top of page

【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12324-12329:2024年3月17日(日)

更新日:3月21日

⭐️成人発達理論・インテグラル理論・瑜伽行唯識学の観点から、リスナーの皆様と心の成長を一緒に実現していくことを目指したサイケデリック唯識ラジオの配信をしています。


⭐️心の成長について一緒に学び、心の成長の実現に向かって一緒に実践していくコミュニティ「オンライン加藤ゼミナール」も毎週土曜日に開講しております。

タイトル一覧

12324. 今朝方の夢

12325. 今朝方の夢の続き

12326. 真理を大切にする唯識思想/心の成長に関する外国語としての唯識思想

12327. 唯識読経行の計画

12328. 名言種子の浮上現象/『唯識三十頌』の暗唱に向けて

12329. 書斎を片付けて/書くことと休息について


12324. 今朝方の夢


時刻は午後5時半を迎えた。昨日は少し気温が下がっていて、就寝時における1階の寝室には肌寒さががあった。今朝方目覚めたときにも程よい肌寒さを感じていた。今の気温も2度ほどなので、確かに寒さを感じるのも無理はないと思った。フローニンゲンはまだまだ春がやって来たとは言えず、今週末もまた最高気温が10度に満たない日がやってくるようである。春の到来を焦らず、今の自分の取り組みと同じく、全て漸次的に進行していくことを願いながら毎日を生きていこう。


今朝方の夢で覚えているのは、唯識思想について1人で研究を進めていた場面である。その時の自分は唯識思想に関する書物の世界の中に没入しており、我を忘れる形で書物の読解を進めていた。こうした没我の状態における学習は学びの本質とも言えるものであり、それを通じて唯識思想に関する理解が飛躍的に高まっているのを感じていた。禅定状態での学習は修行そのものであり、唯識思想を学ぶことそのものが自分にとっては仏道修行なのだと改めて思った次第である。我を忘れて書物を読み進めていると、アハ体験に近い洞察を得られる瞬間が何度もあり、そのたびごとに自分は1人ニヤリと笑みを浮かべていた。そのような場面があったのを思い出す。


その他に覚えているのは、両親と大学生活について話をしている場面である。夢の中の自分は日本の大学に通っていて、そこでの学生生活の様子を両親に共有していた。父と私は同じ大学で学びを得る幸運に恵まれ、とりわけ父は私が大学の講義棟や図書館についての話をしていると、当時を思い出すようで懐かしそうにしていた。


さらにそれ以外に覚えているのは、小中高時代の2人の友人(YK & HY)と高い雲の上にいた場面である。私たち3人は雲の上から豆粒程度に見える地上を見下ろして語り合っていた。最初こそその高さに怯えることはなかったが、自分はどうやら高所恐怖症のようで、突然にその場にいることが恐怖に思えた。友人の2人はその高さをなんとも思っていないようで、友人の1人はそれを示すかのように、雲の端に行ってわざと危ないポーズをして見せた。彼のその様子を見てずいぶんと冷や冷やしたのだが、それどころではなく、自分はまずは今の心の状態を落ち着かせ、雲の上にいることに慣れていこうと思った。それには時間を要すると思ったし、もしかしたら今後その恐怖が抜けない可能性もあるなと思ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/3/17(日)05:50


12325. 今朝方の夢の続き


時刻はゆっくりと午前6時に向かっている。あと2週間したら、欧州は早いものでサマータイムに入る。まだまだ寒さを残しているフローニンゲンではあるが、もうそのような季節がやって来たのだとしみじみと感じる。ここからまた日々一歩一歩の歩みを進めていきたい。その歩みを支えるのも、後押ししてくれるのも唯識思想である。絶えず唯識思想と寄り添いながら、毎日着実に心の成長を実現させていきたいと思う。その過程の中で、常に利他行を意識したい。唯識思想について学べば学ぶだけ、それが利他行につながっていくようにしたいし、そもそもその学びが即利他行となるような状態にしていきたいと思う。自分の学びと成長が、他者の学びと成長につながるということ。そうした関係性を今よりももっとずっと太く深いものにしていきたい。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがあるのでそれについても振り返っておきたい。夢の中で私は、日本で卒業した大学の母校のキャンパスにいた。どうやら入学してまも無い頃のようで、キャンパス内を歩く自分の気持ちはとても新鮮だった。また、新入生たちが依然として突破した入試問題について議論していたり、開示された入試結果の点数について話をしている姿を見て微笑ましく思った。名物の講堂がある辺りを歩いていると、第二外国語のクラスの友人数名と遭遇し、立ち話を始めた。そこではなんと、今見かけた親友生たちと同じく、開示された入試結果の点数についての話題となったので思わず笑みがこぼれた。自分が入学した学部は英語と数学の配点が高く、その都合上どちらの科目にも力を入れて入試対策をしていた。また、母校の数学は非常に難しいことでも有名で、対策をしていてもなかなか点数が取れないことが多い。そんな中、自分は幸運にも満点を取ることができ、自分でもその結果には驚いていた。実はその点数の異常な高さから、それをどこからか聞きつけた上級生にキャンパスの門のところで大きなスピーカーを使って褒め称えられるという幾分気恥ずかしいような歓待を受けていた。その話は伏せておきながら、友人たちがそれぞれ入試の点数を開示したので自分も開示しないわけにはいかず、それを開示すると、数学の満点のみならず、他の科目の点数にもみんな驚いていた。自分でもまさか6割強の点数で突破できる入試で9割5分を超えるような点数を取れるとは思っておらず、何か奇跡が起こったのではないかと思うほどだった。入試結果の話がひと段落つくと、そこから今学期に履修する予定の授業の話になった。その場にいた友人の大半は自分と学部が違うこともあり、重なる授業はほとんどないようだった。彼らのうちの大半はロースクール に入学することを目指していて、入学早々法律の勉強に打ち込むことに意欲を燃やしていた。さて自分はどの分野の勉強に情熱を傾けようかなと思ったところで夢から覚めた。フローニンゲン:2024/3/17(日)06:05


12326. 真理を大切にする唯識思想/心の成長に関する外国語としての唯識思想   

   

美しい朝焼けが広がり始めた。真冬の時期にはこうした朝焼けを拝むことは難しかった。というのも曇りや雨の日が多いからである。こうして薄赤紫色に染められた朝焼けを眺めていると、心がまろやかになるだけではなく、春の訪れを空からも感じ取れる。季節の進行とはかくも奥ゆかしく、かくも趣深いものなのだ。


今日もまた唯識研究に専心没頭していこう。いつものように、『成唯識論』の英訳書を30分ほど音読していく。あれよあれよという間に、『成唯識論』の音読もかなりのところまで進んでいる。こうした地道な実践と着実な歩みこそが大切なのである。発達理論においても唯識思想においても、私たちの成長はひとっ飛びに為し得ないことが説かれている。そんな共通性が両者にはあり、その説くところはまさに真理である。私たちの成長に関する真理を両者は説いている。とりわけ唯識思想は発達理論以上に真理を私たちに開示してくれる。なぜなら、そもそも発達理論は哲学・科学の傘下にあって、相対的真理の解明にこそ力を入れるが、絶対的な真理の解明には焦点を当てておらず、唯識思想は仏教という宗教の傘下にあるゆえに、相対的及び絶対的な真理の双方を探究していくことに主眼を当てているからである。そもそも発達理論は究極的な目的こそ成長に関する相対的真理の解明かもしれないが、それを表立って強調する研究者は少ない。そのような次元に到達することをさほど考えないで肩肘張らずに研究している研究者が大半なのではないかと思う。一方唯識思想においては、真理をこそ大切にする。ある意味それは真理を大切にし、真理を通じて私たちの解放を実現させることを目的とする点においては「真理教」と言えるようなものなのかもしれない。それほどまでに唯識思想では、真如としての真理を大切にする。今日の探究もまた真理に少しでも近づけるような内容にしていきたい。


『成唯識論』の英訳書の音読後には、『唯識三十頌』を扱った講座に向けて、PPTスライドを作成していく。これは毎日の日課の1つになっていて、それは自分にとっての勤めでもある。ここでも無理をせず、毎日1章分のスライドを作成することを行っていて、今日は第7章の解説箇所に対してスライドを作っていこうと思う。『成唯識論』の英訳書の音読にせよ、『唯識三十頌』に関する講座用のPPTスライドの作成にせよ、それらの営みを通じて少しずつ着実に唯識思想の用語体系を自分の内側に構築させていきたい。自分にとっては唯識思想を学ぶ喜びは、新しい外国語を学ぶ喜びに匹敵する。心の成長に関する新たな外国語を学ぶような気持ちで、毎日楽しみながら自分にできる営みを継続させていこう。フローニンゲン:2024/3/17(日)06:52


12327. 唯識読経行の計画   


午前中の唯識研究のウォーミングアップとしての『成唯識論』の英訳書の音読を先ほど終えた。音読をしながらふと、本書をまずは1度音読していくが、本書の内容がかなり専門的であり、かつ十大論師たちの枝葉末節な議論が展開されている様子を見たときに、本書を繰り返し音読していくよりも、まずは唯識思想を大成させたと言っても過言ではない唯識思想のエッセンスが詰まった『唯識三十頌』を音読していくことの方が賢明に思えた。とりあえず、『成唯識論』の英訳書の音読は少なくとも一巡して本書の全体像を身体に落とし込んでおきたいが、そこからは繰り返しそれを音読していくのではなく、まずは唯識思想の珠玉のエッセンスが詰まった『唯識三十頌』を繰り返し読んでいこう。それを暗記するまで読み込んでいきたい。早朝と午後の2回に分けて毎回30分音読すれば、それぞれの時間帯において30の詩を何回か読めるのではないかと思う。それを午前と午後に分けた音読を地道に毎日継続していれば、きっとどこかのタイミングで自然と暗唱が実現されるのではないかと思う。この状態にまで持っていくことができればしめたもので、暗記が完了したら、書籍を開かなくてもいつでもどこかでも『唯識三十頌』の項目に立ち返ることができるし、それを脳内で参照しながら自己観察と内省実践にいつでもどこかでも従事することができる。『唯識三十頌』の英訳についてはいくつか書籍があるが、手元にある中で吟味をすると、世親の7つの作品が収められた"Seven works of Vasubandhu: The Buddhist psychological doctor (2nd. ed.)"に掲載されている『唯識三十頌』を音読していくことが良さそうである。この書籍は欧米の研究者であれば必ず持参して参照しているほどに有名なもので、自分も手元において時折パラパラと眺めているが、世親の著作物が7冊一緒に纏まっている本書は本当に便利である。本書の『唯識三十頌』を何度も音読をして暗唱できるようになったら、『唯識三十頌』を実践者向けにわかりやすく解説した“Inside Vasubandhu's Yogacara: A practitioner's guide”を音読していくことを通じて、実践的な知に落とし込んでいこう。そこからは再び"Seven works of Vasubandhu: The Buddhist psychological doctor (2nd. ed.)”に戻って来て、本書に掲載されている『唯識二十論』を次に音読していきたい。そんな読経行の計画を立てている。フローニンゲン:2024/3/17(日)07:50


12328. 名言種子の浮上現象/『唯識三十頌』の暗唱に向けて


つい今し方、朝の瞑想実践を終えた。気がつけば随分と長く瞑想実践に従事していたように思う。体験の最中に無意識としての阿頼耶識から見慣れない形象を伴った漢字やアルファベットがポツポツと浮かんでくる現象を知覚していた。これはよく体験される現象なのだが、きっと阿頼耶識が「言語阿頼耶識」と形容されるゆえの現象だと思われるし、阿頼耶識内に蓄えられる種子が基本的には「名言種子(みょうごんしゅうじ)」と呼ばれるゆえの現象かと思われる。浮かんでくる言葉に囚われることなく、しばし心を無にして観察を続けていた。今後もまた名言種子の浮上現象を観察し、そこから何か発見を得たいと思う。


瞑想実践の前にあることに気づいた。そもそも唯識思想との出会いは何がきっかけだったのかと振り返っていたときに、この世界の諸問題の根幹に意識の問題が歴然として存在しているという明確な問題意識から西洋の意識哲学の研究を再び真剣に行い始めたところ、偶然にも東洋の唯識思想に出会ったのであった。ではそもそも意識の問題を真剣に再検討しようと思ったのはなぜかというと、サイケデリック体験によるところが大きい。そのように考えてみると、全て辻褄が合う。偶然ではなく、どこか必然として唯識思想と邂逅したのではないかと思えて仕方ない。この出会いは本当に大切にしたく、唯識思想の研究を絶え間ぬ歩みとして継続していきたいと志を再燃させた次第である。


世親が残した『唯識三十頌』の背景には、世親の兄の無著が残した全3巻の『摂大乗論』がある。そして『摂大乗論』の背景には、瑜伽行唯識学の聖典とも言われ、弥勒が残したと言われる全100巻の『瑜伽師地論』がある。唯識の伝統を見ると、膨大な教えが内包された『瑜伽師地論』を出発点にして、その教えが無著と世親によって濃縮・結晶化されていったという歴史的過程を見ることができる。その最たる濃縮結晶物が『唯識三十頌』なのである。この書物に掲載された三十頌は是非とも暗唱できるようになりたい。そのような思いが沸々と湧き立ちながら、引き続き午前中の唯識研究を進めていきたいと思う。フローニンゲン:2024/3/17(日)09:47


12329. 書斎を片付けて/書くことと休息について


時刻は午後5時を迎えようとしている。振り返ってみると、今週もまた毎日が輝くように充実した1週間だった。とにかくこうして日々を輝きとして生きていくことを積み重ねていきたい。もっと言えば、毎瞬を輝くものとして生きていくことを絶えず行っていきたい。そうすれば、自分の存在は輝きと化すだろう。それを通じて他者や社会に光を分け与えていくことができたら本望である。


今週の平日から少しずつ行っていたこととして、2階の書斎の片付けがある。足の踏み場もないほどに書籍が地面に山積みになっていたので、ここで一念発起として片付けをすることにし、部屋をすっきりさせることにしたのである。夕方の時間を取って、先ほどまでその片付けに従事していた。1階と2階を含め、どこにどのような書籍と論文があるのかは脳内に格納されているので、今後必要であれば文献を該当場所から取り出してこようと思う。2階に残している書籍で主たるものはサイケデリクス関係の専門書である。机の上に置いているのは現在最も情熱を傾けて探究している唯識思想に関するものである。唯識思想に関する書籍は一旦必要なものは全て揃えることができたので、ここからしばらくは書籍が増えることはない。8月にまた唯識思想について日英の専門書を何冊か一括注文しようと思っているが、そこまでは今の手持ちの書籍を何度も読み返すことを行っていきたいと思う。こうして2階がスッキリしてみると気分が良いものだ。明日からの探究はこのスッキリとした気分で行えるだろう。


午後にふと、書くことを通じて真理に到達する道を歩むことができる一方で、書くことを通じて書かられる内容への執着を生むことがあることについて考えていた。前者を大切にしながら、とりわけ後者には気をつけなければならない。ここからの日々の内省日誌は、執着を生みそうな対象については記述をあえて避けていくような姿勢を持ちたいと思う。しかしながら、その対象をほったらかしにするのではなく、執着心を生む対象こそ自分の成長機会の種が眠っているのだから、それと向き合っていくことを心の世界の中での内的問答を通じて行っていく。


それ以外にも、意識が集中していない場合の学習はほぼ無意味なので、意識の受信装置としての脳に疲れが少しでも見られたらその都度休憩を挟んでいくことの大切さについても考えていた。自分にとって最良の休憩は瞑想実践なので、脳に疲労を蓄積させない意味でも、そして常に集中力を高い状態に維持するためにも日常の学習においてこまめに瞑想実践をしていくことを徹底させていく。明日からもそうした休息と集中を通じた形で唯識思想の研究に没頭邁進できたらと思う。それではまだ夕食の準備までに時間があるので、唯識思想に関する書籍を読み進めていこう。フローニンゲン:2024/3/17(日)16:59

Comments


過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page