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タイトル一覧
12303. 豊かな心の成長の旅路
12304. 今朝方の夢
12305. 僧院かのような居住環境に感謝して
12306. 本質的な生まれ変わりを経験する印象的な夢
12307. 今朝方の夢の続き
12308. 『成唯識論』の読経行を終えて/今朝方の夢の続き
12303. 豊かな心の成長の旅路
時刻は間も無く午前4時を迎える。今日もまた新たな1日がやって来た。日々新たに生まれ変わり、気持ちを新たにして自己を輝かせながら生きていることを実感する。唯識思想の観点からふと、1日という時間もまた空(くう)としての儚い存在として移ろい過ぎていくことを感じる。日々という時間の流れを含め、万物は本当に諸行無常である。
ハーバード神学大学院(HDS)から結果が届いたのはまだ2日前のことなのだが、随分と前のことのようにも感じる。親友のメルヴィンが述べてくれたように、今回の結果を受けて、自分にはやはりHDSでやるべきこと以外のことがあったようである。メルヴィンの言葉を借りれば、宇宙がそうさせたとのことだが、きっと自分の阿頼耶識とそれが生み出す世界がそうさせたのだと思う。HDSの出願の際にはサイケデリクスの研究を宗教の観点から行っていくことを志していた。ところが出願を終えて1ヶ月経つか経たないかのうちに、大乗仏教瑜伽行唯識学という巨大な実践思想に出会ってしまったのである。唯識思想が自分の運命を大きく変えたと言っても過言ではない。それは自分の人生の舵を大きく切らせてくれるに十分なものだった。むしろかつてなかったほどに人生の方向性を変えてくれるような存在だったと言えるのではないかと思う。出会ったばかりの唯識思想の探究が中途半端な形では、決してHDSなどには進学できなかったのではないかと思うし、自分の阿頼耶識がそうさせなかったのだろう。ここからフローニンゲンに残りながら、毎日唯識思想の探究とその実践にとことんまでに打ち込んでいこうと思う。探究の方向性も日々更新され、何をどのように学んでいけばいいのかについても日々より良いアイデアが芽生えている。生命の発育過程のように、自分の学びもまた生き物としての発育過程を見せている。ここからである。自分の人生は本当にここからなのだ。始まりをようやく迎えたと言ってもいいかもしれない。唯識思想のある人生とない人生。両者を比べてみたときに、後者の人生を想像するだけでゾッとしてしまう。一方、前者の唯識思想のある人生を想像すると、豊かな心の世界と充実した毎日が想像される。唯識思想は兎にも角にも心を豊かにしてくれる思想なのだ。そこには種々の実践的な提示があり、心の豊かさと成長を阻む要因の網羅的かつ精緻な分析がある。それらの分析と実践的指示をもとにして、少しずつでもいいので豊かな心の成長を実現していきたいものである。自らの心の成長だけではなく、他者の心の成長も支援しながら日々を過ごしていくこと。それができるだけできっと毎日は幸せに生きれるのではないかと思う。それ以上に望む幸せはないと言えるかもしれない。豊かな心の成長に向けた旅路は今こうして本格的に始まった。フローニンゲン:2024/3/13(水)04:11
12304. 今朝方の夢
とにかく毎日を大切に、一瞬一瞬を大切にしながら今を生きることを通じて日々を過ごしていくこと。それしかないのである。詰まるところ、そうした生き方しかないのである。その瞬間の自分にできること。それができるだけ智慧と慈悲に関するものであることを祈る。智慧と慈悲に溢れた学びと行動を積み重ねていけば、きっと自分も他者も幸せに生きれるに違いない。その実現に向けて自分にできることはなんでもやっていこうと思う。そのような誓願にも似た誓いがまた新たに立った。
振り返ってみると、今朝方は随分と色々な夢を見ていたように思う。覚えているものから順番に振り返っていきたいと思う。
夢の中で私は、大学の第二外国語として履修しているスペイン語の試験会場に向かっていた。キャンパスに到着し、指定された試験会場の教室に到着すると、そこは大教室で、すでにたくさんの生徒がいた。自分の学生番号をもとに席を探していると、小中高時代のある友人(YU)が手を振って自分の座席がそこにあることを教えてくれた。席を教えてくれた彼に感謝をし、席に座ると、彼は自分の左隣で、右隣の席がまだ空席であることに気づいた。席に表示されている学籍番号からすると、大学時代のドイツ語のクラスで一緒だった外務省に入った友人がそこに座ることになっているようだった。すると、彼が自分よりも少し遅れた形で試験開始前ギリギリになって到着した。私は、先ほど友人が行ってくれたのと全く同じように、彼に手を振って彼の席がここにあることを示した。すると彼は私に気づき、すぐさまこちらに向かって来た。彼は私に「ありがとう」と一言述べ、その言葉を聞くとどこかこちらの心も温まった。そのような場面があった。
次に覚えている場面として、白黒の夢の世界の中で、見知らぬオフィスビルの中を小走りしている場面があったのを覚えている。そのオフィスビルは他のいくつかのビルと併設されていて、ビルの地下で全てがつながっていた。さらには地下鉄駅やデパート街などとも繋がっていて、大変利便性のあるビルだった。自分がなぜそこにいたのかわからず、スーツ姿だったことから、ひょっとしたらそこで働いていたのかもしれないし、クライアント訪問をしていたのかもしれない。ビルの地下街を歩いていると、ふとお隣のビルの上層階に用事があったことを思い出した。そのビルのエレベーターに向かって小走りを続けていると、右手のカフェで大学時代のゼミの友人2人がコーヒーを片手に談笑している姿が目に入った。彼らと話したい気持ちは山々だったが、今はビルの上層階に行くことが優先だと思い、彼らにはサッと手を上げて挨拶をし、彼らの前を素通りする形となった。すると2人は私がそこにいることに驚いたようで、カフェをすぐさま離れて私のあとを追って来た。別に彼らから逃げたいわけではなかったが、形として逃げているような形となった。エレベーターホールに到着し、上に行くためのボタンを押したところ、間違えて下に行くためのボタンを押してしまったようで、やって来たエレベーターは下の階に向かう形となった。2人の友人が走って自分のことを追いかけて来ており、もう間も無く自分の目の前にやって来ることを思うと、自分が彼らから逃げたと思われて気まずい感じになるかもしれないと思った。より気まずくなるかもしれないと思ったが、私が取った行動は、すぐさまエレベーターに乗り込んで、本来の目的である上層階でなくてもいいのでとにかくその場から離れることだった。下行きのエレベーターに乗ると、本来はさらに地下に向かうはずだったが、到着してみると地上階だった。ビルの外に出ると、目の前には大都会の光景が広がっていた。まるで東京の都心部のようであり、たくさんの看板に溢れた店が立ち並び、道ゆく人の数も尋常ではないほどに多かった。スクランブル交差点に向かって歩き出し、人混みの中にあえて紛れていこうとしたところ、右手に「仏」と書かれた大型の仏教専門店があることに気づいた。どうやらそこでは仏壇などを含めた仏具が購入できるようだった。交差点を歩きながらもずっと右手のその店を見ていると、隣に仏教の専門書だけを扱った大型書店があることに気づき、強い興味を引いた。すぐさまスクランブル交差点を引き返して、その書店に足を運んでみようと思ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2024/3/13(水)04:35
12305. 僧院かのような居住環境に感謝して
時刻は間も無く午前6時を迎えようとしている。今、1羽の小鳥が高らかに鳴き声を上げた。辺りはまだ暗いが、もうすぐ夜明けを迎える。ここ最近は日の出の時間が早くなり、午前6時半頃には薄暗くなり始めている。気温に関しても極寒の状態を抜けており、毎日比較的過ごしやすい。もちろんまだマフラーや手袋をして外出する必要はあるが、凍えるような寒さでは決してない。小鳥の鳴き声が早く聞こえるようになって来たことからも、春がもう目前にやって来ていることを実感する。
この家での日々の生活は僧院での生活のようで本当に自分の性格と生活スタイルに合っている。決して都会のゴミゴミしたところを好まず、静かで落ち着いた環境を好む自分にとって他にないうってつけの場所に住まわせてもらっているように感じる。フローニンゲンの街の中心部から外れていながらも、15分ぐらい歩けばすぐに中心部に行けるし、歩いてすぐのところには小さな3両編成ぐらいのシャトル列車が止まる駅がある。そこから中央駅に行くことも容易だ。今の家を提供してくれたオーナーのフレディさんとペイトラさんには大変感謝している。もともとはフレディさんのお母さんのために建てられたこの一軒家を1人で贅沢に使うことができている。オーナーの2人にもハーバード神学大学院からの結果についていち早く伝えたところ、2人は自分ごとのように残念がっていたが、自分が引き続きこの一軒家で過ごすことを喜んでくれているようだった。私たちの関係性はすこぶる良好で、時折敷地内ですれ違うと必ず立ち話をそこでするし、半年に1回ぐらいの頻度でオーナーの家に招待してもらい、そこで夕食を振る舞ってもらう機会にも恵まれている。今の家は通りから奥に入った敷地内に建てられていて、隣接する建物は一切ない。隣に家がないということがこれほどまでに静けさをもたらしてくれるのだということを初めて経験させてもらったように思う。隣に家がないので、隣人の話し声や物音がすることは一切なく、毎日を静寂さの中で過ごすことができている。これが自分の探究活動の大きな後押しになっていることは言うまでもない。こうした僧院的な落ち着きのある環境を提供してくれた2人にいつも感謝している。
さて、今日もまた唯識研究の探究に本格的に取り掛かる前に『成唯識論』の英訳書を30分ほど集中して音読していこうと思う。それは自分にとっての朝のお勤めのようなものであり、読経行の一環でもある。昨日から始めたこの実践は、すぐに自分の習慣になるだろう。午後に仮眠から目覚めた後にも同様に30分ほど音読実践をして、そこから午後の探究活動に本格的に取り掛かる。昨日、日本から唯識思想に関する和書が18冊ほど届いたので、それらについて今日も旺盛に読書を進めていく。基本書と専門書の双方がバランスよく届けられたこともあり、まずは基本書の通読を通じて、基礎的な事柄をしっかりと身につけていきたいと思う。専門書の読解を通じては、ここからの自分の研究アイデアの醸成を行ったいきたいし、専門書に記述されている事柄を自分の知識として獲得していき、将来の研究アイデアの種としていきたい。今日の午後からは、5月の中旬からゼミナールで取り上げる唯識思想の講座に向けて、PPTを作成していきたいと思う。唯識思想には読み方が難しい漢字がいくつも出て来るので、音声だけの解説だと限界があると思い、振り仮名を振る形でのPPT資料を今日から作成していくつもりだ。それも自利・利他の実践の一環かと思う。フローニンゲン:2024/3/13(水)06:04
12306. 本質的な生まれ変わりを経験する印象的な夢
先ほど夢について振り返っていたが、今日は1つ非常に印象に残る夢を見ていた。それはどのような夢だったかというと、アメリカの思想家ケン・ウィルバーとエネルギーワークを専門とするアメリカ人の男性2人が自分に対してエネルギーワークを同時に提供してくれているものだった。私たちがいた場所は見慣れない空間で、そこがどこの国かわからなかったし、どこの惑星かもわからなかった。一応地球上にある場所のように思えたが、どこか違う惑星の地球に似た姿をした場所のようにも思えた。そんな場所で、私はTシャツ姿で2人の前にいて、彼らが私にその場に座るように指示したのでそれに従って座ることにした。座るとすぐさまウィルバー が私に近づいて来て、Tシャツをまくり上げる形で私の背中に手を当てた。背骨の上から下までなぞるようにして手を当てていき、今度は下から上へとなぞるようにして手を当てていった。するとウィルバーは何かに気づいたようで、胸椎三番辺りで手を止めた。そこからは集中してそこにエネルギーを送るようなことをウィルバーが行った。その横でもう1人のエネルギーワーカーの男性が、私の体全体に対してエネルギーを送り始めた。ウィルバーは私の胸椎三番目掛けて集中的にエネルギーを送り、もう片方の男性は私の体全体にエネルギーを送り始めた。2人のエネルギーの総量はどちらも尋常ではなく、もはや私は言葉が出ないほどだった。しばらくじっとしていると、あるところでエネルギーを受けると臨界量を突破したようで、私は思わず叫び声を上げた。それは人間の叫び声とは思えないような途轍もなく大きな呻き声のようなものだった。別に私は苦しいとかそういう否定的な感情を味わっていたわけではないのだが、自分の内側にまだ眠っていた膨大な潜在能力が一気に解放されるようなその体験に思わず声を上げずにはいられなかったのである。それは紛れもなく自然な現象であり、しばらく呻き声を上げていると、あるところでピタリと落ち着いた。そこですかさずウィルバー が、「これが本当の意味で生まれ変わるということだ」と優しい笑みを浮かべて述べた。その言葉に対して、隣にいたエネルギーワーカーの男性もコクリと頷いていた。ウィルバー の言葉を受けて私は、これが本当の意味で生まれ変わるということなのだと実感したし、自分の内側にはまだ気づかない形で眠っている無尽蔵の可能性としてのエネルギーが存在していることに改めて驚いた。そのような夢を見ていた。
それ以外にも、両親と自分の小中高時代の思い出話をする場面があったことを覚えている。場所は小中学校時代に住んでいた社宅のダイニングのようであった。そこで父と母が何気なく私の幼少期や青年期の様子について語ってくれた。その話の中で印象的だったのは、やはり自分は幼少期から運動神経が良く、それが後々の知的活動の礎になっていることを思わせるエピソードの数々だった。両親は私の知性や知的活動については一切触れず、淡々と自分がどれくらい運動神経が良かったのかについて話をしていただけなのだが、その話を聞いている私は、運動神経と思考運動は相関関係にあり、幼少期における運動神経の発達度合いが、将来における知性の発達段階に必ず影響を与えるということについて考えを巡らせていた。運動神経が悪くてもある程度までは成人期における発達段階の階段を登っていくことができるが、必ずどこかで頭打ちとなり、大きな停滞を経験する。その停滞を最終的に突破できるか否かは更なる知的実践ではなく、運動神経を活用した身体的実践なのではないかと様々をもとに考えていた。そのような場面があった。フローニンゲン:2024/3/13(水)06:20
12307. 今朝方の夢の続き
輝く光の振動のように空間に広がっていく小鳥たちの清澄な鳴き声が辺りにこだましている。小鳥たちはこの世界に自らの声を自らの仕方で懸命に発している。さて私たち1人1人は彼らと同じことができているだろうか。自分の内なる純粋な声を世界に表明できているだろうか。そのようなことを問うているような鳴き声が朝の静寂な世界に幾度も響き渡っている。
ハーバード神学大学院からの合格発表は、期せずして東日本大震災が今から13年前に起こった日にあった。あの日の津波の様子は、震災から10日後にアメリカにわたってしばらくしてからインターネット上の動画で見た。その記憶が自分の無意識の深層に残っているのか、今朝方は津波に関する夢を見た。そんな夢はいまだかつて見たことがなかったように思う。夢の中で私は、見知らぬ港町にいた。その町はとても穏やかで、それでいて居住者は意外と多くいた。港にはたくさんの小型船が止まっていて、それらは毎日漁に出かけているのだろうなと想像された。波止場をぶらぶらと散歩していると、小中学校時代の友人と出会い、そこからは2人で取り止めもない話をしながら散歩を楽しんでいた。すると突然、何か異様な気配を背筋に感じた。パッと海の沖合を見ると、巨大な津波が幾重にも連なってやって来ているのが見えたので、すぐさま避難することにした。しかし、人間が走る速度よりも津波の速度は圧倒的に速く、友人と私は巨大な津波に巻き込まれ、波止場に止めてあったたくさんの小型船もろとも津波に流されてしまった。しかしその時にも私には意識があり、津波の中で目を開けながら、障害物にぶつからないように体をコントロールしていた。というよりも、津波そのものと身体を一体化させてしまえば、障害物に激突して即死することを防げるのではないかと思ったのである。その直感を信じて津波と同化した私は、気がつけば波止場の外にいた。本来であれば、あれだけ巨大な津波に巻き込まれたので、港町の奥の方まで運ばれていてもおかしくなかったが、津波に飲まれた場所から大して離れていない場所に自分はいたのである。しかも衣服に濡れている様子は見られず、あの津波は一体何だったのかと思った。私は無事だったが、友人の姿はもう見えず、彼の安否が心配された。そこから私は彼を探しにいくことにし、波止場近くの漁業組合の店を一軒一軒回って行き、彼の消息を尋ねた。だが、探せど探せど彼を見つけることは結局できなかった。そこで不思議と私は、彼は必ず無事であり、自分と同じく彼もまた瞬間移動して、私とは違って遥か遠くの場所に瞬間移動したのだろうと直感的に思った。彼の生命の鼓動を意識のアンテナがキャッチしていて、そこから彼はきっと無事だろうと思ったのである。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/3/13(水)06:33
12308. 『成唯識論』の読経行を終えて/今朝方の夢の続き
つい今し方、小鳥の鳴き声を背景に、『成唯識論』の英訳書の30分の音読を終えた。集中して音読をすることはそれそのものが瞑想実践になっているように思う。この読経行を通じて、唯識思想に関する内容理解を深めていくだけではなく、瞑想としての集中力の更なる錬磨を実現させていきたい。
先ほど、識研究は何も学術機関にいなくても行えることについて考えていた。もちろん論文執筆のような技術的に高度な事柄については学術機関に所属していた方が圧倒的に行いやすいが、実践と絡めた形での文献読解的な探究であれば、学術機関に所属することなく1人でも進めていくことができる。ここからの自分の探究活動は、1人で到達できるところまで到達していくことに主眼を当てていくことになるだろう。その過程の中で得られたことをアウトプットする場として、毎週末のゼミナールがあるし、毎週のラジオの場がある。そうした場はとても貴重で、唯識思想を生きた思想にする意味でも、そしてその学びを生きた学びにするためにも非常に重要なアウトプットの場が自分にあることに多大な感謝の念が生まれる。1人で行う膨大な量のインプットと、毎週提供される恵まれた2つの場でアウトプットを地道に積み重ねていこう。その積み重ねそのものが善行の積み重ねとして存在するようにし、そうした善行の積み重ねが自利即利他の良い結果をどんどんともたらしてくれればと思う。
そのようなことを考えた後に、今朝方の夢の続きをまたしても思い出した。夢の中で私は、見慣れない場所にした。そこはどこか修行者たちの集まる場所のようで、1人1人の修行者に背の低い長机が与えられていた。その場所のスペースは広く、広いスペースの中で修行者のそれぞれが場所を確保して、地べたに座って長机を用いて研究活動に勤しんでいた。どんな人たちがいるのかを確認するために、それぞれの修行者たちの様子を伺いながら歩いていると、そこに中学校時代の部活の恩師がいて驚いた。私は思わず先生に話しかけた。すると先生は特に驚いた表情を見せることなく、むしろいきなり私の学業について心配していることを述べ始めた。どうやら私は先生の授業を履修しているようで、それでいてクラスには一向に顔を出していないので、出席数が足りずに単位が取得できない可能性があるとのことだった。それは望ましくない状況だなと思って、その埋め合わせをどうすればいいのかを先生に尋ねた。すると、埋め合わせる手段はもう絶望的に少なく、残りの授業にしっかり出て、最終試験で非常に良い成績を収めなければ単位は取得できないとのことだった。先生が担当している授業は科学に関するもので、今の自分の知識では最終試験で良い成績を取得できなさそうだったので、単位取得は諦めた方がいいかもしれないという考えがふとよぎった。しかし再度そのクラスを履修するのも面倒だったし、留年するのは嫌だったので、なんとしても単位を取得しようと思った。そのような考えがよぎった矢先に、そもそも面倒な勉強をして自分が本当に学びたいことを好きなように好きなだけ学べないのであれば、学校を辞めてしまおうと思った。そう決断すると肩の荷がスッと降り、とても清々しい気分になった。そのような夢を見ていたことを思い出す。フローニンゲン:2024/3/13(水)07:21
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