事務所を扱ったアメリカのテレビドラマに出てくるアメリカ人のある俳優の男性と日本人の憲法学者の方の3人でカフェで話をしていた。驚いたことにアメリカ人の敏腕弁護士の彼は日本語が流暢で、3人の会話は日本語でなされていた。片方は実務家としての弁護士で、もう片方は理論家としての憲法学者ということで、2人の法律への関わり方は異なっていたが、法律に対する熱い情熱のようなものは共通していた。そんな2人がひょんなことから、法律に関する同じ古典を扱った解説書を別々の出版社から同時期に出版することになった。それに関して何か不都合なことはないかを私は2人に尋ねていた。同じ古典に対する解釈書なので、当然読者は比較することになるだろう。そうすれば、片方の書籍に批判が集中することも考えられ、その点について2人と出版社はどのようなことを考えているかを伺ったのである。そうすると、2人はそうした批判があってもそれは然るべきものとして受け止める覚悟があるとのことであり、また何よりも2人はそれぞれが自分の法解釈に信念を持っているようで、書籍の内容について自信があるようだった。言葉に出さなくても信念と自信の強さをひしひしと感じた。


そこから私たちは話題を変え、そしてコーヒーを注文することにした。そのカフェは特製コーヒーが有名で、日替わりでコーヒーが変わる。日替わりで変わるコーヒーはどれも美味で、どの日にやって来ても当たりと言えるほどに旨いコーヒーを出していた。今日の日替わりコーヒーを注文しようと思って店員を呼ぶと、店員はアフリカ系の大学生ぐらいの若い女性だった。どうやらバイトのようで、また日本語も不慣れだったので、少し対応がギクシャクしていた。それに関して敏腕弁護士の男性は少し苛立ちを表明し、しっかり注文を受けなければいけないのではないかとその女性に幾分強い口調で忠告した。するとその女性は少し反発するような口調でたどたどしい日本語で言葉を返した。そんなやりとりを2人がしている間に、今日の日替わりコーヒーではなく、日本で取れた特選豆を使ったコーヒーを試しに飲んでみようと思った。それは前々から飲みたかったもので、これまで飲むチャンスがなかったのでこの機会に飲んでみようと思ったのである。それを注文しようと思ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/3/28(木)05:46


12394. 今朝方の夢の続き      


春は何よりも小鳥の鳴き声がより美しく感じられる季節である。そんなことを早朝世界に鳴り響く小鳥たちの鳴き声に耳を傾けながら思う。彼らの鳴き声は本当に透き通っていて、天国の歌のようにさえ思えてくる。ここは至福世界である。ここは至福浄土なりという気持ちが自然と込み上げてくる。この世界を至福な浄土だと思えるかどうかは自らの心が決める。私たちの阿頼耶識としての心が環境世界を作るというのはまさにそういうことなのだ。今この瞬間の自分を取り巻く世界を天国と捉えているということから自分の心がどのような状態なのかが見えてくる。今の心の在り方を維持し、さらに豊かなものにしていきたいものである。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、そう言えばアメリカのテレビドラマに登場するニューヨークで活躍する敏腕弁護士の彼は、法律に関する古典の解釈本だけではなく、なぜか筋力トレーニング用の筋肉解剖図のカラフルなイラスト付きの書籍を出版していたり、勉強法の書籍なども出版していたことを思い出す。むしろそれらの書籍の方が法律の解説書よりも売れ行きが好調のようで、勉強法の書籍の方はベストセラーになっているようだった。実際に書店に足を運んでみると、確かに彼のインパクトのある顔写真が掲載された勉強法の書籍がベストセラーコーナーに置かれていることを確認できた。


それ以外にも、唯識学に関する夢を見ていたことも思い出す。夢の中の自分は唯識学に関する講義を大学の小さな教室の中で行っていた。それはゼミナールぐらいの規模で、決して大教室での大々的なレクチャーではなかった。しかしむしろ小さな教室で少人数を相手にした講義であったがゆえに、活発な意見交換がそこでなされ、唯識学を教えているこちら側としても大変刺激があり、こちらも学ばされることが多々あった。探究というのはやはり1人で黙々と書物を読み進めていくだけではなく、むしろこうした他者への講義と他者との対話を通じて深まっていくものだと改めて感じた次第だ。


その他には、長いトンネルを走る車の中にいた場面があったことも思い出す。そのトンネルはどこまで続くのか全くわからず、ただひたすらに同じ速度で走る車の後部座席にいた。運転席の真後ろの後部座席に座りながら、トンネルの中で移り変わっていく景色を眺めていた。それは変化に富むものではなかったが、トンネル内の外灯が一定のペースで次から次に移り変わっていく様子を眺めることが妙に心地良く、それはどこか生成消滅を繰り返す森羅万象を体現した現象のように思えたのである。自分の肉体も心も、次々に移り変わっていく外灯のように変化しているのだという明確な実感が得られ、それはまた新たな目覚めを自分にもたらしてくれているようだった。トンネルの中で私は、諸行無常のなんたるかを改めて悟らされたのである。そのような体験をする場面があった。フローニンゲン:2024/3/28(木)05:57


12395. 自利即利他行の積み重ね         


時刻は午前6時半を迎え、辺りはもうすっかりと明るくなった。5時半の段階で小鳥たちが鳴き声を上げていたが、今は少し休んでいるのか、あまり鳴き声は聞こえてこない。今の気温は6度で、今日の最高気温は9度とのことなので、午後にジムに行く際にはまだマフラーと手袋を着用する必要がありそうだ。週間天気予報を見る限り、引き続き今日のような気温が続いていく。


今日もまた午後にジムに行くまでの時間を唯識学の研究に打ち込んでいきたいと思う。まずは“Vasubandhu's 'Three Natures': A practitioner's guide for liberation”に掲載されている『三性論』の読経行から始める。同著者が執筆した『唯識三十頌』の解説書については音読が一巡し、三十頌についてもかなり音読したため、昨日から『三性論』に移った。こちらについても頌の音読と解説の音読の双方を行っていきたいと思う。『三性論』の音読の解説に関する音読が一巡したら、また『唯識三十頌』に戻ってきて、三十頌の音読を繰り返し行っていきたいと思う。そこからはまた別の書物の音読を検討しており、文献の選択について考えを巡らせておきたいと思う。


洋書の音読が終わったら和書の読解に移っていく。昨日の段階で手持ちの唯識関係の書籍の全書籍を少なくとも2回繰り返し読んだので、今日からはじっくりと良遍の『観心覚夢鈔』を精読していこうかと思う。精読の過程で重要だと思うことについて日記にまとめたり、PPTスライドに整理していくことを行っていきたい。そしてPPTスライドについては作成したものを元にして解説の動画を作り、ゼミのシステム上にアップしておきたいと思う。こうしたアウトプットを地味に毎日積み重ねていくことが知識の確かな定着をもたらし、心の成長実践に資する実践知を生み出していく。書物を漫然と読み進めていても決して身になることにはつながらず、実践で活用できるための知識を得たければ絶えずアウトプットすることが不可欠である。今日もまた小さく様々な発見と気づきが得られるだろう。そうした小さな歩みを大切にしながら、自利即利他行を積み重ねていき、自他の心の成長と幸福の実現に向かって邁進していきたい。フローニンゲン:2024/3/28(木)06:45


12396. 喜びと密接に繋がった大欲に基づいて/日本の唯識法相教学の伝統継承への使命感


喜びと楽しみ。それらに溢れた日々がある。唯識学を学ぶことから溢れてくる喜びこそ大切にする。唯識学について語ることから溢れてくる喜びこそ大切にする。そこにとても大切なものがある。喜びの感情は大欲ともつながっている。大欲とは、衆生の救済と解放、そして幸福の実現を目指したものである。そうした大欲に基づく唯識学の探究は決して欲の不善の側面の貪欲に陥ることはない。唯識学の教えを深く理解したいという欲はすなわち善欲であり、それは研鑽と精進の原動力となる。そうした善欲がなければ人は成長していかないし、仏に至ることはない。喜びと密接に繋がった大欲に基づきながら、日々の精進をとことん楽しんでいきたいと思う。


唯識学に触れるだけで喜びが生まれてくるというこの現象は本当に不思議である。そしてその教えを実践に適用すればするほどに、さらに喜びが増すことも興味深い。唯識学の教えは決して難解なものではなく、ゆっくりと1つ1つの言葉と向き合っていけば、必ず理解できるものであるし、何よりも1つの言葉を通じて自己観察をするだけでミクロな成長が実現されるという確かな成長実感が得られることも喜びの源泉であり、最大の魅力の1つかと思う。そうした魅力を日本や欧米社会の人々に伝えていくこと。その使命を着実に全うしたいと思う。


日本にわずかばかり残る唯識法相教学。日本の宗教文化遺産としての至宝とも呼べるであろうその灯火を絶やしては決してならないという気持ちが湧き上がってくる。日本の仏教史を眺めてみると、法相宗は決して大きな勢力を誇ることはなく、創始の時こそ研究は盛んであったが、以降はあまり日の目を浴びることなく勢力を縮小していく流れがあった。瑜伽行唯識学派の発祥の地であるインドにおいても、インドの仏教においてその教えはあまり研究されておらず、仏教研究の焦点は龍樹の中観派の思想であったり、密教思想であったり、瑜伽行唯識学派の思想に焦点が当たることはあまりないようだ。それはチベットや中国においても似た傾向があり、世界の仏教研究においても瑜伽行唯識学を研究している人はあまり多くない。そんな中、日本の法相唯識教学の研究となるとさらに研究者の数は限られる。自分はその一翼を担い、日本が誇る法相唯識教学の叡智を絶やすことなく後世に伝承していくための研究と取り組みに従事していきたい。それは自分の最大の情熱の1つであり、最大の使命の1つである。今日の探究活動もそれに連なる一歩となる。そう思うとその瞬間の探究の重みを実感し、探究の深みがさらに増すように感じられる。とにかく自分の研究の主題は日本の唯識法相教学だ。フローニンゲン:2024/3/28(木)08:25


12397. 五位百法の暗記と内面観察行/他者との関わりと煩悩 

 

唯識学における存在の構成要素分析としての五位百法は、英単語を覚える際に採用してきた方法と同じく毎日触れることが大事である。毎日それに触れながら、実践としてその単語を自らの内面観察に適用していくのである。新しい英単語を用いて例文を自分で作るのと同じ容量で、五位百法に内包される百法を通じて自己観察を日々行っていけばいいのである。英単語の数は膨大なものに及ぶが、唯識学の存在の構成要素はわずか100と非常に親切だ。それを多いとみなすのか、少ないとみなすのか。自分はそれは詳細な分析だと思うが、数としてはわずか100だという認識を持っている。これまで膨大な英単語を覚え、今現在もまた日々新しい単語に出会う英語空間の中で生きている身からすると、唯識学の百法はたった100なのだ。そのたった100に非常に深みがあるわけだが、いずれにせよこの100は何も見なくてもすらすら全部述べることができるようにすることがまず大事であり、5つのカテゴリーを脳内の引き出しとして作り、その各引き出しに百法のそれぞれを格納していけばいい。英単語の暗記と同じく、1つ1つに囚われていると全てを暗記することはできないので、まずは5つのカテゴリーの意味を理解しながら暗記し、100のそれぞれをざっと触れていくことを何周も行いながら、触れていく精度を徐々に高めていくことが結果として暗記につながる。自分はそのような方法でこれまで英単語を覚えてきた。それと同じ手法を五位百法の暗記に転用していこう。そのタスクレベルは決して高いものではない。暗記のプロセスの中に自己観察という楽しさと喜びに満ちた実践があるのだ。ある種自己観察ゲームとしてこの夢としてのヴァーチャルリアリティの世界の中で生起する種々の現象を観察していく。それは無上の喜びをもたらす実践かと思う。


天気予報の通り、少し小雨がぱらつき始めた。だが幸いにも小雨はいっときのものらしいので後ほどジムに行く際にはもう雨が上がっているかもしれないし、ジムから帰ってくる頃には雨が止んでいるかもしれない。


人と関わる際に心の成長の機会がある。そのようなことを改めて思う。もちろん他者とか変わらずに過去の出来事を回想したり、今その瞬間の自分の心の世界の様子を観察することを通じて心の成長実践に従事することができるが、自らの煩悩が顔をもたげ、それが吹き荒れるのは他者と関わる際に最も顕著なことかと思う。もちろん全ての他者とではないし、その他者とどのようなコンテクストでどのような事柄に関して関わるかによって煩悩の種類も現れ方も程度も変わる。いずれにせよ、「他者とのか関わりあるときに何かしらの煩悩あり」というような標語を絶えず念頭に置きながら、他者との関わりの中で煩悩が生じたらその瞬間に煩悩と逐一向き合っていくことを心がけたいと思う。そうした修練をこれから徹底させていこう。フローニンゲン:2024/3/28(木)13:00


12398. 心の有り様と環境世界の有り様


穏やかな夕日が地上に降り注ぎ、小鳥たちが夕涼みをしながら鳴き声を上げている。ジムに行く最中には小雨が降っていたが、ジムから帰ってくる頃には雨はすっかり上がっていて、夕日を拝みながら帰宅することができた。パーソナルトレーナーのエリーザが来月末に家族で1週間ほどニューヨークに行くことに伴って、パスポートの更新が必要だったらしく、今日は1時間ほど早めの時間にパーソナルトレーニングを行った。今日のトレーニングもハードながら創意工夫に満ちた楽しいトレーニングとなった。自主トレーニングではなかなか取り入れることができないような動きや器具の使い方をパーソナルトレーニングで取り入れてもらえるので、毎回のトレーニングには本当に感謝している。インターバルの雑談を楽しみながら、トレーニングで鍛えるべきところを鍛える形で今日の充実したパーソナルトレーニングを終えた。


ジムに向かう道中に、改めて私たち自身の固有の阿頼耶識が私たち個人の環境世界を作るということを実感していた。もちろん阿頼耶識に蓄えられる種子には個人的なものだけではなく、集合的な共相の種子があり、共通の環境世界を共有する側面がある。しかしながら、それ以上に私たちの個人個人の阿頼耶識に蓄えられている個人的な種子の力が環境の捉え方に与える影響は強く、私たちはそれぞれが違う環境世界に生きていると述べても過言ではない。また、その時の心模様によってもうまるっきり世界の見え方や感じられ方が異なることを実感しながらジムに向かっていた。単に小雨が降っていたから世界の捉え方が違ったというのではなく、小雨が降っていても心が穏やかで幸せに満ちていれば、小雨降る世界もまた穏やかで幸せに満ちたものとして知覚される。今日は少しばかり心に波が立っていて、その点について考え事をしながらジムに向かっていたので、それがそれ相応の環境を作り出していた。環境の捉え方だけではなく、文字通り知覚されるものを変えるという点で、心の有り様は世界の創造の在り方も変えるのである。


今振り返ってみると、ジムの行き道に考えていたことはとても些細なことではある。しかし確かにそれが自分の心に波を立て、煩悩を刺激していたことは確かなので、インナーワークの一環としてジムに向かう道中にずっと向き合っていたのである。その現象もまた他者との関わり合いから生まれたもので、そこからも他者と関わることは本当に心の鍛錬につながるのだということを実感する。ジムでのトレーニングを週に2回行うのが今の自分にとってちょうどいいのと同じく、不用意に人と関わることは極力避けたいものである。知人とのやり取りでさえ煩悩を刺激することがあるのだから、本当に誰とどのようにどれくらいの頻度で付き合うのかは慎重に検討していかなければならない。人と関わらなすぎるのも問題がある一方で、人と関わりすぎるのも問題がある。その良い塩梅、中道を見つけていくこともまた心の成長の実現において不可欠なことであろう。フローニンゲン:2024/3/28(木)16:42


12399. ジムでの何気ない風景から        


週に2回通っているフローニンゲンのジムの雰囲気はいつもとても明るい。それは照明の明るさではもちろんなく、エネルギーとしての明るさである。ジムで働くトレーナーや受付の人たち、そしてジムに通ってくる人たちのエネルギーが総じてポジティブなのである。仏教においては、善友と付き合うことが大切にされているが、まさに自分が身を置く環境にどんな人がいて、その環境がどのような雰囲気なのかは心の成長に極めて重要な役割を果たす。確かに唯識学が教えるように、心の在り方によって環境世界の見え方は全く変わってくるのだが、そうだとしても環境が持つ固有の性質が肯定的なものであればあるだけ心の成長には望ましいことには変わりないだろう。


日本のジムではどうなのかは事情を知らないが、オランダのジムでは見知らぬ人でも目があったら必ず挨拶を交わす。そして挨拶だけではなく、そこからさらに二、三言葉を交わすこともしばしばである。今日も随分と多くの人と挨拶を交わしたように思う。挨拶という言葉の何気ない交換も、実は肯定的なエネルギーを共有し合うことにつながると自分は捉えていて、挨拶することをとても大切にしている。むしろ積極的にこちらから挨拶をするようにしているぐらいだ。今日ジムで挨拶をした70歳を超えているであろう細身のオランダ人男性は、いつも熱心に身体を鍛えていて感心する。実年齢はどれくらいなのか分からないが、75歳を超えている可能性はゆうにある。しかしながら鍛錬の賜物なのだろう、その方の身体は引き締まっており、70代とは思えない身体をしている。以前ロッカールームで話をした時には、確か自分と同じく週に2回は最低ジムに通っているとのことだったかと思う。時には3回ぐらい通う週もあるとのことだったか。いずれにせよ、その方と月曜日と木曜日にはトレーニングの日が重なっているので、その方のトレーニングに励む姿勢をいつも近くで見ていると、なんだか励まされる感じがする。自分もここから継続して体を鍛えていけば、きっとその方のように長く健康な身体を維持できるのではないかと思う。決して無理をせず、適度な筋肉量を維持し、心肺機能を絶えず若く保ちながらこれからの人生を過ごしたいものである。それは肉体への執着から来る思いなのでなく、衆生の解放と幸福の実現に向けた取り組みにいつまでも取り組み続けるというライフワークに従事するために不可欠な要求事項であるという認識のもと、大欲(善欲)と精進の心から生まれたものだと思われる。とにかくここからは唯識学の継続的な研鑽に加えて、身体の継続的な鍛錬を行っていきたいとその方のトレーニング風景を見ながら思った次第である。フローニンゲン:2024/3/28(木)16:54

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