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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12375-12381:2024年3月25日(月)

⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


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タイトル一覧

12375. 第29回シロシビン・セッションから一夜が明けて

12376. 第29回シロシビン・セッションを終えた朝の夢

12377. 湧き上がるエネルギー/自分のペースで

12378. 無上の喜びと楽しさをもたらす唯識学研究/進む浄化のプロセス

12379. 未だ学び続ける未熟者の自覚を持つための学者という肩書き

12380. 禅定と三昧をもたらすシロシビン・セッション/法界からの真理の流入について

12381. シロシビン・セッション翌日の爽快なトレーニングを終えて


12375. 第29回シロシビン・セッションから一夜が明けて      

 

時刻は午前4時を迎えた。シロシビン・セッションから一夜が明け、生まれ変わった気分で今この瞬間に佇んでいる自己がいる。その自己は諸行無常を体現していて、生成消滅を繰り返しながら仮の存在として今この瞬間にいる。こうして一夜が明けてみると、昨日の体験がすでに随分と自分の存在に染み渡り、体験の体現化が進んでいることを実感する。睡眠を取ることによってそうした咀嚼現象が起きているようだ。そもそも睡眠の前には振り返り日記をいくつか執筆していたこともあり、それもまた体験の咀嚼に大いにつながっていることは間違いない。こうしたセッションは単にそれを実施するだけでは意味がなく、言葉を超えた体験をした後にあえてそれに言葉を当てるということが体験の咀嚼と体現化には不可欠である。体験はまさに自分の体という識から生み出され、それに対して識から生み出された言葉を当てることによって体験は再び体に収まるのである。体外に生み出されたものを体内に収めること。それが言葉を用いた振り返りの要諦である。


今の気温は4度と低く、日中の最高気温も9度までしか上がらないようだ。今日は午後にジムに行き、筋力トレーニングに励む。シロシビン・セッションを終えた翌日のため、無理をせず、様子を見ながら負荷量を決めていきたい。最後に行う有酸素運動はゆっくり目なペースで行って、爽快な汗をかいてこようと思う。


昨日のセッションの中では、幼稚園時代と高校時代の記憶が蘇ってきた。とりわけ後者については、ここから少しずつ向き合いたいことがある。高校進学に際して、住んでいる町から電車に乗って数駅のところに徳山高校という県内随一の進学校があった。その高校の名前とその町の「徳山」というのは、徳の積まれた山という意味だろうか。きっとその名前を構成する言葉もまた仏教からもたらされたのだろう。そのようなことを考えながら、そんな徳山高校ではなく、自転車で通える光高校という学校に自分は進学した。光に満ち溢れた町の光高校を選んだこと。そんな自分は今智慧としての光を求め、智慧としての光を他者に共有しようとしている。そんな自分が完全に光を失っていた高校時代。あの時の自分を暗闇から救い、あの時の自分に光の滋養を与え、光高校への感謝の念を醸成していかなければならない。それが今の自分にとっての喫緊の心の課題なのではないかと思う。この課題を唯識学を通じてゆっくりと向き合っていこう。あの時の自分を真の意味で受容し、癒すことができたら、きっと自分はここからまた大きく変貌を遂げるだろう。そんな予感がしている。フローニンゲン:2024/3/25(月)04:29


12376. 第29回シロシビン・セッションを終えた朝の夢


観心覚夢。今日もまた心を観察し、夢から覚めていく一歩としよう。今朝方見ていた夢もまた阿頼耶識と末那識の影響を受ける形で第六意識が生み出した心の産物であり、それを観察することを通じて夢からの目覚めとしたい。観心覚夢。


今朝方は夢の中で、2人の法相宗の僧侶から唯識について学びを得ていた。そんな幸運なことがあっていいのかと自分でも驚いてしまうような機会だった。というのも、その2人の僧侶はそれぞれ平安時代から鎌倉時代にかけて活躍していた今は亡き名僧侶だったのである。彼らの姿は見えない形で、彼らの声が自分に届けられていた。そのような形で唯識に関する指導を彼らから受けていた。2人の僧侶についてはすでに文献を通じて思想と人となりを知っているような感覚があった。しかし実際に肉声を聞いてみると、印象がまた違ったものとなり、彼らからの学びは一段と深いものになった。正しい師匠について学ぶというのはこういうことをいうのだという体験があった。2人の僧侶の言葉はじっくりと自分の内側に染み込んでいった。焦ることなく自分のペースでゆっくりと2人の言葉を受け止め、咀嚼していくことを通じて、内側から不思議な力が漲ってくることに気づいた。正師から仏法を正聞するとそのような現象が起こり得るということを学ばせてもらう体験をし、ただただそれに感謝していると、2人は最後ににこやかな笑みを浮かべてどこかに消えていった。そのような場面があった。


もう1つ覚えている夢として、両親と一緒に見知らぬ町の文化センターのような建物に入り、そこで建物内を見学していた場面がある。しばらく建物を見学していると喉が乾いてきたので、手持ちの水を飲もうとしたが、アイスコーヒーが飲みたくなったので自販機でアイスコーヒーを購入することにした。父もアイスコーヒーが飲みたくなったらしく、父は途中の自販機でさっとアイスコーヒーを購入した。自分は向こう側にある自販機のアイスコーヒーを購入しようと思った。自販機の前に到着すると、自販機があるというのは日本らしくていいなと思った。確かに欧米社会にも建物内に自販機を置いているところはあるが、日本のように街中に自販機は一切ない。そんなものを街中に置いていると、自販機を破壊して金を持ち出す人が後を絶たないからである。街中に自販機があるというのはなんとも日本らしい光景なんだよなと思いながら、建物内の自販機の前でしばし立ち止まり、ふと我に返ってアイスコーヒーを購入することにした。自販機を見ると、父が先ほど購入したものの方が種類が豊富で、そちらで購入しておけば良かったと思った。しかしもう後戻りするのは面倒だったので、そこでアイスコーヒーを買うことにした。すると、後ろに小学生と思われる子供たちが数人いて、その自販機の操作について口出しをしてきた。確かに一風変わった操作を要求する自販機で、どのボタンを押せばアイスコーヒーが出てくるのか少しわかりにくかった。彼らは親切心から自分に声をかけてくれたのだと思うが、少し煩わしかったので、彼らの話は話半分に聞き、さっとボタンを押した。すると、アイスコーヒーではなく水が出てきた。しかもカップを置かないといけない自販機だったので、慌ててカップを置き、流れ出てくる水を受け止めた。結局アイスコーヒーではなく120円支払ってカップに冷たい水を入れる形となった。まぁそれはそれで仕方ないかと思い、カップに入れられた水を水筒に移し替えることにした。その時にカップの水がかなりの量だったので、少し水をこぼしながら水筒に入れる形となった。すると母がやって来て、「あらアイスコーヒーを買うんじゃなかったの?」と声をかけて来た。その言葉に対して私は、「うん。でも結局水にしたんだ」と述べた。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/3/25(月)04:48


12377. 湧き上がるエネルギー/自分のペースで 

 

湧き上がるエネルギー。込み上がるエネルギー。大地から、地球の核から、宇宙の中心から流れ込んでくるエネルギーを感じている。このエネルギーの恩恵に与らせてもらえるのであれば、自分はどこまでも探究と実践を深め、どこまでも心の成長を実現していけそうな気がする。自利即利他の菩薩道をここから着実に歩みたい。


それにしても昨日のシロシビン・セッションは印象に残るものだった。ここ2回のセッションともに過去最も印象に残るセッションのうちの1つに数えられるように思う。セッションの深さと印象はひょっとしたら、セッションを積み重ねていく過程の中で更新されていくのかもしれない。毎回のセッションが最前最良のものになるようにしていくための努力は一切惜しまない。そのための学びも実践も、何一つとして手を抜くことなく真摯に従事していく。食事・運動・睡眠の三位一体を基礎構造にして、その上に唯識学をベースにした学びと実践を積み上げていく。三位一体の土台はすでに堅牢だが、それは柔軟に対応できるしなやかさを持った耐震構造としての土台でありたい。自己の成長に伴う地殻変動に耐えうる柔軟かつ動的な下部構造が必要なのである。真に強固なものは余白と動きがある。そんな強固さを持つ基礎構造を育てていきながら、その上にライフワークとしての唯識学の研究と実践を少しずつ積み重ねていこう。昨日のセッションが教えてくれたように、マイペースで進んでいけばいいのであろう。なんでもゆっくりと自分の納得するペースで進めて来た自分がいたではないか。自己の原点に回帰して、自らが納得する自分なりのペースで学びと実践を重ねていこう。それしかないのである。他者や社会の物差しに照らすことなく、己の物差しで進んでいくこと。他者や社会の時計を身につけないこと。己の内側に流れる時間感覚を基にした時計を基準して進むこと。進んでいることさえ気づかない形で学びと実践を着実に積み重ねていくこと。それが最も重要なことである。それを継続していけば、自分固有の有機的な成長が自ずから実現されるだろう。他者や社会からの人為的な働きかけのない有機的な成長は、大きな実りをもたらす。人知れず膨大な根を張って、人知れず巨大な幹を作っていくこと。それがいつか様々な枝葉に別れ、枝葉の先に他者や社会に貢献する実をもたらすだろう。自らその実を与えるというよりも、必要な人にその身を取ってもらえればと思う。自分はただひたすらに、しかるべき人に少しでも役に立つための実を作り続けていくのである。名前も顔も知らない人たちの幸福のために。フローニンゲン:2024/3/25(月)05:40


12378. 無上の喜びと楽しさをもたらす唯識学研究/進む浄化のプロセス


時刻は間も無く午前6時を迎える。今、ゆっくりと夜が明けようとしている。明けゆく空を眺めながら、今日の唯識学研究に胸を弾ませている自分がいる。唯識学の研究はもはや自分のライフワークと化し、それに従事するだけで無上の喜びと楽しさが生まれてくる。確かにそれは真摯な研究だが、同時に趣味としての軽やかさもあるように思える。重くも軽くもなく、その両者の中道にいるがゆえに唯識学研究は自分を引きつけてやまないのだ。今日もまずは“Inside Vasubandhu's Yogacara: A practitioner's guide”の『唯識三十頌』の30分の音読から始め、そこから和書に移り、書籍の再読をしていく。手持ちの書籍の初読が既に済んでいるので、ここからしばらくは再読をどんどんと繰り返していく。全ての書籍を5回ぐらい繰り返して読んだタイミングでまた新たな書籍を注文しようと思う。夏の段階で秋の一時帰国の際に受け取る古書を購入しておこうと思う。東京の神保町の古書店でも実際に仏教関係の専門店を巡って唯識に関する古書を探してみたいが、今はもうネットから注文することができてしまうので、夏の段階ではネットで注文し、実家に送ってもらうことにする。それを実家で受け取ってまたオランダに持って帰る。ネットでの出会いではなく、書店での出会いを期待して古書店を巡ることもまた今年の秋の一時帰国の楽しみである。夏にはまた洋書の唯識思想の研究書を何冊か購入する。今のところ10冊弱研究に必要な書籍が見つかっている。それらも夏に購入して、ここからの研究にさらに弾みをつけていきたい。


それにしても昨日のシロシビン・セッションは本当に多大な浄化を自己にもたらしてくれたと思う。心の成長を実現するにあたって、成長を育む土壌の浄化と根の浄化が必要になる。それら双方が昨日のセッションではこれまでにないほどに進んだ。身体的にも心的にも多大な浄化がもたらされたことに感謝をしたい。同時に、自分の中でまだまだ浄化が必要な事柄があることを知っている。どんな人間も完全に純潔無垢にはなれないのである。それこそ悟りを完全に開き、仏にならない限りはそれは不可能だ。しかし、可能な限りにそこに向かっていく精進をしたいと思う。それはもはや自分が望むことを超えて、内側からの不可避の要求事項なのである。心の成長を妨げるのは煩悩であると仏教では教える。煩悩を滅却し、心を浄化していくための学びと実践を今日も心を込めて行っていく。その際に、唯識学以上に優れた学習・実践の友かつ師を自分は知らない。フローニンゲン:2024/3/25(月)06:07


12379. 未だ学び続ける未熟者の自覚を持つための学者という肩書き    

   

時刻は午前8時を迎えた。今、雲間からうっすらと朝日が差し込んでいる。それは恵みの光であり、浄化の光であるかのように映る。そうした光を浴びながら、引き続き午前中の唯識学研究に打ち込んでいこう。こうして毎日ただひたすらに仏道修行的に唯識学に研鑽できることに本当に感謝しなければならない。深い禅定体験をもたらすシロシビン・セッションの体験を咀嚼し、定着させ、菩薩への歩みを着実に進めていくためにも唯識学の研鑽は不可欠である。唯識学の探究とシロシビン・セッションは、まさに理と行の関係として相互に影響を与え合う円環構造を形成している。この円環構造に乗っていけば良いのだという絶対的な安心感がある。その安心感が日々の着実な歩みを根底から支えている。


昨日のセッションの中で、名前と肩書きについて考えていたことを振り返りの日記の中で記していたように思う。とりわけ肩書きについては、阿羅漢位の無学の実現に向けてあえて「学者」という肩書きを名乗っていこうと思う。有学者から無学者への道のりは長く険しいだろうが、着実に無学者に向かって歩みを進めていきたい。未だ学び続ける未熟者という自覚を常に持ち、学びに対して常に謙虚な在り方でいるためにも有学者としての学者の肩書きをあえて背負っていく必要がある。世間一般に思われているような学者という言葉に付帯する意味を払拭し、仏教で言うところの本来の有学者と無学者の意味に立ち返り、未だ学が完成せずに未熟であるという意味での学者としての心構えと謙虚さを絶えず持ってここからの唯識学の研鑽に日々没頭専心励みたいと思う。フローニンゲン:2024/3/25(月)08:18


12380. 禅定と三昧をもたらすシロシビン・セッション/法界からの真理の流入について   

 

今、改めて昨日のシロシビン・セッションを回想しながら。禅定・三昧状態をもたらしてくれるシロシビン・セッションに深く感謝している。こうしたセッションを隔週で行えることの無上なる幸せを感じている。禅定体験においては、意識作用が継続的に1つの対象に集中し、他の意識作用に妨げられない状態がもたらされる。一方、三昧体験においては、禅定のさらなる深まりによって、意識作用自体が空(くう)と化し、対象のみが心の世界がありのままに輝く状態がもたらされる。この2つの状態を6時間ほど体験させてくれるのが毎回の高服用量のシロシビン・セッションである。禅定と三昧の特殊な意識状態をシロシビン・マッシュルームの力を借りながらこれからも継続して体験し、その体験を唯識学の教理に即して咀嚼していくことを徹底させていく。そんな気持ちをまた強める。


また違った観点でシロシビン・セッションの体験プロセスを捉えてみると次のようなことが言える。最も印象的な体験プロセスは、個別の事物に背後にある真理が真理を司る法界から自己に流入してくる現象が起こることである。かつての自らの少ない語彙体系では、それをコスミックインフォメーションの流入体験と言語化していた。しかし今唯識学の観点からその現象を眺めてみると、法界から自己への真理の流出だと捉えることができる。この表現が今のところ最もしっくり来る。そして重要なことは繰り返しになるが、法界から自己に流入してきた教えを根源的に内省・思惟していくことであり、その時に唯識学の種々の教えがこれ以上にないほどに役に立つ。真理を曲解することなく、悟りの体験を歪めることなく、さらなる心の成長に向けて煩悩と向き合うことを可能にしてくれるのが唯識学の教理体系なのだ。今日からまた次回の30回のシロシビン・セッションに向けて、教理の理解の研鑽に励んでいき、昨日のセッションで自己にもたらされた真理を思い出す都度、教理に照らし合わせて内省・思惟していきたいと思う。地道ながら本当にこうした作業を繰り返し積み重ねていくしかないのである。それをして初めて菩薩道に至る歩みが一歩一歩進んでいく。フローニンゲン:2024/3/25(月)08:57


12381. シロシビン・セッション翌日の爽快なトレーニングを終えて


時刻は午後4時半を迎えようとしている。今、夕方のとても穏やかな世界が広がっていて、夕日が優しく地上を照らしている。先ほどジムから帰ってきたのだが、今日のジムでのトレーニングはすこぶる快調であった。いつもシロシビン・セッション翌日のジムでのトレーニングは無理をしないようにしていたのだが、今日は全く普段と変わらないような負荷量でのトレーニングが行えた。おそらくシロシビン・セッションを繰り返すことによって、身体が着実に浄化されていき、セッション翌日後に疲労を持ち越すことなく、むしろ新たな身体として生まれ変わった形でトレーニングができるようになってきているのだと思う。とりわけトレーニング中の集中力は凄まじく、目を閉じて身体に意識を当てながらトレーニングをしていると、回数や時間を忘れるほどであった。最後に行ったローイング、スキーイング、ランニングの3種目の有酸素運動は本当に時間があっという間に過ぎ去っていくかのような感覚がするぐらいの集中状態が続いていた。爽快な汗をかき、先ほど自宅でシャワーを浴びてさっぱりしたところである。


シロシビン・セッションは、脳、身体、心、存在の全てを再起動させる。隔週で行うシロシビン・セッションによって2週間に1度自分は生まれ変わり、全てがリスタートされる。これはとても有り難いことである。なに不自由のない生活を送りながらも、部屋にいつまにか埃が溜まるように、自己の内側には埃が溜まる。それを2週間に1度完全に掃除し、全てをまさっらにしてまた毎日を過ごすことを可能にしてくれるのがシロシビン・セッションである。隔週に実施するこの実践は本当にこれからも大切にしていきたい。


今日ジムに行ったところ、受付に休日の案内がなされていた。今週末の日曜日は復活祭ということでジムは休みとなり、翌日の月曜日も午前9時から午後2時までしかジムが開いていないようだ。なので来週の月曜日はジムに行くのではなく、自宅で筋力トレーニングをした後に、晴れていれば外に出かけてランニングしてこようと思う。たまにはジムではなく自宅でトレーニングし、ランニングもフローニンゲン郊外を走るのも悪くない。復活祭の翌日は気分転換にそのような形でのトレーニングをしようと思う。フローニンゲン:2024/3/25(月)16:26

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