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タイトル一覧
12297. ハーバード大学神学大学院からの結果を受けて
12298. 自利即利他の精神を絶えず持って
12299. 心機一転のための片付け
12300. 煩悩と執着の滅却に向けて/今朝方の夢
12301. 親友のメルヴィンからのメッセージを受けて
12302. 『成唯識論』の英訳書の音読行を初めて
12297. ハーバード大学神学大学院からの結果を受けて
時刻は午前3時半を迎えた。今朝もまた静かで穏やかな朝の世界が広がっている。気温は6度とそれほど寒くなく、今日も昨日と同じように曇りがちの1日になるようだが、平穏さの中で唯識思想の研究に打ち込めるだろう。
昨夜、ハーバード大学神学大学院(HDS)からの結果が届いた。残念ながら今回はご縁がなかったようである。書類審査を通過し、最終面接まで呼んでもらえたが、大学院とプログラムによりマッチする出願者が多数いたようで、今回自分はご縁がない形となった。確かにHDSでサイケデリクスと宗教思想を絡めた形で学びを深めたかっただけに残念ではあるが、今の自分の関心は唯識思想にあるため、その探究がどこまでHDSで行えたかは定かではない。依然として大学院で研究を深めたいという思いがあるので、もう一度ゆっくり時間を取って、今後の身の振り方をじっくり考えようと思う。サイケデリクスについて改めて網羅的に学ぶために大学院に行くのか、それとも唯識思想について研究を深めていくために大学院に行くのか、いくつかの可能性を残しながら再度調査をしていこうと思う。
HDSから不合格の通知が届いた時には幾分心が動かされたが、唯識思想を学んでいるおかげか、その受け取り方が随分と違ったように思う。利他的な観点で言えば、他の才能を持った優秀な方が真摯にそこで学ぶ機会を自分が奪わなかったことに安堵し、仮に現状の心の在り方でHDSに進学していたら慢や驕(きょう)といった煩悩が肥大化していたかもしれない。自分はまずそうした自らの内側に生じる煩悩と向き合っていかなければならない。大学院に進学するよりもその取り組みが先である。さもなければ、煩悩を温存したままの状態が続き、悟りへの道程の障害になる。ここから菩薩道を歩んでいく中で、凡夫の自分には無漏の善を積むことはできないので、有漏の善であることを恥じることなく、それを積極的に積んでいくことを利他の実践としていこう。自利の行としての智慧を獲得していく試みを日々行いながら、同時に利他の行としての慈悲の実践を常に意識して継続していく。最初はそれを意識的に行っていく必要があり、それを日々小さく積み重ねていけば、いつかそれを意識することなく行えるようになっているだろう。利他行を習慣化し、そのような境地まで到達することができたらと思う。
ここから自分が行うべきは、唯識思想が列挙している随煩悩を含めた諸煩悩の1つ1つと向き合っていくことだ。中でも上述のように、自分には慢と驕の煩悩が大きく存在しているという自覚がある。それらと向き合いながら、ここから唯識思想について引き続き独学で探究していきながらも大学院に進学する道を引き続き模索したい。フローニンゲン:2024/3/12(火)03:56
12298. 自利即利他の精神を絶えず持って
昨日のハーバード大学神学大学院(HDS)からの結果は残念ではあったが、不思議とすんなりとその結果を受け止めている自分がいた。このあたりにも確かな心の成長を見る。結果は無記であり、善悪でもないという唯識思想の教えが支えになっている。得られた結果をどのように受け止め、そこから何をするかが重要なのだ。ここからは兎にも角にも唯識思想の研究と実践を通じた自己研鑽に励みたい。自らの心をより成長させていき、同時に慈悲の精神で利他行を積んでいくのである。それを毎日地道に小さく継続させていれば、いつかどこかで花開くことがあるだろう。
こうして今年もオランダで生活を続けていくことになった。フローニンゲンでの生活もこの8月から9年目を迎える。早いものである。欧米での生活の13年目の始まりが近づく中で、こうしてオランダに残ることになったのは、ひょっとしたらサイケデリック実践をとことんまで突き詰めよという天からの勅令なのかもしれない。シロシビン・マッシュルームを核にしたその実践を真剣に体系立てて行い始めたのはまだ昨年の秋のことで日が浅い。サイケデリック実践を自由に行える環境がオランダにはあり、これは世界的に見ても珍しく、とても恵まれた環境だと言える。また、自分の日々は雑務に追われることなく、学術研究に集中することができ、それと並行してサイケデリック実践に隔週で打ち込むことができる。そうした稀有な機会を与えてもらっていることに何よりも感謝しなければならない。こうした足元にある幸せに気づく必要があったのだ。HDSの結果を受けて、今自分が享受しているそれらの幸せな事柄に気づかせてもらったことは非常に大きい。とにかくそれに感謝である。
ここからも自分が行うべきことは唯識思想の学術的な研究と、自らの心の成長を実現させるためのサイケデリック実践を積み重ねていくことである。それを何度もここに書き記しながら、実践への意志と歩みを刻印していく。その1つ1つの刻印を足がかりにして少しずつ前に進んでいけばいいのだ。その前進の過程で、少しでも他者の幸せの実現に貢献したいと思う。自利即利他の精神を忘れずに、ここからの日々をこれまでと同じく、いやこれまで以上に充実した形で過ごしていこう。フローニンゲン:2024/3/12(火)04:11
12299.心機一転のための片付け
時刻は午前5時半を迎えた。辺りはまだ真っ暗だが、小鳥たちが鳴き声を上げ始めた。その声に心が心底癒される。文字通り、心の底から癒しをもたらしてくれる鳴き声が朝の無音世界の中に染み渡っている。
昨日のハーバード神学大学院からの結果を受け、今年の夏に欧州永住権の申請をする必要があるかどうかを考えていた。すでに昨年の夏にオランダ永住権を取得しており、その時にはこれまでの欧州の滞在年数が1年基準に満たなかったこともあり、欧州永住権の取得が叶わなかったのである。オランダ永住権の取得の際には、フローニンゲン大学での学生期間を半分としてカウントしてくれたが、欧州永住権に関してはその考慮事項がなく、学生期間は除外され、学生の期間を終えて起業家として働き始めてからの年数がカウントされた。ゆえに5年間の滞在期間を満たすことができず、欧州永住権の取得については今年に見送りとなったのである。確かに欧州永住権があれば、EU諸国のどこの国にも住むことができるし、どこでも働くことができる。しかし、今のところオランダが最も自分に幸福感を与えてくれる国であり、EUのその他の国で生活する動機はないので、欧州永住権は別に取得しなくていいように思える。そのようなことを考えていた。
それ以外には、気分転換をするためにも書斎の片付けをこの機会にしようと思った。以前から薄々気づいていたのだが、2階の書斎にはもう足場がないほどに書籍の山が至るところにある。それらをこの機会に片付けて、また気分を新たに日々の探究生活に従事しようと思ったのだ。おそらく1回で綺麗にすることはできないと思うし、午前中はとにかく一番集中力が高いので、午前中は唯識研究に全ての時間を捧げ、数日に分けて午後に2階の書斎を綺麗にしていきたい。それに加えて、物への執着から離れる意味でも不要になっている衣服や備品を処分していきたいと思う。オランダでの9年目の生活が始まるまでに、このタイミングでもう一度再出発する意味で、書斎の徹底的な片付けといらないものを捨てるということをしていきたい。書斎という空間にスペースが生まれると、きっと知性空間にもスペースが生まれ、また新しい知識と智慧が入りやすくなるのではないかと思う。また不要なものを捨てることによって、家全体にスペースが生まれ、同様の効果が期待される。とにかく再出発である。人はいつでもどこでも再出発ができるのだ。今日からまた心を新たにして、自らの心をさらに豊かに育んでいき、少しでも利他的な形で慈悲を他者と社会に振り注げるような人間になれるように精進していこう。フローニンゲン:2024/3/12(火)05:54
12300. 煩悩と執着の滅却に向けて/今朝方の夢
小鳥の鳴き声を聞きながら、改めてここからの自分の取り組みを整理していた。やるべきことは明確で、引き続き唯識思想の研究に焦点を当て、サイケデリック実践を積み重ねながらサイケデリクスについても理解を深めていくことである。とりわけ後者のサイケデリクスに関する知識の獲得は、幸いにもオランダというサイケデリクスが合法である地の利を生かして、ここで積めるべき経験は骨の髄まで経験しておくべきかと思う。その機会を逃すと、今後一生後悔するような気さえしている。おそらくこの後悔という思いも、自分の末那識が生み出す何かしらの煩悩と執着によるものかもしれない。しかし、サイケデリック実践は自分にとって、そうした煩悩と執着を焼き尽くして滅却するためにあるとも言えるので、やはりオランダに引き続き残ることには大きな意味があるように思えてくる。ここからも自分に与えられた環境的恩恵に感謝しながら、愚直に研究と実践を継続させていこう。
そのようなことを考えていると、今朝方の夢についてふと思い出した。今朝方の夢の中では、予備校時代の3人の友人が現れていた。彼らは広島の名門中高一貫校を卒業していて、彼らのうちの1人とは予備校時代に特に仲が良かった。その彼が思わぬ特技として、相撲がものすごく強いことを知って驚いた。彼は普段はとても優しく、言動も柔らかい。しかし、ひとたび相撲となると態度が変貌し、とても勇しくなることに驚かされた。それは横柄とは少し違っていて、とにかく勇敢な彼がそこにいた。彼が相撲の四股を踏む様子を私たちは傍らで眺めていて、彼が四股を踏むたびに感嘆の声を思わず漏らした。そのような場面があった。
この夢が何を示唆しているのかは公案的な謎が残るが、いずれにせよ予備校時代の友人が現れたのは初めてのことかもしれない。自分は予備校時代に多くのことを学んだ。そこで久しぶりに幼少時代に感じていた学ぶことの楽しさを教えてもらったように思う。大学受験の最初の不合格通知を受けたことが懐かしく、昨日のハーバード神学大学院(HDS)からの結果報告を受けて、無意識の古層に眠っていた大学受験の記憶と感情が呼び覚まされたのかもしれないと思う。人生とは本当に面白いものである。識の作用は本当に面白いものである。大学受験の際の色々な体験と思いが今の自分の阿頼耶識に依然として種子として残っているようであり、それが今の自分の識の世界の中で様々な考えや思いとして現行して来る。なるほど、今回のHDSの出願に伴う結果を受けて、自分は自らの阿頼耶識に秘蔵されている種子と向き合い、それを智慧と利他業によって変容させていく必要があるのだと思う。今の自分の心の成長を阻む種子であればそれを滅却するようにし、より望ましい新たな種子を撒いていきたいと思う。フローニンゲン:2024/3/12(火)06:36
12301. 親友のメルヴィンからのメッセージを受けて
時刻は午後1時を迎えようとしている。車庫の上にいる猫がガーデンの方をぼんやりと眺めている。そんな姿を眺めながら、スマホを確認すると、親友のメルヴィンからテキストメッセージが届いていた。昨日の夕方にハーバード神学大学院(HDS)から受けた結果をいち早く親友のメルヴィンとパーソナルトレーナーのエリーザに伝えた。2人とも自分ごとのように結果を気にしてくれていたので、すぐさま連絡した次第である。その連絡に対してメルヴィンからメッセージが午前中に届けられていた。メルヴィンのメッセージで印象的だったのは、「宇宙はきっとヨウヘイに何か別のことを発見するように求めている」というものだった。まさにメルヴィンの言う通りかもしれない。今回HDSへの出願に際しては、自分はHDSでサイケデリクスを神道と仏教の観点から研究したいということを志望動機書の中で書き、最終面接でもそのように述べていた。しかし最終面接の時にはもう心は唯識思想の研究にあり、宇宙はそのことを見抜いていたのかもしれない。そしてそれを見抜いているメルヴィンの慧眼はさすがである。メルヴィンが述べるように、きっと宇宙はHDSに出願したときは違うことを自分の使命として課しているのだと思う。それが唯識思想の研究と実践だと感じる。実践としては唯識思想を通じた利他行に加えて、唯識思想の叡智を広く多くの人に共有することが挙げられる。しかもそこで対象とするべきは日本人だけではなく、可能であれば世界中の人たちにその叡智を伝えたいと思う。少なくとも英語圏や英語を扱う人には、英語での話し言葉や下記言葉を通じて唯識思想の叡智を共有していきたいと思う。それぐらいに唯識思想は私たちの心を豊かにしてくれる力を持っており、私たちの心の成長を実現させてくれるそれ以上にないほどの実践思想だと思う。
今日の午後にはまた近所の玩具屋に立ち寄って、日本から届けられた唯識思想の書籍を受け取ってきたい。ここからも毎日研究と実践の精進あるのみである。きっとメルヴィンは正しく、自分が今回HDSとご縁がなかったのは、出願後に発見した唯識思想を誰よりも深く学び、その叡智を世界に共有することなのだ。唯識思想と出会わせてくれたのはHDSへの出願だったかもしれないことを考えると、やはり今回は出願して本当に良かったと思う。出願のプロセスそのものから多大な学びがあり、サイケデリック研究への関心を経て唯識思想の研究に行き着いたのも、日々の自分の行動の結果だったのだと思う。唯識思想にあるように、結果は無記であり、今回のHDSからの通知は全握どちらでもない。その結果をどのように受け止め、ここから自分が世界に対して何をするかが重要なのだ。未来に良い結果とご縁が得られるように、今日からの種蒔きとしての善行をどんどんと積んでいこう。そうすれば、きっと未来にまた新たな扉が開かれ、自分なりの光を通じて世界に貢献できる日がやって来るだろう。フローニンゲン:2024/3/12(火)12:51
12302. 『成唯識論』の英訳書の音読行を初めて
午後に入っても小鳥たちが清澄な鳴き声を上げてくれている。彼らの鳴き声に癒されながら、今日から新しい実践として、『成唯識論』の英訳書を音読することにした。これについては前々から行おうと思っていたが、それを本格的に今日から始めることにした。この英訳書は相当に分量があるので一度に多く音読していこうとすると挫折をしてしまう。また、長時間音読をしていると喉を痛めてしまう危険性があるので、朝一番と午後の仮眠後に30分時間を測って集中して音読することにした。これはさに自分にとって読経行である。確かに本書は経典ではなく論集であるが、日本の法相宗において最も重要とされているテキストであることに違いはなく、唯識思想の研究においても最重要の一冊であることに違いはない。そうしたことからも音読するにふさわしい書物だと思った。当面は本書を毎日午前と午後に分けて30分間集中して音読していき、2回転したら、『唯識三十頌』の英訳に対しても同じことを行おうと思う。『唯識三十頌』はわずか30の詩で構成されているため、30分あれば全ての詩を1度だけではなく2度音読できるかもしれない。それであれば午前と午後に合計4回ほど音読できることになる。これをしばらく繰り返していけば、暗唱できるほどに身体に染み込ませることができるかもしれない。元来こうした短い歌は暗記用にあったとも言われているので、『唯識三十頌』を音読する時には暗記してしまうぐらいに何度も繰り返して音読していきたいと思う。『唯識三十頌』の音読を何度も繰り返して暗記が随分と暗記ができたら、今度はまた『成唯識論』に戻ってきて再度音読行を実行したいと思う。最初は無理をせず、1回30分ほどにし、筋力トレーニングと同じく、徐々に喉を慣らしていこう。30分に慣れてきたら45分、60分と徐々に時間を伸ばしていけばいい。当面は30分の時間を集中して音読していくことを毎日午前と午後の2回に分けて行っていこう。フローニンゲン:2024/3/12(火)13:48
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